第四話 -二本の杭-
本話、9,000字を超えました。
若干ですが、詰め込み過ぎたかも知れません。
基礎講習を終えて、場所は生徒用収納箱の前。入校者講習の修了試験が終わって間も無くの時期は、模擬戦闘訓練まで比較的に暇な時間が続く。次回に選択する重要な学科講習の自由受講期間だが、俺たち三人は模擬戦闘訓練で結果を残せた場合、学科講習の選択の幅が一気に広がる。昨日の一件を受けた俺自身、第三等級魔法の学科講習を受ける予定は露と消えた。
無論の事、仮に模擬戦闘訓練で結果が残せなかった場合に備えて、第三等級攻撃魔法の見学と体験講習には出向くが、逸る感情を掛ける天秤の片一方に据える代物が第三等級攻撃魔法の学科講習では、如何にも吊り合わない。模擬戦闘訓練で結果を残す以外の選択肢は、俺には見出せなかった。
「シャル。ミラ」
「なに?」
アルスに名を呼ばれて、俺とシャルは脇を見据えた。
「今日の弁当、生肉なんだぜ!」
「馬鹿なの?」
シャルの言葉が如実に示している様に、アルスに名前を呼ばれた時は、大抵は碌な事が無い。
生徒用収納箱の前で、アルスは弁当の風呂敷を開いて弁当の中身を見せ付ける。分厚い生肉が張り付いた弁当を見据えて、俺もシャルと同様の感想を抱いた。
「何処で焼く気なんだ」
「第二庭園なら人気も少ないし、いけるんじゃね?」
生肉の入った弁当箱を掲げた儘、適当な事を呟くアルスを一見して、俺は収納箱にメモと筆記具を仕舞い込んだ。
此処から程近い場所に存在する第二庭園は、本学の数多ある庭園の中で、最も人気の少ない庭園だ。当該庭園で、堂々と薪を持ち込んで焼肉を楽しむ輩も居る。
恐らくは、咎められないだろうが……。
「歩く恥」
「自覚はある」
俺の心の代弁者シャルの冷徹無比な言葉が、弁当の生肉を貫いてアルスの心に突き刺さった。
「朝寝坊したんだ。仕方ねえだろ」
悲壮感の漂う表情で、アルスは弁当の生肉と見詰め合った。
然して、シャルはアルスの腕を小突いた。
「アルスが悪いんだよ」
「それはまあ置いておいて」
先程も見た応酬を耳に、俺は自前の弁当を取り出して収納箱を閉じた。
然して、背後に感じた違和感。雑踏の随に鳴り響く革靴の音に掻き立てられる心の警鐘に従って、俺は剣戟に手を据えた。
「おい」
然し、続く刺激は人の声音だった。
それは、間違い無く俺に差し向けられた呼び声だろう。俺は背後を見返して、剣戟に据えた手を離した。
「お前がミラか?」
「そうだ」
呼び声の主人は、鋭い眼光が映える容姿端麗な男だった。異彩の放つ武具を身に纏った男は、背後に侍らせる数人の女と合わせて俺を睨め付ける。
「入校者講習の修了試験で、フィールドに大穴を開けた奴が居るとの噂を聞いた」
男は獲物を穿つ眼光を放って、装飾過多な武具に覆われた腕を組んで語る。
「お前か?」
重厚感の在る声音で威圧する男の顔を、俺は知らない。だが、出会って間も無いが、だいぶ気に入られていない事は理解した。
「アリステリアだ……」
「ミラの奴、目を付けられたな……」
周囲の雑踏は消えて、有象無象の喧騒が耳に触れる。顰めた声さえ俺の脳は噛み砕く。
アルスが俺の背後で、「やべえ奴だ」と呟くが、だいぶ声量が大きい。然も当然の如く、眼前の男はアルスを睨み付けた。
「質問に答えろ」
鋭い眼光と言い、高圧的な口調と言い、自信に満ち溢れた内懐が見て取れる。然し、同時に満ち溢れた自身に孕んだ脆弱な側面も顔を覗かせていた。
「お前の探し人は知らんが、競技場に大穴を開けたのは俺だ」
「ほう。怖気の欠片も無いと見える」
不敵な微笑を湛えた男は、一歩前へ寄る。
「この学校で、私の名を知らない人間は居ないだろう」
「俺は、お前を知らんがな」
俺の正直な言葉を聞いて、男の表情は歪んだ。余程、自分自身の名声に自信が在ったと窺える。
「私の名前を知らないのか?」
「初見で名を語らん奴の名前など知らん」
礼儀を知らない不遜な人間に、碌な奴は居ない。斯く言う俺も礼節を重んじる質では無いが、故に自分自身が碌でも無い自覚は在る。然れば、結果の伴わない名声を掲げて自慢気に語る等、俺には出来ない芸当だった。
言って仕舞えば、自己顕示欲や自己承認欲求が満たされていない証左に過ぎない。此の手の輩は、相手に取って都合の良い話以外は滅多に通じない。無駄に遣う気苦労は、殊更に不要だ。
焦った様子の男は、言葉にならない脳裏を纏める様に両手を動かす。然して、取り繕った冷徹な表情で俺を見据えた。
「まあ、現実を知らない人間は居るからな。この私を見て、砕けた口調で話した学徒など、お前くらいのものだ」
「光栄な話だ」
俺の皮肉を込めた言葉を気に留める様子も無く、男は胸を張った。
「アリステリア。エクセリア魔力学校で、神童と畏れられる男だ」
先程から自分自身の器が小さい事を主張してばかりの男は、酷く威張り散らした様子で、下等生物を見るかの様な視線を呉れていた。
周囲の反応や口調、侍らせた女の様子を見た所、此処に来て長いのだろう。詰まる話、俺より魔力を扱う経験は豊富な訳だ。加えて、此の溢れる自信の拠り所に相応しい地力は持ち合わせているのかも知れない。
「お前」
「ミラだ」
「お前は、お前で十分だ」
不敵な微笑を浮かべた男の言葉に合わせて、背後の女連中は笑う。然して、男は俺に人差し指を突き向けた。
「今度の模擬戦闘訓練に参加するらしいな」
「まあ、そのつもりだ」
俺は弁当箱を掴み直して、空いた手で袖に付いた綿毛の様な埃を摘んだ。対するアリステリアは、俺に突き付けていた指で手前を指した。
「私も参加する」
「おめでとう」
摘んだ埃を丸めて、俺はアリステリアに向けて弾いた。
「……良い度胸だな」
「どうも」
アリステリアの引き攣った表情を見据えて、俺は謝辞を述べた。
斯くして、騒然たる様相を見せる周囲の雰囲気に合わせて、アリステリアは、「決めたぞ」と呟いた。
「その度胸に敬意を表して、お前に現実を見せ付けて呉れる!」
然して、アリステリアは俺の背後に居る二人に視線を向けた。
「お前ら三人が、模擬戦闘訓練の参加メンバーだな」
跳ねる身体をアルスの背後に寄せて、小さく頷いたシャル。当のアルスは、「そうだが」と肯定した。
その様子を見据えて、アリステリアは高々と嘲笑の入り混じった笑い声を上げた。当人の背後の女連中も然り。
「随分と気弱な連中が揃ってるな。お前」
俺を指差して、無駄に気に触る声音で笑うアリステリアを見据えて、思う事は幾つか在った。
然し、売られた喧嘩に買い言葉。それなりの力量を持っている人間同士ならば、模擬戦闘訓練に参加する時点で戦う運命に在るのだ。
「模擬戦闘訓練で、お前ら三人を潰す。俺に高慢な態度を取った今を後悔させてやる!」
大層なアリステリアの宣言に追従して、一部の観衆が湧いた。
黄色い声援と煽り立てる声音。響めく周囲に居る同期連中は、顰めた声で何事か会話を交わす。然し、沸く観衆の中でも、覚えの在る同期連中はアリステリアの宣言に熱を帯びた様子は見受けられなかった。
幾筋かの可能性に思い至るが、彼らは決してアリステリアの肩を持っている訳では無いと、俺は理解した。
「ひとつ、聞いても良いか」
「いいだろう」
腕を組んで、高揚する気分を抑えられない様子のアリステリアの褐色の双眸に見透かす心に宿る深淵は、一体どんな色を映すのか。
俺は、純粋な好奇と微かな希望に縋って口を開いた。
「アリステリアは、何の為に此処に居る?」
「……は?」
呆気に取られたかの様な表情を貼り付けて、アリステリアは疑問符を口に出す。
「何故、お前は魔族討伐を専攻する此処に来たのか」
再度、俺は問い掛ける。アリステリアの目を見据えて、真摯な目を差し向けて、俺は問い掛けた。
何も知らない普通の人間として生きるのであれば、魔力学校に通う必要も無い。就きたい職の専門校に行って、専門の魔法を身に付ければ良い。極めて魔力に頼らない生き方も在る。その選択肢を捨てて、アリステリアはエクセリア魔力学校へ来た。
それは何故か。確かな理由が在るのか。俺は、純粋に知りたかったのだ。
然し、アリステリアは笑った。叫声とも取れる声音で笑った。
「何を聞くかと思えば、そんなこと……」
俺に再び指を突き付けて、「決まっているだろう」と、アリステリアは叫んだ。
「ここには魔族討伐を目標に掲げた人間が集まるのだろう?つまり、腕に自信が在る人間が集まり、量産されていく訳だ」
アルカディア公国中に幾つか存在する魔力学校の中で、格段に日々の講習内容や修了試験が厳しいと言われるエクセリア魔力学校だ。魔族との会敵を見据えた魔力の成形方法を学ぶ此処に集う人間は、アルカディア公国の精鋭と言われる所以だ。それは、俺自身も理解している。
然して、アリステリアは拳を握り締めた。
「俺は、俺より強い人間を駆逐する!俺が、エクセリア魔力学校で最強だと謳う為に!」
「そうか」
もう十分だった。
アリステリアの内懐に秘めた信条は知れた。
「待て!何処へ行く⁉︎」
「メシ」
「メシだと⁉︎」
メシだよ。メシを知らんのか。何に驚いているのか分からないが、お前もメシくらい食うだろう。
俺はアリステリアから顔を背けて、第二庭園へ続く道中を征く。
「模擬戦闘訓練で、お前が地に伏す姿が目に浮かぶぜ!」
背を叩くアリステリアの叫声は、雑踏の間隙を縫って此処まで届く。徐々に離れて行く雑踏と喧騒を耳に、俺たち三人は第二庭園へ向かって歩を進める。
「アリステリアか……」
「あいつ。あんな調子だが、相当な腕前らしいぜ」
呟いた俺の言葉に、アルスは冷めた表情で返す。シャルも彼の事は知っていたのだろう。囁く様な声で、「裕福な家庭みたい」と呟いた。
「だから、あんな御大層な武具を持っているのか」
アルカディア公国の最高級武具を取り扱っている店の品だろう。同種の武具を店頭で見た事は在った。
「だが、奴も所詮は人間だろう?」
「まあ、人間だな」
上天を仰ぐアルスは、「当然だ」と付け加えた。
「ならば勝てる」
然して、俺は頷いた。
相手が人外や魔族ならば、相手の乗った方に分の天秤は傾くのだろう。だが、相手が人間ならば話は別だ。人間を相手に、負ける気は毛頭ない。
「心強いねえ」
快活に笑うアルスと、微笑んで此方を見上げるシャルを一瞥して、俺たち三人は第二庭園の入り口を抜けた。
「ミラ!」
唐突に俺の鼓膜を叩いた声音。それは、か細い女の声だった。
見返した先に居たのは、先刻の講習中に見た顔だった。
「君は……モニカだっけ?」
「はい!」
今日の基礎講習中に、ソフィアに魔族についての質問を投げ掛けていた生徒だった。
その背後で、モニカの取り巻き二人がモニカの背を押した儘、此方を見据えていた。
「あの……」
胸元に手を当てて俯いているモニカを見据えて、俺はモニカの言葉を待つ。荒ぶ涼風が時の無常を語る刹那、モニカの撫子色の長い髪は畝った。
「ミラ。模擬戦闘訓練に出るんだよね?」
「さっきの話、聞いていたのか」
モニカの問いに問いで返した俺の言葉に、モニカは頷いた。
「アリステリアに目を付けられてたから……」
やはり有名なのだろうな。あの男は……。
所々で言い淀むモニカの言葉を待つ暇、彼女は勢い良く顔を擡げて口を開いた。
「私は、ミラを応援してるから!」
目を強く瞑って絞り出す様に叫んだモニカの言葉を俺の脳が噛み砕く前に、モニカは此方に背を向けて走り出していた。
然して、残された取り巻き二人は、「あーあ」と呟いて、切れ長の目で俺を捉えた。
「私たちも応援してるよ」
「あんな短小に負けんな!」
モニカとは相反する長身の二人は激励の言葉を投げて、細い体躯を翻した。片一方の子は、果たして激励なのか否か判断できない部分は在るが、応援の言葉には相違ないのだろう。
そうか。奴は短小なのか。
等間隔に白柱の立ち並んだ第二庭園の出入り口を潜って、暗い廊下に徐々に消え行く背を眺めて、俺は呆然と立ち尽くしていた。
「追い駆けて抱き締めてキスでもして来いよ」
「たわけ」
俺の隣に並んだアルスは、俺の肩に腕を据えて嫌らしい微笑を浮かべていた。
「ミラ。人気ですね」
「激励の言葉は嬉しいが……」
反応に困るのも事実だ。時折、面と向かって激励の言葉を呉れる生徒は居るが、その度に対応に困窮している自分が居た。
「まあ。朴念仁な所を除けば、良く出来た男だしな」
「ほっとけ。後、生肉を近付けるな」
鼻腔に付く生臭い臭気を振り払って、俺は第二庭園の中央に向かって歩を進めた。
朴念仁だと?貴様に言われたく無いわ。
俺の背後でシャルに生肉の突き付けるアルスと、魔道書を振り上げるシャルの喧々囂々たる応酬を耳に、俺は溜息を吐いた。
斯くして、場所は第二庭園の噴水前。モチーフが掴めない女神像の前で、俺たち三人は各々の弁当を囲んで腰を下ろした。
「女神の御前で生肉を広げて、バチが当たっても知らんぞ」
「神様だって肉くらい焼いて食うさ」
胡座を掛いて座り込んだアルスは、開いた儘の弁当箱を地面に据えて、生肉を指先で摘んだ。然して、手頃な石畳に散った小石を払って、生肉を叩き付ける様に据え置いた。
「きたないよ」
「仕方が無いだろ。肉刺し棒を持って来るの忘れたんだ」
シャルの冷静な感想を意に介する素振り無く、アルスは生肉に五本の指先を差し向けて迸る電流を放つ。
「……電流で肉を焼くのか?」
「火焔系統の魔法を習得していないんだ。勝手が分からない」
耳障りな甲高い音を響かせて、肉は点々と焦げ目を付ける。然し、肉全体が満遍なく焼ける気配は一向に見受けられない。
「気が遠いね」
シャルは柔和に微笑んで、自前の弁当箱を開いた。
「お。今日も美味そうな……」
「あげないよ」
弁当箱を手前に引いて、冷ややかな視線をアルスに向けるシャル。当のアルスは、意気消沈した様子で生肉に向き直った。
見飽きた応酬を眺めた儘、俺は解いた風呂敷から取り出した弁当箱を開く。今日は、馴染みの旧友から貰ったパンを四切れ入れて来た。
「ミラの弁当は……まあ美味そうだな」
「気を使って呉れんで良いぞ、生肉野郎」
アルスは迸る電流を自在に動かした儘、「誰が生肉野郎か」と騒ぐが、俺は一笑に付す。
奴が呉れるパンの味を知らんとは、不幸な男だ。
「ミラ。今日もパンだけなのですか?」
穀類の煮物を箸で摘んで、シャルは俺の弁当を覗き見る。然して、俺は手前の弁当箱に並べられたパンを掴んだ。
「今日は肉も焼いたが、不思議な事に炭と化した」
「ああ。いつもの奴な」
胡座を掛いて、アルスは空いた手で生肉を扇ぐ。
弁当に生肉を入れて来る野郎に煽られるのは納得がいかんな。だが、料理が苦手なのは事実だ。下手に文句は言えん。
炭ならば簡単に作れるのだが……。
「ミラ」
「なんだ」
旧友から貰ったパンを頬張った儘、不承不承ながら見遣った先に居たアルスは、点々と焦げ目の付いた半生肉を指差して仏頂面を浮かべていた。
「これ。焼いてくれ」
「……電流で焼けば良いだろう」
「結果、このザマよ」
良く良く見れば、焦げ目に入り混じって、半生肉を穿つ穴が散見された。
「このままじゃ、肉は消えて魔力が枯渇する」
お前ならば、そう簡単には魔力は枯渇しないだろうが……。
「まあ、良いか」
気は進まないが、俺は石畳に張り付いた半生肉に手を翳した。
統率する意識の儘に伝播する魔力の鼓動を感じて、俺は脳裏に渦巻く火焔を描いた。
然して、視界を染める紅の焔は燃え盛る。
「女神の御前で肉を焼く羽目になるとはな……」
渦巻く焔は、生肉の存在を紅に覆い隠した。
「創造主の産物を創造主が与えた恩寵で美味しく頂くのだ。文句を言われる筋合いは無いぜ」
知識の源泉が掴めないアルスの語彙は、人気の芝居の影響だろうな。
「ミラ。少し、焦げ臭いのですが……」
「お?」
シャルの焦った表情を一瞥して、俺は魔力の統率を断つ。俺の意識は焔の成形を止めた。
然して、眼前に在った筈の生肉の面影は無く、深淵の闇を宿した暗黒の物体が屍を晒していた。
「おお。創造主の産物が創造主が与えた恩寵で消し炭と化した」
「ミラ、てめえ!なんてことを!」
先程まで此処に在った肉の残滓を掬い取って、腕を震えさせた儘、アルスは俺を睨んだ。
「すまん。だが、料理は苦手と言った筈だ」
「分厚い生肉を消し炭に変える程とは思わなかったぜ!」
消し炭に鼻先を近付けて、「微かな肉の香り」と呟いたアルスを見て、謝意が湧き上がらない理由は無かった。
「アルス。これ、あげるよ……」
然して、憐れみの視線をアルスに差し向けるシャルは弁当箱から箸で煮物を摘んで、アルスの手元に差し出した。
「あ、ありがてえ……!」
アルスは感激の意を示して、自分の掌を見据えた。
其処には、塵芥と化して尚も居座る消し炭の黒。アルスは暫く沈黙した後に、煮物を摘んだ儘のシャルを見据えた。
「箸も無ければ、手は空いてない」
「消し炭、捨てれば良いのに……」
シャルの正論に対して、「いやいや」と、アルスは首を振った。
「創造主の恩寵を容易く捨てるのはバチ当たりってもんだ」
アルスの取って付けた様な理由に対して思う事は在ったが、俺は口を噤んだ。此処で水を差すのは野暮だ。
「……いいけどさ」
頬に朱を差したシャルは、帽子を目深に被り直した。
然して、消し炭を手に携えた儘、口を大きく開いたアルスの口元にシャルは箸を運んだ。一瞬の逡巡の末に、アルスの口に放り込まれた煮物の最期を見届けた俺は、手前のパンを口に放り込んだ。
「うむ。美味なり!」
アルスは深く味わう様に食んで、煮物の味を讃える。シャルも満更では無い様子で、「よかった」と、柔和に微笑んだ。
残った一切れのパンを掴んで、無心で頬張る暇、ふと俺の脳裏を過った薬屋の娘の姿。俺の良心の在り処は、彼女の弛まぬ信条に依る所が在った。
近々、講習用の薬草も切れる。補充がてら、様子でも伺って来ようか。
選り取り見取りの料理を指して、シャルの手料理を強請るアルスを横目に、俺は休日の予定を思い描いた。
「時に、ミラよ」
「なんだ」
唐突に何事か思い出したかの様に、アルスは地面を指差した。
「その剣、いつもの奴と違くね?」
俺は剣戟を一瞥して、「ああ」と、無意識に声を漏らした。
「いつもの剣戟は、馴染みの武具屋に預けてある」
武具屋の主人の顔を思い浮かべた儘、「修繕中でな」と一言、俺は剣戟を手に取った。
幼少期の頃から世話になっている武具屋の主人が居る。修了試験の前に、痛んだ剣戟の修繕を依頼したのだが、暫く音沙汰が無く、休日に進捗の確認に出向く予定だった。
アルスは料理を咀嚼しながら、「ほーん?」と、妙な返事を返した。
「じゃあ、何かい。その武具は、新しい武具じゃないのか」
「俺が幼少の頃に使っていた剣戟だ。身体に合わんが、致し方ない」
鞘が色の褪せる程に使い込んだ結果、すっかり愛着が湧いて仕舞った。大して嵩張る物では無い故、自室に保管しておいた代物だが、現用の剣戟を修繕に出した時の代用として使っていた。
「随分と使い込んでありますね」
シャルは俺の剣戟に手を這わせて、「重そう」と、小さく呟いた。
「持ってみるか?」
俺は片手の上に剣戟を乗せて、シャルに向けて差し出した。
「良いのですか?」
「構わん」
他者に剣戟を持たせた経験は無かったが、特に理由が在った訳では無い。貸さない理由も貸す理由も無かった。
剣戟を見据えて、「じゃあ」と呟いたシャルは、剣戟を両手で掴んだ。
「え?」
然し、剣戟は一向に持ち上がる気配を見せない。俺の両手に掛かる負担も減らない。
「何してんだよ、シャル」
「持ち上がらない……」
驚嘆に目を見開いたシャルは、身体を揺らして腕に力を込める。然し、シャルの身体は前にのめるが、剣戟は動かない。
「まあ、シャルは非力だからな」
余計な一言が聞こえた刹那、アルス曰く非力なシャルは疾風迅雷の如く魔道書を掴んで、アルスの脳天を叩き抜いた。目に止まらぬ一撃に為す術も無いアルスは、無様な屍を晒して石畳に沈んだ。
「ミラ。何か細工してますか……?」
「いや。掌に置いただけだ」
無駄な細工はしていないとは言え、シャルには難しいのかも知れない。アルスならば、或いは……。
「じゃあ、俺の番だな!」
頭を押さえた儘、意気揚々と剣戟を掴んだアルスは、自信の窺える笑顔を浮かべた。
然し、その笑顔は徐々に消え失せる。
「……ちょっと待てよ」
シャルは卑俗な微笑を浮かべた儘、「どうしたの?」と、アルスを煽る。然して、「まあ準備運動は大事だよな」と呟いたアルスは、動揺を隠せない様子だ。
頭を押さえていた片手も剣戟に据えて、アルスは両手で剣戟を握り締める。挙げ句の果て、勢い良く立ち上がったアルスは俺の眼前で姿勢を整えた。
「おらあッ!」
第二庭園に響き渡る叫声に追従して、遂に剣戟は俺の掌を離れる。然し、アルスが耐え切れず手放した剣戟は自由落下し、再び俺の掌に乗った。
「何だコイツは!」
「ウォルフラムを主原料に鋳造した剣戟に、特殊な加工素材を組み込んである。良く持てたな」
鞘から顔を出した剣を収めて、俺は剣戟を手前の脇に据え置いた。
地に倒れ込んで息を整えるアルスは、「有り得ねえ」と、蒼穹を仰いだ。
「お前、コレを子供の頃に振り回していたのか……?」
「元より、身体能力には自信が在ったからな」
食べ掛けのパンを口に放り込んで、俺は弁当箱を閉じた。
然して、魔道書に視線を落としていたシャルは、ゆっくり頭を擡げた。
「物理攻撃と魔力攻撃の両方を許可された理由、いま理解しました……」
実際の所、物理攻撃に特化した人間など殆ど居ない。正確には、魔族に対応できる身体能力を持った人間など殆ど居ない。当たり前の話だ。俺たち人間は、飽くまでも人間なのだから……。
「お前、もしかして防具も……」
言葉尻を窄めたアルスの言葉を耳に、俺は思考を断ち切って、自分自身の防具に手を触れる。
「剣戟と同様の組成だが、防具に関しては自重の増加の為に重量を増している」
「ああ、生身では剣戟に振り回されちまうのか」
息を整えるアルスは、「成る程」と呟いて、蒼天を睨め付けた儘、小さく頷いた。
魔力を成形して自重を増しても良いのだが、交戦中に自分自身を拘束する為に魔力の統率を図るのは、決して得策では無かろう。元々は、身体能力を向上させる為に鋳造した超重量級の剣戟だが、何時の間にか重たい剣戟と防具に慣れて仕舞った。
遠征討伐に出掛ける際には、会敵する相手が人智を遥かに超えた身体能力を誇る魔族である事を考えれば、軽量級の剣戟の方が良いのかも知れない。だが、障壁や防具を纏った魔族が居ないとも限らない。
俺が思索に耽る暇、視界の端に寝転がるアルスの目は閉じて、闇の深淵を漂う意識は無に寄り添う。シャルも朗らかな陽気に誘われて、すっかり寝惚け眼だ。
まあ、知見の足りない頭で思索に耽っても良い事は無い。魔族との武具の相性については、以後の講習や実戦を踏まえて良く良く練ろう。直様に、魔族と拳を交える訳では無い。今は、超重量級の武具を十二分以上に使い熟せる様に修練を積めば良い。
然して、見上げた蒼穹は久遠なる時間に揺蕩う俺たち三人を包み込む様に上天を覆っていた。
いや。無限の時間の渓流に揺蕩う、有限に縛られた矮小な人間を嘲笑う様に見下していた。
俺の横で惰眠を貪る両名も、此処に居る俺も、有限に在る瞬間に時の束縛から逃れる術は無い。人は、此の世から消える時に、延々と流れる時の渓流から解放される。即ち”死”だ。無に繋がる"死"が、時と人間を否応なく別つ。その事実を、俺は弁えている。
故に、俺は野心を抱いた。
事を成さんと足掻く気力を宿した。
最後の最後まで粘る意志を持った。
父親の有限を切り捨てた魔族を根刮ぎ滅する事を誓った。
俺が持つ有限の命を散らす瞬間は、最後の最後まで生に縋り付いた末に掴み取りたいのだ。
然し、俺の今際に紅赤の花を手向けるのは、腐れた魔族に非ず。下衆な奴等に可憐な花は相応しく無い。俺が奴等に徒花を手向け、在りし日の父親が願った平和に看取られて、俺は今生に咲いた花を散らすのだ。
そうだ。俺は、必ず成し遂げる。此の世に巣食う諸悪の根源を、必ず葬り去る。仮令、如何程に力量差が在る相手でも、滅ぼし尽くして呉れる。
「……」
昂る感情とは裏腹に、昼寝に興じる両者が醸す雰囲気に絆された俺は、学舎の敷地内に寝転がった。
俺の人生は、魔族討伐の為に在るのだ。その為ならば、どんな苦汁も嘗めて呉れる。
斯くして、俺は襲い来る睡魔に此の身を委ねた。
近々、ルビ振ります。