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向かった先は、廃れたビルの地下だった。
連れられるまま、昼間には不似合いのバーに入って行く。
「ここはなに?」
確かに、最近は居酒屋もランチタイムをやっている。だが、こんな場所でランチができるのだろうか。
コウは構わずドアを開けて中に入る。が、店内はまるで潰れた店のようにひっそりしている。
「表通りだと誰かに見られるかもしれないからね。ここは俺が昔、よく来てた店なんだ」
「そうなの?」
意外な言葉に目を丸くする。
2人は中学・高校からの付き合いだ。
なので当然、コウの行き付けは知り尽くしていると思い込んでいた。
「深雪は連れて来た事ないよ。本来は夜営業だし、正直あまり雰囲気のいい店じゃないから。今日は特別に開けて貰ったんだ」
「だから人がいないのね」
店内には2人以外客の姿はない。
話していると、奥から赤い髪をした男が現れた。
「いらっしゃい。へぇ……アンタがコウの女か」
男は深雪を見ると、驚いた様に目を丸くし、すぐにニヤリと笑った。
(あら?この人どこかで……)
そう思ったのだが、男の厳つい雰囲気に、深雪は黙って会釈する。
「話は聞いてるよ。だけどまさか、こんなタイプだとは思わなかったなァ。お前、どんな手使って騙したんだよ」
ニヤニヤ笑い、無精髭の生えた顎を撫でる。
その風貌は誰がどう見ても、単なるバーのマスターには見えない。
「騙してねぇよ。悪かったな、わざわざ開けてもらって」
「いや。オレも一度、噂の深雪ちゃんとやらにお目にかかりたかったからな。で、なに食う?って言っても、大したもんねぇけど」
差し出されたメニューらしき紙を受けとる。
端はボロボロに破れて、所々血のような跡がついている。
それはまるで、難破船から引き上げられた宝の地図のようだった。
暗くてよくわからなかったが、目を凝らしてよく見ると、椅子やテーブルにも同じような染みがあり、壁紙はビリビリに破け、多数の切り傷があった。
深雪は軽く眉を寄せ、コウのスーツの裾を握る。
「あぁ、気にすんな。何回新しくしても付いちまうんだよなァ。ぶっちゃけオレの店、あんま客層良くないんだわ」
「そう、みたいですね」
なんとか自然に笑おうと努めるが、引き吊ってしまう。
コウはメニューを見る事もなく「いつもの」と言った。
「はいよ。牛乳とクラブサンドね。アンタは?」
「え?えっと……」
慌ててメニューを見るが、字がかすんでいて読めない。
「あァ、そうだ。メニューにはステーキって書いてんだけど、今は出してないんだわ。あとパスタ類も。うちは手掴み系で統一したんだ」
「手掴み?」
何故手掴みなのだろうか。
口にする前に、男が答える。
「ナイフやフォークは凶器になるだろ。だから置いてないんだよ」
確かにナイフ類は凶器になる。
手掴み系で統一したという事は、過去に何度か乱闘があったのだろう。
何故そんなにも、頻繁にケンカがおきるのか不思議だ。
「同じのにしないか?美味しいよ」
「じゃあ、それで。私はコーヒーでお願いします」
「はい、リョーカイ」
男は踵を返すと、店の奥へと消えて行った。
すかさず深雪はコウに耳打ちする。
「ねぇ、あの人って友達なの?」
やはりどう考えても、あのガラはカタギではなさそうだ。
「そうだよ。中学からの同級生。名前は佐伯貴史」
「中学から?じゃあ一番長いのね。笹川より長いんじゃない」
何気なく口にした名前だが、コウはピクリと反応した。が、深雪はそれに気付かなかった。
佐伯なんて、聞いた事がない名前だ。
なのに何故、見た事があるのだろう。
もしかしたら忘れているだけかもしれないと思い、記憶を辿る。
「深雪はアイツに会った事はないと思うよ。12歳の頃からずっと、鑑別やら年少や務所を出たり入ったりだからね。3年位前にやっと出所して、この店をやってるんだ」
「そうなの……」
12の頃から警察の世話になっているなら、確かに会えないだろう。きっと気のせいだ。
座り直そうと軽く体を動かした時、足が痛んだ。
「っ……!」
「どうした?」
見ると、踵の皮膚が剥がれ、血が滲んでいた。
早足で歩いた為、靴擦れをおこしたらしい。
「血が出てるじゃない。おい、貴史!バンソーコウないか」
叫ぶと奥から「電話の下」と呑気な声が返ってきた。
コウは急いで電話下の棚を開け、大きめのバンソーコウを持って戻って来る。
「ストッキング脱いで、足出して」
「え?こ、ここで?」
「仕方ないだろ。でなきゃ貼れないんだから」
確かにストッキング越しには止血できない。
だがこんな場所で脱ぐわけにもいかない。
戸惑っていると、コウは少し眉を寄せ、早く、と呟いた。
「わ、わかったわ」
立ち上がり、ストッキングを脱いで手中に丸める。
妙に恥ずかしい気持ちになった。
「足を俺の膝に乗せて」
「う、うん……」
本当は自分でやりたいのだが、今更そんな事も言えない。渋々足を乗せる。
コウは傷口を見ると、僅かに眉を寄せた。
「うわ……。痛かっただろ?ごめん」
ティッシュで軽く患部を拭くと、バンソーコウを貼った。
ヒリヒリとした痛みに、息を止める。
「やっぱり待ち合わせ、昇降口にした方が良かったかな。大丈夫かなって思ったんだけど、畠に見られて焦っちゃったし」
「いいの。私も結構、楽しかった」
久しぶりにスリルを味わい、ドキドキした。
コウはくすりと笑うと、血のついたティッシュとストッキングを丸めてゴミ箱に捨てる。
「食べたら、コンビニで新しいの買ってくるよ」
「うん。ありがとう」
コウの膝に足を乗せたまま会話をしていると、両手にクラブサンドを持った貴史が出てきた。が、2人を見て、いやらしい笑みを浮かべる。
「人の店で変な空気作んなよ?」
「この空気が俺らには普通なんだ」
コウは顔を赤らめている深雪の肩を抱き寄せ、ニヤリと笑う。
「ウゼェバカップルだな。さっさと食って帰れよ。目障りだ」
口調のわりには丁寧に皿と飲み物を置く。
どうやら古い仲故、口が悪いだけの様だ。
貴史はカウンターの椅子に腰掛け、タバコをくわえて火をつける。
食べながらコウは、思い付いたように顔をあげた。
「あ、そうだ。お前さ、暇ならコンビニ行ってきてくれないか?」
「はァ?コンビニ?なんだよ」
「ストッキング買ってこいよ」
「ちょっと。いいわよ」
手にしていたカップを置き、慌てて口を挟む。
確かに必要だが、パシリに使うのはどうかと思った。
「だって、なきゃ困るだろ?お前と貴史を2人っきりにしとくのは嫌だし」
「なんだよ。オレは人のオンナになんて手ェ出さねェっつーの」
貴史は心外だ、という風に煙草を揉み消した。
「使えない奴だな」
もともとダメもとで頼んだのか、コウはブツブツ文句を言いながらも、素直に財布を持って立ち上がる。
「他に何か買うモンあるか?」
ドアを開けながら訪ねる。
貴史は少し考え、あ。と小さく呟いた。
「牛乳」
「牛乳?牛乳なんか使う料理ねぇだろ」
「飲み物で使うんだよ」
コウは悪態を吐きつつも店から出て行った。
2人きりになり、深雪は気まずさを誤魔化そうとクラブサンドに手を伸ばす。




