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第一話 -修了試験-

 けたたましい歓声に溢れたエクセリア魔術学校の競技場。円弧を描いたフィールドを取り囲む観客席は満場と見受けられた。


『受験番号七十三番。ミラ・アルベルト』


 競技場に響いた俺の名に合わせて、客席の有象無象の声音は殊更に激しく競技場を揺り動かした。

 歓声の間隙を縫って、競技場の中央を見据えて一歩一歩を踏み締める。


『試験内容は、炎撃魔法を用いた対象目標の破壊。等級を問わず、一度の口頭詠唱で撃破して下さい』


 本課程の修了試験は、習得対象の炎撃魔法が十分に獲得されているかの確認が主だ。炎撃魔法で三個の土嚢を破壊し、技術点を評価する。試験の評価者は、エクセリア魔法学校の御偉方と教習担当者を合わせた三人だ。

 競技場の中央手前に引かれた詠唱線を踏み込んだ瞬間から、場内の喧騒は徐々に鳴りを潜めた。


『では、任意のタイミングで試験を開始して下さい』


 静寂に鳴り響いたアナウンスは、試験開始の号令と理解する。行く道に聳える壁は、乗り越えて尚、破壊して蹴散らす覚悟で此処に来た。

 剣戟を握り締めた手に目一杯の力を込めて、俺は力一杯に引き抜いた。

 此処で立ち止まっている時間など無い。亡き父の意志を継いで、亡き父が受けた雪辱を代わって果たす。魔族掃討に係る久遠なる旅路の通過地点で、溢れる怨恨を糧に燃え盛る焔は、いま剣戟に宿り、視線の彼方に在る土嚢は、いま灰塵と消える。


「炎撃魔法第三等級」


 詠唱が意識に触れた刹那、諸刃の剣戟が紅蓮の焔を纏った。

 自分の意識の範囲外で、自由自在に手足を操る感覚と変わらない。全て意の儘、身体中の細胞に蓄積された魔力は、握り締めた掌を伝って剣戟を真紅に染め上げる。怒り狂った焔が此処に揺蕩う静寂を喰らい、肩口に讃える剣戟は、地獄の業火が纏う刃を翻す。

 見据えた土嚢は、腐れた魔族の残党と見たッ!


「インフレアッ!」


 刹那の間隙を切り裂いた詠唱魔法と薙ぐ剣戟。空間を断つ剣光一閃。追従する強烈な熱波と焔の火球は、紅蓮の尾を引いて、競技場中央に据えた土嚢を捉えた。

 憤怒の焔に大地は轟き、揺れた空気は場を薙いだ。燃えた塵芥が熱波を纏って四方八方に四散し、周囲一面は火の海と化す。


「なんだよ。あれ……」


 残響に掻き消えて居た喧騒が、いま漸く、俺の鼓膜に触れた。

 舞い上がり濛々と立ち込める砂塵は、土嚢の安否を包み隠す。満場の観衆が見守る最中、試験の結果を左右する大事な大事な瞬間は、長らく待ち侘びた末、遂に訪れた。


『おおっ!』


 場内に響いた数多の感嘆の声。競技場の中央に在った土嚢は、砂塵の晴れた其処には見当たらなかった。

 晴れた砂塵と消えた土嚢。湧き上がる観衆の喧騒に包まれた儘、俺は安堵の溜息を吐いて、剣戟を鞘に収めた。


『受験番号七十三番は、その場に待機して下さい』


 灰塵と消えた土嚢を見据えて、場内アナウンスの指示に従う。競技場の試験監督所に併設された観測塔から、観測担当者が顔を覗かせた。

 観測担当者が翳した両手を基点に、屈折した空間を覗いた観測担当者は、残った土嚢の有無を間近に観測する。

 随分と便利な詠唱魔法だ。

 試験を終えた俺の心には、物事を楽観的に捉える余裕が生まれていた。

 暫くの間を経て、試験担当者は両腕で描いた円弧を大きく掲げた。


『ミラ・アルベルト。標的の残存数……ゼロ』


 アナウンスと同時に、殊更に場内は湧き上がる。最初の関門を越えた証明を耳に、俺は胸を撫で下ろした。


『試験結果は、本課程の全試験が終了した後に開示します』


 鼓膜を突き立てる喧騒を浴びて、俺は観衆の歓声に手を振って応えた。その儘、身を翻して堂々と競技場のフィールド内から立ち去る間際、試験監督所の前に立っていた教習担当者が駆け寄って来る様子が見えた。


「ミラ!」

「ソフィア」


 爽やかな風に戦ぐショールマント。コルセットベルトで留められた幅広のプリーツスカートを揺らして、本過程の教習担当者は満面の笑みを浮かべた儘、俺の眼前に立った。


「素晴らしい実技だったわ」


 乱れた吐息と合わせてソフィアの口から飛び出した言葉は、俺の心に抱える安堵感を助長した。


「ソフィアが丁寧に教えてくれたからな」

「教えることなんて、ほとんど無かったじゃない」


 寸刻さえ置かず、紡がれた言葉に返せる言葉は無かった。

 俺は頬を掻いて、「いや。ありがとう」と、一言だけ告げた。


「結果の開示。楽しみにしていなさいね」


 片目を閉じて、ソフィアが言い残した言葉を反芻する前に、彼女は身を翻した。

 足早に去る背を暫く眺めて、俺は時期尚早ながら余韻に浸る。歓声を糧に止め処なく溢れる歓喜の念は、暗々たる情動を心の奥底に追い遣った。

 白砂の如き白雲の浮かんだ蒼穹を一瞥、土嚢の残骸を背に、俺は大きな一歩を踏み出した。

 フィールドを抜けて、場所は競技場の観客席。行く先々で称賛の雨は降り注ぎ、目指す場所には一向に辿り着かない。多くの生徒から、「入校講習なのに……」と、口を揃えて称賛された。

 気分は良いが、俺の斃す相手は此処には居ない。此処に在るのは、アルカディア連合国家の人的資源と物的資源だ。憎き魔族を討ち斃す為には、此の身を護る檻から脱しなければならない。俺は、外界遠征の許可を捥ぎ取る必要が在るのだ。本試験は、飽くまでも遠征許可を掴み取る過程のひとつに過ぎない。

 握手を求められては律儀に手を差し出して、激励の言葉が在れば、返礼の言葉で以って返して……。

 漸く空蝉の影が減った頃には、次の試験者のアナウンスが流れていた。


『土壌の修繕が完了。受験番号七十四番。アルス・ラインハルト』


 ああ。アルスの試験か。

 自分の試験を熟す事に精一杯で、すっかり忘れていたが、仲間の試験を見逃す訳には行かない。

 畝る人波を縫って、俺は試験前に座っていた観客席に繋がる通路を辿る。然して、俺が居た観客席には見慣れた顔が在った。


「シャル」

「あ。ミラ」


 繊細に響いた声が、湧き上がる歓声の間を縫って俺の鼓膜に触れた。

 大海を宿した紺碧の瞳が美しい少女は、湛えた微笑を此方に向けて、深く被った鍔広の魔女帽子を指先で摘み上げた。


「ここまで燃えるかと思いました」

「大袈裟な……」


 小さな口に手を当てて苦笑を浮かべた儘、シャルはフィールドの中央に向き直った。


「次はアルスだな」

「そうですね。バカなので、少し心配です」


 当の野郎に対して口の悪いシャルの隣に腰を据えて、いよいよ始まる試験を目前に控えた今、だいぶ表情が硬い仲間の姿を見据えた。


「まあ、要所は押さえる男だから大丈夫だろう」


 彼は馬鹿だが、要領が良い。普段の言動から想像も付かない程に、真面目かつ的確に事を熟す時が在る。いまフィールドに立つアルスが、確と見受けられた。


『試験内容は、範囲攻撃魔法を用いた対象目標の破壊。等級を問わず、一度の口頭詠唱で撃破して下さい』


 入校前期は、入校者全員が同じ講習を受ける。魔法に関する知識を拡充して、各人が習得したい魔法の種別を確定させた後に、選択講習として細分化された知識と技術を培う訳だ。

 アルスは範囲攻撃魔法を選択し、シャルはヒーリング魔法を選んだ。俺は特殊枠で、剣戟を用いた攻撃魔法を選択している。身体能力では魔族に太刀打ち出来ない人間は、基本的に詠唱魔法以外は使わないのだが、俺は幼い頃から魔族掃討の志の下、修練に励んだ。並大抵以上の修練が、並大抵以上の身体能力の獲得に繋がった次第だ。


「アルスが真面目に魔法を使うの……初めて見ます」

「講習中は、座学以外では顔を合わせないからな」


 シャルは華奢な拳を握り締めて、まるで我事の様に真摯な視線をアルスに向ける。対して俺は人事とは言わないが、気楽に構えて試験を見守る。


『では、任意のタイミングで試験を開始して下さい』


 アナウンスを皮切りに、観衆の雑踏は鳴りを潜めた。

 静寂に揺蕩う皆々の視線は、フィールドの一点に注がれる。その先には、擦り切れた衣服が相まって、熟練の玄人の様に見えるアルスの姿が在った。

 アルスの眼前に突き出された魔法詠唱用の武具に宿る光。紛い物では無いアルスの魔力の証明が、いま此の目に焼き付いた。


「……」


 微かな詠唱を掻き消す雷鳴と刹那の雷光。アルスと土嚢を繋ぐ空間を断裂させる複数の稲光は、瞬く暇を与える前にフィールド中央の土嚢を粉砕した。

 寸刻の間を置いて、湧き上がった観衆の声を耳に、俺は立ち上がって手を叩いた。


『試験番号七十四番は、その場に待機して下さい』


 見事だった。素晴らしいの一言に尽きる。

 ひと仕事を終えたアルスは、武具を地面に突き立てて、此方を見た。

 座って小さな拍手を送るシャルと、立ち上がって盛大な拍手を送る俺に気が付いたのだろう。両手を大きく振り回して、此方に合図を送るアルスを眺めて、俺は殊更に強く手を叩いた。


「やっぱり、アルスはアルスですね」

「違いない」


『アルス・ラインハルト。標的の残存数……ゼロ』


 結果を物語ったアナウンス。安堵の瞬間は訪れて尚、観衆の喧騒は鳴り止まない。フィールドを駆けて去るアルスの背を一瞥して、俺はシャルを見据えた。

 膝に立てた両腕に顎を乗せて頬杖を突いたシャルは、彼の背を呆然と眺めて、帽子の鍔を風に揺らせていた。

 澄み渡った大海の蒼の奥に宿した色は、果たして何色なのだろうな。


「シャル」

「わあ」


 帽子を摘んで持ち上げた瞬間、シャルの身体は跳ねた。


「み、ミラ。何を……」


 顔を擡げたシャルの紺碧を刺した白銀の髪が、涼風に戦いだ。シャルの双眸は磨き抜かれた宝玉の如く煌めいて、蒼穹を背景に佇む俺を映す。慌てて、無い帽子を押さえ付ける様に、シャルは自分自身の髪に触れて、困惑した表情を浮かべた。


「いや。惚けていたからさ」


 真白い腕を伸ばして帽子を掴み取ったシャルは、急いて深く被り直して、帽子の鍔で表情を隠した。

 その行為に見る所以は何か。


「少し……アルスが眩しく見えただけです」


 鍔に隠れた表情は、此処からは伺えない。ただ、帽子を取った際に覗いたシャルの顔は、見紛い様も無く火照っていた。


「珍しく素直なんだな」

「アルスには言わないで下さい。調子に乗りますから……」


 シャルの言葉を受けて、俺は笑った儘、「俺も褒めないさ」と答えた。

 間も無く、遠方より姿を見せたアルスの呼び声が響いた。


「喧しいのが来たぞ」

「本当に煩いですね」


 シャルの睨め付ける視線は、疎らな空蝉の影を縫って走り寄るアルスを突き刺す。だが、アルスは気が付く素振り一つ見せない儘、俺たちの影を踏んだ。


「どうよ?」


 開口一番に、自分自身の評価を他人に求めるアルスに対して、「ぼちぼち」と、俺は根も葉も無い嘘を吐いた。

 本来は、"最高"と評価されて当然の実技だった。

 だが、普段の碌でも無い態度を思えば、アルスを褒める選択肢は自然と消えた。それは、シャルも同様なのだろう。

 俺は左脇を一瞥、シャルは両腕を交差させて、苦虫を噛み潰した様な表情を見せていた。


「シャル?それは、どういう意味だ?」

「不合格だよ」


 先程の素直なシャルは何処へ消えたのか。此処には居たのは、普段通りの辛口なシャルだった。


「シャル。最近、冷たくね?」


 背筋を曲げて項垂れるアルスの頭に、シャルは魔導書を叩き付けて、「会った時から冷たいよ」と、慈悲も無い言葉を浴びせた。

 然し、アルスから聞いた話に依れば、出会った頃のシャルは内気で淑やかな子だったらしい。思い返せば、俺が二人に出会った時には今の様な関係が築かれていた。

 紆余曲折が在ったのだろうが、アルスに対して内気なシャルと言うのは、想像も付かなかった。


「そう言うシャルは、試験どうだったんだよ?」


 アルスは頭に食らった魔道書を手で払って、シャルに問い掛けた。


「私は合格したよ」

「ありえねえ」


 シャルの顔を覗き込んで睨め付けるアルスの視線を遮る様に、シャルが両手で振り翳した魔道書はアルスの顔面に直撃する。凄まじい音を響かせて尚も動じないアルスが、如何に屈強な顔面の持ち主なのか。


「顔が持たねえよ!」

「うるさい」


 騒々しく喚き散らす二人の姿を眺めて、俺は思う。学校中の人間から、"期待の新人"と噂される人間とは思えなかった。

 シャルが選択しているヒーリング魔法の試験は、別の会場で実施されたと聞く。試験の概要は知らないが、無事に合格したのならば良い。


「なあ。ミラも何か言ってくれよ」


 俺の肩に枝垂れ掛かって来たアルスは、仏頂面のシャルを指差して言った。

 斯く後に、深淵で燃え滾る焔を宿した真紅の目を見据えて、俺は口を開いた。


「不合格おめでとう」


 然して、アルスは真顔の儘、「てめえもか」と再び項垂れた。


「此処に救済は無いぞ」


 俺は肩口を手で払って告げる。シャルは、魔道書を払って満足気に胸を張った。


「シャル。無い胸を張って何をしてい……」


 須臾の間さえ許さぬ挙動で、俺の動体視力さえ掻い潜る速度で、魔道書を持ったシャルの腕がブレた。目の端からアルスの存在が消えた事に気が付いた時、当人の身体は地に伏していた。

 一連の所作に迷い無く、魔道書を掲げたシャルは息を切らせた。


「ほんとに死んで欲しい」

「ちょっとした冗談だろ……」


 椅子と椅子の間の通路に伏したアルスは武具を掴んで、死人の様な表情が浮かんだ顔を擡げて弁明を図る。

 虚も誠も関係なく、言って良い事と悪い事が在るが……。

 然し、決して言葉には出さない。俺とて、憤怒を抱えたシャルの攻撃を躱す自信は無かった。


『受験番号七十七番は、その場で待機して下さい』


 唐突に鼓膜を震わせた場内アナウンスに、俺とシャルはフィールド内に視線を向ける。アルスも早々に立ち上がって、俺たち同様にフィールドを見遣った。


「ああ。二つ残ってる」

「不合格確定か」


 フィールド内に置かれた土嚢は、封の破れた一個以外は残存していた。

 本試験の合格には、全ての土嚢の破壊が最低限必要だ。此処で結果が残せない場合は、後ほど行われる再試験を経て合否が下される。本実技を以っての合格は無い。


「ミラは文句なしの合格ですね」

「そう思いたいな」


 こんな所で躓く気は更々ないが……。

 俺はフィールド内で項垂れる生徒を眺めて、溜息を吐いた。


「おいシャル。俺と態度が違うじゃねえか」


 今し方の攻撃を受けても尚、懲りないアルスはシャルに食って掛かる。


「アルスはアルスで、ミラはミラだから」

「理由になってねえよ!」


 アルスは牙を剥いてシャルの魔女帽子の天辺を、平手で弱々しく叩いた。

 いや。もはや、優しく撫でていた。


「アルスうるさい!」


 牙を剥いたアルスの牙を圧し折るかの如く、シャルは何度でもアルスの頭を魔道書で殴り付けた。


『試験終了。これより試験結果を開示します』


「お。ついに来たか」


 髪が乱れたアルスの覇気に満ちた声が聞こえた。


『間も無く、試験監督所前の魔光板にて合格者番号を掲示します』


「試験監督所って、あれか?」


 アルスの指が示した先には、観測塔が在った。


「横だよ。小さい建物の方」


 続いて、シャルの細い指が示した先には、観測塔に併設された試験監督所が在った。


『合格者番号。一番。五番……』


「口頭で発表されるのか」

「ならば、ここで結果を聞こうぜ」


 椅子に腰を下ろして、武具を横に据え置いたアルスの脇にシャルは座る。その様子を眺めて、俺は剣戟を収めた鞘を取って、シャルの隣に腰を据えた。

 試験監督所の手前から響いた叫声。断末魔。歓喜の宴。合格者番号を淡々と告げるアナウンス。観客席の至る所から聞こえる喜怒哀楽の発露が、競技場の静寂を掻き消した。


「緊張するな」

「アルスは不合格だから大丈夫だよ」

「それの何が大丈夫なんだ」


 大きな子供二人が喧しいが、俺は腕を組んだ儘、アナウンスに耳を傾けた。


『五十三番。六十二番』


「飛んだなあ」

「飛んだな」

「飛んだね」


 長らく待ち侘びた瞬間が訪れる間際、俺は組んだ腕を解いて剣戟を握り締めた。


『七十三番。七十四番……』


「ほらどうだ!見たかシャル!」


 俺の椅子が揺れる程、アルスは勢い良く立ち上がって高らかに叫んだ。

 聞こえたアナウンスが脳裏に染み渡った刹那、俺の呼吸が止まった。俺の心臓は跳ね上がった。

 喧騒を切り裂いて届いた合格者番号は、間違い無く俺とアルスの受験番号だった。


「ミラ。おめでとう」

「ありがとう」


 安堵の溜息が漏れた。

 斯く試験の結果を噛み締めた俺は、シャルの微笑を見据えて笑った。


「おい!俺も合格したぞ!」


 憤って拳を振り上げたアルスは御立腹の様子。試験前も試験後も合格発表後も変わらない。床しい姿を眺めて、俺はシャルを一見した。


「アルス。よかったね」


 力なく手を叩いて、適当に遇らうシャル。然して、シャルは俯いた。


「随分と適当じゃねえ……か」


 いつもの様に反抗的な態度を見せたアルス。だが、シャルの様子を見たアルスの語尾は、雑踏の喧騒に溶けて消えた。


「今は、適当じゃないよ」

「お、おう」


 立った儘のアルスからシャルの表情は見えないのだろうな。シャル自身、アルスには見せたくないのだろう。ならば、此処から見えたシャルの表情は、決して口には出すまい。

 火照った顔を隠して、魔道所を強く握り締めたシャル。帽子の鍔が隠したシャルの本音。俺は、確と見た。


「シャル。熱でもあるのか?」


 表情に不安の色を滲ませて、ゆっくり屈んだアルスはシャルの額に触れた。

 然して、俺の意識がアルスに向いた時には、シャルはアルスの顎を思い切り殴っていた。


「いってえな!」


 仰け反って顎を抑えた儘、シャルを睨め付けたアルス。当のシャルは身体を強張らせて、魔道書を強く握った儘、小さな口を小さく開いた。


「急に触らないでよ……」


 頬に朱を浮かべたシャルは、見開いた目を細めて逸らした。

 斯くして、事の進展を見守る俺が割り入る余地は無い。頬杖を突いた儘、俺は惚けた頭で思索に耽る。

 早く付き合って仕舞えば良い。いや。婚約して仕舞えば良いのだ。

 もどかしくて、端から見ている俺が恥ずかしい。


「ミラよ。シャルに殴られた」


アルスは顎を抑えて、俺に同調を求める。


「知らん。いつもの事だろう」

「まあ、確かにな」


 赤く腫れた顎を突き出して、アルスは蒼穹を見据える。然して、俺は溜息ひとつ吐いて、重たい腰を擡げた。


「ミラ。どうした?」

「学長」


 俺たちの背後に立つ姿を見据えて、俺は頭を下げた。

こんな感じの作品です。

隔日投稿予定です。

※不可の場合は、活動報告欄で事前に報告します

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