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「昨日は結局、旦那さんが誰なのかわからなかったなぁ」
その頃、優とさゆりはオープンカフェでランチを楽しんでいた。
最近オープンしたばかりで人気が高いと聞いていた為、買い物のついでに立ち寄ってみたのだ。
「でも家まで行ったんでしょう?写真とか飾ってなかったの?」
白ワインを飲みながら、さゆりは首を傾げる。
「そういや、なかったかな。部屋自体は可愛かったけど。深雪ちゃんらしい感じで」
「そう。中々ガードが固いのね」
呟き、オーダーしたキッシュにフォークを突き刺す。一口大のそれを口元に運ぼうとした時、目の前にシルバーのBMWが爽快に現れた。その運転席を見た瞬間、さゆりは表情を変えて下を向いた。
「さゆり?どうしたの」
「社長!社長がいるのよ!」
「え?」
眉を寄せ、優もそちらに視線をやる。
そこにはいつものスーツ姿の近藤社長が、車から下りて来る所だった。
「うわ、本当だ。休みの日に嫌な奴に会っちゃったなぁ」
優は深い溜め息を漏らしながらぼやき、同じくバレない様に俯き加減に顔を反らす。
社長は誰かと一緒らしく、助手席に向かって何やら話し掛け、反対側に回ってドアを開けた。
そこからサングラスをかけた女が現れる。
「デートかな。なんか派手な女を連れてる」
顔を合わせたくはないが、行動は気になる。
優の言葉に、さゆりは視線を上げてチラリと見た。
社長の隣には、髪をアップにし、白いトレンチを着た女が微笑んで立っていた。
「あら、本当。化粧も派手だし、夜の女かしらね」
社長は仕事上、接待等でキャバクラやラウンジにはよく出向いているらしい。
「かもね。どちらにせよ、カタギじゃない感じはするけど」
社長と女は何やら会話をし、やがて優達が居る所とは逆の方向に歩いて行った。
それを確認し、ほっと安堵する。
「良かった。こっちに来たらどうしようかと思ったわ」
「確かにあの場で出くわすのは気まずいからね」
無視をすれば良いのか、きちんと挨拶をすべきか。
仕事中であれば勿論後者だが、プライベートな上、夜の女と同伴しているならば、恐らく前者が正しいだろう。どちらにしても、出会したくはないシチュエーションには変わりない。
2人の姿がなくなったのを再度確認すると、再び深雪の旦那の話に戻る。
「でさ、私思ったんだけど、多分柊さんじゃないかな」
「え?柊さん?」
なんで急に?とさゆりは首を傾げる。
「ただの勘なんだけど。声がさ」
「声?」
「そう。前に欠勤の連絡受けたって言ったけど、声が柊さんによく似てたんだ。それにあの人なら、人事部だし、自分の妻を入社させられそうじゃない?」
「確かにそうね」
その可能性は多いにある。しかしさゆりは、どこか納得できないような顔をしている。
「私は、なんとなく柏木さんの様な気がするわ。あの2人、前に一緒にご飯を食べてたみたいだし」
「え?そうなんだ。知らなかった」
他に目撃報告はない為、恐らく外食をしたのだろう。
普通ならば、同じ課ならば未だしも、入社1週間で外食をする程仲は深まらない。
話をしていると、ふとさゆりの携帯が鳴った。
「ちょっと待って。もしもし?」
『あ、さゆりさん?大ニュースなんですよ!』
それは瑞穂からだった。なんだか妙に慌てた様子だ。
「どうしたのよ」
『今、華江さんといるんですけど、さっき六本木で、柏木さんと柊さんを見たんです!』
「柏木さんと柊さん?別に見てもおかしくないわよ。確か2人とも、家は六本木なんだから」
『違うんです!2人とも、女の人と一緒だったんです!デートしてたんです!』
「えっ、デート!?」
思わず声を上げてしまった。周りの視線に気付き、声を潜める。
「それってまさか、どっちかは深雪ちゃん?」
『それがよくわからないんです。深雪ちゃんだって言われればそんな気もするし、違うって言われればそうだし……』
瑞穂は言葉を濁す。
「とにかく落ち着いて。今どこにいるの?」
『えっと……今は代々木駅です』
「じゃあ近いわね。私達青山にいるの。こっちに来ない?詳しく聞きたいし」
『あ、はい。私達もちょうど行く所だったんで。着いたらメールしますね』
電話を切り、さゆりは息を吐く。
「瑞穂なんだって?」
「六本木で、柏木さんと柊さんを見たって言ってたわ。女とデートしてたって」
「女の顔は?」
「見えなかったって。でも深雪ちゃんだって言われれば、深雪ちゃんだって」
「へぇ。随分曖昧だね」
「2人ともこっちに来るみたいだから、聞いてみましょう」
「そうだね」
確かに考えてみれば、深雪の背丈は中肉中背だ。
髪形も緩いウェーブがかかった落ち着いた茶色だし、良くも悪くも特徴的ではない。
現にこの街を歩いている2割程の女性は、似たような格好をしている。
それに、近藤社長が連れていた女も、背丈はよく似ていたのだ。
取り敢えず今は、各自の目撃情報を元に考えてみよう。
さゆりはキッシュを食べ終えると、ぬるくなりかけたワインを飲み干した。