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「テメェ等何してんだ!?」
その時どこからか低い怒鳴り声が響いた。と思ったと同時に、体にかけられていた重さが消える。
顔を上げると、そこには恐ろしい顔をしたコウが立っていた。
そして、早々に倒した1人が、足元に踞っている。
「チッ!またお前かよ……!!」
黒髪は舌打ちをすると、ポケットからナイフを取り出して構える。
しかしコウは冷静にそれをかわし、固い拳を頬に叩きつけた。
「がっ……!!」
男の口から血が飛ぶ。
たちまちカーペットに散り、小さな染みを作った。
「馬鹿がナイフなんか振り回すな」
「っ……!!」
男は態勢を崩した所に蹴りを入れられ、血と一緒に胃液を吐き出した。
コウは腹を抱えた態勢のまま踞る男を蹴り飛ばし、深雪に近づいて来た。その表情はいつもの旦那だ。
「大丈夫か?」
「え、えぇ……大丈夫」
小さく何度も頷くと、コウは安堵の息を吐き、再び鋭い目で後ろを睨んだ。
「さっさと消えろ!」
そう叫ぶ手には、先ほど奪ったナイフが握られている。
殺気を感じた2人は、強く唇を噛み、深雪に向かって指を突きつけた。
「お前の顔は覚えた!!」
鬼のような顔で怒鳴っているが、深雪は顔色一つ変えずに目を見つめた。
それが更に男達の癪に障ったのかもしれない。
「覚えとけよ!!」
2人は勢いよく椅子を蹴り上げると、ドアを開けて出ていった。
「……あーあ。派手にやりやがったなァ」
嵐が去り、貴史は溜め息を吐きながら室内を片付ける。
店内が荒れているのは、こんな事が日常茶飯事だからだろう。
悪いのはあの2人組だが、原因は深雪とコウにもある。
「ごめんなさい」
深く頭を下げる。しかし貴史は、それを軽く鼻で笑い飛ばした。
「ハッ。アンタの口からゴメンナサイって言葉が出るとはな」
「なんだって?」
妙にケンカ腰な物言いに、コウは眉を寄せ、奪ったナイフをゴミ箱に捨てる。
その時深雪はやっと気付いた。
気まずそうに目を伏せる。
「まさか知らないのか?ま、オレも今気付いたから仕方ないか。オレとアンタは訳アリだよな、深雪ちゃん」
貴史は口端を吊り上げ、おもむろにジャケットを脱いで肩を見せる。
そこには見慣れた円形の跡が数個ついていた。
見た瞬間、コウは声を上げて笑う。
「ハハハ!マジかよ?凄い偶然だな」
しかし深雪は、顔を赤らめて俯いたままだ。
貴史は「笑えねェよ」と言いつつも、同じくニヤニヤしている。
そしてこちらに歩み寄ると、深雪の顎を掴んで持ち上げた。
「へェ。こりゃ気付くわけねェわな。つーかお前、いつから女になったんだ?」
「う、うるさいわね!」
もう誤魔化せないだろう。
掴まれた手を払い、コンビニ袋に入ったパンストを掴んでトイレに走って行く。
後ろから貴史が「男子トイレは左だぞ!」と声をかけた。しかし反論せず、バタンとドアを閉めた。
「苛めるなよ」
コウは苦笑いを浮かべて呟くと、軽く上着の埃を払って羽織る。
簡単に片付けはしたものの、店内はかなり荒れている。それがこの店の特徴と言えばそうなのだが。
「しっかし驚いたな。お前があの変態ヤローとまだ付き合いがあるなんてな。どうやって躾たんだ?」
割れた食器をゴミ箱に放り投げてる。
「別に何も。しいて言えば、愛の力」
「はぁ?愛の力……?」
貴史は、自分の記憶が正しければコウはこんな冗談を言う人間じゃない、と耳を疑った。
しかし目の前にいる男は、キザったらしい言葉を恥ずかしげもなく吐き、笑みを浮かべている。
聞かなければ良かった。
ガシガシと頭を掻き、ベコベコになった牛乳パックを拾い上げ、冷蔵庫に放り込む。
「もう店に連れて来んなよ。未だに探してる野郎もいるんだ。オレみたいに心が広い奴は稀だぜ。中には気付く奴もいるかもしれない。アイツ等にも変に目ェつけられただろうしな」
「あー……。ヤバいな」
『アイツ等』とは名前を言うまでもなく、店を出ていったチンピラだ。
奴等とは以前、派手なケンカをし、恨みをかっているのだ。
胸ポケットから煙草を出し、無言で火を貸してくれと仕草する。
貴史は仕方なく、近くにあったライターを放り投げた。
片手で受け取り、カチリと火をつけ、白い煙を吐き出す。
「お前に会わせておきたかったんだけど、失敗したな」
「つーか別に連れて来なくても良いっつーの。しかも女装までさせやがって気持ち悪ィ」
「女装じゃない。ついでに恋人でもない。妻だ」
「はぁ!?」
コウはしれっとしながらとんでもない発言をした。貴史は声を上げ、勢いよく振り向く。
そこへタイミング良く、深雪がトイレから出てきた。貴史と目が合い、ピタリと足を止める。
「な、なに?」
「妻だァ!?テメェ、この野郎と結婚したっつーのか!」
「ちょっと……痛い!」
声を荒立てながら深雪の腕を引き、前に突き出す。しかしコウは、しれっとしながら頷いた。
「そうだよ。だから昨日言っただろ。俺のオンナ連れて来るって」
「あれ、マジだったのかよ!冗談だろ!?」
「冗談じゃない。マジ。ほら」
貴史の手から深雪を奪い寄せ、左手を掴んで見せる。
2人の薬指にはお揃いの指輪がはめられている。
貴史は一瞬戸惑ったように視線を遊ばせる。が、すぐに「違う!」と言い放つ。
「あり得ない!絶対にない!近藤は男だろ!?」
「男じゃねぇよ。女」
「違う!男だ!」
「まぁ昔は男でも、今は女だ」
にっこりと毒気のない微笑みを浮かべ、深雪の肩を抱き寄せる。
貴史はもう何も反論する気がおきないらしく、口を開けたまま固まる。その時深雪は時計を見て悲鳴を上げた。
「大変!もう昼休み終わっちゃうわ!」
「え?あ、本当だ。ヤバいな。走れるか?」
「大丈夫よ」
「よし。じゃあ行くか」
コウは呆然としている貴史に1万円札を握らせた。
「じゃあな。また来る」
ポンと肩を叩くと2人は手を繋いで店を出て行った。




