第三話 -基礎講習-
すみません。だいぶ空きました。
体調が不安定なので、療養を挟んで投稿しております。
修了試験が終わった翌日。エクセリア魔力学校での基本座学が入校者講習から継続して実施されていた。
「今日は、前回までの復習をしておきましょうか」
前期入校者の座学講習担当者であるソフィアが教壇に立つ此処に、俺の同期全員は揃っているが、その内で入校者講習の修了試験に合格した生徒は過半数未満と聞く。
入校者講習の合否に拘わらず、座学講習は当該年度に入校した生徒全員が同じ過程を受ける。此処、アルカディア公国の歴史や魔族の概念に関する知識は、魔法の獲得には大した影響が無い為と言うが、その真偽は不明だ。
「さて……」
教壇に立ったソフィアは、指を揮って黒板に文字を記して行く。ソフィアの意志に依って描かれる文字列は、ソフィアの意志が途切れる時まで黒板に残留する。
万物の代替を果たす魔力の便利な所だが、人の意思に依る魔力の不便な所だ。
講堂内で講習を受ける面々は、ソフィアが記す文字列を視線で追い掛ける。以前に聞いた内容の復習に飽きて仕舞い、すっかり上の空な人間も見受けられるが……。
「アルカディアの歴史について、復習しておきたい所ですが……」
早々に板書を終えたソフィアの曇った表情が此方に向いた。
俺は何事か分からない儘に周囲を見渡せば、影るソフィアの顔色の原因が卓上に転がっていた。
「アルス。起きろ」
顔を突っ伏した儘、温い暖気に揉まれて寝息を立てる阿呆の肩を、俺は揺らす。然し、此奴は起きない。訝し気な視線を差し向けるシャルも、俺を挟んで座るアルス目掛けて魔道書を振り上げた。
「ミラ、シャルちゃん。いいわ」
アルスを起こす為に奮闘する俺たち二人を制して、ソフィアは指先をアルスに差し向けた。
「ってえ!」
刹那の破裂音。叫んだアルスの身体は飛び上がり、腕に迸った紺碧の光がアルスの意識を呼び起こした。
アルスは電流の奔った腕を抑えて周囲を忙しなく見渡すが、やがて状況を理解した様子で大人しく姿勢を正した。
然して、講堂中の生徒たちの潜めた笑い声が講堂を包み込んだ。
「おはよう。アルス君」
「おはようございます。先生」
ソフィアは腕を組んで、畏怖の情念を掻き立てる笑顔を浮かべた儘、アルスを見据えた。
対して、努めて平静を装うアルスの滑稽な事よ。
俺は頬杖を突いて、高みの見物を決め込んだ。
「じゃあ、アルス君。アルカディア公国について習った事。三つ挙げて」
「はい」
威勢は良いアルスは、自前のメモを数頁めくって過去の講習の内容を追い掛ける。何時の内容を読んでいるのか分からんが、何度も頷いたアルスは顔を擡げた。
「アルカディア公国は、アルカディア総統府を中心に八つの区画に分かれています」
「はい。続けて」
再び頁を捲るアルス。一応は、板書のメモは取っているのだろう。
「過去には、魔力を持たない人間と魔力を持つ人間が共存していました」
「はい。もう一つ」
意識の写し鏡であるメモの上で踊る文字を追い掛けていたアルスは、酷く自信満々に口を開いた。
「総人口は一千万人です!」
然して、アルスはメモを閉じた。
「……少し引っ掛かりますが、まあ良いでしょう」
アルスに差し向けていた指を下ろして、ソフィアは講習室前方に据えられた黒板に向き直った。
「ご存知の通り、アルカディア公国はアルカディア総統府の統括下にある巨大な国家です」
ソフィアは黒板に描かれたアルカディア公国の略図を示す。描かれたアルカディア公国は、中央丘陵に聳えたアルカディア総統府から放射状に伸びた八本の主要道を境界として、八つの区画に分割されていた。
「内郭部の人口は約一千万人。外郭部の人口は不明ですが、約五百万人と言われています」
アルカディア公国の略図に、ソフィアは魔力障壁を境界として外郭と内郭に分離された二地域の人口を記す。俺たち生徒一同は、言葉なく略図を目で追った。
然して、ソフィアは此方を見返した。
「では、ミラ。外郭と内郭に分離されている理由は、どうして?」
「はい。魔力を保有する人間と魔力を保持しない人間を分け隔てる為です」
「その通り。良い回答ですね」
再び黒板に向き直ったソフィアは、二地域の人口の下に"魔力保持"と"魔力不保持"の文字列を書き加えた。
「何故、魔力の有無で居住区画に差別が生まれているのですか?シャルちゃんは一点目。アルス君が二点目を答えて」
ソフィアに指名されたシャルはメモを見る訳でも無く、正した姿勢を伸ばした。
「魔力を持たない人間は、魔力が生活の中心であるアルカディア公国への貢献の程度が低いとの認識が、総統府側に在る為です」
シャルは難なく答えて、ソフィアは満足気に頷く。然して、アルスはメモを慌ただしく捲った。
「あ。魔力を持つ人間と魔力を持たない人間との交配を防止する為です!」
「良いでしょう」
長い白緑色の髪を揺らして、ソフィアは腕を組んだ。
「アルカディア公国の内郭に居を構える人間は、みな魔力の生成能力を持っています」
先生の解説を合図に、一部の生徒は筆記具を手に取る。
「ですが、遥か過去にアルカディア公国の外郭に隔絶された人間には、魔力の生成能力が在りません」
斯く言うソフィアの話を聞いた当初は、内郭で生きる人間には俄には信じ難い内容だった。
「生活に密接に関わる魔力を保持しない人間が増える事を阻止する為……あまり好ましく無いと感じる人も多いですが、総統府は隔離令を敷きました」
「外郭で生きる人間は、どのような生活をしているのですか?」
間髪を置かず、前方の座席に座る生徒が質問を投げ掛けた。
それは、以前の授業では説明の無かった内容だった。
暫くの間、ソフィアは腕を組んだ儘、何事か思索に耽っていたが、「そうですね」と呟いたソフィアは、黒板に向き直った。
「外郭で生きる人間は、内郭の住人とは異なり、総統府からの援助が乏しい中で生活を営んでいます」
アルカディア公国の略図に、ソフィアは内郭と外郭を隔てる円弧を描く。
「知っての通り、アルカディア公国は魔族からの侵攻を阻止する為の魔力障壁が展開されています」
アルカディア公国中から選られた魔道士数十人に依る魔力障壁。巨大なアルカディア公国を防衛する要だ。
「然し、此の魔力障壁の有効範囲に外郭は含まれていません」
ソフィアはアルカディア略図に記された外郭を指して、「詰まり」と間を置いた。
「外郭の人間は、アルカディア総統府に殆ど見放された状態で、魔族侵攻の驚異に晒されて生きています」
日々、アルカディア公国の至る場所で頒布される広報資料に掲載されている魔族由来の死傷者数は、主に外郭の被害とは聞いていたが……。
内郭で生きる生徒諸君は、魔族に関する危機感を大して抱いていなかったのだろう。内郭が魔族に侵攻される事は無い。然し、有識者から聞かされた言葉を事実として噛み砕いた結果、講堂内の諸兄諸姉は響めいた。
「内郭に居る人間は、内郭に居る間は魔族の驚異から隔絶された安全が約束されていますが、外郭に生きる人間は、数少ない外郭衛兵の力と自分自身の運のみ頼りに生きているのです」
「外郭の人間が、魔族に対抗する事は出来ないんですか?」
再度、教壇前の座席に座る生徒の質問が飛んだ。詰まる話、魔力を持たない人間が魔族に抵抗する術が有るか否か。
「魔力を持たない人間が、魔族に対抗する事は不可能と言われています」
ソフィアの口から漏れた言葉は、訳も無く予想していた回答だった。
「モニカさん。魔族の特徴を挙げて下さい」
「はい。魔族は、高い身体能力と膨大な魔力を持っている存在です」
迷い無く答えたモニカの回答を受けて、小さく頷いたソフィアは、黒板の空いた箇所に魔族の模式図を書き記す。
「魔族の簡単な模式図を描きましたが、以前に説明した通り、此れは正確な模式図では在りません」
魔族の模式図と定義されている図が正確では無い。明確に矛盾しているのだが、魔族の性質を踏まえれば納得は出来た。
「魔族とは、存在の大半が魔力で構成されている種族です。魔力を身体の組織に整形させて身体を構築しています」
講習を受ける以前に学長から教えられていた事実だった。
自己の経験に基づく事実では無く、飽くまでも伝聞に過ぎないが、父を含めて偉大な二人が経験した事実として俺は信を置いていた。
黒板とメモを交互に睨め付けて、首を傾げるアルスを一瞥して、俺は再び黒板を眺めた。
「傾向的に、此の様な人型の構造を取る魔族は多いのですが、既存の身体に魔力を保持する人間とは性質が異なる魔族は、理論上は変幻自在です」
ソフィアは黒板を指して、魔族の模式図の横に、木と岩の簡易的な絵を描く。
「近年では、樹木や岩に限らず、人間に擬態する魔族も確認されています」
此方を向いたソフィアは、教卓に手を据えて身を乗り出した儘、口を開いた。
「再三の忠告です。人間の限界を超えた身体能力を生み出せる魔族を斃す事は、魔力を扱う我々でも容易な事では無いと理解して下さい」
当の魔族を討伐する任を負う可能性を秘めた俺たち生徒に言い聞かせる様に、ソフィアは告げる。
「それを踏まえた上で、魔力を持たない外郭の人間が、魔族に対抗できるか否か……」
ソフィアが指揮棒で指し示した先には、該当の質問を投げた生徒が居た。
当の生徒は僅かに逡巡の色を見せたが、やがて首を横に振った。
斯くして、俺は講堂側面を覆う硝子窓から差し込んだ光を追って、雄大な蒼穹を眺めた。
視界の遥か遠方に在る、魔族の侵攻を阻止し、外郭と内郭を隔てる魔力障壁の光彩を見据えて、俺は思索に耽る。
魔力の力量について、深く考えた事は無かった。
学長から教わった記憶は在るが、俺は唯々、魔族を掃討する未来を見据えて突っ走って来た。
その為の努力を怠った事は無い。然し、魔族とは如何程に人智の及ばぬ途方も無い存在か。斯く可能性を踏まえた上で、戦法や対策を練る必要が在るのかも知れない。
対人対物との訓練には自信が在るが、実戦では大して役に立たないのだろう。
「ミラ」
「ん?」
アルスとは反対側の隣席に座るシャルが俺の顔を覗き込んで、声を潜めて俺の名を呼んだ。
「いえ。惚けていたので……」
「ああ。ちょっとな」
別段、隠す様な話でも無いが、敢えて言う必要の在る話でも無い。
俺は教壇に立つソフィアを見据えて、所々が擦り切れたメモを捲った。
「皆さんは、何れは遠征討伐試験を受けるのでしょう。その際に、必ず守らなければならない事が在ります」
至極真面目な表情を浮かべたソフィアは、大きく息を吸い込んだ。
「先ほど、魔族は人間に擬態する場合が在ると言いましたね」
ソフィアの言葉に、講堂中の大半の生徒が頷いた。
俺もアルスもシャルも例外では無い。
「アルカディア公国の内郭を出た場合、人間に擬態している魔族と勇者、遠征訓練受験者を判別する手段が必要になります」
然して、ソフィアは指先を振って、黒板に”合言葉”と記した。
「外界で人間と遭遇した場合には、お互い合言葉を言い合って下さい」
講堂の至る所から、「合言葉?」と反復する声が聞こえる。幾度と無く広報資料に目を通していた俺は、該当の合言葉の存在は知っていた。
父も合言葉を記しておく為のメモを持っていたと聞く。
「総督府の広報資料に対の合言葉が掲載されています。アルカディア公国の関所にも掲載されているので、外界で人間に出会った場合には、対となる合言葉を言い合って下さい」
成る程。内郭の人間しか知り得ない合言葉か。
合点がいった様に、口々に納得の意を示す諸兄諸姉。
「合言葉の期限は二ヶ月。一ヶ月毎に更新されますが、ひとつ前の合言葉は有効です」
長期遠征を踏まえた対応だろう。短期間で合言葉を変えて仕舞っては、出会った長期遠征者と必ず拳を交える羽目になる。
俺は、自前のメモ帳に”月一更新の合言葉を忘れない”と記した。
「もし、相手が合言葉を言えない場合には……」
斯くして、ソフィアは言葉を区切った。
唐突に空間を包み込んだ静寂が鼓膜を叩く暇、ソフィアの溜めた言葉は堰を切って飛び出した。
「遠慮なく斃して構いません。若しくは、必死に逃げて構いません。仮令、斃した相手が合言葉を忘れた人間だったとしても、外界に於いては罪に問われません」
陽の光を浴びて煌めいた講堂内に漂う埃が揺れる。静寂は時の経過さえ靄に隠して、生徒諸君の息を止めた。
人間さえ斃しても許される環境。人間に斃されても文句の言えない環境。人間さえ強敵となり得る環境。此処に居る諸兄諸姉は、そんな暗々たる闇が漂う深淵に望んで落ちて行くのだ。
俺は、在りし日の学長が呟いた言葉を思い出した。
—深淵に落ちる前は、幾らでも引き返せる。だが、一度でも深淵に落ちて仕舞えば、何も知らぬ人間に戻る事は難しい。
俺は構わない。その覚悟で此処に居る。行く手を阻む壁は、乗り越えるか粉微塵に蹴散らす覚悟だ。今更、臆する理由には足り得ない。
アルスとシャルは如何だろうな。その覚悟が在って、此処に居るのか。
左右に座る二人の表情を交互に見据えれば、成る程。流石の二人だった。
不安の入り混じった表情を浮かべた生徒に囲まれて、端正な二人の覇気に満ちた表情が目に留まった。
窓辺から入り込んだ陽光を浴びて煌めくシャルとアルスの双眸に、俺は確かな覚悟を見た。
「思う事は在ると思います」
間を置いて、ソフィアは言った。
「ですが、人類の繁栄を阻む巨悪の根源である魔族を掃討して仕舞えば、須らく平和は訪れます」
然して、ソフィアは講習名簿を閉じた。
「ミラ。本日の締めの問題」
唐突に向いた矛先を躱す暇は無く、俺は咄嗟に「はい」と答えた。
「魔族を斃す為に必要な事は?」
閉じた講習名簿に手を突いて、ソフィアは俺に問い掛けた。
魔族と会敵した時に、意識しなければならない最重要事項。魔族の唯一の弱点を思い浮かべて、俺は姿勢を正した。
「各個の魔族を構成する魔力の根源である核を破損させる事です」
肯定の意を示す様にソフィアは頷いて、「いいですか」と生徒諸君に語り掛けた。
「此れは、魔族討伐を生業に生きる未来に於いては、絶対必須な技です。良く覚えておいて下さい」
揺れたソフィアの指は、再び黒板に文字を描く。
「言うなれば、核とは魔族の本体です」
魔族の略図の人間で言う心臓部に、ソフィアは小さな円弧を描いた。
「魔族の身体は、魔力を変質させて構成されている事は、先ほど説明した通りです」
直立不動の樹木や岩を構成する物質に、魔力を変性させて人間を欺く魔族。人間には極めて難しい芸当を熟す魔族は、魔力の量も習熟度も人間のソレとは比較にならないのだろう。
「魔族の身体にダメージを与えた所で、魔力の根源である核を破壊しなければ無意味。即座に傷は修復し、切断された部位も再生します」
斯く言うソフィアは、果たして過去に請け負った魔族討伐の任で、苦い経験を踏んだのだろうか。
彼女の苦虫を噛み潰した様な表情を見ていれば、そうと思い至る所以には事足りた。
「更に、魔族の核の位置は魔族毎に異なる為、広範囲に影響を与える範囲系攻撃魔法以外で斃す為には、熟練の技と勘が必要になります」
広範囲に影響を及ぼす攻撃魔法。俺が入校者講習の修了試験で用いた魔法が該当するのだろう。
然して、ソフィアは講習者名簿を手に取って胸元に抱えた。
「魔族を討伐する為には、魔族の核を破壊する。今後の実技講習では、魔族の核を意識した実技が大半を占めますので、十分に理解しておいて下さい」
ソフィアの言葉が講堂に響いた刹那、生徒一同は各々に帰り仕度を始めた。
響めく講堂で、俺たち三人もメモ類を閉じて卓上に据え置いた。
「では、本日は以上。明日は、生活魔法について実技を含めて講習を行いますので、基礎実技講習室に集合して下さい」
喧騒を貫く声量で告げたソフィアの声音に追従して、黒板の文字列や略図は消え失せた。
講習名簿を抱えて講堂を去り行くソフィアの背を見据えた儘、俺は大きく背筋を伸ばした。
「まだ腕が痛いんだが……」
唐突に呟いたアルスは、酷く疲労困憊の様子。一閃の電流を浴びた腕を抑えてソフィアの背を睨め付けていた。
「アルスが悪いんだよ」
「それはまあ置いておいて」
都合の悪い事は、直ぐに余所に放り投げる。都合の良い性格だ。
斯くして空蝉の影が徐々に消えて行く講堂で、俺たち三人は自分の調子を保って仕度を終えた。
「行くか」
「そうだね」
俺が席を立った瞬間に、二人も立ち上がる。卓上に私物が無いか確認した後に、俺たち三人は若干数の人が残る講堂を後にした。
アルカディア公国は円形の敷地に、居住区画が密集した構造を取っています。
日本国土の十分の一程度の敷地に、居住区画や農林地帯、丘陵等が存在しています。
-閑話休題-
魔法が使えるのならば、何の為に使いたいですかね。
私は素直に、気に食わない物を灰燼と帰す為に使いたいですね。