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「戻りました」
なんだかよく分からない昼食を終え、秘書課に入る。しかし室内に人の気配は全くない。
「あれ?おかしいわね」
呟き、時計に視線をやる。
12時53分。
昼休みは1時までだ。
瑞穂や優達はともかく、華江がこんな遅くまで戻って来ないのはおかしい。
もしかしたら、外食をしている間に何かあったのだろうか。
不安を覚えながらも何気に携帯を出す。
今まで気付かなかったが、ディスプレイには『新着メール1件』の文字があった。
「?」
メールを開きながら席に着く。それは瑞穂からだった。
『1時30分から緊急会議が入るんだって。社長にコキ使われる可能性があるから』
「おい」
そこまで読んだ時、ドアが開き、社長が入って来た。
ガランとしている室内を一瞥すると、眉を寄せて壁に掛かっているホワイトボードに視線をやる。
そこには各名前横に、『課外』という文字が書いてあった。
「ったく。みんな逃げやがったな。間抜けはお前1人か」
ニヤニヤ笑いながら深雪に視線を戻し、人差し指を曲げる。
「来い。半から緊急会議だ。15分までにこの書類と会議室のセッティング。25分までに20人分の茶を用意しろ」
ドサリと重たい書類を渡され、深雪は目を丸くする。
「私1人でですか?」
「お前しかいないんだから当然だ。急げよ」
言い捨てると、社長は足早に去って行ってしまう。
「1人でなんて……」
途方に暮れながら、読みかけのメールに視線を戻す。
そこには『深雪ちゃんも何か仕事見つけて、1時30分位までは絶対に秘書課に戻らない方がいいわよ』と書かれていた。
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「せっかく瑞希さんが教えてくれたのに。ちゃんとメールを読めば良かったわ」
運悪く社長にコキ使われる羽目になってしまった。
重い書類を15階の会議室まで運び、ドアを開ける。
中には机がコの字に並べられており、窓際の角にたくさんのパイプイスが並べられている。
「確か20人って言ってたわよね。ということは──」
1つのテーブルに付ける人数を目測で考え、椅子を並べる。
しかし、1つに5人座るとして、テーブルは4つ必要だ。このままでは1つ足りない。
「どこからか持ってきた方がいいのかしら」
ざっと室内を見渡すが、余分なテーブルは見当たらない。
どうしようかと考えていると、ドアが開いて社長が入って来た。
「何してんだ。後10分で会議が始まるんだぞ」
「それが、テーブルが足りないんです」
「テーブル?」
呟くと、室内を見て眉を寄せる。
「仕方無いな。隣から持って来るしかないだろう」
「隣にもあるんですか?わかりました。すぐに──」
言いながらドアに近付く。
「待て」
しかし出口を遮られ、キョトンとしながら顔を上げる。
「お前みたいな非力には無理だ。いいから書類のセッティングをしていろ」
そう言い、社長は部屋を出て行く。
それは暗黙に、自分がやってやるという意味だ。柏木と言い社長と言い、この社には見た目のわりに優しい男性社員が多いらしい。
(素直じゃないのね)
ふっと笑みを浮かべると、手早く書類を並べていった。
「これで準備は完了だな。あとは茶の準備だ。言っとくが、俺は手伝わないからな」
「わかってます。ありがとうございました」
頭を下げ、足早に給湯室に戻る。
実はお茶汲みが、一番大変な事かもしれない。
20人分の湯飲みをお盆に並べ、唖然とする。
しかし時計の長針が5近くを指しているのに気付き、取り敢えずトレイを持って会議室に向かった。
「どうしよう……」
中に入り、配り終えれば任務完了なのに。
トレイを支えながら、ドアの前で立ち尽くす。
両手が塞がっているため、ノックは愚か、中に入る事すらできない。
そうこうしているうちに、時間は刻々と過ぎていく。
(あぁ、もう25分。お茶も冷めちゃう)
いっその事床に置いてしまおうかと悩んでいた時だった。
後ろから腕が伸び、ドアを軽くノックする。
振り向くと、今朝会った柊が笑みを浮かべて立っていた。
「はい、どうぞ」
ドアを開けて貰い、深雪は嬉しそうに微笑む。
「ありがとうございます」
軽く会釈し、テーブルにトレイを置いて湯飲みを置いて行く。
室内には社長を始め、色々な課の人間が勢揃いしていた。
その中には、新道や柏木、そして柊も居る。
「失礼致します」
一通りお茶を配り終えると、頭を下げて会議室を後にした。
「良かった。間に合って」
これで任務は完了だ。ほっと息を吐き、達成感に嬉々として戻って行った。
「あ!花子ちゃん」
課に戻ると瑞穂達は戻って来ており、心配そうな顔で駆け寄って来た。
「返信が無かったからもしかしてって思ったんだけど……。まさか捕まっちゃった?」
「はい。わざわざ教えて下さったのに、気付かなくて。でも大丈夫です。なんとか間に合いましたから」
「良かったぁ。戻って来たら居ないから、心配してたの。でも大丈夫だったんだ」
「はい。ギリギリでしたけど」
トレイを片付け、席に着いて仕事を始める。
(私1人でも仕事ができるんだわ。こんなの初めて……!)
タイピングをしながら、深雪は初めて自分1人で仕事を全うできた喜びを噛み締めていた。