10/16にそれは始まった
二章スタート。主人公変わります
私は追い詰められていたのだ。
どうしても勉強に集中できなくて、テストまで残り2週間切ったというのに部屋の掃除を始めちゃったりとかして、もうダメだと思った。
なんとか気晴らしに散歩に……という新たな逃避を始めたのがいけなかったのか。
普段なら行かない神社に行って神頼みをした。
どうかテストで良い成績が納められますように……。
「おめでとうございます! あなたは10000人目の参拝客です! 」
は、と声が出た。
この遊園地みたいなアナウンスは?
「おっと、驚いていますね? 無理もありません。
これに関しては私共としましても初の試みでして……」
声は、目の前の本殿……ではなく、背後の狛犬から聞こえてきた。
「……ど、どっきり? 」
「いえ、どっきりではありませんよ。
一応私はこういう……あ、石だから動かないんだった。
本当なら名刺を渡したいところですが……仕方ありませんね。私は狛犬と申します」
確かに狛犬の厳しい顔のあたりから、中年男性の声がする。
スピーカーではなさそうだが……。
私の疑いの視線を察するかのように、狛犬は犬撫で声で話し始めた。
「疑うのも無理はありません。
本来ならば神のお声でもお聞かせしたいところですが、生憎神は天上のものでらっしゃいますから。あなた様のような小さきものには声が届かないんですよ」
「残念です。……けど、なんなんですか一体。どっきりにせよ本物にせよ、何が目的です」
私はそっと体を構えた。
新手の不審者だろうか? 狛犬の周りをぐるぐる回って、もう一匹の喋らない狛犬の周りを回って、ふうと息をついた。誰もいない。
「疑うのはやめてくださいって。神罰っちゃいますよ。
いえね、目的といいますか、我々としても奉って頂かないことには此方の世での存続が危うくなりますからサービスしようと思いまして。
そこで始めたのがこの10000人サービス。10000区切りで来てくれた人にお願いを叶える、謂わばアクセスカウンターですな。
どんどん来てくださいね」
狛犬は、神の守護獣の割には軽妙な語り口で話をする。怪しい。
しかし10000人区切りとは。こんな小さな神社では中々大変そうである。道は遠いだろう。
「もう少し人数少なくしないと大変じゃないですか? 」
「たったの200年。大したことじゃありませんよ」
うーむ。さすが神の守護獣を名乗るだけあって、時間感覚が違う。
「じゃ、じゃああなたたち、私の願いを叶えてくれるってことですか? 」
「誰かを直接的に不幸にしたり傷付けないものに限ります。あと流石にビルゲイツにしてくれ、とか実力に見合わないものはしませんよ」
「狛犬さんってば意外と俗世に染まってますね。
……わかった。じゃあ私のテストの成績を良くしてください」
その為に来たのだし。
どっきりだろうとなんだろうと、藁にも縋りたい気持ちもあった。
「うーん、具体的な方法を言ってくれませんか? 私はてすと、というものをよく知りませんので」
「アクセスカウンターは知ってたのに……!?
じゃあ……頭を良くしてほしい」
「もう少し具体的に。
誰くらい、どうやって頭を良くしてほしいんですか?
例えば誰かの頭を覗くとか誰かと脳を同じにするとか、そういう風なら分かりやすいのですが」
「そう、じゃあ、石狩くんの頭の中覗くとかは」
石狩 由多加くんは同じクラスの天才である。
無愛想で冷たいが、学内テストではいつも1位でとにかく頭が良い。全国模試で首位を取ったとか取ってないとかとにかくすこぶる頭が良い。
テスト中彼の頭の中を覗けば満点間違いなしというわけだ。
「石狩くん……石狩 由多加くんのことですね。
それじゃあそのように」
「え、ええ? 良いんですか? 」
というか叶えられるの? と思ったが、狛犬は面倒そうな声音で「当たり前でしょう。さ、後は家に戻って勉強した方がいいですよ。明日は国語の先生が抜き打ちで試験を行うそうですから」と言ったので慌てて家に戻った。
あの狛犬、テストは知らないのに試験は知ってるのか、と思いながら教科書を眺める。
果たしてあの狛犬は一体なんだったのだろう。
翌朝、教室に入ると石狩くんがいた。
逆の場合も多いが最近は私が教室に一番乗りし、次が石狩くんなのだ。
彼はなんちゃって制服をきちんと着ている。我が躑躅高校は私服校で、私服の生徒となんちゃって制服の生徒は6:4の割合だ。
ちなみに私もなんちゃって制服。朝服を考えなくて済むからだ。
「おはよう」
「……おはよう」
今日も石狩くんは無愛想だ。
狛犬が本当なら石狩くんの頭の中を覗けるらしいが……昨日のアレはテスト前の追い詰められた精神によって生み出された幻覚だろう。私は息を吐いた。
その時だった。
声が聞こえて来たのだ。それも石狩くんの、囁くような声が。
『やっぱり讃岐さん可愛いな……朝喋れるの本当に嬉しい……』
……はて、これは己の知らぬうちに作り上げてしまったナルシスト人格による幻聴だろうか……。
石狩くんがそんなこと言うはずがない。彼は人を寄せ付けない孤高の存在であり、誰かに対して可愛いなどと甘えたことを言うようなタイプじゃないのだ。
「……石狩くん。今何か言った? 」
私がそう聞くと彼はツンと澄ました顔で素早く否定した。
しているのだが……。
「いや別に」
『俺、無意識言ってたかな。まさか。でも怖いな……気を付けないと』
やはり何か聞こえる。
実際に空気を揺らしてはいないが、確かに声が聞こえるのだ。
なんだろうかこれ。
「な、なんかさっきから聞こえない? 気のせいかなあ」
「聞こえないけど」
『疲れてるのか? なんも聞こえないけどな……。
どうしたんだろう』
「そっかあ……」
私はじっと石狩くんを見つめた。
私の頭がおかしくなったのか、彼が何かイタズラしているのか。
『視線を感じる。讃岐さんが俺を見ている? なんでだろう。もしかして歯にノリ付いてた? ああ、まずい。絶対顔赤くなってる』
石狩くんの顔は能面のようだ、全然赤くなってすらいない。唇すら動いていない。
いっこく堂でもない限り唇を動かさずに喋るのは無理だろう。
やはり私の頭がおかしくなったようだ……病院に行かないと。
『讃岐さん、後ろの髪の毛跳ねてる……寝癖かな? 可愛いなあ……』
えっ、そうなの?
私はパッと後ろの髪の毛を抑えた。髪を肩にあたる長さで切ってからよく跳ねるようになってしまった。
そして……確かに髪が跳ねている。
……これは……。
『あ、気が付いた。良かった』
これは、まさか。
—そう、じゃあ、石狩くんの頭の中覗くとかは
—石狩くん……石狩 由多加くんのことですね。まあ構わないでしょう。それじゃあそのように
まさか、あのやり取りは本当だった……?
いやそんな。でも……。
「あのー……石狩くん……。ちょっとゲームをしませんか……? 」
「……なんの」
彼はいつもの通り冷たい声音だ。だが、それとは別に『なんだろう、さっきから讃岐さんが俺に話しかけてくるの嬉しいけど何かあったのかな……』という囁き声も聞こえる。これは幻聴なのか否か。
「ちょ、ちょっと、その。試してみたいことがあって。
人が思い浮かべてる数字を当てるっていうゲームなんだけど」
『ああ、あの全部答えが同じになるやつかな』
……そんなのあるんだ。
私は慌ててスマホを取り出して調べる。
なるほど、数字当てのマジックというのはいくつもあるらしい。
「や、やってくれる? 」
「良いけど」
『なんでそんなのを? 練習したいのかな』
石狩くんは渋々という感じで私の方を向いた。私はスマホを見てやり方を確認する。
「好きな数字を思い浮かべて」
『2』
「その数字から4足して、更に倍にしてください」
『ああ……答が1のやつかな……』
その通りだ……。もうネタがバレてしまったとは。
だが私は気にしないようにし言葉を続ける。
「そこから6引いて、2で割って、更に最初に思い浮かべた数字を引いてください」
『やっぱり』
石狩くんは頷いた。
お互いタネが分かっているマジックというのは楽しいのだろうか、と一瞬思ったがそもそもこの声が幻聴である可能性が高すぎる。
私は気を取り直して「答は1ですね? 」と聞いた。
『……分かってたけど……どうしよう……。分かってるって言うの感じ悪いよなあ……』
「……合ってるよ。凄い」
いつもの仏頂面で言われた。もし心の声が本当なら彼は案外優しい人だ。
だが、本番はこれからだ。咳払い1つし、石狩くんの目を見る。
「最初に思い浮かべた数字って、2?」
「そうだけど。……なんで分かったの? 」
「いやあ、勘なんだけどね」
『エスパー能力に目覚めたとか? 神は二物を与えないって言うけど讃岐さんは可愛くて優しくて超能力者なのか……』
どこから突っ込めば良いのか分からないが、とにかく。
私は確かに、石狩くんの頭の中が覗けるようになってしまったらしい。
そして彼は少なからず私に好意を抱いているようだ。
*
どないなってんねん、と私の中のエセ関西人が叫び声を上げていたが、結局私は何事もなかったかのように席に着き、放心した。
あの石狩くんが、私を好き……?
いや彼は女好きなだけで女と話すときは常にあのテンションなのかもしれない。というか、そんなことよりも頭の中が覗けることの方が重大だ。
つまり、あの狛犬は本物だったというのか。
私の最後の疑念を晴らすかのように担任の先生が教室に入るなり「抜き打ちで国語のテストをする! 」と言った。
狛犬の言う通りだ。担任の先生は国語の担当である。
私はメロスの気持ちもKの気持ちも分からない。だが石狩くんの頭の中は覗けるのだ。
斜め向かいに座る石狩くんの背中を私は見つめた。
彼の囁き声……つまり心の声が聞こえてくる。
『問1、文中に出てきた漢字を書け……。あー、難しいな……ジャチボウギャク……』
ここで大事なことに気が付く。
私は心の声が聞こえるのだ。視覚ではない。
つまり、漢字はカンニング出来ないのだ。
……漢字は諦めよう。
石狩くんは頭が良いだけあって問題もスイスイ解いていく。私はそれについていくのに必死だった。
『セリヌンティウス……妹、と。簡単だったな……』
私が必死こいて答えを書いている間に石狩くんは解き終わってしまったらしい。
なんてことだ。
唖然として石狩くんの背中を見つめた。
だが彼は見直しもせずボンヤリと窓の外を眺めるだけである。
『窓、反射して讃岐さんの顔見えるんだよな……。
……? 俺の方見てる……? いや、気のせいか? 讃岐さんいつも解くの遅いしそんな余裕ないよね』
遅いの知られていたとは……。恥ずかしい限りである。
いやそうじゃない。いつも石狩くんは窓を眺めているなとは思っていたけど、まさか私を見ていたというのか。
耳まで赤くなるのが自分でも分かった。
『それにしても今朝の讃岐さんのマジックなんだったんだろう? 偶々ってことで良いのか?
ハア……もう少し話したいな。いつも緊張して上手く話せない……』
彼のあのぶっきらぼうな返事は緊張からだったのか。てっきり人嫌いなのだとばかり……。
『讃岐さんと仲良くなれないかな……いや無理だ。ろくに話も出来ないのに友達になんかなれるわけがない。
でも讃岐さんに彼氏できたら嫌だ。
もしかしたら既にいるかもしれない。あー……なんか凄い……苦しくなってきた……』
テスト中に恋煩いとは、色ボケにも程があるし私に恋人はいない。
ただ石狩くんはそんなこと知る由もないので、どんどんとその考えのループにはまっていた。
『彼氏どんな奴なんだろう。
やっぱかっこいいんだろうな。俺もかっこよければ讃岐さんと緊張しないで上手く話せたのかな……。
生まれ直したい……いや生まれ直したら讃岐さんと会えないかもしれない。それは嫌だ……あー辛い……』
石狩くんのグルグルとした感情が私にまで流れてくる。
なんだか胸がモヤモヤする。気分が落ち込んできた。
心の声を聞いているとその相手の感情に引き摺られるのかもしれない。私は聞くまいと首を振ってテストと向き合うが、石狩くんはもうテストなど終わっているので考え続ける。
『デートとかしてるのかな。良いなあ。会話を楽しんだりとかしてるんだろうな。手とか繋いだりしてさ……俺だって繋いでみたい。あー、彼氏良いなあ……憎いなあ……』
彼氏いないってば……と思うのだが返事するわけにもいかず、ただ彼の鬱々とした気持ちに飲まれていく。
「そこまでー! 用紙回収するよー」
しまった。テストの回答用紙は殆ど空欄である。
先生はその用紙を見ると小さく「追加で課題出すね」と宣言した。
ああ、もう。