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「犬が飼いたいなぁ」
その頃深雪は、ベランダに佇みながら遠くを見つめていた。
短い間だが、社会人を経験できた。
毎日がバタバタと忙しく、充実していた後に与えられたこの時間は、専業主婦だった頃よりも退屈に感じられる。
旦那は夜まで帰って来ない。
どこかに出かけるにも、掃除や洗濯をするにも、この怪我では満足にできない。となれば後は、読書をするか、ネットをするか。またはゲームか。
とは言っても、ソフトもハードもない。
深雪はあまり、室内にこもって楽しむ趣味は持っていなかった。
DVDでも見ようかとリビングに戻るが、デッキに手を伸ばした時、使った事が無いのを思い出して手を止めた。
「スイッチって、どれかしら」
DVDプレイヤーやビデオデッキならまだしも、新型のブルーレイは全くわからない。
買い物をしたくてもできない。
映画を見たくても見れない。
できない事ばかりで、だんだんストレスが溜まってくる。
眉を寄せ、その場に寝転ぶ。
電話でもしようかとアドレスを開くが、中にはたった3件しか登録されていない。
瑞穂・優、そして旦那。
揃いも揃ってみんな仕事中だ。
「あーもう!暇っ」
暇で死にそうだ。
仕事をする前は、どうやって過ごしていたのか不思議に思う。
1人きりの静寂が嫌で、見たくもないテレビをつける。
画面の中で走り回っている可愛らしいチワワが視界に入った。
「犬が飼いたい……」
愛くるしい瞳を見ながら、再びポツリと呟く。
旦那の実家には確か、ゴールデンレトリバーがいた。
もし家に犬がいれば、少しは気持ちが和らぐかもしれない。
いや、犬ではない。もしも子供がいれば──。
「何考えてるのかしら。馬鹿みたい」
ふっと自傷的な笑みを浮かべ、首を振る。
ふと、ある事を思い出し、起き上がってソファーに座って携帯を出して旦那にメールを送った。
『欲しい物があるの』
『なに?』
仕事中かと思ったが、まるでチャットをしているかのように早い返信だ。
深雪も負けじと、すぐに返す。
『犬が飼いたいの』
「……犬?」
メールを見たコウイチは、ポツリと口に出して呟く。が、すぐに笑みを浮かべ、慣れた手付きで文字を打つ。
『いいよ。何がいい?チワワ?ダックス?』
毎日家に居ても暇だろう。
仮に子供が出来たとしても、小型か中型なら問題ない。
しかし深雪からきたメールに、ピタリと固まった。
『ウェルシュ?ってやつの、レッド&ホワイト。それ以外は嫌』
「ウェルシュ?」
聞いた事のない犬類に、眉を寄せて呟く。
名前を聞いても、頭には何も浮かばない。
「なぁ」
「はい」
仕方なく、同席していた部下に聞く事にした。
確か、彼は自他認める犬好きの筈だ。
「ウェルシュって知っているか?」
「ウェルシュ……?あぁ、はい。可愛いですよ」
「……そうか」
だからウェルシュってのは何だ。
口の中で小さく呟く。
だが、部下に無知な姿は見せたくない。
コウイチは仕方なく、自分で探す事にした。




