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胸元に手を当てて呼吸を整え、玄関に向かう。
ロビーに人は疎らで、見知った人の姿はない。
その時ふと、幸一の姿を見ていないのに気付いた。振り向いてみるが、彼らしき人物はない。
「なによ、薄情なのね」
「誰が薄情だって?」
「!?」
突然真横から声をかけられ、心臓が止まるかと思った。
悲鳴を上げなかったのが、逆に不思議だ。
「い、いたのね」
振り向くと、そこには新道幸一が腕組をして立っていた。
「せっかく見送りに来てやったのに、薄情者呼ばわりかよ」
「あら、私そんな事言ってないわよ」
聞き間違えじゃない?と笑って誤魔化す。が、彼に通用しないのは初めから分かっている。
「ま、別にいーけど。取り敢えずお疲れ。これからは趣味の時間を楽しんで下さい」
「なによそれ。定年退職じゃないのよ」
吹き出しそうになってしまい、手を口元に当てる。
「まぁとにかく、暫くはまた家でのんびりすればいいよ。せっかく金持ちと結婚したんだからさ」
「そうね」
呟き、目を伏せる。やはり、寂しかった。このまま会社を辞め、再び専業主婦に戻る事が。
「じゃあ俺、仕事だから」
「えぇ。頑張って」
去り行く幸一の背中を見送る。
暫くそうやって社内を見つめていた。
来ようと思えばいつでも来られる。
だから寂しくはない。
何度も自分に言い聞かせ、踵を返して外に出る。
外は平日の昼間だというのに、たくさんの人で賑わっていた。
あんなに階段を降りたのに、不思議と疲れを感じなかった。
人がたくさんいる場所は落ち着く。
今日は暫く、1人でいたくない。
「久しぶりに、歩こうかな」
誰に言うわけでもなく呟き、少し歩みを早める。
六本木までは遠い。
しかし今日は歩いて帰りたかった。
見上げたビルは、初めて見た時と同じように大きくて、綺麗に磨かれたガラスが輝いている。
人の中を縫うように歩きながら何度も振り返る。
しかしその姿は、次第に他のビルに飲み込まれ、しまいには見えなくなってしまった。




