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第七話 -交えた道-

薬屋の娘シャルとの逢瀬に、突然の来訪がありました。

誰なのでしょうね。

「こんちわ!」


 カノンに抱き留められた儘、唐突に鼓膜を震わせた喧騒は、嫌という程に聞き慣れた声音だった。

 擦れる鉄管を鳴り響かせた扉を開け放って、躊躇も無く店内に踏み込んだ靴の音。背後から聞こえた、「あ、アルス」と、死を謳う少女の旋律。穿たれた心に残った僅かな可能性を信じる余地も無かった。


「あ」


 然して、野郎の靴の音は止んで、停滞した数瞬の静寂が此の場を包み込んだ。すっかり硬直して仕舞ったカノンの腕は、いま簡単に退かす事が出来た。

 此の後に及んで、尚も抱き留められている理由は無い。俺はカノンの胸元から顔を上げて、曖昧な死が忍び寄る背後を振り返った。

 然ればよ。間違い無く其処には、アルスとシャルが居た。


「……此処は、如何わしい店なのか?」

「薬屋だ」


 目を見開いたアルスの背後に隠れて、顔だけ覗かせているシャルの頬は、隠し様も無い程に紅潮していた。

 俺の背後を見遣れば、カノンもシャル同様、頬に朱を差していた。


「最近の薬屋は、店員の胸に顔を埋めるのか?」

「トチ狂った薬屋ならば、或いは……」


 皺の寄った紙袋を抱え直して、俺は姿勢を正した。


「お前の最悪な一面を覗いた気がするのは、気のせいか?」

「気の所為だ大馬鹿野郎」


 妙に顔を引き攣らせていたアルスは、「大馬鹿野郎⁉︎」と、店内に響き渡る叫声を上げた。

 斯くして、冷静を装う俺自身の内懐を満たした羞恥の念は、逃げ場を失った儘、真紅の業火を纏う。穴が在ろうが無かろうが、此の拳で大穴を抉じ開けて逃げ込んで仕舞いたい気分だ。視界の隅で顔を覗かせるシャルの泳ぐ視線は、鋭利な氷塊となって俺の全身を貫き、叫声を吐き出したアルスの嫌らしさの失せた表情は、俺の羞恥を殊更に駆り立てた。

 カノンも突然に訪れた展開に固まって仕舞い、此の場を取り繕える人間は、此の場には居ない様に思えた。


「あ、あの……」


 然し、場の静寂を打ち破った声音の紡ぎ手は、アルスの背後に隠れたシャルだった。


「薬草を買いに来ました……」


 静寂に掻き消えて仕舞う声量で紡いだ言葉に、「そうだった」と、アルスは我に返った様子で相槌を打った。


「そう言えば、二人で一緒に来たのか?」

「ああ。シャルに、良い薬屋を教えて欲しいと言われてな」


 良い薬屋か。まあ、此処に来たのは正しい。此処は、第一区画イーリス内でも最高の薬屋と太鼓判を押そう。

 然し、俺には思う事が在った。


「薬屋に関して、お前に聞いたのは大きな誤算だろう」

「俺も思ったが、こんな美少女と出掛ける約束を断っては男が廃る」


 調子者のアルスの後頭部から響いた打撃音を耳に、薬屋の床に沈んだ男の勇姿を眺めた儘、「ふうん」と、俺は声を漏らした。

 能く能く見れば、二人は色柄ゆたかな私服を纏い、外出の格好に相応しい洒落っ気を醸していた。

 思えば、私服の二人を見たのは初めてかも知れんな。


「仲睦まじい様子で、大いに結構」

「変態に言われるのは癪だな」


 俺の意識の間隙を縫って立ち上がり、無い髭を縒る仕草を見せた此の野郎は、いま変態と言ったか。


「黙れ糞野郎」


 好い加減に不毛な応酬にケリを付けねば、焦燥感と羞恥の焔で心が焼き尽くされて仕舞う。俺の吐いた毒に、「お次は糞と来たか」と、アルスは意気消沈した様子で呟いた。

 斯くして、戯言の応酬も止んだ今、安堵の溜息を吐いた俺は、自身の背後で未だ惚ける少女を見返した。


「カノン」


 俺の語り音に、「はえ?」と、カノンは間の抜けた表情を浮かべた儘、間の抜けた応答を返す。


「カノン。客だ」


 然して、俺はアルスの背後に身を潜めるシャルを指した。


「あ。お客さん?ごめんなさい」


 慌てて体裁を取り繕うカノンが姿勢を正して見据えた先には、煩い程に爽やかな微笑を湛えた糞野郎が居た。


「えっと。何か入り用ですか?」

「残念だが、其奴はハズレだ。無視して良い」


 ぎこちなく微笑んだカノンを見遣って、掌を左右に揺らした俺に対して、「見事に客だが」と、アルスは不平不満を漏らした。

 其の様子を一瞥、俺は野郎の背後から顔を覗かせるシャルを強調して指し示した。


「背中に隠れている娘だ」

「え?」


 斯くして、漸くアルスの背後から身体を逸らしたシャルは、アルスの横に立った。


「こんにちは……」


 其処には、普段は目深に被った鍔広の帽子に隠れているシャルの双眸に宿る大海の蒼が在った。

 曖昧な距離感を魅せる上天の色彩を宿した髪。先程から変わらず頬を火照らせている所以は、単純に表情を見られている所為か。

 まるで、蜘蛛の糸の様に繊細な髪から跳ねた一房の癖は揺れて、飾り気の無い白の肌着に合わせた胡粉色のワンピースが、普段の魔装とは異なる雰囲気を醸し出していた。

 然して、驚いた様な表情から一転、柔和に微笑んだカノンは、「いらっしゃい」と、落ち着いた口調で告げた。


「何か入り用ですか?」

「あ。学校で使う薬草が足りなくて……」


 伏し目がちのシャルは、両手を下腹部で組み合わせて、眼前に歩み寄ったカノンに返答する。


「ミラと同じ薬草でいいのかな?」

「いえ。いろいろと必要なものがあって……」


 カノンは手慣れた様子でシャルが欲する薬草を聞き出して、当のシャルは入り用の薬草を必死に思い出しては、ひとつひとつ口に出して行く。幾度の応対を経て、カノンに先導されたシャルは奥の薬棚の方へ向かって行った。

 斯く今朝の麗らかな一幕を無言で眺める暇、俺と同じく様子を見守っていたアルスが、俺の横に並んだ。


「眼福だな。眼福」

「右に同じく」


 硬くも確かな笑顔を浮かべたシャルと、朗らかに笑うカノンの邂逅。未だ翳らぬ陽光に晒された二人の眩い笑顔は、明光に満ちた此処を殊更に彩った。

 魔族襲来の危機さえ忘却の彼方に追い遣る平和に浸る暇、「しかしなあ……」と、アルスは腕を組んで呟いた。


「ミラにあんな可愛い女が居たとはな」

「俺の女では無いがな」


 薬棚前で談笑に耽る二人を見据えた儘、俺は紙袋をソファの手前に据え置いた。

 其の儘、楽し気な微笑を溢すアルスを一瞥、俺はソファに身体を投げた。


「よく、お前の話に”カノン”の名前が出て来たが、彼女だったんだな」

「まあ、そうだ」


 時偶にカノンの名を出した記憶は在るが、そんな頻繁に言った記憶は無い。

 だが、自分自身の漏らした言葉を余さず覚えている程、意識して会話している訳では無いので、今は何も言うまい。


「なるほどなあ」


 然して、アルスも俺に追従してソファに腰掛けた。


「そりゃ、他の女に言い寄られても靡かねえ訳だ」


 腕を組んで頷いたアルスは、「座り心地いいな」と、小声で呟いた。


「勝手な事を……」


 別段、慕って呉れる人間の対応云々に、カノンは関係ないさ。ただ、人様から言い寄られても俺の感情が揺れ動かない。それだけの話だ。

 斯くして、俺はソファに背を凭れた。


「然し、良く此処に来たな」


 アルスが行き慣れた余所に行かず、此処に来た理由の一切が分からなかった。

 俺の言葉を受けて、「ああ」と、思い出した様に呟いたアルスは、此処の出入り口の方向を指し示した。


「街道の通行人に、良い薬屋が無いか聞いたんだ」

「ああ」


 成る程。近隣の住人ならば、間違い無く此処を勧める筈だ。


「だが、良い薬屋だと思って足を運べば如何よ。如何わしい店かと思えばミラが変態で、訳が分からん」

「そりゃ災難だったな」


 言の葉を紡ぐ最中に、透かさず左脚を振り上げて、アルスの爪先を勢い良く踏み付けた刹那、「いってえ!」と、アルスの叫声が店内に響き渡った。

 然して、身体が弓形に反った反動で、アルスは爪先を押さえ込む様に背筋を湾曲させた。


「おお。如何した。随分と楽しそうな事してるな」

「アルス。うっさい」


 事情を知らないシャルが、律儀に此方を向いて投げ付けた鋭利な言葉は、アルスに突き刺さる。然して、「ごめんなさい!」と、咄嗟に叫んだアルスは俺を睨め付けた。


「て、てめえ。覚えてろ」

「もう忘れたわ」


 俺は足を組み直して、気色ばむ野郎から視線を逸らした。

 斯くして、視界の一角で揺れる二者の応酬に、俺は意識を傾ける。意識に触れた二人の嚠喨たる声音は、俺の心を満々に満たした。

 カノンが語る薬草の種類について、シャルは至極真面目な様子で頷き返しては、時おり目を細めて白い歯を覗かせた。

 然ればよ。暫くの間、無言の圧を込めて俺を睨め付けていたアルスだが、二人の笑い声に釣られて視線を背けた。

 斯くの如き誘惑に惹かれぬ筈は無く、須臾の前に在った光景は、再び此処に在った。


「じゃあ、これもいる?」

「はい!欲しいです!」


 すっかり意気投合した様子のカノンとシャルは、薬草の彼是を語らう暇に、他所での四方山話にも花を咲かせる。まるで、仲睦まじい姉妹の其れだ。其の様を肴に、野郎二人は腕を組んで微笑を湛えた。


「悪くない」

「同感だ。頗る同感だ」


 風雅な二人に抱いた恋慕とは異なる思慕は、決して誤魔化せない誠の心だ。曖昧な器に抱えた曖昧な感情に過ぎず、殊更に曖昧な思慕の証左を示す事は極めて難しいが、此の感情を抱いている事実は紛い様も無く、俺の意識に語り掛けている。俺の行動に表れている。

 俺は野郎の言葉に対して素直に頷いて、此の平和に深く溺れ沈んだ。

 其の儘、如何程の時間が経ったのだろう。漸くの事、二人は長机を挟んで向かい合って、絶えない会話の合間に会計を終わらせた。


「お二人さん。お待たせ」


 カノンは頭を回らして、俺たち二人に声を投げ掛ける。俺は片手を振って、「構わん」と、簡潔に返事を返し、次いで隣席に腰を据えるアルスに視線を向けた。

 然して、其処に在ったのは、頭をソファに預けた儘、静かな寝息を立てる糞の姿だった。


「おい。愚図鈍間」

「……」


 居心地が好いのだろう。無に寄り添う闇に沈んだアルスの頭を小突くが、彼の意識に明光は戻らない。口角を上げた儘、幸く堕ちた男を見据えて、俺は溜息を吐いた。

 人間である限り仕方の無い事とは言え、此の状態で置き捨てる理由は無い。人間を殴る力加減を知らない俺では、アルスを常しえの闇に葬り去って仕舞う可能性が在った。

 斯くして、適当な理由を脳裏で拵えて、「シャル」と、俺は此方に歩み寄った少女の名を呼んだ。


「此の惚けた能天気には、素晴らしく素敵な刺激が必要らしい」


 いつも持ち歩いている魔導書の名を冠した打撃武器は携えていないが、アルスの背後から振り下ろした掌で、先程は見事にアルスを沈めて見せた。


「そのつもりで、ここに来ました」


 当の少女の頼もしい返事を聞いて、小さく頷いた俺は立ち上がり、円卓前で二人を眺めるカノンの横に退散した。

 野郎の面白味も無い鉄拳を食らう儘に目覚める等、俺とて御免だ。連れ立つ少女に叩き起こされた方が、此の野郎も嬉しかろう。

 然して、カノンが不思議そうな表情を浮かべて見守る最中、シャルはアルスの顔を覗き込んだ。


「起きて。アルス」


 一言の語り音は柔和に、ただ人を起こす所作だ。

 だが、此奴は起きない。


「起きて。ぐず」


 其の言葉に、俺の隣人は息を殺して笑う。俺は笑い声の主人を一瞥、未だ目覚める気配が感じられない野郎の冥福を祈った。

 二度も与えた温情を無碍に帰して、三度目の容赦は無い。言葉が通じないのならば、行使すべき力は此処に在る。

 斯くして、薬瓶の入った紙袋を地面に据えて、振り上げられた少女の拳は無常に揺蕩う虚空に円弧を描く。須臾の間も永遠の様に感じられる所作を追った彼方で、寝耳を目掛けて振り翳した力は、「あ」と、カノンが呟いた言葉を纏って、宙を切り裂いた。


「んがッ!」


 鈍い衝突音に付き従って、アルスの身体は勢い良く跳ねる。寝耳を切り裂いた刺激に、いったい彼は何事を聞くのか。言葉に成らない声を漏らした儘、頭頂部を抑えて丸まるアルスに見た既視感の正体は、先程の爪先事件の記憶だ。

 然して、満足気に後ろ背で両手を組んだ儘、身体を揺らしたシャルは、眼下で蹲る野郎に、「おはよう」と、柔和に囁く様に呟いた。


「おはよう。良い、夜だな。壁一面に星が張り付いてら」


 漸く擡げた頭に顰め面を浮かべて、戯言を吐かしたアルスは、ゆっくり立ち上がって身体を蹌踉めかせた。


「生まれて初めて死にそうだ」

「大丈夫。皆々、死ぬ時は初めてだ」


 苦虫を噛み潰した様な表情のアルスに一言、俺は驚愕に目を見開いたカノンを見据えて、彼女の眼前で掌を振った。

 頭を押さえて、「何が大丈夫なんだか」と、毒を吐いたアルスは、シャルの前に真っ直ぐ立った。


「買い物、終わったよ」

「あいよ。じゃあ、そろそろ行くか」


 然して、シャルが地面に据えた紙袋を掴み取ったアルスは、此方を見据えた。


「じゃあな。お二人さん」

「もう行くのか」


 手前の尻を空いた方の手で払ったアルスは、「ああ」と、首を捻る様に頷いた。


「この後、俺の買い物にも付き合ってもらう予定でな」

「ほお」


 手に提げた紙袋を持ち直しながら聞いていた俺の口角は、自然と吊り上がった。

 此処からシャルの表情は伺えないが、恐らくはアルスを睨め付けているのだろう。いつもの上目で睨め付けているのだろう。


「ミラ。なんですか……」


 揺れる胡粉色を纏った身体を捻って、此方に意識を傾けたシャルの表情は案の定だ。上目で睨め付ける其の表情を染める朱は、いったい如何なる感情から湧き出た色なのか。


「二人とも、仲が良いんだね」


 斯くして、音速で飛んで来た言葉は予想外の方向から二人を突き抜けた。

 隣のカノンを見遣れば、下腹部で両手を結んだ儘、穏やかな笑顔で二人を見詰めていた。


「ほれ見た事か。客観的な判断は有意だぞ」

「その言葉、そっくりそのまま二人に返してやるよ」


 二人揃って冷えた視線を呉れるが、俺は意に介さず外方を向いた。

 然して、「さて」と、紙袋を右手に提げたアルスは、カノンの方へ向き直った。


「邪魔者は消えるが、カノン。あまりいちゃこいたらいかんぜ」


 余計な世話だ。大馬鹿野郎。

 然して、カノンは羞恥の念を前面に押し出して、「はい」と、言葉尻を窄めて答えた。

 嫌らしい表情を湛えて生まれて来たかの様に、其の表情が似合う男は、満足気に頷いた後に、紙袋に入った薬瓶を打ち鳴らして、店の出入り口に歩を進めた。


「シャル?」

「あ。うん」


 アルスの呼び声に、物憂い表情を湛えたシャルは応える。だが、シャルは其の場から動かなかった。

 然して、ソファーの前で立ち止まった儘、浮かべた表情に付き従う様に、彼女は何事か悩む様な仕草を見せた。

 訪れた暫しの静寂。三者三様に黙して見守る中、寸刻の停滞に揺蕩う少女は、「カノン」と、意を決した様に対面の少女の名を呼んだ。


「また来るね」


 然して、人生を共有し合ったカノンを見据えて紡がれたシャルの言の葉は、麗らかな今朝の陽気を縫って響き渡った。

 其の言葉を脳裏で反芻する間も無く、当の少女は表情を隠す様に身を翻して、足早に野郎の元に走り寄った。


「俺も、今度から此処で買うかな」


 勢い余ったシャルの両拳を腹で受け止めながら、アルスは快活に笑った。

 斯くして、呆気に取られたカノンの肩を一歩前へ押す様に柔らかく叩けば、我に返ったカノンは満面の笑顔で小首を傾げた。


「二人とも、約束だよ」


 暖かな陽気に響いた声音は、いま三様の温かい内懐に触れた。

 確かに頷いた二者を眺めて、いま反芻する言葉に抱いた安堵の念は、久しく味わった他者の幸福に依る感情だった。

 然して、騒がしい野郎と連れ合いのシャルが消えた扉が閉じた刹那、再び閉鎖的な静寂が場を包み込んだ。俺の真横で惚ける少女との逢瀬が、再び訪れる。無言の沈黙に揺れるカノンの肩口に触れる横髪を横目で一瞥、俺は溜息を吐いた。


「旋風の様な連中だろう」


 二人が消えた扉を超えて、去った彼等の背中を見据えるカノンは、「そうだね」と、朗らかに笑った。


「でも、少し羨ましいな」

「ん?」

「……ミラ以外の人と、あんなに楽しく話せたの初めてだよ」


 今生の人生に突如として紛れ込んだ二人との邂逅に、カノンは揺れる横髪を掻き分けて、そっと溜息を吐いた。

 採光用の天窓から差し込んだ陽光を浴びて、煌めく少女は眩い上天を仰ぐ。


「気心が知れたら、気さくな連中だ」


 特に野郎は、此方が歩み寄らんでも勝手に引っ付いて来る。馬鹿だが、愛嬌が在って芯も太い。


「常連が増えたな」


 俺は荷物を抱え直して、彼等の去った扉の方へ寄った。


「ミラ」


 然して、後ろ背に投げ掛けられた呼び名が俺の意識に触れた時、俺は無意識に頭を巡らせていた。

 流れる様に揺れた此の視線が留まった先に在ったカノンの瞳と通い合った刹那、俺の目は何時かの様に杭を打たれた。


「ミラの友達が、ここの常連になってくれたら嬉しい」


 須臾の間隙さえ置かず、「でもね」と一言、カノンは間を置いた。


「ミラが此処に来ないと意味がないんだよ」


 其の深い深淵に差し込んだ一筋の光が写した一縷の希望に重なる俺の姿に、俺は先程の逢瀬を思い出した。

 相対する信条。交わした約束。乾いた心の拠り所。諸々を含めても、否定すべき過去は無い。


「大丈夫だ」


 故に、俺は頷いた。

 カノンが望んだ希望と相対する信条を抱く俺に、一糸の希望を繋ぐのならば、俺は其の希望に出来る限り応えよう。


「一度でも交わした約束は果たす」


 斯くして、俺は二人の違える信条に固い楔を打った。

 綻んだカノンの表情を見据えて、「それに」と、俺は言葉を繋いだ。


「俺も、磨り減った心の拠り所は欲しい」


 口に出して語る必要性の有無を判断する前に、俺の口を飛び出した言葉は、俺の意志の制御の鎖から解き放たれて、宙を縦横無尽に翔ける。果てに辿り着いたカノンの耳に、心に触れた刹那、彼女は心の底から驚いた様な表情を見せた。


「……」


 そして、何事か言い掛けた所で、カノンは瞼を閉じて首を横に振った。

 そして、徐に口を開いた。


「私は、いつでも此処にいるよ」


 何時かの時に聞いた、幾度も聞きたい言葉を紡いだカノンの真っ直ぐな瞳は、変わらず俺を見据えている。


「前に進むための道を探しながら、ミラを待ってるよ」


 斯くして、カノンは何時もの様に小首を傾げた。

 能く能く思えば、深い葛藤さえ飼い慣らした少女の芯の通った信念に、前々から気付かぬ間に俺も縋っていたのだろう。会わぬ時も、其の双眸に宿した蒼穹より広い心に、依り代を求めていたのだろう。相反する信条に隠されていた在る種の共依存の関係は、双方の弛まぬ信念が個々の心に巣食う限り、きっと途切れる事は無い鋼の紙縒りで繋がり続けるのだろう。


「模擬戦闘訓練が終わったら、また来る」


 俺は俺。カノンはカノンだ。故に、俺は此処に来る。少なくとも、双方が違える信条を抱く限りは……。


「うん」


 今日一番の笑顔の様に思えた。

 其の笑顔に見送られた儘、俺は鉄管の擦れる音が響く薬屋の扉を潜り抜けて、目を焼く陽光に照り輝く白雲と蒼穹を見据えて思う。

 カノンが望んだ未来ならば、何方に転ぼうが受け入れられるのかも知れない。

 無論、此の信条を譲る気は毛頭ない。だが、思えたのだ。カノンが抱いた弛まぬ信条が実を結んだ結果ならば、俺は受け入れられるのだろう。

 斯く思えたのだ。

私事ですが、カビたコメを食べてぽんぽんぺいんになりました。

食べられそうだったので食べたのですが、食べられませんでした。


さて、ミラに”変態”のレッテルが貼られました。おめでとう。

当人たちも、此の状況を端から見れば”アレ”とは理解しているのでしょう。随分と気恥ずかしそうな様子ですが、双方に取っての拠り所である二人は、今後、どのような関係を築いて行くのでしょうね。

私、とっても気になります。

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