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彼女の旦那のことは誰も知らない  作者: 石月 ひさか
総務課 柏木広太朗
16/89

3


「さぁて、仕事終わり!」


5時になり、瑞穂は大きく伸びをして立ち上がる。


この会社は始業時間にはうるさいが、終業時間についてもきっちりと守られているのが長所だ。


勿論決算時など、多忙な時期は残業を頼まれる事が多い。


その代わり、そうでない時期は滅多に残業がない。


だからこそ、深雪はこの会社を選んだのだ。


「陽子は昼と帰りは一段と元気ね」


笑みを浮かべ、さゆりも着替える為にロッカーへ向かう。


「それは勿論。ご飯と遊びが一番の楽しみですからね。じゃあお疲れ様でした!」


素早くジャケットを羽織ると、鞄を持って出て行く。確か今日は、合コンだと張り切っていた。


「はぁ。あの子みたいに気楽でいられたら、毎日楽しそうよね。私もお先に失礼します」


溜め息をつきつつ、さゆりも後に続く。


そして、終業時間から30分もしないうちに、室内は深雪と華江、それに優の3人だけになっていた。


真剣な眼差しでパソコンを見つめていた深雪は、ファイルを保存して声を上げる。


「私も終わりました!」


「今日もみんな定時で上がれそうね。じゃあ社長に言って来るわ」


いつの間にか帰る準備をしていた華江が、鞄を肩にかけたまま社長室のドアをノックする。


「失礼致します。社長、私達帰宅しますが、急ぎの仕事等はございませんか?……あ、はい。わかりました。はい、ではお先に失礼致します」


パタンと戸を閉め、2人に振り返る。


「特に急ぎの仕事もない様だわ」


「良かった。行くよ、花子」


「はい」


急いで課を出ると、優と華江も後に続く。


「一緒に駅まで行こうか。あんたはこれから買い物?旦那に夕飯作らなきゃならないんでしょ?」


「はい。何時に帰って来るか、わからないんですけどね」


駅に向かって歩きながら、苦笑いを浮かべる。


「へぇ。毎日夕飯考えるのって難しそう。ちなみに今晩は?」


「まだ決めてません。でも、旦那は和食が好きだから、迷った時は魚とかにしています」


「魚かぁ。いいね、それ。私も今日は魚にしようかな」


そんな他愛もない会話をしつつ、駅前に向かう。


「じゃあ私はこっちだから。また明日ね」


「はい。お疲れ様でした」


手を振って見送ると、定期を手にして改札を通る。


「さて。これから帰宅ラッシュね」


今度こそ絶対に女性専用車両に乗ろう。


ホームに並びながら、そう意気込んだ。


----------------------------------------


「お帰りなさいませ」


「ただいま」


マンションの玄関前にいるガードマンに挨拶を返してエレベーターに乗り込む。


ボタン下にある電子盤に暗証番号を入力し、40のボタンを押す。


最上階は深雪達夫婦しか住んでいない為、ロックがかけられているのだ。


エレベーターは一気に40階に上がり、電子音と共にドアが開く。


「今日は何時になるか聞いてみなきゃ」


自室で私服に着替えると、リビングの電気をつけて携帯を取り出すと、ショートカットダイヤルからコウに電話をかけた。ちょうど休憩中だったのか、それとも単に気付いただけなのか。数回のコールですぐに電話に出た。


『もしもし』


「今日は何時に帰って来るの?」


『そうだなぁ……』


呟いた後、少し間が空いた。


『多分8時くらいだと思う。あと少しで終わるから、急な仕事が入らなきゃだけど』


受話器の向こうから、含み笑いの声が聞こえる。どうやら今は、周りに人はいないらしい。


「8時ね。わかったわ。遅れそうなら電話して」


『わかった』


電話を切り、時計に視線をやる。まだ短針は6を指したままだ。


「今から作っても冷めちゃうわね」


自分の我が儘で共働きになってしまったのだ。


せめて夕食だけは、出来立てを食べさせてあげたい。


帰り際にスーパーで買ってきた食品を冷蔵庫にしまうと、ソファーに座ってテレビをつけた。


仕事を初めてからというもの、めっきりテレビを見る時間が減ってしまった。


以前は、ひどい時は1日中テレビをつけっぱなしにしており、朝のニュースから夜のドラマまで釘付けだったのに。


あの時はそれを楽しいと思っており、悲惨なニュースに怒りも覚えたし、ありきたりな男女の恋愛ドラマにドキドキもした。


だが、今思えばあれは、他に楽しみがなかったからだ。


今は社会に出て、たくさんの人と触れあっている。


ドラマでしか見たことのない、オフィスでの仕事風景。今の自分はその一部に溶け込めている。


そう思った瞬間、テレビの中の物語が一気に退屈なものに思えた。


(これ、確か前に夢中になっていたドラマ……。まだ、終わっていなかったのね)


ぼんやりと、画面の向こう側の世界を眺める。


そして気付けば、そのままソファーに背を預け、眠りに就いていた。


少しし、遠くから電話の音が聞こえている様な気がして目を開ける。


「あ、あら?」


いつの間にか眠ってしまっていたらしい。


意識がはっきりしてくると同時に、すぐ近くで電話が鳴っているのに気付いた。


携帯電話ではない。自宅の固定電話だ。慌ててサイドボードに置いてある子機を取ると、耳に当てる。


「はい、もしもし」


『あれ。家に居たんだ』


それはコウからの電話だった。


「ずっと家に居たけれど……。どうしたの?こっちに電話してくるだなんて」


何故携帯ではなく、家の電話にかけたのか。首を傾げ、問いかける。


『風呂にでも入ってた?携帯にかけても出ないから、心配した』


「え?あ、ごめんなさい」


話ながら、テーブルに置いたままの携帯を見る。


バイブレータにしていた為に気付かず、着信が10件も入っていた。


『もう夕飯作った?』


「え!?え、えぇ。大体は」


時計を見ると、既に7時半を過ぎていた。


まさか寝ていたとは言えず、思わず嘘を吐いてしまう。


『実は、取引先の人と食事をすることになった。だから、もう少し遅くなるよ』


「あら、そうなの」


口調は残念そうに、しかし心の中では良かったと思い、息を吐く。


『なるべく早く帰るよ。夕飯はそのまま置いといて。夜食に食べる』


「わかったわ」


電話を切ると、伸びをして立ち上がる。


慣れない仕事で疲れていたのだろうか。テレビを見ながら、いつの間にか眠ってしまった。


「良かった。まさか寝ていたなんて言えないわ」


どのくらい遅くなるのかはわからないが、今から作れば間に合う。


正直、1人ならば出前でも取って簡単に済ませてしまい所だが、夜食に食べると言われた手前、何も作らないわけにもいかない。


「取り敢えず、作っておかなくちゃ」


ソファーの背もたれにかけたエプロンを身に付けると、キッチンに立った。

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