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暫くし、やっと落ち着きを取り戻した深雪は、近くにあったティッシュで鼻をかんだ。
隣には申し訳なさそうな顔をしたコウが座っている。しかしまだ誤解が解けたわけではない。
ティッシュで鼻を押さえながらそっぽを向く。
「実はあれさ……浮気と言うか、浮気未遂と言うか」
「浮気未遂!?」
未遂だろうがなんだろうが、浮気は浮気だ。
再び目に涙が浮かぶ。
それを見て、コウは慌てた様子で首を振った。
「違う!俺の意思じゃなくて!とにかく浮気じゃない!つまり……あれだよ」
なんて説明すればいいんだ……とぼやき、頬を掻く。
コウは考えながらも、『浮気未遂』を語り始めた。
「あれは確か、去年の忘年会の時だったと思う。会社で飲み会があって、他の課の子に迫られたんだ。俺は会社では独身って事になってるから。勿論断ったよ。でも相当酔ってたんだよ。気付いたらその子と一緒に、あの部屋にいた」
「…………」
あのベッドで見知らぬ女とコウが絡み合う姿を想像し、拳を握る。
仮に何もなかったとしても、やはり許せない。
「正直俺も、どうやってあのマンションに行ったか、覚えてないんだ。ただ、寝室をこの部屋のだと思ってたし、あの子の事も深雪だと思い込んでた。だからその……俺が酒飲み過ぎたら、どうなるかわかるだろ」
呟き、気まずそうに目を反らす。
わかっているが、敢えて追及した。彼の口からちゃんと、『何もなかった』と言って欲しい。
「最後まで話して」
「……だからさ。脱がされてる間もずっと、お前の名前呼んでた気がする。で、なんつーか……胸も腰も全部、触った感覚が違ったから。もう滅茶苦茶言ったんだ。全部、後からその子に泣きながら言われたら定かではないんだけど」
「…………」
確かにコウは、酔うと人が変わる。
妙に甘えたになり、スキンシップが激しくなる。
深雪ですらたまに引いてしまう程に。
それが何の免疫も無い赤の他人がされ、更に人違いまでされてしまったらどうなるか。
「その子、可哀想ね」
思わずそう呟いていた。
最中に他の女の名前を連呼されるだけでも、かなりプライドが傷付いただろう。
話しているうちに何かを思い出したのか、コウは「あ……」と呟いて頭を抱えた。
「プロレス」
「え?」
予想外の言葉にキョトンとする。プロレスがどうかしたのだろうか。
コウは「あぁぁ!」と激しく叫んだ。
「そうだ、思い出した!俺あの子に、つい昔の感覚でプロレス技かけまくったんだ。ちょうど朝ニュースで見たから。それに、てっきり深雪だと思い込んでたし」
「私だってプロレス技は嫌よ」
下らないと思いつつも、笑ってしまう。
確かにプロレス技をかけられれば雰囲気はブチ壊しだ。
何もなかったという言葉は間違いないだろうと判断した。
「何しちまったんだ俺は」
「本当に酒癖悪いわね」
なんだかもう、呆れて物も言えない。
溜め息を吐き、壁に刺したピアスを差し出す。
「これ彼女のでしょ?返しておいて」
しかしコウは、受け取ろうともせずに、力なく首を振った。
「いや、捨てていいよ。あの後すぐに辞めちゃったから。ずっと不思議に思ってたんだ。俺を見ると怯えるから。そうか、あれのせいか」
「──バカみたい」
浮気をしていなかったのは安心した。だが正直、バカらしくてたまらない。
こんなオチのせいで、泣いて罵倒を浴びせてしまった自分も。
「今度から酒は控える事ね。またやったら許さないから。もう、寝るわ。悪いけれどあなたは、ソファーで寝て」
そう言うと、冷凍庫から保冷剤を出して足早に寝室に逃げる。
「っ……痛」
ベッドに座り、赤く腫れた頬を冷やす。
実はずっと痛くてたまらなかった。
幸い歯は問題ないようだが、この分だと腫れてしまうだろう。
結婚してから3年、初めて殴られた。
「本当に、馬鹿なんだから。──私も」
呟くと、何故か笑えてきた。
深雪は頬を冷やしながら、そのまま目を閉じた。




