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2

「ねぇ。そろそろ起きましょうよ」


コウが2度寝してしまい、1時間程経った。

何度か眠ろうと試みたのだが、目が冴えてしまってどうしようもない。

隣で寝息を立てている旦那の肩を、何度か揺する。


「もう12時よ?お腹も空いたし、お昼ご飯を食べましょう」


「いいよ……。別に減ってないから」


呻くと、寝返りをうって背を向けられてしまった。


「貴方は減ってなくても私は減ってるの。昨日の夕飯も残っているのよ?」


「そう……」


なんだか妙に冷たい返事に、軽く唇を噛む。


せっかく休みを取っても、これでは全く意味が無い。


なにせ、睡眠は1人でする事なのだから。


(なによ。人を勝手に休ませておいて……)


新人社員には、休日出勤をしてでもやる事はいっぱいあるのだ。


コウの自分勝手な態度に、だんだんと腹が立ってくる。


「ちょっといい加減にして。一体いつまで寝てるつもり?これじゃあ一緒に休んだ意味が無いじゃないの」


少し強めに言うと、無理矢理布団を剥いでしまう。


「なっ……オイ!!」


下着姿で寝ていたコウは突然暖を奪われ、眉を寄せながら振り向く。


「返せよ!」


「もう起きてちょうだい。サボったんだから、代わりに家で仕事をしなきゃならないんでしょう?パソコンを見てきたら?きっとメールがたくさん来ているわよ」


言い捨て、カーテンを開けて寝室を出て行く。


「うわっ!わかったよ。起きればいいんだろ……」


太陽の光をダイレクトに浴びたのが堪えたらしく、渋々起き上がる。


部屋着を身に付けると、ボサボサの頭のままリビングへ向かった。


「あー……。やっぱ頭痛ぇ。二日酔いだ」


コウはソファーに腰を下ろすと、コーヒーを飲みながら新聞に目を通す。


そんな様子を、深雪は冷めた目で見ながら昼食の準備をしていた。


「二日酔いじゃないわよ。寝過ぎなのよ」


「んなわけないだろ。二日酔いか寝不足だ」


欠伸を繰り返すと、キッチンに立つ深雪の背中に呟く。


「昨日何時に帰って来たか覚えているの?22時よ。それから直ぐに寝たんだから、やっぱり寝過ぎね」


「…………」


そこら辺は全く覚えていないらしく、それ以上は反論せずに口を閉じた。


「このまま温めれば食べられるかしら」


ラップをかけた皿を見ながら呟き、取り敢えず電子レンジに入れる。


せめて簡単なおかずだけでも作ろうかとまな板を出した時だった。


「悪かった。だから怒るなよ」


後ろから抱き締められ、手を止める。


「別に、怒っていないけれど」


「怒ってるだろ」


「……」


腰に回された腕に力が入り、思わず微笑みながら腕を重ねる。


「本当よ。怒ってないわ。ただ、休みなのにずっと寝ているんだもの。つまらないじゃない」


「うん。ごめん」


コウはウェーブのかかった髪を指で避けると、露になった首筋に口付ける。


「もうわかったから離して。ご飯を作れないから」


くすぐったさに身を捩り、笑いながら手を掴む。


しかし中々離そうとしない。


「本当は、一緒にずっとベッドにいたかったんだ。睡魔に負けたけど」


「そりゃ、ベッドは寝るところだから仕方ないわね」


苦笑いを浮かべ、抱き着かれた状態のまま具材を切る。


少し間が空いた後、コウの息が耳元にかかった。


「昨日の事、覚えてるか?」


「昨日の何?」


「少しだけ一緒に居られただろ?でも誰が見てるかわからないから普通に会話したけど。深雪はどう思った?」


「どうって……」


それはどういう意味?


まな板に乗せたトマトを切りながら問い掛ける。


すると腰に絡んでいた腕に、僅かに力が込められた。


「どういう意味って言われても困るんだけどね。なんて言うか……俺はなんとなく新鮮で、少し寂しかった」


「寂しい?」


会社でのイメージとのミスマッチさに、吹き出してしまう。


だが無言で体を絞められ、なんとか笑いを抑える。


「ご、ごめんなさい。苦しいから離して」


「何で笑うんだよ。むかつく」


失言だと気付いたのか、コウは僅かに顔を赤くする。


「そういえば、秘書課は男性社員の憧れなんだってさ」


「憧れ?」


抱き付かれた状態ではやりにくいなと思いつつも、無下にするわけにもいかない。


コウは口端を上げ、わざと低い声で続けた。


「そう。綺麗処揃いだろ?明るくてノリの良い近藤瑞穂。色気いっぱいの近藤さゆり。姉御肌の近藤優に、ちょっと女王様タイプの近藤華江。で、皆が言ってたんだ。今回入社してきたのは、おっとり系巨乳の人妻だってさ」


「聞いたわよ、それ。セクハラじゃないの」


貧乳と馬鹿にされるのも気分が悪い。だが、誉め言葉であっても、身体的特徴を出して噂するのはどうなのかと思った。


「確かに最初聞いた時はなんか嫌だったよ。なんたって嫁の話なんだからさ。でもまぁ、隠してる手前咎められないし。適当に聞き流したんだけど」


「巨乳だの貧乳だのって噂するなんてセクハラじゃない。ちゃんと指導してもらわないと困るわ」


とは言いつつも、正直そこまで嫌悪感を抱いているわけではなかった。


昔の自分は貧乳と馬鹿にされる事はあれど、巨乳や色気については程遠い所にいたからだ。


「うん、まぁ……今度耳にしたら一応注意はしておくよ。セクハラ問題は、うちの会社でも重視しているみたいだし」


「それなら尚更気を付けなきゃいけないわね。仮にも大企業のイメージが悪くなっちゃうわよ」


もしそんなことになり、株価が大暴落でもしたら、困るのは役員や管理職達だ。


「そうだなぁ。減給になんかなったら、今の生活を続けられないもんな」


「そうよ。あなたは管理職なんだから、そういう所はちゃんとしておかなきゃ。──そろそろ離れてくれる?やり難いの」


腰に回されている手の項をつねる。コウは小さく声を上げると、手を振りながら渋々ソファーへ戻って行った。


----------------------------------------


「やっと終わったぁ!」


終業時間になり、瑞穂は背凭れをしならせて思い切り伸びをする。


「ちょっと、陽子ったら──」


さゆりは、社長に叱られるわよ、と咎めようと思ったが、不在なのを思い出して口を閉じる。


「なんか社長がいないと妙に静かで、時間が長く感じましたねぇ。余分な仕事を押し付けられる事もなかったし」


楽なのかそうじゃないのかわからないなぁ……とぼやき、溜め息を吐く。


「まぁ良いんじゃない。今日も定時に帰宅できるんだから」


優は微笑みながら書類を机の上で揃え、立ち上がる。


「社長、何日くらい休むんだろうね。風邪だったら、1日じゃ治らないと思うけどさ」


意味有り気に笑い、さっさとロッカーを開けて身支度をしている。


「さぁ。どうなんでしょうかね。仮に本当に風邪だとしても、社長なら1日で治しちゃいそうですよ」


瑞穂も後に続き、ジャケットを羽織る。


「社長なら有り得るわねぇ。花子ちゃんも明日は出て来られるのかしら」


「後でメールしてみますね!」


皆、各々の仕事は片付け、帰る準備をしていた時だった。


ドアが軽くノックされ、1人の青年が顔を出す。


「失礼します。あぁ、良かった!間に合った!!」


「あら、皆川さん。どうかしたの?」


「ちょっと急な会議が入っちゃいまして。申し訳ないんですけど、資料作りお願いしていいですか?」


「え!?今からですか!?」


帰る気満々だった瑞穂は、あからさまにゲンナリした表情を浮かべる。


「実はさっき新道さんから連絡が来てさ。明日のプレゼンに間に合う様に、話を合わせとけって。俺達も急な残業なんですよ。だからお願いします!」


早口で一気にまくし立てると、逃げる様に去って行く。


「明日のプレゼンって、2課合同のですか?」


「多分ね。大きなプレゼンだから、新道君も心配みたいね」


「そうなんですか……」


新道は若くして広告課のトップに立つ男だ。


風邪を引いたからといって、オチオチ寝ていられないのだろう。


重役でもない社員の資料作りは、そもそも秘書課の仕事ではない。


が、この状況を考えると、流石に断る事はできない。


しかも新道は友人でもある。


溜め息を吐くと、渋々瑞穂達は席に戻る。


その時内線が鳴り、さゆりが素早く受話器をとった。


「はい、秘書課です」


「なんですかね……」


嫌な予感がし、2人は顔を見合わせる。


「──わかりました。はい」


電話を切ると、複雑な顔で振り向く。


「人事部からよ。急ぎの会議があるから、1人回してくれって。柊さんから電話があったそうよ」


「あぁ、やっぱり……」


やはり予感はドンピシャだった。


彼もまた、仕事が気になって仕方ないのだろう。


この分だと、他の課からも電話がありそうだ。


何せ今日は上の人間ばかりがまとめてダウンしてしまったのだから。


そうこうしているうちに、2台の電話が一気に鳴り響く。


今度は瑞穂と優が受ける。


「「はい、秘書課です」」


2人は受話器を耳に当て、何やらしきりに返事をしていた。


「わかりました。直ぐにご用意します」


「はい、畏まりました。失礼致します」


ほぼ同時に切ると、目を伏せる。


「総務からでした。内容は人事と同じです。柏木さんから電話あったみたいで」


「こっちは社長から。明日の朝一に会議があるから、準備を頼むって」


「そう……。仕方ないわね」


3人に対して4つの仕事を頼まれてしまった。


予想外の残業にグッタリしながらも、仕方なく業務に取り掛かる事にした。


----------------------------------------


「……あぁ、そうだ。頼む」


コウはソファーに横たわりながらの電話を終え、携帯をテーブルに置く。


洗い物をしていた深雪は、不思議そうに顔を見上げた。


「明日何かあるの?」


「うん、会議。準備とか色々あるから、頼んだんだ」


「本当はあなたがやらなきゃいけないんじゃないの?」


眉を寄せ、軽く睨む。本来なら今日は、出勤しなければならなかったのだから。


それをズル休みをして部下に押し付けるのは、あまり褒められた事じゃない。


しかしコウは悪びれた様子もなく、相変わらずぐうたらしながらテレビを眺める。


「たまにはいいんだよ。アイツ等はみんな土日祝日休み。俺は手当ての無い残業ばかりなんだから」


確かに管理職に就いているコウは、いわゆる残業代というものが付かない。だが深雪は、あまり納得できなかった。


「でもそれが管理職でしょう?仕方ないわよ」


「わかってるよ。でもたまにはいいだろ?でなきゃ俺だって過労死しちゃうからね」


過労死は困る。


まだ何か言いたげに見つめていたが、自分も人の事を言える立場ではないのを思い出し、止めた。


「ねぇ、それよりさ。夕食はどうする?出前でも頼もうか」


今日は1日中ゴロゴロしようということになった為、1度も外へ出ていない。


昨日の夕食は朝ごはんで食べてしまったため、また1から作らなければならないのだ。


「そうね。冷蔵庫にはあいにく何もないし。車を出してくれるなら、買い物に行けるけれど」


「いや、いいよ。今日はぐうたらするって決めたんだからさ。出前にしよう」


よほどなにもしたくないらしく、寝転がりながらアプリで出前メニューを眺めている。


結局今日1日は、ずっと部屋にいて、ただ寝て食べるだけの生活をしてしまった。


窓に近付くと、薄暗くなった空を見つめてカーテンを閉める。


(みんな、大丈夫かしら)


流石に、新入社員の自分の能力がアテにされているとは思っていない。


まだ半人前にも関わらず休んでしまった事に、ひどく負い目を感じるのだ。


今の自分にできることは、せめてみんなの邪魔をしないこと。それに迷惑をかけないことだ。


「なぁ、出前は寿司で良い?それともうなぎにする?」


自己嫌悪を抱いている中、呑気に声をかけられてムッとした。


溜め息を吐きつつも、深雪は「お寿司」と答えた。



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