第五話 -剣戟と爺-
最近、身体もフトコロも寒くなってきました。
第五話更新です。
眼前を覆う清々しい蒼と白のコントラスト。見上げる蒼穹には、一切の翳り無し。無常に揺蕩う白雲が、俺の惚けた頭に冴え渡る最中、白砂に覆われた第一主要街道に照り付ける陽光が、俺の網膜を焦がした。
道征く運車と行き交う人々。なだらかな傾斜に沿って軒を連ねる色鮮やかな街を、遥か遠方まで眺める暇、三桁の人間が行き交える幅を持つ第一主要街道の朝の活気が、俺の内懐に溶け込んだ。
久遠の平和さえ空目する此処は、アルカディア公国の第一区画と第二区画を隔てる境界線として、交通の要として整備された主要街道のひとつだ。なだらかな丘陵の最頂部に聳えるアルカディア総統府を眼前に見て左側が第一区画イーリス。右側が第二区画アイギスだ。魔力を保持しない人間が、外郭に隔絶された頃に付けられた名称と聞く。
意識している住人は殆ど居ないが、便宜上の理由が在るのだろう。
斯くして、場所は変わらず第一主要街道。住人の激しい往来が故に、数多くの商店が軒を連ねる第一主要街道沿線だが、俺の目的の店は此処には無い。
煉瓦造りのパン屋と木組みの雑貨屋の間を抜ける細道を曲がって、漸く人の疎らな場所に差し掛かる。八本の主要街道間を繋ぐ為の道では無く、居住区との利便性を考えて整備された無数の細道のひとつだった。
入り組んだ道路には、各個人の居住家屋に加えて小規模な商店が点在する。その家屋間を縫う様に進んだ先に、人が漸く擦れ違える程度の幅しか無い路地が現れた。
高々と積まれた木材と埃で覆われた木屑、紙片が散らかる暗々とした路地の奥に現れた影は、煉瓦造りの家屋。其処が、俺の目的の店だった。
路地前で当の店を見据えて、改めて思う。余程の理由が無ければ、第一区画の住人は此の路地を通らないだろう。
看板も無く、隣接する集合住宅に遮られた僅かな陽光を取り入れる窓には、内側から暗幕が張られていた。
客の来店を拒んでいるかの様な雰囲気を醸し出す店を見れば、店の主人の性格が伺えた。
排他的な彼らしいと言えば、彼らしい。
俺は、行く手を拒む障害物を避けて玄関の前に立った。
重厚な鉄扉が殊更に強調する排他的な雰囲気を身に浴びて、俺は溜息ひとつ、薄く埃の被った鉄扉のノブを捻った。
手前に引いた鉄扉の軋む蝶番から響く甲高い叫声が、俺の鼓膜を突き立てる。眼下に聳える障害を踏み越えて、俺は店内を覗き見た。
死の門扉を抉じ開けた先に待つ終焉の様に暗々とした店内に充満する、黴の湿った臭いが鼻腔を撫でる。店主の姿は見当たらない。
此処の奥の作業場に居るのだろう。来客の対応は二の次で、武具の鋳造作業に没頭している姿が目に浮かぶ。いつもの事だ。
俺は店内に足を踏み入れて、後ろ手で鉄扉を静かに閉じた。
「フォルク」
陰気な店内に響いた呼び声は、虚空を掻いて消えた。
呼応する声は無いが、当の主人が奥の作業場に居れば、俺の声は間違い無く届いている。
俺は薄暗い店内を見回して、無造作に並べられた武具のひとつを手に取った。
世辞にも綺麗とは言い難い店の外観とは異なり、十分に手入れの行き届いた魔法詠唱用のロッドは、埃ひとつ被っていない。その他の武具も同様だった。
剣戟は俺の特注品の為、類似の品が店頭に並ぶ事は無いが、その他の盾や杖などの武具も美品である事に変わり無い。そこいらの鍛冶屋には高価な粗悪品も混ざっていると聞くが、此処に関して言えば、その心配は杞憂だった。
「そろそろ来る頃だと思ったが……」
唐突に意識の外から鼓膜に触れた聞き慣れた声。カウンターの奥を見据えれば、其処には見慣れた髭面が在った。
「草臥れたツラして、如何した」
「オレの顔の文句ならば、オレのママが専門だ」
フォルクはカウンターの手前に立って、燭台に据えられた油皿に揮った指先で火を灯す。揺らめく淡い橙に染まる店内には、無数の影が揺れていた。
彼の名は、フォルク・レクシア。アルカディア公国の第二区画で、武具屋を営んでいる。武具の鋳造と修繕を手掛ける職人である彼は、アクラスと同様に幼少期の頃から、俺と俺の剣戟を鍛えて呉れた人物だ。彼が鋳造した武具は質が良く、限られた一部の人間から絶大な信頼を得ている。俺とは幼少から親交の在る彼だが、毎度の様に非常に質の良い武具を打って呉れる。
然し、根からの職人気質で、自分自身が認めた人物にしか武具を鋳造しない。武具の販売も同様だ。
故に、新規の客が此処を訪れる事は滅多に無く、生半可な覚悟で此処を訪れる人間は、一言の下に追い払って仕舞う。店の看板さえ表に出さない理由は、其処に在るのだろう。
俺は溜息ひとつ吐いて、カウンター手前に据えられた椅子に腰掛けた。
その刹那、着座の勢いで舞い上がった埃が、眼前の燭台の灯火に照らされて煌めいた。
「来て貰った所、悪いが……」
然して、奥の椅子に腰を下ろしたフォルクは疲弊した様子で呟いた。
「それほど痛んでいたのか?」
「いや、違くてな」
いつもの様に鉄管を手に取って、フォルクは得体の知れない枯れ草を先端に詰める。
「お前さんの剣戟の修繕だ。手を抜く訳にはいかんだろ」
枯れ草を丸めては詰めて、丸めては詰めるフォルク。その単調な作業を眺めた儘、俺は軽く笑った。
「どの武具も手を抜かん男が、何を言うか」
店内に置かれた武具の状態を見れば、一目瞭然だろう。そもそもの話、彼は自分で決めた事柄に関して、手を抜く男では無かった。
フォルクは、「はは」と乾いた笑い声を絞り出して、鉄管の先端を燭台の灯火に翳した。
「本当に疲れている様だな」
「なあに。いつもの現況調査よ」
燭台の灯火に翳した鉄管の後端を咥えて、先端の火種を燻すフォルク。吐き出す白煙に紛れて紡がれた言葉を脳裏で反芻し、「またか」と、俺は呟いた。同時に、俺は納得した。
総統府公認の職種全般で実施されている”現況調査"と称される査察。魔族掃討に係る職種が主な対象と聞くが、品質管理を主軸とした査察が、定期的に実施されているらしい。特に武具屋は、魔族掃討の結果に大きな影響を与える為、厳しい査察の下、厳しい品質管理が徹底されている。
「何か問題が在ったのか?」
カウンター上に置かれた枯れ草を摘んで、俺はフォルクに問い掛ける。
「問題らしい問題は無いんだが、毎度の様に無理難題を突き付けられてな……」
燻る鉄管の火種に追加の枯れ草を詰めるフォルクは、「問題と言えば問題か」と、自重気味に笑った。
「そりゃ御愁傷様」
「まったく。迷惑な話だ」
俺は摘んでいた枯れ草をカウンターの上に戻した。
「剣戟の修繕には、まだ時間が掛かるのか?」
「そうだな。あと一週間は欲しい」
カウンター奥の暗々とした鍛冶場を見据えて示した期限は、あまり好ましく無い返事だった。
「どうした。急いで欲しい理由があるのか?」
無意識の内に、俺の心に蟠る不満の意が表情に出ていたのだろう。問い掛けるフォルクは眉を曇らせた。
「近々、自分の力量を試す機会が在ってな……」
「ああ、なるほどな。使い慣れた剣戟の方が良いって話か」
フォルクは鉄管を咥えた儘、口元から顎を覆う剛毛を縒った。
「学校か?」
「ああ。対人戦闘訓練だ。模擬戦だな」
俺はアリステリアの高飛車な態度を脳裏に描いた儘、端的に答えた。
斯くして、「そうかそうか」と、気品の欠片も見当たらない笑顔を浮かべたフォルクは、鉄管を手に据えて此方を見据えた。
「良いじゃねえか。お前さんに取っては関係ねえだろ」
「人事だと思って……」
フォルクの憎たらしい笑顔を睨め付けて、俺は溜息を吐いた。
然し、フォルクが間髪を置かずに呟いた、「人事じゃねえさ」の一言に触れた俺の意識は、紛れも無く彼に向いた。
「お前さんの背中には、オレの面子も乗っかってんだ」
刹那、在りし日の情景が掠めた脳裏。フォルクがアクラスと共に、幼少期の俺を鍛えて呉れた過去は、思い返せば蘇る。今の生き様に紐付いた過去は、決して忘れられるモノでは無かった。
「有象無象の前に臥す程、ヤワな鍛え方をした覚えはねえぞ」
憎たらしい笑顔から一転、快活に笑ったフォルクは鉄管に溜まった灰を床に撒いた。
「泣けるね」
「止めとけ止めとけ。ガラじゃねえよ」
苦虫を噛み潰した様に顔を歪めたフォルクは、俺を追い払う様に手の甲を揺らした。
然して、俺は黒く煤けた天井の木枠を眺めた。
「背中の荷物は軽いが、負ける気は毛頭ないさ」
吐き捨てた俺の台詞に、フォルクは嫌らしい微笑を浮かべた儘、「それで良い」と肯定した。
「戦闘に慣れる貴重な機会だ。外のクソ共との対敵を見据えて、ひとつひとつ大切に、冷静に戦う術を掴んで来い」
然して、フォルクは鉄管に枯れ草を詰める様子を眺めた儘、俺は立ち上がった。
「なんだ。もう行くのか?もう少し、ジジイの戯言に付き合えよ」
フォルクは鉄管を掲げて俺を引き止める。然し、俺は首を横に振った。
「悪いな。薬屋にも用事が在るんだ」
衣服に付いた埃を払って、此の閉鎖的な空間から抜け出す唯一の出入り口の扉を掴んで振り返った先には、これまた嫌らしい微笑を湛えたフォルクの姿が在った。
「カノンとの逢瀬か。そりゃジジイの戯言より万倍も大事だ」
「からかって呉れるな爺さん。そんな間柄では無い事は、あんたも知っているだろう」
一笑に伏す俺に対して、フォルクは大きな口を開けて笑った。
「さあて、それはどうかな」
何事か悟った様に、フォルクは達観した表情を浮かべた儘、燻した鉄管を咥えた。
「人生ってのは、戦いの連続だ。楽しめる戦いは楽しめよ」
煙たい室内に吐き出す白煙が、フォルクの顔を覆い隠した。
「戦う気の無い負け戦は好かんな」
「そう言うな、若いの。感情に依らん戦だろうが、感情は後から付いて来る」
多量の白煙を吐き出して、燃え滓を量産するフォルクは、上天を仰ぎ見て呟いた。
「そう言うものか」
「そう言うもんだ。何事も経験を熟す事が大事なのさ」
彼の言葉を噛み砕く力が足りない俺自身、人生経験が不足している事は間違い無い。上天を仰ぐ彼を見据えて、俺は溜息を吐いた。
「爺さんの有難い言葉だ。覚えておくさ」
「そうだ。ジジイの言葉は良く効くぞ」
高々と笑う爺さんの戯言を背に、俺は鉄扉を押し開いた。
「また来るよ」
斯くして、俺に向けて鉄管を掲げたフォルクは重たい鉄扉の裏に消えた。
初っ端から余談ですが、地元のENEOSのハイオク価格が170円を超えました。
登場人物が増えて来たので、キャラクター各位の生活模様を追い掛ける事が厳しくなって来ました。
勝手に動かないで欲しいのですが、彼等は自由ですね。