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「やっぱり、私の気にし過ぎなのかしら」
コンビニの袋を片手に会社へ向かいながら、ぼやく。
確かに、喧嘩という喧嘩をしたわけではない。
勝手に携帯に出た事を怒られてしまっただけだ。
実はコウは注意しただけのつもりで、口調が荒くなってしまったのは電話相手との口論の流れだったのかもしれない。そう思えば思う程、そんな気がしてきた。
社内に入り、エレベーターへ向かう。
まだ時間は早いらしく、ロビーにも人の姿は少ない。
1Fのボタンを押そうと手を伸ばした時、到着の音がした。
「タイミングが良いわね」
どうやらそれは地下の駐車場から上がってきたらしく、先客がいた。
「おはようございます」
「おはようございます。何階ですか?」
「10階を」
先に乗っていた男性社員に伝えると、他に乗る人間がいないのを確認し、『閉』ボタンを押して閉まるのを待っていた時だった。
「そのエレベーターちょっと待て!!」
突如腕が伸びて来て、扉に挟まった。
目の前で見ていた2人はビクリと体を震わせ、身を退く。
センサーが反応し、閉じかけていたドアが開く。
「良かった!セーフ!!」
驚いている2人の前に、息を切らせた柏木広太朗が飛び込んできた。
息を切らせながら顔を上げて深雪の姿を確認すると、不機嫌そうに眉を寄せた。
「あ?なんだお前か。待てっつってんだから待ってろよ!」
「す、すみません……」
ボタンに近いのは自分ではない。
なんとなく釈然としないが、取り敢えず謝る。
同乗している社員が、気まずそうな顔で閉ボタンを押す。
再びゆっくりドアが閉まり、3人を乗せたエレベーターはゆっくりと上っていった。
「随分急いでたんですね」
髪も服も息も乱れている広太朗に呟く。
「そりゃ走って来たからな。今日は早めに出勤なんだ」
「そうなんですか」
やはりこの人は苦手だ。
心の中で、やっぱり今日は運が悪いかもしれないなとぼやいた。
その後の会話が続かず、なんとなく沈黙が広がる。
単調な機械音だけが響いており、気まずい雰囲気だ。
広太朗もそう感じたのか、頭を掻きながらこちらを見た。
「そういやお前も早いな。早出か?」
「みたいなものです。まだ新人なんで」
「へぇ。馬鹿真面目だなぁ」
小馬鹿にしたように笑い、階数ランプに視線を戻す。
「ありがとうございます。馬鹿はいりませんけれど」
どうしてこの人は一言多いのだろうか。
言いたい放題言われ、黙っているなんて癪だ。
眉を寄せ、小さな声で反論してみる。
しかし広太朗は気にする様子もなく、ニヤリと笑った。
「そもそも、新人だからって早く出勤する必要はねぇんだよ。体育会系の部活じゃあるまいし。なぁ」
「え!?は、はぁ」
隣にいた男は突然話をふられ、曖昧な笑みで頷く。きっと心の中では『俺にふるなよ』と思っているだろう。
「いいんです。私がしたくてやってるんですから」
「でも早朝手当てとかつかないぞ」
「別に金が欲しくてやってるんじゃありませんから」
「ふぅん。だったらボランティアってわけか」
相変わらず終始深雪を馬鹿にしたように笑っている。
(なにかしら、この人)
不愉快だ。
もう会話したくないとばかりにそっぽを向き、口を閉ざす。
目的の階に着いたのか、同乗していた男性社員はそそくさと降りてしまった。
2人きりになってしまい、更に気まずくなる。
(早く着けばいいのに)
いつもはあっという間に到着するのに、何故今日はこんなに長く感じるのか。
ジリジリしながら階数ランプを見つめる。
7の電気が消え、やっと8階に到着すると思った。が、何故かスルーをし、9階に変わってしまった。
「あの、柏木さんって8階ですよね」
「当たり前だろ」
「過ぎましたけど」
「え?……あ!」
叫ぶと、ボタンに飛び付いて8を連打する。
急いで飛び込んだ為、押すのを忘れていたようだ。
「あぁ!マジかよ!?10階までノンストップか!」
「そうですね。ついたらそのまま下りれば良いですよ」
何せ2階しか違わない。時間ロスはせいぜい2~3分程度だろう。
「階段で行く」
「そうですか」
相変わらずこの人はよくわからない。訝し気な目で横顔を見つめる。
すると不意に、広太朗はこちらを見た。
「なに?」
「別になんでもありません」
「なら見るなよ。金取るぞ」
「…………」
広太朗はまぁまぁ整った顔をしているが、金を出して見る程ではない。
再びそっぽを向き、10階に止まるのを待った。
やがてブレーキがかかり、カゴが上下に軽く揺れた。到着したらしい。
やっと解放されると安堵をし、一歩踏み出した時だった。
「深雪」
名前を呼ばれると同時に腕を掴まれ、柔らかなものが唇に触れた。
何が起こったのかわからず目を見開く。
広太朗は顔を離すと、ゆっくり閉まるドアの向こうで表情を変えないままこちらを見ていた。