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第十一話 -第一戦目-

模擬戦闘訓練の第三戦目にて、三人の初戦が始まります。

 溢れて場外へ溢れる声援と悲壮感の漂う落胆の声が、絶え間なく反響する此処は、戦の舞台を眼前に見る入退場口だ。篭った声音が反響する此の場所で、俺たち三人は黙して待機していた。

 赤髪の姿は無い。恐らく、場を挟んだ対岸の入退場口で待っているのだろう。其の時を只管に待っているのだろう。

 視線を武具の先端から滑らせて、アルスは彼方此方を指先で擦る。シャルは魔道書を抱えた儘、明光が差し込む場内を見据えて、来たる時を寡黙に待ち侘びていた。


「修繕に出さないと……」


 柄の長い武具を掲げて、アルスは唐突に呟いた。

 自宅で調整する選択肢が欠けていたのか、訓練の直前になって唐突に擦り始めていた。


「まだ半年しか経ってないのに?」


 シャルは、手前の魔道書の具合を確かめながら、アルスに問い掛けた。


「いつの間にか擦り切れててな」


 武具をシャルの眼前に据えて、アルスは指先で傷の場所を指し示す。シャルは、「ほんとだ」と、納得した様に頷いた。


「使い込んでいる様だな」


 シャルの眼前に掲げていた武具を地に突き立てて、「まあな」と、アルスは首を回して、歓声の渦巻く場内を見据えた。


「だが、全く足りねえらしい」


 戦場を駆ける影。戦いは佳境に差し掛かった様だ。散る火焔に飛翔する氷塊。此処から見られる範囲は限られている為、残存する競技者の数は不明だが、盛り上がる観衆の声音から察する終盤戦の有様。


「そうかい」

「そうともさ」


 必要以上に追求せず、俺は手前の剣戟に手を据えた。

 在りし日を思えば、剣戟に刻まれた数多の傷跡は、並々ならぬ感情の痕跡と自信を持って頷ける。傷跡が語る努力は、嘘を語らぬ誠の過去だ。


『そこまで!場内の生徒は、その場から動かないで下さい』


 ひとつ戦いの終幕を告げる号令が鳴り響いた。

 行く手に待ち侘びる開幕に向かって流れる時の渓流は、須臾の間さえ滞らず流れて行く。


「シャル。アルス。準備は出来たか」


 力強く武具を地面に突き立てた儘、「おうよ!」と、気丈に応えたアルス。姿勢を正して、「はい」と、柔和に微笑んだシャル。

 冷静沈着を保って、確実に戦えば十分に勝てる精鋭諸君だ。心に余裕を持って突き進めば、摑み取れる未来は大きい。

 大会運営の数人に誘導されて、俺たち三人は入退場口の手前に向かって歩を進める。後に続いて、俺の横に並んだ二人を交互に見据えて、「いいか」と、俺は口を開いた。


「楽しく戦えよ」


 再三の注意だが、意図は汲み取らなくても良い。だが、肌に刺さった棘の如く意識に留めて置いて欲しいと、俺は思ったのだ。


「お前も楽しく戦えよ」

「え?」


 然して、想像の柵の内側に無い回答を受けた俺の視線は巡る。其の先に在ったアルスの笑顔に、俺は不意を討たれた。


「俺は楽しみ方を知っているのでなあ」


 アルスは武具を片手に、楽し気に不規則的に地面を打ち鳴らして場内を眺める。


「お前は真面目すぎる」


 大袈裟に溜息を吐いて、野郎はシャルと俺を交互に見据えた。


「物事を楽しむ事に関しては、俺とシャルの方が上手よ」


 斯くして、野郎は再び笑った。


「私も混ざってる……」

「シャルも真面目だけどな。ミラは筋金入りだ」


 剝れるシャルと、高々と笑うアルス。気丈な男は何処までも気丈に振る舞う様だが、まさか説教まで食らうとはな……。

 俺を挟んで喧々囂々と言葉の応酬を投げ交わす二人を眺めて、俺は思索に耽る。

 何時の間にか、俺は二人を管理する人間の様な意識を持っていたのかも知れない。彼等が対等な友人である事を、俺は忘れていたのかも知れない。

 俺が二人に関して思う事がある様に、彼等も俺に関して思う事が在るのだろう。代表の立場ばかり経験して来た所為もあり、俺ばかり意見していたが、彼等は言いたい事を飲み込んでいたのかもな。


「そうだな」

「お?」


 俺は二人の間に割り入って、閉じていた瞼を上げた。


「二人の戦い方から、”楽しみ方”って奴を学ばせて貰おうか」


 魔道書を振り上げたシャルと、膝を曲げた儘、頭上で腕を交差して防御体制を取っていたアルスを一瞥、俺は彼等の肩を叩いた。

 不意を衝かれた様に硬直していた二人は、一転して天真爛漫な笑顔を浮かべて、二様に硬直を解いた。


「仕方ねえな!しっかり目に焼き付けろよ!」

「わ、私も頑張ります!」


 嬉々とした表情で、舞い踊る様に奮起する野郎と、魔道書を強く抱えた儘、何度も頷くシャル。其の様子を堪能しつつ、俺は寡黙に思い耽る。

 幼少の頃から今日まで、愚直に自己研鑽に励んで来た。

 積み重ねた努力が練り上げた実力では、誰にも負ける自信は無い。いずれ来たる実戦で、憎々しい魔族を討伐する自信も在った。

 だが、楽しく戦う事に関しては如何だ。


— 楽しめる戦いは楽しめ —


 爺さんに言われた言葉だが、能く能く思えば、戦い全般を楽しむ方法など、俺は知らないでは無いか。あらゆる事を愚直に真面目に熟して来た人間が、いとも容易く戦を楽しむ事など出来る筈が無かったのだ。人様に助言できる立場に無く、俺が人様から教えて貰う立場だった。


『第二戦目の参加者は退場して下さい』


 放送に急かされる様に、大会運営が俺たち三人を縦一列に整列させる。俺が先頭に立って、アルスとシャルが後方に続いた。


『第三戦目の参加者は、入場を開始して下さい』


 眼前で観衆の歓声に応える様に手を振る第二戦目の参加者三名。楽し気に笑う様子を見れば、結果は想像に難くない。誘導員の合図で、俺たち三人は入退場口を潜り抜けて、眩い陽光が差し込む場内に歩を進める。

 徐々に鮮明な輪郭を見せる眼前の諸兄。其の影に触れた刹那、先陣を切って歩く代表格の男と目が合った。

 寸刻の停滞を経て、足を留まらせる事なく擦れ違う間際に、彼は口を開いた。


「ミラ。ひとつ上で待ってんぞ」


 彼に追従する男二人も、「頑張ってな」と、激励の言葉を投げて、俺の横を擦り抜けて行った。

 唐突に訪れた余韻に浸る間も無く、照り付ける陽光を押し退ける様に響いた歓声の声音は、俺たち三人の身体を芯から震わせた。


『最下級生予選の第三戦目で、早速の登場です。運営本部側より、ミラ・アルベルト率いる実技成績優秀者チームの入場です』


 熱狂の上端は何処に在るのか。殊更に熱を帯びる余地が在ったのか。手旗を振り仰ぎ、布を翳して、視界一面の彩り豊かな点は揺れ動く。

 他人事の様に感じる歓声だが、其の歓声の矛先は、紛れも無く第三戦目の参加者に向けられた代物なのだ。いま衆人観衆の意識の中心で、剣戟を振り抜いて戦う機会が眼前に在るのだ。意思を持つ存在を相手に、力の限り戦う機会が訪れたのだ。

 若草を踏み締める歩調は軽く、揺れる軽快な心を映した。


「凄い歓声だなあ」


 背中に当たる感嘆の声は、あらゆる音に掻き消される。誘導員の指示に従って、俺たち三人は場内中央に立ち並んだ。俺に続いて野郎とシャル。俺は歓声に揉まれながら、目と鼻の先を突き進む三者を眺めた。

斯くして、相反する意志を有する二者は集う。此の戦いの場で、両者は顔を見合わせた。


「やあ」

「よお」


 彼等の挨拶に見る剥き出した鋭利な棘は、躊躇なく双方を貫く。然して、俺の眼前に赤髪は立った。

 今朝の調整中に見掛けた二人も、赤髪の後方に続いて俺たち三人の対面に立ち並んだ。


「ミラと戦える機会だね。きっと貴重な経験になる」


 胸元から杖を取り出して、赤髪は笑顔を讃える。俺は剣戟に手を据えた儘、「此方こそ」と、俺は口角を上げた。


『では、第三戦目の対戦札の紹介です』


 今より刃を差し向ける相手を眼前に、俺は放送に耳を傾ける。


『運営本部側。チームの代表は、ミラ・アルベルト』


 告げられた俺の名前が場内に木霊した途端に、観衆は猛り吠えた。

 怒涛の雨嵐の如く、雄々しく猛る歓声は此の身に降り注ぐ。


『ご存知、前期入校者にして本訓練の大本命と名高い彼は、紹介する必要も無いでしょう』


 遠く霞んだ手旗の文字に、俺は自分の名を見る。観衆が振り仰ぐ其の手旗に込められた応援の意に、俺は紛い様も無く触れた。

 其の応援に応える様に、俺は天の戸を貫く奮起の拳を振り上げた。


『後続は、アルス・ラインハルト。空間さえ切り裂く雷撃で、基礎講習試験を素晴らしい成績で終えた彼が、ミラ・アルベルトと組んでの参戦です』


 然して、湧いた歓声。四方八方から聞こえる歓声に混ざった黄色い声音は、いったい何処から聞こえてくるのか。円弧を描く様に一帯を見渡せば、周囲に手を振り返す野郎の後方で、アルスの名が記された布を振り回す女連中の姿が見えた。

 能く能く見れば、一人や二人では無い。アルスの名が記された手旗や布を持った数十人規模の女が、アルスの応援に駆け付けている様子だった。

 思えば、此の野郎に好意を寄せる人間は、少なからず居た。

 馬鹿だが整った容姿で、胸中に抱えた影を映さない雰囲気には、人を惹き付ける魅力が在った。

 周知の事実だが、当の本人は此の現状に満足していない。其の胸中に抱く理想は、いま踏み締める場所より高いのだろう。


「……」


 在りし日のアルスが、俺を見据えて言い放った言葉。其の理想に係る因果に、俺が含まれている事を明確に示した言葉を、俺は思い出した。

 俺は、笑顔を浮かべて歓声に応える野郎を眺めた儘、声を混じらせる様に息を吐いた。


『最後は、シャル・ローレライ。寡黙で、類稀な認識能力を持つ彼女が、ヒーリング魔法を用いて挑んだ基礎講習試験では、試験監督者全員を唸らせました』


 案の定、湧き上がる歓声は野太く厳つい。寡黙で控えめなシャルだが、野郎と同じく異性からの人気は高い。対外的な意志が弱い為、アルスより異性から言い寄られる機会が多いのだが、大抵は此の野郎が一蹴して仕舞う。

 今日も今日とて、シャルの名前が記された応援旗を額に巻き付けている輩も散見された。


「応援されて悪い気はしねえな」


 嫌らしい笑顔を浮かべる野郎は、手を振り仰いだ儘、身体を揺らす。シャルは羞恥の念を耐え忍ぶ様に、身体を縮こめていた。


『対する観衆席側の代表は、リズィ・ユースティア』


 相対する赤髪側の陣営の紹介に移り、観衆諸君が演出する場内の雰囲気は一変した。

 程々に湧き上がる歓声と、局所的に盛り上がる観衆。特段に思う事は無いが、熱の入り方が異なる様に感じた。

 応援席に腰掛けて観衆の喧騒に揉まれていた時、此の様な状況だった。

 斯く様相を踏まえれば、俺たち三人が紹介されていた時の応援は、正に別格だった様に思う。狂騒に酔い痴れる為では無く、心の底から応援して呉れているのだろう。其れ程も、俺たち三人に期待して呉れているのだろう。


『筆記試験は最優秀成績を納めた頭脳派な彼は、対する強敵を前に、どのように立ち回るのでしょうか』


 腕を組んで、落ち着いた様子で放送を聞き流す赤髪。続く二者の紹介は、思惑が脳裏を巡る間に済んで仕舞った。


「……」


 斯くして、張り詰めた雰囲気が此の場を包み込んだ。

 乱れる空気と肌に突き刺さる微かな響めき。俺は、其の時の到来を予感した。


『では、これより第三戦目を開始します』


 堰を切った様に溢れ出した観衆の声音が埋め尽くす場内で、線を描く六の影は各々の形を取った。

 然して、赤髪の視線は野郎に注がれる。其の熱視線に気が付いた野郎も、切り裂く様な眼光で赤髪の瞳を抉り抜いた。


「脳筋。全力で掛かって来なよ」

「言ったな赤髪。負けた言い訳は聞かんぜ」


 突き合わせた双方の意志は、鬩ぎ合う思慕が生み出した敵意の発露だ。似た意志を共有する同志にも関わらず、決して交わる事の無い彼等は、意志に依らず寄り集う運命にある。其の運命に付き従って、いま開戦の火蓋は切って落とされるのだ。

 彼等を突き動かす信条より優先される可能性を秘めた思慕は、果たして如何なる結末を見せるのか。

 誘導員が、「所定の位置に」と、双方の開戦位置を示して呉れる。其の指示に沿って、俺たち三人は対敵する彼等に背を向けた。

 溢れる歓声の渦中で、遂に時は来たる。此の世界が定められた運命に向かっているのならば、其の未来に待つ俺たち三人は、凱歌を謳い、勝鬨を叫んでいる筈だ。

 もし、敗戦の運命に向かっているのならば、俺が其の腐れた運命を捻じ曲げて呉れる。

 然して、俺は所定の位置に立つ。アルスとシャルも同様に、相対する三者を含めた第三戦目の参加者全員は、定められた位置に影を落とした。


『では……』


 俺は咄嗟に剣戟の柄を握り締めて、膝を折って腰を下げた。

 然して、俺の身体に纏わり付く様に淡い空色の被膜が覆う。本競技大会の説明にも在った最上位魔術師が展開する魔力障壁だろう。

 魔力障壁を一瞥、俺の視線は三者の中央で杖を此方に差し向ける赤髪に向けて、身体を殊更に内側に折り込む。俺の意識は場内を包み込んだ空気と同化する様に、各員の挙動に触れた。

 余計な思索に耽る暇は終いだ。いま狂宴に酔い痴れる歓声さえ俺の意識から排斥された。


『この瞬間を以って、対人戦闘の規制を解除します。任意のタイミングで訓練を開始して下さい』


 いざ。開戦の狼煙だ。

 斯くして、俺は力の儘に剣戟を引き抜いた。

 其の刹那、舞う様に杖を振り翳していた赤髪の身体に纏う魔力障壁に先駆放電が迸る。対敵する三者の挙動を確認する間に、先駆放電に誘雷する稲妻。弾ける閃光と鼓膜を劈く轟音に揉まれた儘、俺は眩む視線の中央を見据えて、焔を纏う剣戟を薙いだ。


「インフレアッ!」


 薙いだ剣戟から駆ける焔球は、残滓の尾を残して、アルスが撃ち放った雷撃の着弾地点に目を奪われていた右端の男に直撃した。

 間髪を置かず、囁く様な詠唱が聞こえた須臾の間に、シャルが放った眩い光弾が左端の男に直撃する。俺は剣戟を眼前で構え直して、各攻撃の着弾地点に視線を這わせた。

 然して、遥か遠方に倒れ伏した男は一人。残る二人の影は無かった。


「避けろッ!」


 俺は咄嗟に叫んで、伏せる様に腰を大きく落とした。

 視界の一端に触れた紅蓮の焔が、アルスが撃った雷撃の衝撃で舞い上がった土煙から横一文字に薙ぐ。頭上を焼き焦がす熱波を知覚した瞬間に、俺は地を蹴って横に飛んだ。

 斯くして、体勢を整えた後に、敵対勢力の状況を確認する。敵方全体に未だ立ち込める土埃。其の中央に、杖を掲げて周囲を見渡す赤髪の姿と、赤髪の側方で地面に膝を押し当てた儘、此方の陣営を忙しなく眺める空蝉の姿が在った。

 追撃は無い様だが、あの雷撃と光弾を躱したのか。


『フェイオス。脱落』


 俺の炎撃魔法は、標的を射抜いていた様だ。芝に倒れ伏していた男は、腰を起こして両腕を擡げていた。


「アルス。シャル。大丈夫か」


 敵方から視線を逸らして、野郎とシャルを一瞥、健在な二人の姿が視界に飛び込んだ。

 溜息を吐いて、「おうよ」と、武具を支えに立ち上がった野郎が一人。腰を落とした儘、敵方を見据えて、「大丈夫です」と、華奢な腕を挙げた少女が一人。俺は大きな溜息を吐いて、眼前の野郎二人に視線を向けた。

 此方の陣営は、全員が無事に避けられた様だが、横一文字の炎撃魔法は俺の予想の範疇に無かった。

 リズィか。口八丁かと思ったが、なかなか如何して戦える相手の様だ。

 俺は昂ぶる心を抑える様に、剣戟を構え直した。

 戦の楽しみ方か。成る程な。其の意味を、俺は早々に理解できるのかも知れない。怨恨の苗床に種を撒き散らした魔族を、此の意志で蹴散らす未来を覗ける機会だ。人間を相手に、自分の力量を試せる此の瞬間が、如何にも楽しくて仕方が無かった。

 爺さんの言う”楽しめる戦い”とは、少し異なる状況かも知れん。俺には過ぎた奢靡な感情だが、いま戦を楽しんでいる様に思えた。


「やるじゃねえか。赤髪野郎」


 不意に聞こえた野郎の囁き声。俺の意識の間隙を衝いて、アルスは武具を赤髪に差し向けた。


「やっぱり、筋肉馬鹿なのかい⁉︎」

「あ?」


 笑顔を拵えた赤髪は、其方に向かって武具を構えた野郎を挑発する。


「いくら威力が高くても、当たらなければ意味が無いよ!」


 遠方から聞こえる爽やかな声音が紡いだ言葉は、短気な野郎の感情を揺する挑発に他ならない。俺は、鬼の様な形相で赤髪を睨め付ける野郎に意識を向けた。


「落ち着け。ただの挑発だ」


 シャルも困惑した様子で、アルスの横顔を遠方より窺っていた。

 然して、掲げた武具を握る手に力を込めた儘、「大丈夫だ」と、アルスは引き攣った様な微笑を湛えた。


「俺は、だいぶ落ち着いているぜ」


 不味いな。如何にも落ち着いている様子には見えない。


「売られた喧嘩ならば……」


 案の定だ。高ぶる感情の赴くが儘に、野郎は地を蹴って場の膠着を解いた。


「買うまでだッ!」

「待て!アルスッ!」


 俺の声は届かず、虚空を一目散に駆ける野郎は武具を振り翳す。


「シャル!アルスを援護しろ!」

「は、はい!」


 俺はアルスを視界の中央に捉えて、場内の五者を視界に収められる位置を見据えて地を蹴った。

 アルスの双翼を担う様に、シャルも俺に追従して駆ける。其の間隙に、青白い先駆放電が赤髪に迸った。

 鮮烈な一閃に付き従って響き渡る轟音。遥か上空まで舞い上がる土埃を一瞥、俺は野郎と赤髪が居た地点を睨め付けて、剣戟の切っ先を差し向けた。


「くッ!」


 慣性に揺られる身体を支える様に足を踏み込んで、地から空へ剣を切り上げた。


「紅蓮!」


 間髪を置かず、隙を切り裂いた赤髪の詠唱と、煙幕と化した土埃から噴き出した紅蓮の焔が、雷撃を放った野郎に導かれる様に一直線に燃え盛る。だが、地から噴き上がった水流の障壁が、燃え盛る焔の導線を断つ様に、焔の勢いを掻き消した。


「シャルッ!」


 野郎の叫声が響く。アルスと赤髪を隔てる様に天を衝く水流の障壁は其の儘に、俺の視界の端に在ったシャルは動いた。

 魔道書を腕に抱いて、紺碧の瞳を閉じた儘、右腕を差し出して囁く詠唱の旋律。差し向けた指先に迸る閃光から漏れ出した純白色の魔力の奔流が、シャルが紡いだ旋律に導かれる様に彼女の周囲を駆ける。其の先には、赤髪の同志が居た。


「ヴァレリアッ!避けるんだッ!」


 赤髪の必死の警鐘を合図に、シャルは華奢な体躯を覆ったショールマントを翻らせて、眩い白色の光弾を撃ち放った。

 紬糸の様に繊細な髪を舞い上がらせる衝撃波に追従して、刹那の波動を散らした閃光が空間を満たした。

 斯くて、凄まじい衝撃波は凪いだ。眼前を覆っていた手を退かして、俺は視界の中央を見据える。何方にも避けられる様に体勢を整えた儘、凝らした目の中央に在った空蝉の影。光弾の直撃を免れた其奴は、赤髪の脇で体勢を崩していた。

 地を穿つ巨大な穴を見据えて、地に腰を付けた赤髪の姿も在る。

 好機だった。

 此の野郎ならば、きっと汲み取れる。

 俺の意識が統率する水柱は、物理法則に反して揺れ動く。此の好機は逃さない。


「当たらなければ意味が無いってか」


 悠々と立ち荒んだ野郎は、携えた武具の先端に煌めく、蒼穹を宿した珠を蒼天に翳した。


「間違いねえな」


 観客席さえ見下す様に聳える水柱は、体勢を崩した二者を見据えて翔ける。此の意識に追従して、二者を包み込む様に奔る。

 満を辞して、天に翳した武具を振り下ろした野郎が、「だがな」と、武具を差し向けた先に立つ水柱は、ふたつの空蝉の影を飲み込んだ。


「当てれば良いんだよッ!」


 四方八方に弾けた水柱に纏わり付く様に迸った先駆放電。瞼を閉じる間も無く、青白い先駆放電に迎えられた主雷撃の咆哮は響いた。

 反発する様に轟々と響いた炸裂音と、視界を埋め尽くした雷光一閃。須臾の間に澄んだ視界の中央で、意識の統率から解き放たれた水流は泡沫の如く霧散する。

 斯くして、俺は剣戟を掴み直して、芝の茂った地表を抉り抜く様に足先に力を込めた。

 見据える水気の消えた跡地に、敵対する二人の姿は無かった。

 凛と構える敵性勢力の影は、何処にも無かった。


『そこまで!場内の生徒は、その場から動かないで下さい』


 然して、敵方の地に穿たれた穴の後方を見遣れば、壁際まで吹き飛ばされた空蝉の影ふたつ。其の場を動かず、透き通った青空の下に横たわっていた。

 場内を埋め尽くした怒涛の歓声に気が付いたのは、勝利の二文字を思い浮かべた瞬間だった。


「ミラ!」


 剣戟の切っ先を地に差し向けて、歓声の間隙を縫って響いた声音の軌跡を追えば、瞳を輝かせた糞野郎の笑顔が在った。


「助かったぜ!」

「畜生が。自由に動き過ぎだ」


 長い長い溜息が吐いて出るが、如何しても緩む表情は抑えられない。遠方から此方に身体を向けて手を振るシャルも、靡く横髪から覗かせた其の顔には満開の花が咲いていた。


『目視確認結果。ミラチームの残存勢力。三人』


 永遠とさえ感じられた沈黙の末に響いた残存勢力の確認結果。此の戦の全容を見届けた外野を含めて、皆々が固唾を飲んで、最終的な結果に耳を傾ける。


『第一グループ第三戦の結果……』


 吹き荒ぶ涼風が運んだ芝の青臭い薫香。其の芳香に紛れて香る便りは……。


『ミラチームの勝利』


 芳しい勝利の薫香だった。

 断続的な声音が折り重なり、連続的に聞こえる此の場所で、俺は剣戟を鞘に納めた。

 長らく待ち侘びた末に捥ぎ取った勝利の味は、斯くも心を躍らせるのか。観衆の割れる様な歓声に酔い痴れる暇、「よっしゃあ!」と、俺の肩に両手を押し付ける様に、野郎は身体を投げて来た。


「良い壁だったぜ!」

「何処ぞの野郎が、自由勝手に動くものでな」


 俺の肩を背後から掴んで左右に揺さぶる野郎は、「楽しんだ結果よ!」と、周囲の歓声にも負けない声量で笑った。


「お疲れさま」


 然して、背後から聞こえたシャルの声に、俺とアルスは首を回した。


「シャル!」

「わあ」


 シャルを見るや否や、跳ねる様に彼女に飛び付いた野郎は、「勝ったぜ!」と、無垢な子供の様に声を大にして叫んだ。


「こ、こんな所で抱きつかないで……」


 此方から見える野郎の背中の奥で、シャルは顔を赤らめている事だろう。高まる歓声の波間に揺蕩う黄色い声音と怒号は、俺の気の所為か否か。

 何方にせよ、遠方に見える赤髪の苦渋を嘗めた様な表情を見れば、溢れる怒号も気の所為では無いと思えた。

 野郎とシャルの仲睦まじい様子を見て、嫉ましく思う輩など数え切れぬ程も居るのだろう。赤髪も彼等と変わらない。ただ、より近い立場にある分、溢れる思慕に比例して溢れ出した嫉妬や無念の情も大きいのだろう。


『場内の参加者は、中央に集合して下さい』


 放送の案内に従って、開戦前に赤髪が率いる三者と挨拶を交わした場所を見遣れば、此方を見詰める大会運営の誘導員が待機していた。

 対する側方では、すっかり諦めた様子のシャルが力なく、狂喜乱舞のアルスの腕に抱き留められていた。


「お楽しみ中に申し訳ないが、集合だ」


 出来る事ならば、其の儘にして遣りたいが、集合の号令が掛かっている。赤髪連中は、既に中央に向かって歩を進めていた。


「ほ、ほら。集合だって」

「お?」


 シャルに急かされて、忙しなく周囲を見渡す野郎は、置かれている状況を理解したのだろう。シャルに絡んでいた腕を解いて、「すまんすまん」と、身体を後方に引いた。


「すっかり浮かれちまったぜ」


 流石に恥ずかしいのだろう。ぎこちなく武具を掲げる野郎の引き攣った笑顔からは、明らかな焦りの色さえ伺える。


「浮かれるのは良いが、気を抜いて呉れるなよ」

「おうともさ!」


 然して、俺は敵方の三者と誘導員が待つ場内の中央へ歩を進めた。

 鳴り止まぬ歓声に揉まれる暇、情け容赦も無く雌雄を決する戦で収めた勝利だ。初めての戦で掴んだ勝利に酔い痴れる心に嘘は吐けない。

 だが、俺は喉元まで迫り上げる勝鬨を必死に堪えた。

 そうだ。俺たち三人は、飽くまでも最初の一歩を踏み出したに過ぎず、突き進む丘陵の天辺を踏み抜かねば意味が無い。大事な大事な最初の一歩を踏み出せた事は素直に嬉しいが、其処が終着地では無いのだ。

 そして、憂慮すべき懸念も顔を覗かせた。

 俺たち三人の戦い方を踏まえた改善点が、此の一戦で掴めた利は大きい。十分に価値のある時間を呉れた赤髪には、沢山の健闘を讃えよう。

 後背に同志を連れて踏み締めた赤髪の眼前で、俺は彼と視線を交わす。其処には、先程の苦虫を噛み潰した様な顔は無かった。


「此処まで完敗だと、いっそ清々しいね」

「素晴らしい勝負だった」


 昨日の敵は今日の友だ。戦の場では各々の信念を掲げて戦ったが、飽くまでも人間を相手に戦う訓練だ。終わっても因縁を引き摺る理由は無い。少なくとも、俺には無かった。

 然して、赤髪の左右で疲弊した様子を見せる二者を一瞥、「楽しかった」と、俺は二者の健闘を讃えた。

 次いで、赤髪の瞳に映った野郎は、酷く楽し気に微笑んだ。


「俺らの勝ちだ。文句はあるか?」


 威風堂々と胸を張る野郎は、自信に満ち満ちた表情で赤髪に問い掛けた。


「いや。結果は結果だ。文句は無いよ」


 対する赤髪は、言い訳も無く敗戦を認めた。

 此の一戦に限って言えば、彼等が武具を掲げて戦う理由が理由だ。拵えられた笑顔の裏側で渦巻く悔しさも一入だろう。


「だけど……」


 俺たち三人の不意を衝く様に、赤髪は野郎を睨め付けて言葉を区切った。


「僕と君との勝負は、まだ着いていないよ」

「あ?」


 意図が掴めない様子のアルスは、思わず声を漏らした。


「君は今回、開校以来の逸材と名高いミラに助けられた」


 赤髪の曇り無き双眸に映した野郎の表情。驚愕に目を見開いた儘、喉元で堰き止められたかの様に、アルスは言葉を詰まらせた。


「シャルにも助けられていたね」


 彼の言葉は、アルスの威勢を刈り取った。

 言い返せないのだろう。俺が杞憂する改善点に繋がる指摘だった。

 鳴り止まぬ喝采が満たす場内で、アルスは確かに存在する静寂を噛み締める。何かしらの言葉を探し求める様に、唇を噛み締めた野郎は、いったい何を思うのか。

 然して、場の膠着を解く様に赤髪は微笑んだ。何時もの様に、癪に障る笑顔を撒き散らした。


「次は、サシで戦いたい。誰の助力も無く、決着を着けたい」


 確かな意志で以って紡がれた言の葉は、アルスに差し向けられた明確な宣戦布告だった。

 此の訓練は、飽くまでも団体戦との認識なのだろう。個々の決戦に非ず、今回の結果では二人の決着とは認められないのだ。

 だが、其の解釈は俺の認識と相違ない。各個が単一の対象を受け持って戦うのならば、また話は変わるのだが、今回の様な協力戦ならば尚更だ。

 果たして、アルスは如何か。彼の宣戦布告を受けて、どの様に思うのか。

 野郎の見開いた目は、まっすぐ赤髪に注がれる。寡黙を貫く野郎は、赤髪の言葉を受けて思索を巡らせているのか。


「何方にせよ、結果は見えてるぜ」


 暫しの無言の末、口角を吊り上げた野郎は、「な」と、シャルに問い掛ける。だが、唐突に話を振られたシャルは、知らないと言いたげに外方を向いた。

 其の様子を見ていた赤髪は、丸く見開いた目を細めて、珍しく声高々に笑った。


「結果は、終わって初めて分かるものだよ」


 斯くして、相対する二者は視線を通わせた。


「その時は、本当に文句は聞かんぜ」

「君の間抜けな吠え面が目に浮かぶね」


 互いに啀み合う様に微笑を湛えた両者は、碌な言葉も無く再戦を誓い合った。

 譲れぬ思慕を抱える怨敵だが、同種の感情を共有する二人でもある。各々の思慕は決して混じり合う事が無くとも、同じ感情を共有する同志と認める事は出来るのだろう。各々の思慕を尊重する理由となり得る尊敬の念が、眼前の怨敵に対して芽生えたのかも知れない。


「シャル」


 間髪を置いて、赤髪は野郎から逸らした視線をシャルに差し向けた。

 一連の応酬を傍観していたシャルは、跳ねる様に背筋を伸ばして赤髪を見遣る。


「おめでとう。強くなったね」


 切れ長な双眸でシャルを見詰める赤髪は、他意の無い祝福の意を彼女に捧げた。


「ありがと。リズィ」


 魔道書を両腕で抱えた儘、柔和に微笑んだシャルは、素直に感謝の言葉を告げた。

 然して、「ミラ」と、俺の名を溢した赤髪の双眸は俺を捉える。右方の観客席を見渡す様に一瞥、再び視線は此方に向いた。


「君たちの戦いを、僕たちは観客として見ているよ」


 ひとつ役目を終えた杖を白色のローブの内側に仕舞い込んで、彼は此方に背を向けた。


『第三戦は、ミラチームの勝利で確定しました』


 運営本部の放送に合わせて、一層の喝采が渦巻く最中、赤髪は此の場を去り行く。彼の相方二人も、此方を見据えて口角を吊り上げた末、赤髪に追従して其の身を翻した。

 徐々に小さくなる背を眺めて、俺は大きな溜息を吐いた。


「いけすかねえが、悪かねえ野郎だ」


 俺と同様に赤髪の背を見詰めていた野郎は、俺の肩に手を乗せて呟いた。


「お前が言うのならば、きっと悪かねえ野郎なのだろうな」


 嫌う理由がある野郎が斯く思うのだ。確かに癪に障る男だが、俺が彼を嫌う理由は無かった。

彼等の消え行く背を一瞥、「さて」と、俺は野郎の手を擦り抜ける様に、身を翻した。


「戻ろうか。あと一戦ある」


 俺たち三人が迎える次戦は、入退場口で控えている第四戦目の勝者との対戦となる。彼等の戦いを観て、十分に対策を練る必要が在ろう。

 そして、アリステリアの力量を測る機会が待っている。斯く自信の根拠は、他者の客観的な評価だ。其の客観的な評価の判断基準は、アリステリアが備える力量に他ならない。彼が成し得た明確な成果を聞いた事は無いが、自身の力量を根拠に謳われる客観的な評価を下地に、彼の高飛車な態度は形成されたのだろう。

 相応の力量と技術を備えた男だ。気は抜けない。


「今日の二戦を越えて、さらに三戦を勝ち抜けばいいのか」

「長いね……」


 残り四戦と思えば、其の道程は酷く長い様に感じる。戦う相手は、赤髪より殊更に出来る人間かも知れない。


「壁、か」


 ふと、表情を曇らせた野郎は、周囲の喧騒に塗り潰されて仕舞う程の小声で呟いた。

 其の胸中には、口には決して出さない憂慮が在るのだろう。


「臆したか?」


 俺は、読み取れない野郎の内懐に言葉を投げ掛けた。

 地に伏していた目を持ち上げて、此方を上目で見据えた野郎は、開き掛けた口を噤んだ。其の儘、暫しの間を置いた末、「ばーか」と、野郎は口角を上げた。


「立ち塞がる壁は多い方が、かえって燃えるんだぜ」


 然して、「な。シャル」と一言、此の場を包み込んだ歓声に答える様に、野郎は両手を大きく振り回した。


「難儀な野郎だ」

「本当に……」


 シャルは海より深い溜息を吐いて、飛び跳ねる様に手を振り回す野郎の背を見詰めた。

 アルスが何故、思い留まって口を噤んだのか。俺は、何と無く察した。

 立ち塞がる壁は、あらゆる状態を取って其処に在る。目に見える壁が在れば、目に見えない壁も在る。然り而して、彼は其の壁を乗り越える覚悟を以って、俺に笑い掛けたのならば、俺は何も言うまい。

 未だ彼の背を見詰めるシャルの肩を叩いて、俺は衆人観衆の声音に応える様に、天を衝く拳を掲げた。

春も間近です。だいぶ暖かくなって来ました。

散る桜も咲く桜も散る桜です。地元の河川敷が桜の名所なので、若くして散る美しさを想って、舞い散る桜を眺めたいですね。


本編、ミラたちの勝利で第一戦目を無事に乗り越えました。おめでとう。

このまま頑張って貰いたいですが、次戦以降は更なる強豪が待ち受けている事でしょう。

次話の更新は、三月中旬の予定です。暫し、お待ち下さい。

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