第十話 -初戦観戦-
あけましておめでとうございます。またひとつ節目を跨いで心機一転、今年も頑張って参ります。
『本訓練のルールを説明します』
盛り上がる諸兄諸姉の歓声さえ搔き消す運営本部の放送。魔力を成形した動力で拡張された声は、鳴り止まぬ騒音も健在な場内に響く。
『本訓練では、各個人が培った能力を遺憾なく発揮して頂いて結構です。魔力に依る能力は勿論の事、基礎的な身体能力も最大限に利用して戦って下さい』
轟々と湧いた場内で、俺たち三人は黙して放送に意識を傾ける。
掻い摘んで言えば、此の訓練に於いて、敵対する相手に対する遠慮は無用。相対する人間を、対敵する魔族と見据えて戦える機会が、此の模擬戦闘訓練なのだ。其の意義が、如何程に重要か。意思と知能を持つ敵と実戦同様に戦える機会の重要性を、俺は十分に理解していた。
『参加する各個人には、アルカディア公国の最高位の魔術師に依る魔力障壁を展開させますので、余程の事がない限り、怪我の心配は在りません』
「至れり尽くせり、有難い話だな」
両の腕を組み合わせたアルスが、監視塔の方を見据えて呟いた。
「大切な事だよ」
「怪我では済まんからな」
当然、彼自身も理解しているのだろう。場内に視線を向けた儘、「まあな」と、感情の読めない表情で頷いた。
当の訓練は、参加者自身の技量では障壁を展開できない人間の方が圧倒的に多い筈だ。俺とて、魔力障壁の構造は理解していない為、魔力攻撃に耐え得る障壁を展開する事は出来ない。物理的な障壁に限らず、簡単には理解できない代物だ。
『失格基準は、敵性攻撃に依って地面に伏した場合、壁面に衝突した場合など、明確に攻撃を受けたと、監視塔の審判員が判断した場合には、失格となります』
観客席の方々に散った参加者との対敵を思えば、俺の身体は迫り上げる様に震えた。
駆り立てた情動の正体は、訓練に対する恐怖では無い。紛い様も無く奮い立つ心が、此処には在ったのだ。
『チーム全員が失格となった時点で、勝敗の判定を行います』
空間を揺らす振動は、競技場の一塊を震わせて、忍び寄る病魔の様に各人の意識に複製される。
「最終的に、一人でも残っていた方が勝利か」
足を揺らす野郎を一瞥、「だろうな」と、俺は無意識に呟いた。
妥当だろう。当然の判断だろう。
然して、運営本部の放送が黙した刹那、場内は騒然たる様相を示す。溢れる情動を解き放つ一瞬を待ち焦がれた儘、期待に胸を膨らませた様子で運営本部を見据える観衆。
『それでは、一組目の模擬戦闘訓練を開始します』
漸く訪れた一瞬。参加者を含めた観衆一同の喝采の嵐が、空蝉の影で波打つ場内を覆った。
「始まるね」
「ああ。いよいよだ」
手汗を握る暇、俺は前後左右から鼓膜を殴り付ける観衆の歓声に想い巡らせた。
『第一戦目の対戦札の紹介です』
斯くして、運営本部が場内の対戦者六人を紹介する暇、各人の名前に合わせて観衆の黄色い声援は響く。各個人の模式的な紹介を受けて、既に場内で準備を終えた参加者が、手を上げて歓声に応えた。
自信満々に手を高々と挙げる者。目に見えて緊張している様子が伺える者。各々の覚悟で以って、其処に立つのだろう。如何なる代物が、当人を突き動かしているのか。其の心意気を汲み取る事は叶わないが、其処には彩り豊かな数多の色が在るのだろう。其の色を否定する事は出来ないが、俺の信条が魅せる深淵の黒を塗り潰せる力強い色は、果たして其処に在るのだろうか。
然して、視線の先に居た監視塔最上部の監視員が、徐に手を挙げた。
暫しの間を置いて、「では」と、運営本部の声音が虚空を揺らせた刹那、俺の心臓は跳ねた。
『この瞬間を以って、対人戦闘の規制を解除します。任意のタイミングで訓練を開始して下さい』
そして、湧いた観衆。一閃の明光が視界を埋め尽くした須臾の間に響いた衝撃音。対人制限解除の瞬間に、一方の代表が魔力攻撃を相対する代表者に向けて放っていた。
先駆雷撃を纏った稲妻に削られた若草と、早くも倒れ伏した一人の人間。主雷撃の直撃を受けた代表者が、残滓が舞う場内で腰を上げた。
『ルーク。脱落』
場内を埋め尽くした甲高い声援と、不満の意が入り混じる歓声に、此の訓練が一種の見世物と化している事実を再認識する。
「早いな」
「開幕即退場か」
斃れた男も、半期に一度の全体訓練で、此の成果は納得できまい。俺ならば無理だ。
「アルスも気を付けてね」
見下す様な視線をアルスに呉れて遣るシャルに、「余裕よ」と、アルスは間髪を置かず返答した。
其の様子を見て憂う事は無いが、第一戦目の相手を思えば、胸中に不安は蟠る。無駄な対抗心に取り憑かれて仕舞えば、アルスは全力を出し切れない可能性も在る。
俺が注意を促しても、恐らく無駄だろう。盲目的な感情は、理性で抑え切れる代物では無い。盲目的な情動に由来する行動は制御できるが、抱える思慕は制御の範疇を超えて暴れ回る。斯く感情に由来する対抗心を、アルスが堪える事は出来るのか。沈着冷静に、目的を見失う事なく事を熟せるのか。
斯くして、場内を駆ける空蝉の影が二つ。圧倒的な状況を逃さず攻勢を強める一方と、回避優先に立ち回る間に、精度の低い炎撃と雷撃で以って反撃の隙を伺う片一方。
「厳しいね……」
「勝負は最後まで分からないが、そうだなあ」
此の状況を見れば、二人の判断も納得だった。
代表者を失い、単一の対象を狙った二人の魔力攻撃は明後日の方向へ飛んで、観客席への流れ弾を防ぐ魔力障壁に弾け散る。対して、良く出来た布陣で立ち回る三者は、的確に冷静に相手を捉えて放つ高範囲の魔力攻撃で以って、相手を徐々に壁際へ追い詰めていた。
追い詰められた二者は、体力的にも限界だろう。疲弊した様子を伺わせる二者は、壁際付近を駆け巡る。其処に生まれた間隙を見て、「終いだ」と、俺は無意識的に呟いていた。
「え?」
其の間隙を見逃さず、優勢を保っていた代表格の男が差し向けた杖から迸る雷光一閃。範囲攻撃では無く、膝を折り曲げて地を蹴らんと構えていた対角の男に向けられた雷撃は直撃した。
相方の状況に気を取られた一人も、対敵する代表格の男の左右で隙を伺っていた二人の魔力攻撃が砕けた爆炎に消えた。
弾ける雷光と爆炎、立ち昇る白煙から飛び出す影は無い。歓声も静まり、注がれる観衆の視線の先に在る白煙は、徐々に晴れる。
然して、観衆の歓声は最高潮に達した。
『そこまで!場内の生徒は、その場から動かないで下さい』
白煙に霞んだ着弾地点付近に沈んだ生徒二人。芝が削れて露出した地面の後方で、煉瓦製の壁面に背を凭れる一人と、仰向けの儘、腕を挙げて降参の意を示す一人。ブーイングと歓声は入り混じって、場内に騒々しく響き渡った。
「数分だったな」
「こんなに早いんだ……」
腕を組んで真摯な表情を浮かべて場内を見据えるアルスと、唖然とした表情のシャル。俺は場内の中央に向かう各六人に視線を移して、「いや」と、騒々しい場内の喧騒を掻い潜らせる様に呟いた。
「此の試合は珍しい方だろう」
此処まで如実に力量、修練の差が現れた試合を序盤に見られた事は、大きな収穫だ。各人の練度の差は勿論の事、各人同士の連携の取れた所作に然り。為るべくして為った結果だろう。
此の試合に限った話だが、個人の力量次第で覆せる内容だった。
相手の隙を突いて的確に反撃する能力を発揮できたのならば、優位を保っていた連中も、其の場を動かず、彼等を追い詰める事は出来なかった筈だ。其の能力の片鱗は見せていた。にも拘らず、統制された団結力が個人の力量さえ捩じ伏せた。
個人に頼り切った戦い方では、状況次第では窮地に立たされて仕舞う可能性がある事の証左だった。
『目視確認結果。オーレリアチームの残存勢力。三人』
既に観衆の熱狂は留まる事を知らず、未だ場内を包み込んだ熱は冷める気配も見せない。誰が用意したのか、各個人の名前が記された布を用意している者も散見される。
『それでは、只今の結果を発表します』
然して、間を置いた運営本部。知れている結果だが、観客一同は一斉に声を殺して息を潜めた。
『第一グループ第一戦の結果。オーレリアチームの勝利』
代表者の名前が告げられた途端に、競い合う様に吠える人間の熱狂が渦巻いた。
皆々、好き勝手に騒ぐ事が出来る機会を求めていたのだろう。参加者の名前が記された布を振り回す輩も居れば、気の赴く儘に叫べる環境を求めて、此処へ来たのであろう人間も見受けられた。
「耳が痛えな」
「まあ。仕方が無いさ」
此の様な場所だ。心地が好い雰囲気では無いが、彼等は定められた規則の枠内で狂騒に酔い痴れているのだ。此の状況が耐え難いのならば、耳を塞ぐしか無かろう。
思えば、此の状況自体を悲観する理由は無かった。
現世に巣食う諸悪の根源の討伐を見据えた訓練さえ狂宴の種火となる現在は、仮初とは言え、或る種の平和の有様なのだろう。
街を行けば、魔族の姿を模した玩具を見掛ける機会も在る。魔族に対する危機感が薄れているのは事実だ。アルカディア内郭の人間に対する実害が無い今には、確かな平和の姿が在った。
周囲の喧騒を見据えて、俺は斯く思ったのだ。
「移動かな」
然して、忙しなく場内を見渡すシャルは、大きく背筋を伸ばした。
「エントランス待機だっけか」
「案内が在る筈だが……」
椅子に背を凭れて、雑多な喧騒の間隙を縫って届く放送に耳を傾ける暇、次戦の開幕を告げる声音が響いた。
『第三戦目の参加者は、エントランスに集合して下さい』
俺は無言の儘、暫しの停滞に浸る。ひとつ立ち塞がる壁を乗り越える為の節目となる戦が、間近に迫っている事を示す合図が、いま確かに聞こえた。
「さあ。いよいよだ」
「ああ。待ち草臥れたぜ」
斯くして、俺とアルスは勢い良く立ち上がった。
追従する様に立ち上がるシャルは、魔道書を抱えた儘、大きく息を吐いた。
「ミラ!」
刹那、けたたましく響く喧騒の間隙を揺蕩う俺の名を、俺の意識は掬い上げる。気が付けば、俺は無意識の内に背後を振り返っていた。
斯くて、俺の名が記された手製の応援旗を携えた男女複数人の姿が、其処には在った。
「目指す場所は天辺だ!」
「ミラならば勝てるよ!」
耳から脳を巡って心に届いた言葉は、紛い様も無い声援に他ならない。戦い間近に呉れた応援の言葉だった。
騒ぐ為に此処に来た人間だろうが、顔さえ知らぬ人間の言葉だろうが、応援されている事実は素直に嬉しい。故に、俺は其の声援に応えて、固く握り締めた拳を振り上げた。
此の拳は、暗雲を貫く稲光となるか。虚空に舞った白砂の一粒と果てて紛れて仕舞う運命か。
無常を刻む慈悲も無く無情な時の濁流に揉まれて、ただ消える為の覚悟は無い。大敵との対敵に備えた覚悟に全て割り振った。
次戦の開幕を告げる号令と、鳴り止まぬ歓声に揉まれる最中、俺たち三人は観客席を縫う通路を行く。
「腕が鳴るぜ」
意気揚々と腕を振り回して、風切り音を鳴り響かせるアルスは、俺の先頭を進む。其の背を追って、シャルと俺が後に続いた。
「本当に腕が鳴ってる……」
腕が虚空を薙ぐ音など初めて聞いた。
「漲ってきた」
「カラ回って呉れるなよ」
腕を振り回す野郎の背を小突いて、俺は長々と息を吐いた。
来たる今日、聳える壁は目前に在る。俺は、此の日を待っていた。
アクラスの話を聞いた日から今まで、只管に待っていた。
「アルス。シャル」
俺は観客席の出入り口で立ち止まった。
「ん?」
「どうしました?」
アルスは此方を振り返って、シャルは俺の横から顔を覗かせる。俺は出入り口の遥か上方に広がる蒼穹を見据えて、口を開いた。
「楽しもうぜ」
一言だけ呟いて、俺はアルスの横を擦り抜けて、出入り口を潜った。
振り返らず前に焦点を合わせて、俺は前に前に足を投げる。我が道を只管に行く。其の背後に感じた空蝉の気配を連れて、俺は突き進む。
「あったりめえよ!」
「もちろんです」
彼等の信条を俺が知る由も無く、余計な詮索は無用だ。彼等が語りたい時に語れば良い。だが、彼等は明確な信条に付き従って此処に居る。あの日に感じた心根、時おり見せる姿、所作、表情に触れた俺の五感は語った。
然らば、俺たち三人は行く。連れ立って歩くのだ。道を違える未来は、何時しか訪れるのだろう。だが、道を交えた者同士の奇跡的な邂逅が繋いだ縁は、一本の頼り無い紙縒に過ぎなくとも、千切れず繋ぎ留めて呉れる筈だ。
頼れる同志は、多くて厭う理由は無かった。
「……」
初心は貫徹する。その為ならば、何さえ厭わない。
お正月なので、お餅を沢山たべました。お肉も沢山つきました。ダイエットします。
さて、いよいよ開戦間近の三人です。赤髪を敵視するアルスの内懐が、戦い方に如何あらわれるのか。何事も無く初戦を超えられるのか。次話の投稿をお待ち下さい。