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彼女の旦那のことは誰も知らない  作者: 石月 ひさか
総務課 柏木広太朗
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「ただいま戻りました」


無事に仕事も休憩もやり遂げ、秘書課のドアを開けた。すると休憩をしていた優が振り向き、穏やかに笑った。


「お疲れ。柏木さん、見つかった?」


「はい。案外すんなりと」


そこで何があったのか、そして彼にどんな印象を持ったのかは敢えて語らず、椅子を引いて座る。


「あぁ、計算式入れといたよ。多分それで大丈夫だと思うから」


「あ、はい。ありがとうございます」


机の上のノートパソコンに視線をやる。


クリックをして見てみると、深雪には到底理解出来そうにない複雑な計算式が入力されていた。


(うわぁ、凄い。さすがね)


思わず感心してしまったが、ハッとして首を振る。


(自分でできなきゃ意味ないんだから。帰ったらコウに教えて貰わなきゃ)


今どきパソコンを扱えない秘書等いないだろう。


あまり気が進む事ではなかったが、仕方ない。


社会人になった以上、責任感を持たないとならないのだから。


パソコンの作業は優のおかげで一先ずは終了した。


後は昼休みまでに書類関係を片付けてしまえば完璧だ。


出掛ける直前まで飲んでいた冷たいコーヒーを燕下すると、気分を変えてモニターを見つめた。


----------------------------------------


「やっとランチよ!」


昼休みの合図が鳴ると同時に、5分前から時計を見つめていた瑞穂は勢い良く立ち上がった。


「朝ご飯食べ損ねて、お腹ペコペコなのよね。今日はガッツリとんかつ食べるの」


誰に聞かれているわけでもなく一気に捲し立てると、財布を片手に飛び出して行く。


その様子を唖然と見送りながらも、深雪も立ち上がる。


「あ、あら?」


その時ふと気付いた。いつも財布を入れている筈のポケットが、妙に軽い。


(うそ……。落としたのかしら)


先程ラウンジに行った時は確かにあった。となれば、途中で落とした事になる。


「人の財布を拾って、自分のを落とすなんて」


中身は大して入っていない小銭入れだが、全財産だ。


最悪の場合はコウに借りるしかないかと、地面を見つめながら廊下を歩く。


「なぁ」


その時誰かに声を掛けられ、顔を上げた。そこには総務課の柏木広太朗かしわぎ こうたろうが立っていた。


「まさかこれ、探してんの?」


そう言い、片手を差し出す。


彼の手に握られていたのは、深雪の財布だった。


「あ。私のです」


「やっぱり。ラウンジに落ちてたぞ。なんとなく、アンタの様な気がして持ってきた」


ぶっきらぼうに言うと、ほら、と掌に財布を落とす。


「ありがとうございます」


素直に頭を下げると、広太朗は何か言いたげな表情を浮かべた。


「これから昼飯か?」


「はい」


「そう。1人で?」


「はい」


中々ハッキリしない物言いに、深雪は僅かに眉を寄せる。


しかし彼の口から出た言葉は予想外のものだった。


「じゃあ一緒に飯食おう」


「え……」


まさか食事に誘われるとは思っていなかった。目を丸くし、返答に戸惑う。


「いいから来い!」


しかし広太朗は有無をも言わさず腕を掴むと、半ば強制的に歩き出した。


----------------------------------------


連れて来られたのは、会社の近くのファーストフードだった。


深雪の意見も聞かずに注文をすると、さっさと金を払って席に着く。


(一体何なのかしら)


訳がわからず、勝手に注文されたウーロン茶に口をつける。


「さっきは悪かった」


「はい?」


突拍子もない謝罪に、思わず聞き返してしまう。しかし広太朗は構わず続けた。


「さっきの事。焦ってたんだ。落とした覚えもねぇし、探しても見つからないし。だからその……悪気は無かったんだ」


「いいえ、もう気にしてませんから。それに私もお財布を拾ってもらったんだし」


一見ぶっきらぼうに見えるが、実はただの人見知りなのかもしれない。


なんだか可笑しくなり、笑みを浮かべる。


「あと、勝手に決めちまったけど、それで良かったか?」


呟き、ハンバーガーに視線を落とす。


「大丈夫です。ハンバーガー好きですから」


「そうか。でもお嬢様はあまりこない場所だろうけどな」


「お嬢様じゃありませんよ。私」


確かに旦那は金持ちの部類に入るかもしれないが、深雪自身は普通の家庭育ちだ。


しかし広太朗は「謙遜すんなよ」と聞く耳を持たない。


「持ち物見りゃわかる。時計はデイトジャストで80万くらいするモンだろ。靴も推定20万」


「詳しいですね」


自分の持ち物の値段を当てられるのは、あまり気分の良いものではない。


しかし彼が言った事は全て事実だった。


財布は未だしも、靴や時計をパッと見ただけでわかるなんて。


その洞察力には、感心半分飽きれ半分だ。


「まぁ、仕事柄というか個人的にというか。ブランドには詳しい」


「へぇ。鑑定士とかが天職ですね」


呟き、ハンバーガーの包みを開いてピクルスを取り出す。


「なんで出すんだよ」


「あ、ごめんなさい。実はピクルスは苦手で」


我ながら子供だとは思うが、どうもこの食感が受け付けない。


少し行儀は悪いが、指で2枚のピクルスを抜き取る。


それを見た広太朗は、あからさまに眉を寄せた。


「ピクルス食えないなんてガキだな。ほら、よこせよ」


「これをですか?」


目の前に食べ掛けのハンバーガーを差し出され、驚いて見上げる。


「別に落としたわけじゃねぇんだから。捨てるよりマシだ」


「は、はい」


確かに捨てるよりはマシかもしれないが、見た目的に、赤の他人の食べ物の中に入れるのは憚られた。が、早くしろと責っ付かれてしまい、パテの上にピクルスをそっと乗せた。


「あー食った食った。やっぱジャンクフードは旨いよなぁ」


店から出ると、広太朗は大きな伸びをする。


そのままスタスタと歩き出されてしまい、慌てて1000円札を差し出す。


「柏木さん。これ」


「は?なに」


「私の分です」


さっきは渡すタイミングを逃してしまったが、奢ってもらうわけにもいかない。


しかし広太朗は、溜め息を吐いて1000円札を深雪に押し返した。


「いらねぇよ。あれは詫びなんだから、俺の奢りだ」


「でも、私も財布を拾ってもらったんだから、貸し借り無しですよ」


「貸し借りってなぁ……。別にいいって。いらない」


頑なに言い張り、さっさと社内に入って行く。


仕方なく深雪は、行き場の無い1000円札を財布に収めた。



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