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そして土曜日。
深雪は待ち合わせよりも数時間早めに家を出て、鍵を持って別宅へ向かった。
駅から徒歩圏内にあるそのマンションは、10階建ての少し高めの集合住宅だ。
エレベーターに乗って10階へむかい、鍵を開けて中に入る。
ここは旦那が職場の人間等を呼ぶ際に使用しており、中は広くもなく、狭くもない2LDKになっている。最近は出入りしていないのか、少し埃っぽい。
「最近使っていないのね。取り敢えず綺麗にしておかなきゃ」
勘の良い2人なら違和感を持って気付かれそうだ。
さすがにそれに対しての言い訳はできそうにない。
窓を全開にし、掃除機を引っ張り出してくる。
軽く髪をくくり、プチ大掃除を開始した。
「やっと終わった。後はどうしようかしら」
住んでいない場所を住んでいる様に見せなければならないのは、中々難しい。
クローゼットから以前自分が置いて行った荷物を引っ張り出し、あちこちに置く。
あくまでも自然に、生活感を出すように。
「はぁ……。何してるんだろう」
工作をしながら、ふと、なんとなくバカな事をしている様な気持ちになってきた。
だがそうしなければ、立場が危ういのだ。
言い聞かせ、クローゼットを開けて衣服を取り出す。
ベランダに洗濯物が干してあった方がそれらしいかもしれない。
着てもいないパジャマを洗濯機に放り込んだ時、携帯が鳴った。
「もしもし」
『あ、深雪ちゃん。今駅に着いたんだけど』
「え!?早いですね!今行きます」
瑞穂からの電話だった。
時計を見ると、いつの間にか待ち合わせの10分前をさしている。
駅までは徒歩5分程度だが、待たせるわけにはいかない。
髪をほどき、大急ぎで駅へと向かった。
「あ、瑞穂さん!優さんっ」
出口の人混みの中で2人を見つけ、大きく手を振る。
瑞穂がこちらに気付き、手を振り返してくれた。
「あ、深雪ちゃん!おはよー」
「おはようございます」
息を切らせながら駆け寄る。
額に浮かんでいる汗を見て、優が申し訳なさそうに呟いた。
「まさか走った?急がせたみたいでごめん」
「いえ。大丈夫です……あ、こっちです」
2人を連れ、来た道を戻って行く。
どうかバレませんように。
他愛もない会話をしながら、心の中はそんな気持ちでいっぱいだった。
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「うわぁ。綺麗なマンション!」
中に入ったとたん、2人は目を丸くする。
「中も広いな。2LDK?」
「あ、はい」
優に聞かれ、語尾に小さく多分、と付けて曖昧に答える。
正直部屋についてはよくわからない。
「とにかく上がって下さい。今お茶を煎れますから」
靴を脱ぎ、スリッパを並べる。
しかし瑞穂はソワソワしながらリビングの方に視線を向けている。
「ねぇ。今日旦那さんは?」
単刀直入に聞かれ、一瞬言葉に詰まった。が、直ぐににっこり笑う。
「それが、女だけの方が楽しいだろうって出掛けちゃって」
「えぇ!そうなの!?」
「はい。なんか変に気を使ったみたいです」
あからさまに残念がる2人を見つつ、中に案内する。
そう簡単に秘密をバラすわけにはいかない。
その為に、こんな大掛かりな工作までしたのだから。
「お邪魔します」
優と瑞穂は残念そうに顔を見合わせていたが、諦めたのか、靴を脱いで部屋に上がった。
「うわぁ。センス良い部屋ね!可愛いしっ」
リビングを見たとたん、瑞穂が嬉しそうな声を上げる。
「これ、全部深雪ちゃんのセンスよね?」
「え、えぇ」
本当は全てコウがやったものだが、可愛いと言われた手前、頷くしかなかった。
確かに壁には可愛らしい花の絵画が飾られており、全体的に淡い色使いのものばかりだ。
今まで気付かなかったが、意外と少女趣味なのかもしれない。
「あ、これお土産のケーキ。本当はさゆりさんや華江さんも来たがってたんだけど、大人数じゃ迷惑だろうからって」
「そんなことないのに。ありがとうございます」
差し出された箱を受けとり、キッチンに戻る。
「ねぇ深雪ちゃん!寝室を見てもいい?」
「はい、構いません」
やかんを火にかけ、カップを出す。
「うわぁ!セミダブル!やっぱりオシャレね!」
「本当。センスいいね」
寝室からは、そんな声が聞こえてくる。
それも全てコウの趣味だ。
深雪は苦笑いを浮かべ、コーヒーの場所を探す。
「どこにあるのかしら」
勝手がわからずに、あちこち引っ掻き回す。
すると突然、瑞穂が声を上げた。
「あれ?深雪ちゃーん」
「はーい」
まさか何かおかしな所でもあったのだろうか。
急いで寝室に向かう。
「ねぇ!これってダイヤのピアスでしょう?床に落ちてたわよ」
「え?」
首を傾げながら近付く。
彼女の手には、大粒ダイヤのピアスが乗っかっていた。
それを見た瞬間、思わず真顔になってしまう。
「これ、どこにありました?」
「あそこ」
しかし瑞穂は気付いていないらしく、ベッドのすぐ真下の床を指さした。
「はい、高いんでしょ?無くしたら大変だよ」
「あ、あぁ……良かった。こんな場所にあったんですね。探していたんです。お茶を煎れたので、あちらでいただきましょう」
それを受け取り、足早にキッチンに向かう。
湯気を立てているヤカンを見つめながら、深雪は自分の耳に触れた。
ゆっくり火を消し、ティーポットに湯を注ぎ込む。
その間、ずっと黙り込んでいた。