side スミレ
きっかけはその一言だった。
「ああ、確かに石原さとみはかわいいな」
楡 無花果……思いびとがそう言った瞬間、私は立ち上がった。
*
ライバルが石原さとみって!石原さとみって!
シンゴジラにて、ZARAはどこ? と言っていた彼女の言葉が脳内に響く。
勝てない。日常的にZARAを着るような人に勝てない。プチプラの中でも私はGUしか着てないのに。海外からやって来たプチプラブランドを着こなす自信はないのに。
私は半泣きになりながら教室を飛び出した。
走るたび太腿や脹脛や胸や二の腕が揺れる。
そう、私は所謂ぽっちゃりさんなのだ。
石原さとみから程遠い存在……。だというのに楡くんは石原さとみが好きなのか。そうか。
確かに楡くんはカッコイイ。石原さとみと並んでも釣り合いが取れるカッコ良さだ。
彼だけ、神様が特別気合を入れて作ったに違いない。
スッと通った鼻筋も、切れ長のひどく色っぽい瞳も、薄桃色の唇も、全て人間離れした美しさだ。
「ふとんがふっとんだ」という言葉も彼が言えば、なるほど布団は吹っ飛ぶのか……と納得してしまう神秘性がそこにはある。
そして楡くんは性格も良い。
いつも薄く微笑みを浮かべ、どこか達観した様子でクラスメイトたちを見ている。
仏……そう、彼は仏なのかもしれない。
いつも浮かべている笑みはアルカイックスマイル……?
なんて真面目に考えてしまうほどだ。
そんな彼に惚れない方が無理という話で。
私はすっかり彼にのぼせ上がっていた。
だから私は楡くんにそれとなくどんな女の子が好きなのか聞いてみたのだ。近くにいる男子たちに聞くついでを装って。
返ってきた答えが石原さとみだとは思わなかった……。
私は逃げた先の屋上でグフグフと喉を鳴らしながら泣いていた。
今すぐシンゴジラがやって来てこの私にビームを食らわせてくれないか……そんなことを思いながら……。
「……どうしたの? 」
後ろから男の声がした。
私は泣いていることも忘れ彼の顔を見上げる。
あ、と思わず声が出た。
そこにいたのが青桐 伊吹くんだったからだ。
この学校において彼を知らぬ者はいない。
引き締まった筋肉と爽やかな顔面の彼は、一年前までは柔らかな脂肪と荒れた肌の顔面をしていたのだ。
だが彼は一年の終わりが近い冬のある日、突然ダイエットを始めた。彼は見る見る間に痩せていき、それからなぜか肌ツヤも良くなり着ているもの……我が躑躅高校は自由服である……も格段にセンスが良くなった。
そう、イメチェンだ。めちゃくちゃイメチェンしたのだ。
あの柔らか大食漢青桐くんがダイエット、それだけでも驚きなのにイメチェンの結果イケメンとなった彼に女子は群がった。
モテたからではない。そのダイエット方法、スキンケア方法、それから持ち物のセンスの磨き方について根掘り葉掘り茎掘り花掘り全部聞き出そうとしたのだ。
そして、青桐くんは元々教えるのが上手な性格だった。彼にアドバイスを貰った女子達は次々とイメチェンしていき、彼氏彼女が出来たのは勿論、アイドルにまで上り詰めた子までいた。
結果、彼はイメージチェンジアドバイザーとしての地位を築き上げたのだ。
そのイメチェンアドバイザーが私の目の前にいる。
「青桐ぐんッ! 」
「キャッ! な、なんですか……」
「おねがいじまず! わたじを石原さとみにじでくだざい!!」
鼻声で叫んだ言葉は、しっかりと青桐くんに届いたらしい。
彼は真面目な顔で私を見つめる。
「石原さとみに……? その道が、茨の道だってことはわかってるよね……? 」
「わがっでます! でも、お金の許す限りわたじは、わだじは石原さとみになりたいんでず……」
青桐くんに向かって私は三つ指をついて頭を下げた。
「お願いじまず!!!!」
初夏の空に私の叫びが響き渡る。
「……お金じゃない。必要なのは努力だ。
石原さとみはこの世界において最高ランクの美女なのは承知してると思う。そんな彼女のようになりたいというのは、並大抵のことじゃない」
「わかっでまず……それでも、お願いじだいんでず……」
青桐くんは小さく、厳かに頷いた。
「君の気持ち、よくわかった。
よし、君を石原さとみにしてみせよう! 」
「ありがとうございまず! ありがとうございまず! 」
私は彼に向かって額を地面に擦り付けながら何度も感謝した。
青桐くんはそんなことしないでいいよ、と穏やかに微笑んで私の肩を叩く。
「君、名前は? 」
「接骨木 菫です」
「接骨木さん……。
知ってるみたいだけど僕は青桐。よろしくね」
差し出された手を私はしっかりと握った。
こうして私は、楡くんに見てもらうために壮絶な道へと歩みだしたのだ。
*
さて、と青桐くんは先生のように手を叩いた。
「答えにくいと思うんだけど、体重は? 」
くっ……早速なんて試練だ。
私は自分の体を見下ろす。どこもかしこもぷよぷよとした脂肪が体を覆っている。
脂肪という名の鎧を着ている。
少し軽い体重を答えようとしたが……やめた。青桐くんの前に見栄など無意味。
正直に誠実にいることが、石原さとみになるための近道だ。
私はその二桁の数字を答える。厳かに、重々しく、だがしっかりと。
青桐くんはその数字を聞いて納得したように頷いた。
「平均より上の数字だね。でも体重は気にしない方がいい」
「え? 」
「気にするべきなのは体脂肪率だと思うんだ。
これはあくまで僕の持論だけど……大事なのは筋肉だ。筋肉というのは脂肪よりも重いもの。鍛えるとどうしても体重が重くなってしまう。
でも、それは悪いことじゃない。筋肉があると体が引き締まるし、健康的だ。どんなに体重が軽くても筋肉のない体というのはどうしても弛んで見える。結果、体重は軽いのにどこかだらしない体に見えてしまう……なんてことが起こり得る」
「でも、筋肉がつくと固太りしちゃうよ」
「接骨木さんは水太りタイプ……って言ったら失礼だけど、筋肉のある体じゃないから固太りはしないと思う」
なるほど……。確かに私はぷよぷよボディ。固太りの人のカチッとした太り方ではない。
「じゃあ、運動すれば良い? 」
「そうだね。毎日のストレッチとか、食生活の見直しをしていくことが大事だと思う」
「絶食とか……? 」
彼はゆるゆると首を振った。
「そこまでしないで良いよ。僕、絶食したんだけど、肌は荒れるし体の調子は悪くなるし、確かに20キロ減したけど結局リバウンドしたし、良いことなかった。
勿論人によると思うけど……無理なダイエットはオススメしないよ。続かないし」
確かにその通りだ。
私は何度もダイエットしては失敗している。
りんごダイエットも、バナナダイエットも、納豆ダイエットも……。
「ダイエットというのはそもそもは健康維持のための言葉だから、偏った食事はダイエットと呼べないと思う」
青桐くんはまるで私のやってきたダイエットを見てきたかのようにそう呟く。
「それなら、私はどうしたら良いの? 」
「規則正しい生活と、食事と、運動。このシンプルな方法で良いんだ」
「そんなの……」
誰にだってできる……と言おうとして私は口を閉じた。
出来てない。夜は遅くまで起きているせいで寝坊し、朝はいつも抜きのことが多いし、運動は体育の授業でしかしない。
私のハッとなった顔に青桐くんは頷いた。
「簡単なようで難しいんだ。
でも大丈夫。習慣になってさえいれば定着するから」
「わかった。手始めに夜寝る前つい見てしまうスマホを壊せば良いのかな」
私はポケットからスマホを取り出して高く掲げる。この屋上の床に叩きつければ壊れるだろう。
「鎮まりたまえ。壊さないで。手を下ろして。
……まずは目標を決めよう」
「石原さとみ? 」
「数値で決めた方が分かりやすいと思う。
そうだなあ、じゃあまずは5kg減らそうか」
「5kgだけ? 」
それだけじゃこのぷよぷよボディから離れられないと思うのだが……。
「手始めに1ヶ月。それで5kgだから結構キツイよ」
1ヶ月に5kg……それは大変だ。早速やめたくなるが、楡くんの顔を思い出してグッと堪える。
「わかった……」
「それと同時に、服や小物を揃えないと」
服や小物? 1週間毎日違うものを着れるだけはあるが。
「接骨木さんは、パーソナルカラーと骨格診断って知ってるかな」
「ああ、はいはい。あれでしょ。X線とかMRI……」
「知らないんだね。
パーソナルカラーっていうのは、その人にあった色の系統のこと。
人の肌というのは凡そイエローベースとブルーベースに分かれるんだ。
その名の通り、黄色っぽい肌の人と青っぽい肌の人。面白いことに黄色人種と言われるアジア人でもブルーベースの人はいるんだ。それも沢山ね。
それでそのイエローベース、ブルーベースを更に分けたものがパーソナルカラー……って言えば良いかな。
パーソナルカラーは四つあって、イエローベースのオータム/スプリングタイプの人、ブルーベースのウィンター/サマータイプの人といる」
ふむふむ、と私は頷き、スマホでメモを取る。
パーソナルカラーというのは四季の名前で分かれているらしい、ということまではわかった。
「そしてパーソナルカラーは大体の色味が分かれているんだ。
オータムの人は秋の実りの燻んだような、どこかヨーロピアンな色。スプリングの人は春の実りの華やかな色。ウィンターの人はクリスマスカラーの鮮やかな色。サマーの人は初夏の緑や紫陽花の、ウィンターにミルクを足したような色。
そして、パーソナルカラーがオータムの人が澄んだ青い色の服を着るとどうも顔色が冴えない。逆にサマーの人がマスタードカラーの服を着ると顔色が悪くなる……というように、そのパーソナルカラーに合った色を着ないと印象が良くなくなってしまう」
「ふうん。
私は今燻んだオレンジの服を着てるけどどうなの? 」
「実はパーソナルカラー診断というのはちゃんとした先生に診断してもらうべきだから、なんとも言えないんだけど……似合ってないと思う」
「えっ……」
この服お気に入りなのに……。
「自己診断ができるからちょっとやってみようか」
青桐くんはスマホを取り出してなにやらサイトを開いた。
トップにでかでかと「パーソナルカラー診断」と書いてある。
そこに書いてある質問をいくつも答え、客観性の必要なものは青桐くんに聞き、そして出た答えは……サマータイプだった。
「接骨木さん、色白いもんね。そうじゃないかなあと思ったんだ。
ま、これはあくまで自己診断だから正しく知りたければプロに頼んだ方がいいよ。高いけど」
「青桐くんは出来ないの? 」
「今勉強中で……」
さすがイメチェンアドバイザー。
しかし、サマータイプに似合う服と私の好きな色は悉く合っていない。
燻んだオレンジも、トルコブルーも、オータムタイプの人が似合うらしい。
「トルコブルー好きなのに……」
「大丈夫。顔まわりだけサマータイプに似合う色にすればあとは好きな色でいいんだよ」
では、スカートなどはトルコブルーやマスタードなどを使えるということか。これは嬉しい。
「それで、さっき言ってた骨格診断って方は?」
「これは色じゃなくて体型別に似合う服がわかる診断なんだ。
人の体型を三種類に分けた診断だね。
立体的な体型のストレートタイプ、柔らかな曲線のウェーブタイプ 、骨張ってバランスの取れた体型のナチュラルタイプの三種類。
それぞれの体型に得意不得意の格好があって、例えばストレートタイプはかっちりした服が得意だけれど反対にヒラヒラした服は似合わない……とかね。人によるけど」
「これも診断はむつかしいの? 」
「分かりにくい人もいるけど接骨木さんはどう見てもストレートタイプだね」
青桐くんはキッパリと言い切った。
余りにもキッパリと言い切るので、私は頷くことしかできない。
「そして、接骨木さん。今あなたが着ているレースのついたスカート、それはまるで似合わないんだ」
「そんな……」
それじゃ私、色的にも体型的にも似合ってない服を着ているということ?
なんということだ……これは、数学で29点取った時よりもショックだ。
「……接骨木さん。今調べたところによると、石原さとみもサマータイプでストレートタイプと言われている。奇しくもあなたと同じだ」
「えっ……」
運命? 私と石原さとみはもしやソウルメイト?
「接骨木さん」
青桐くんは私の手を掴む。まるで商談が成立したリーマンのようにしっかりと。
「目指そう。石原さとみになろう。
いやいっそ石原さとみ以上に石原さとみになろう」
「私が……石原さとみ以上の石原さとみに……? 」
一瞬不安になった。
こんなぷよぷよ体型の女が、石原さとみになれるというのか?
だが青桐くんの澄んだ目が私を励ます。
いける。私なら石原さとみ以上の石原さとみになれる。