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「静かね……」
他の階とは違い、最上階の10階には人気がなく、しんと静まり返っている。
やはり社長室もあるためか、廊下に敷かれている絨毯も、他の階とは違い、高級に見える。
廊下にはいくつかのドアが並んでいるが、その数は少ない。
手前から、2つの会議室が左右にあり、その奥に給湯室、そして秘書室が並んでいる。
ヒールの音を響かせないように歩き、秘書室のドアの前で足を止める。
右隣には、少し間を開け、立派な作りのドアがあり、『社長室』と書かれた金色のプレートが飾られている。
そちらを気にしつつ、秘書室のドアをノックする。
「失礼します」
少しだけ深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、ゆっくりとドアを開けた。
室内に足を踏み入れた瞬間、その明るさに、僅かに目を細めた。
部屋の中央には大きな窓があり、そこから陽の光が差し込み、電気がいらない程に明るい。
広く落ち着いた雰囲気の室内には、6つのデスクがあり、そのうちの5つには、それぞれ若い女性が座っており、一斉に顔を上げた。
「あぁ……貴女、新人の方ね」
中でも一番年配と思われる女性が立ち上がり、歩み寄って来た。
黒い髪を1つにまとめ、メガネをかけた、いわゆる『キャリアウーマン』という言葉がぴったりだ。
「初めまして。秘書課に配属となりました、近藤深雪です。よろしくお願い致します」
深々と頭を下げると、部屋のどこからか、笑い声が聞こえた。
「そんな所に立っていないで、こちらへ。きちんと自己紹介するわ」
手招きをされ、恐る恐る部屋の中央へ移動する。
いつの間にか、あとの4人も立ち上がり、集まって来ている。
「そうだわ。陽子さん、社長をお呼びして」
「はい」
陽子と呼ばれた女性は、短く返事をすると、ヒールの音を響かせながら、部屋の角にある、茶色のドアをノックした。
「失礼致します。社長、新入社員の深雪さんがいらっしゃいました」
「あぁ」
返事と共に、奥から姿を現したのは、入社式の雛壇に立っていた、近藤社長その人だ。
近くで見ると、一層社長としての強いオーラを感じる。
深雪は緊張して、思わず生唾を飲み込んだ。
「ええっと、これで全員ね。近藤さん、もう一度、軽く自己紹介していただけるかしら」
「は、はい」
ずらりと並んだ社員を前に、再度深呼吸をし、頭を下げる。
「本日より、こちらの秘書課に入社させていただきました、近藤深雪と申します。よろしくお願い致します」
こんな風に、自己紹介をするのは初めてだ。
足に添える様に重ねた手が、うっすらと汗ばんでいるのを感じる。
「ようこそ、近藤貿易商事の秘書課へ。代表して歓迎するわ。では私から。近藤華江です。この中では、1番年上かしら。貴女のサポートを任されているので、わからない事があれば、何でも聞いて頂戴ね」
そう言い、女性らしい綺麗な笑みを浮かべる。
その時ふと、何かが引っ掛かった。が、よくある事だろうと気にせず、「よろしくお願い致します」と再度頭を下げる。
「私は、近藤さゆり。この中では2番手よ。よろしくね」
そう言い、笑う姿は妙に色気がある。
顔立ちも派手で、緩く巻かれた茶色の髪が揺れる。
女性の深雪から見ても、充分過ぎる程にセクシーな雰囲気がある。
(近藤……さゆりさん?)
また違和感を覚えた。が、有り得ない事ではない。
偶然が重なる事はあるだろう。
そう自分に言い聞かせ、敢えて指摘はしなかった。
「次は私か。私は、近藤優。26歳。パソコン系なら得意だから、すぐに聞いて」
やはり見た目は綺麗なのだが、ショートカットにハスキーボイスが似合う、サバサバとした雰囲気の女性だ。
「近藤さん……ですか?」
さすがにここまでくると、気にするなという方が無理だろう。
思わず呟くと、再び笑い声が聞こえた。
「やっぱり、ビックリしちゃうわよねぇ。私も初めはビックリしたの。あ、もうわかってると思うけど、私は近藤瑞穂。24歳。よろしくね!」
暗い茶髪のセミロングの女性は、明るく親しみやすい笑みを浮かべた。
その人懐っこい振る舞いに、思わず笑みを漏らす。
ここまで言われると、嫌でも理解する。
そして代わりに、ある疑問が沸いた。
「秘書課は皆さん、苗字が近藤なんですね。ご親戚か何かでしょうか?」
いくら近藤という苗字が珍しくはないとはいえ、こんなにも一つの課に集まるものだろうか。
仮に佐藤であっても、その確率は低い。
すると、今まで黙っていた社長が、突然口を開いた。
「決めた。お前は花子だ」
「は、花子……?」
何が花子なのだろうか。
思わずキョトンとするが、社長は意に介さない様子で、足早に社長室へと戻って行ってしまった。
ドアが閉まるのを確認し、再び瑞穂が笑い声を上げながら言う。
「本当、ビックリでしょ!秘書課ってね、みんな近藤なの。面白いよねぇ」
その言葉につられる様に、今まですましていた優達も笑い出す。
「やめてよ。せっかく慣れてきたのにさぁ」
「そうよ。だいたい、そんなに笑ってるのは、瑞穂だけじゃない。笑いすぎよ」
2人に咎められ、瑞穂はまだ笑いながら「だってぇ」とぼやいた。
「深雪さんにはきちんと説明するわね。何故か秘書課は、みんな苗字が近藤なの。勿論、身内なんかではなく、みんな他人よ」
「そうなんですか。変わってますね」
こんなにも同じ苗字ばかりが集まるのは、おかしくないだろうか。
そう思ったが、深雪の興味は別の所へ持っていかれた。
「あの、私が花子というのは、どういう意味でしょうか?」
なぜ突然、「花子」などと昔の名前をつけられたのか、理解できない。
それに、その名前はなんだか古風過ぎて、あまりいい気持ちはしない。
不満そうな表情で問うと、さゆりが笑みを浮かべ、社長室に視線をやりながら言う。
「よくわからないんだけど、社長の趣味よ。それぞれに合ったあだ名をつけてるのよね。ちなみに私は艶子で、華江さんはキャリア。で、優さんは長女で、瑞穂は陽子なの。社長の前では一応そういう決まりになっていて、アダナで言わなきゃ伝わらないから覚えてちょうだいね」
「あだ名、ですか」
艶子や陽子はまだしも、キャリアや長女と言うのは、なかなかやり辛い。
が、それが社長の趣味──もとい、社長の意向ならば、従わないわけにはいかないのだ。
「じゃあ、改めてよろしくね。花子さん」
「は、はい」
おかしなあだ名に、近藤ばかりの秘書課。
もしかしたら、自分はとんでもなく変な部署に配属されてしまったのだろうか。
花子と呼ばれる度に、深雪は不安にならざるを得なかった。