10/18の昼休み
翌日。朝から石狩くんは浮かれていた。
『お昼っ!お昼っ! 一緒にお弁当! 』
顔色は微塵も変わらないというのに……。
彼の嬉しいという気持ちが伝わってきて私までなんとなく嬉しく、そして照れ臭くなる。
こんな風に声を勝手に聞くのはあと13日。私はそう自分に言い聞かせて赤くなった頬を冷やした。
『あー授業なんかどうでもいい。早くお昼にならないかなー……』
テスト前だというのにこの余裕。羨ましい限りである。
そんなわけで、授業に必死に追いつこうとするが置いていかれながらもお昼になった。
もう、石狩くんの浮かれっぷりがすごい。意気揚々としている。心の中では。
お昼のチャイムが鳴ると同時に彼は立ち上がり私の方を見た。
「どうする? なんの教科の勉強する? 」
意外にも彼はあんなに浮かれていたのに、しっかり目的を覚えていたらしい。
驚きつつも私は数学をお願いした。全ての教科が分からないのだが一番まずいものをなんとかしようと思ったのだ。
「ん。俺はご飯15分くらいで食べ終わるからその後で良い? 」
「う、うん。早いね」
「そうか? 」
石狩くんの前の席が空いていたのでそこを借りて座る。
彼のお弁当の中身は、桜でんぶのかかった白米と唐揚げだった。
「やっぱり桜でんぶ好きなんだ 」
「うん」
『あれ? そんなこと言ったっけ? 』
しまった。うっかりしていた。
私は誤魔化すようにお弁当を食べる。
『冷凍マカロニグラタン……あれ美味しいから好きだ。讃岐さんも好きなんだろうか。
……あ、ほっぺにご飯粒付いてる。可愛いなあ』
目の前に石狩くんがいるので綺麗に食べるよう心掛けていたのだが、うっかりしていた。私はティッシュを取り出してご飯粒を取ろうとする。が、中々見つからない。
「もう少し右」
「ん……? 」
「ちょっとごめん」
石狩くんの手が伸びて、私の頬を撫でた。冷たい手だった。
心臓が跳ねる。
『ほんと、こういうところ抜けてて可愛い』
石狩くんはご飯粒を摘むとティッシュで丸めてさっさと捨てた。
席に戻る時に私が放心していることに気が付いたらしい。不思議そうに私の顔を見つめ、それからハッとした表情になった。
『何やってんだ俺!? セクハラ!? モラハラ!? パワハラ!? うう、今のは引かれたかも……。やっちゃったよ……うわ、もうダメだ……』
「あの……」
「ごめん、つい」
「う、ううん。こちらこそお手間をかけて申し訳ないです……」
「いや、本当に今のは……ごめん」
気まずい沈黙が流れる。
私は黙ってご飯を食べることにした。石狩くんもモソモソと唐揚げを食べる。
『お、怒ってないみたいだ……良かった。
けど……今になって意識しちゃって……ああ……ほっぺ、柔らかかった……肌すべすべだったし……いやダメだ! 考えるな。
……考えないようにすればするほど考えてしまう……。ほっぺってあんなに柔らかいもの? 可愛い……もっとさわ、いや何考えてるんだ俺。しっかりしろ』
懸命にご飯を食べて聞こえないふりをするがどう頑張ったって聞こえてしまう。自分の顔が赤くなるのが分かる。
『讃岐さんの顔赤い。照れてる……? えっ!? 照れてる!? か、可愛い……堪らない……。
こんな可愛い人他にいる!? 』
ごまんと居るだろう。
だけど、目の前でそんな風に思われたらますます顔が赤くなってしまう。
『やっぱり可愛い。口元押さえてご飯食べてるの上品だし、お箸の使い方も綺麗で、そういうところが好きだ』
もう……本当に羞恥心で死んでしまう。
私が顔を赤くしていたのがいけなかった。
クラスメイトの一人、羽合くんが私たちのことを怪訝そうに見る。
「あれ? なんで二人で食べてんの? 珍しいな? 」
「別に、関係ないだろ」
「あー……」
彼は少し黙って思案顔になったが、突然ニヤニヤと笑い出した。
「もしかしてお前ら付き合ってんの? へえ……。 まー真面目ちゃん同士お似合いかもなあ! 」
私はご飯がむせそうになった。ご飯食べてるだけなのに。
『……なんだ? 羽合が話しかけてくるなんて変だな』
「勉強会するんだよ」
「え!? 俺も混ぜてよ! 石狩って全国模試1位なんだろ? 」
彼はちょっと苦手なタイプだ。剽軽だが口調が粗雑で何を言われるか分からない。
「……違う。全国模試はそもそも受けてない」
『なんで皆……どこでこんな噂流れてるんだろう』
「そうなの? でも頭良いのは変わんねえよな! 俺英語が苦手でさ」
「……悪いけど、一人見るので手一杯だから。自分でなんとかしてくんない」
『なんやかんや騒いでるけどいつもそこそこの順位にいるしわざわざ俺が教えなくても平気だろう。それより讃岐さんの方がまずい気がする……他の人を見てる場合じゃないかも』
「なんだよ冷てえ奴だな。
ああ、マジで二人付き合ってんだ? 俺は邪魔者ってわけだ」
石狩くんの無愛想な口調はこの人を怒らせてしまっているが、石狩くんはそれに気付いていない。
誤解を解かなくては。何か言わなきゃ。この場をどうにかしなきゃ。そう思うのに言葉が出ない。
どうしよう、喧嘩になる? 私のせい?
「あの、」
「意外だなあ! お前、讃岐みたいなのがタイプなんだ」
『そうだよ。文句あんのか! とは言えないけど……否定もできない……。
というか、さっきから変に絡んでくるな。なんなんだ? 』
「さっきからなんだよ」
「なんだよって、なんだよ」
「あのっ、」
「なあ、おい! 石狩と讃岐付き合ってんだってよ! 」
彼は、近くにいた別のクラスメイトにそう言う。そのクラスメイトもニヤニヤと笑い私たちを見た。
「えー!? マジ? 讃岐って石狩のこと好きなんだ? コイツのどこが良いわけ? 頭が良いから? 」
「わ、私」
『うーん? なんでこんなに絡んでくるんだ? いつもは話しかけても来ないのに』
「わた、し、あの、」
どうしよう、緊張して言葉が出ない。
手元を見つめることしか出来ない。
「真面目同士のカップルってどんなことすんの? 勉強? 」
羽合くんの疑問に、もう1人はゲラゲラ笑いだした。
「やってたらめっちゃウケるんだけど! 」
「それは意外だなあ? 」
……ん? 一人多い。
私は顔を上げた。
「お前、根暗で人見知りで鈍臭い癖に一丁前に彼氏できたのか。良かったな」
美しい男が絶対零度の笑みを浮かべている。
こ、この顔は最上級で中身が最下級の……!
「ギャア!!! 楡!! 」
私は椅子から飛び上がって、机の陰に隠れた。そんなことしても無駄だと分かってはいるが。
私は机の陰からその麗しい男を見上げた。
楡 無花果。私の従兄弟であり最低最悪の人間である。
『讃岐さんって大きい声出せるんだ……しかも今までで一番素早く動いていた……』
「に、楡!? なんでここに……」
絡んできた二人も慄いた顔になる。
当然の反応だ。楡は話していた相手を突然殴る・蹴るといった暴行に走る社会病質者なのだ。何故この男と同じ学校に入ってしまったのか……。
伯父も教えてくれれば良いものを、と恨み言を言ったのも一度や二度ではない。
「ちょっと用があってな。お前らどっか行けよ」
「はあ? お前、いきなり現れて何言ってんだ? 」
全くもってその通りである。一体何の用だと言うのだ。体が震える。
「お前、他クラスに来てよく普通にいられるな! 自分の教室に戻れよ! 」
「俺がお前らにどっか行けって言ってんだろ。大体、他クラスに来ちゃ行けないなんて決まりあるか? ねえだろ」
「いやあるわ! 」
「そうだっけ? まあどうでもいいわな。
怠いよお前ら。なんで讃岐に絡むんだ? 」
「それはっ、」
「いい。興味ねえし。
ほら顔面ぐちゃぐちゃに潰されたくなかったらどっか行け」
楡はしっしっと手を払った。
怖い。楡は笑っているが冗談とはとても思えない。
クラスメイト達は怯えた様子で私たちから離れた。
一難去ってまた一難である。
『楡 無花果……。暴君だって噂には聞いてたけど凄いなあ。関わりたくない』
もう遅い。石狩くんは奴に認識されてしまっている。
こんなことになるなら一緒にお昼食べようだなんて言うべきじゃなかった。なんてことを言ってしまったんだ。
「おい、讃岐。聞いてんのかよ」
「ヒッ!? な、なに? 」
「……別に何もしてねえだろ。落ち着いて話せないから座れよ」
何もしてない……? あれで?
まあ手を出さなかっただけマシか?
私はゆっくり席に着く。
石狩くんはどうしたものか、と戸惑ったいるようだった。
『だ、大丈夫かな。いや大丈夫じゃないよね? 顔が真っ白だし……』
「何の用」
「お前に用は無いよ天才くん」
馬鹿にしたように楡は目を細める。嫌な奴だ。しかし馬鹿にされたというのに石狩くんは特に気にする風でもなく『うーん? 天才という噂もどこから流れたんだ』と不思議そうにしている。心の中では。
楡は石狩くんから目を離し私を見た。何を言おうとしているのか。怖い。
「なあ、八郎のことだけど」
その言葉に私は大いに咽せた。
八郎とは、母の妹の子供、つまりやはり従兄弟である。私は親族がとにかく多いのだ。
ちなみに八郎は八郎という名前だが長男である。
何故私がその名前を聞いて咽せたかというと彼は勤め先の女性にストーカー行為を働いたとして有罪判決を受けていたからだ。
そんな奴の名前を校内で出すとは……。楡とこうして話しているだけでも私の殆どゼロに近い社会的地位がマイナスになるというのに。
「八郎さんが何……」
「いや出所したからパーティしようと思って」
頭のネジが何本飛んでるんだコイツは。被害女性のことを思えば殺したいとは思えどパーティしたいなどとは思わない。
『しゅっしょ……? 』
石狩くんが不審な目で楡を見る。まずい、石狩くんは勘がいいのだ。
「は、八郎さんの、赤ちゃんの出生届! 出したんだもんね! パーティし、しなくちゃだね! うん! 」
「ハア? 馬鹿かお前。孕ませてたら三年じゃ出られねえだろ」
「あ、赤ちゃんは十月十日だよ! ね! 石狩くん! 」
「うん」
『楡、赤ちゃんのこと桃の木だとでも思ってるのかな』
「え? あいつ住居侵入じゃなくて強姦までしてたの? 」
私は楡が全てを言い終える前に奴の足を踏んだ。
お願いだから生々しい言葉使うのやめて!
『今なんかとんでもない言葉が聞こえたような……』
「痛えな」
「なんのことだろう!? それより、八郎さんのパーティだね! 盛大に東京湾でやろう。
楡は生コン用意しておいて私はドラム缶用意しておくからじゃあねバイバイさようなら」
「おう、急に話が進んだな。生コンとドラム缶はもう用意しかてあるから安心しな。
八郎には寿司奢らせようと思ってんだ。回らないの」
出所したての人間がそんなお金があるのだろうか? 殆どのお金はストーカー行為に使っただろうし。
それでも話を終わらせたい私は何度も頷いた。どっか行ってくれ。巣に帰ってくれ。
「しかしアイツも馬鹿だよな。何やってんだか……」
楡は呆れたように呟いた。
この男だって、同じ学年の女生徒に纏わり付いているのに何言ってるんだ……そう思い私の口から思わず言葉が漏れた。
「同じ穴の狢でしょ」
私たちの一族はどちらかだ。
色んな人に恋をするか、一人の人に執着するか。
私の母と楡の父は前者だった。楡と八郎は後者だった。
「お前はどっちだろうな」
私はどっちだろう。
楡は石狩くんを一瞥し、馬鹿にしたように唇を釣り上げた。
「……仲良いんだね」
楡に見下ろされた石狩くんがポツリと呟いた。
彼の仄暗い気持ちが私に流れてくる。
怒ってる……?
『俺に分からない話して、すごく嫌だ。いきなり現れてなんなんだろう。
さっきから邪魔ばっかり入って讃岐さんと全然話せてない』
小さく息を飲む。
何やってるんだろう私。折角石狩くんが私に勉強教えてくれるって言ってたのに。
『カッコいいから……やっぱり好きなのかな。でも楡彼女いるし、違うよね? やだな……なんか……。
俺もこういう風に話せたら仲良くなれるのかな。……こうやって、お昼一緒に食べたら少しは仲良くなれると思った自分が馬鹿みたいだ』
「あ、の、」
馬鹿は私だ。楡の相手なんかしないで良かったのに。適当に三回頷いてれば終わる内容だったのに。
「仲良いって……なんだ、お前彼氏に言ってねえの?
俺たち、いとこだよ」
「ウギャ! 」
何も教室で言わなくても!
私が楡を睨むと、彼は眉根を寄せた。
「なんだよ……隠してたのか? 」
「できれば……嫌だし……」
「なんで皆俺と親族ってことを隠したがるんだ? 」
当たり前だろうと思うのだが奴は不思議そうだ。
「いとこ? 」
石狩くんは何度も私たちの顔を見比べた。まあ、私と楡は似ていないから。
楡は美人の母親に似たお陰で美形になった。私は残念ながら……残念な顔立ちだ。
『いとこ!? 楡と、血の繋がりが……? 楡が変なのか、讃岐さんだけ特別良い子なのか……。間にどんな人たちが挟まってるのか気になる。
ああでも、いとこかあ。八郎さんってじゃあ親戚? 親戚に子供が生まれたならパーティするよね……なんだ……』
子供は生まれていないが、良かった。彼はもう怒っていないようだ。
私はホッと息を吐いた。やっぱり、石狩くんには怒ってほしくない。
「やっぱり驚くよな。遺伝子って残酷だよ。俺の優秀な遺伝子を少し分けてやれたら良かったんだけど……悪いな」
「いらない」
社会病質者の遺伝子など毒以外他ならない。
私が首を振ると楡は不思議そうにしながらも席を立った。
回らない寿司を食べたいということだけでよくここまで私を疲れさせるものだ。
「じゃあ俺は彼女が待ってるから行かないと。彼女が、待ってるからな。可愛い彼女が」
楡は何故か得意げな顔をしている。鬱陶しい。
「はい、通報しておけばいいんですね? 」
「ちげえよ馬鹿。阿保。
そういえば、なんだっけ……出水? 」
「ん……? 」
「お前のこと探してた。
……お前も大変だよなあ。きょうだいが出来るのは中々楽しいもんだけど」
楡は昨年同じ学年の赤松さんと義兄妹になった。親同士が再婚したのだ。
思えばこの学年には我が一族が多い。多すぎるくらいだ。
ただ、楡のところは偶々だが私のところはそうじゃない。ある意味必然だった。
「……わかった……」
「じゃあな。可愛い彼女が待ってるから。めちゃくちゃ可愛い彼女がな。
さよなら凡夫ども」
嵐が去って行き、私はやっとの思いで席に座る。なんだか疲れてしまった。
まだご飯も半分も食べ終わっていない。
「……石狩くん。ごめんなさい。楡の連絡先知らなくて……だから直接来ちゃったみたいで。あの、ごめんなさい」
「いいけど。連絡先交換しとけば」
『いとこ同士なんだし……。あ、でも教えるのもなんとなく怖い気がするな』
そういうことだから私は絶対に奴に連絡先を教えていない。残念ながら実家は知られているが……。
私は頷きつつもご飯を掻き込む。早く食べなくては。
「ゆっくりでいい」
「ん、でも」
「どうせもう時間無いから」
時計を見るともう昼休みが終わる10分前だった。
ああ。やっちゃった。なんで私はいつもこうなんだろう。
石狩くんは特に不快に思っていないようだがさっきは怒っていた。
失敗した。どうすれば良かったんだろう。
私は心の中で半べそをかきながらお弁当を食べた。




