第九話 -野郎二人-
エクセリア魔力学校に於ける模擬戦闘訓練にて、アリステリアがミラ一行に宣戦布告をした後の話です。
場所は、監視本部前。溢れ返る人波を縫って、俺たち三人は魔光板に記載された組み分け表を確認できる位置まで寄った。
「さて、俺たちの相手は……」
「同期の様だな」
眺めた樹形図の末端に記された俺の名と、代表者の期生を示す文字。下方に記載された第一戦目の対戦相手の名は、リズィ。名の尾部に記載された代表者の期生を示す文字列は、俺たち三人と同期である事を示していた。
記憶に無い名前だが、同じ基礎講習を受けている筈だ。脳裏を駆け巡る講習中の風景や、ソフィアの声を辿って、其の名に覚えが無いか記憶に問い掛けるが、やはり思い当たる断片的な記憶さえ無かった。
然して、俺が溜息を吐く間に、「リズィ」と、囁く様に呟いたシャルの言葉を、俺とアルスは聞き逃さなかった。
「シャル。知っているのか?」
口元に人差し指を添えて、何事か思い出す様に顔を顰めたシャルに、俺は問い掛ける。
「はい。幼馴染なんですが……」
「あいつか!」
突如として割り込んだアルスの叫声は、シャルの言葉尻を掻き消す様に響き渡る。状況の理解が及ばない俺は、シャルとアルスを交互に眺めた。
「たまに、朝の登校中に一緒に居る奴だよな⁉︎」
「うん」
アルスも知る幼馴染は、シャルと朝の登校を共にする仲らしい。
「あのいけ好かねえ野朗か……」
其の”いけ好かねえ野朗”の顔を思い浮かべて、顔を歪めたアルスの口から飛び出した言葉を脳裏で噛み砕くが、如何しても俺の理解は追い付かない。固く拳を握り締めたアルスを見据えた儘、「何者なんだ」と、疑問を呈する事しか出来なかった。
「俺が居ない時に限って、シャルに近寄って来る男だよ」
「へえ」
此方を見据えて、苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべたアルスの胸中を汲み取った俺は、右手で歪んだ口元を隠す様に覆った。
不躾な話かも知れんが、アルスの口から咄嗟に飛び出した興味深い話には、何と無く惹かれる魅力が孕んでいた。
斯くして、俺は魔光板の周囲を一瞥、方々へ向かって視線を巡らせて、話題の渦中にある空蝉の印象に合致する影を探す。
「此処ら辺には居ないのか?」
「ん」
然して、眼前のシャルが指し示した先に居たのは、此の俺だった。
いや。正確には、俺の背後を指し示していた。
戸惑いも一瞬、シャルの挙動に釣られて背後を見返せば、其処には風変わりな外見の男連中が立っていた。
「初戦の相手がミラって、ツイてないな……」
陰鬱とした表情を貼り付けて、愚痴と溜息を吐いた赤髪の男は、此方に向かって数歩ほど歩み寄った。
「お前が、リズィか?」
陽光を照り返す赤髪を掻き上げて、「そうだよ」と、中性的な声質のリズィは肯定した。
「一応、同じ講習室で受講してるんだけど……」
「悪いな。記憶力には自信が無い」
同期生で、顔と名前が一致する人間など十人も居ない。何かしら有名な人間か、或いは、事ある毎に声を掛けて呉れる人間ならば、いざ知らず、数百人も居る関わり無い同期生の顔など、如何して覚えられようか。
斯くして、近寄る足音に追従して、俺の視界に写った空蝉の影ふたつ。俺を挟み込む様に、アルスとシャルが俺の両脇に立った。
「やあ。シャル」
「リズィ。参加してたんだ」
魔道書を胸元に抱えたシャルは真顔の儘、杖を袂に仕舞い込んだ赤髪の男を見据える。
「驚かせたくてね」
前髪を掻き上げる仕草は癖なのだろう。枝垂れた前髪を掻き分けて、「驚いたかい?」と、彼は輝く微笑を湛えた。
「まあ。驚いたよ」
熱視線を注ぐ赤髪の男に対して、冷淡な視線を呉れて遣るシャルは草臥れた様に笑った儘、身体を仰け反らせた。
成る程。アルスが毒突くのも道理だ。何ら関係の無い俺でも、此奴の言動には腹が立つ。其の上で、或る種の思慕を抱く相手と、仲睦まじく会話する様子を見せ付けられては、苛立ちも尚更だろう。
仮に、カノンの元へ此の手の気取った野郎が近寄って来たのならば、其奴の命など無に送り返して呉れる。
斯くして、俺は小さく溜息を吐いた。
俺と直接的な関係は無いとは言え、今の現状を思えば、傍迷惑な事この上ない。
右手側のシャルから視線を逸らして、左手側を見据えれば案の定だ。悶々とした感情が表情から溢れ出ている野郎は、眼前の赤髪を視線で以って抉り抜いていた。
「やあ。アルス」
「よお。赤髪」
落ち着いた様子で対応する赤髪と、あからさまな態度で喧嘩を吹っ掛けるアルス。癇に障る微笑を湛えた儘、僅かに眉尻を下げた赤髪は、「ご挨拶だね」と、前髪を掻き上げた。
「リズィだ。そろそろ名前を覚えて欲しいな」
「悪い悪い。記憶力には自信が無くてよ」
何処かで聞いた台詞を以って相手を小馬鹿にするアルスの態度は、決して褒められたものでは無いが、致し方が無いのだろう。流石の赤髪の表情筋も、見えない細糸で釣られた様に引き攣った。
「君の様な能天気馬鹿でも、アルスのチームに居られるんだね」
「頭で実力は語れないぜ」
得意気に胸を張ったアルスを見下す様に見据えて、「知ってるかい」と、相対する男は赤髪に触れた。
「戦いには、知力も必要なんだよ」
何時の間にか、嫌味の応酬へ変貌を遂げた前哨戦を眺める暇、俺は大きく嘆息した。
同時に溜息を吐いたシャルも、此の小競り合いに疲弊している様子が伺える。
然して、野郎二人は至近距離に近づき、双方の顔を睨め付けた。
「よお。笑顔掲示板」
「やあ。人面筋肉」
大して笑顔では無い赤髪と、大して筋骨隆々では無いアルスは、暫く啀み合った末、息を合わせて勢い良くシャルの方へ振り向いた。
「シャル!なんで、こんなクソッタレが幼馴染なんだッ!」
「シャル!コイツと一緒に居たら、馬鹿に侵されてしまうよ!」
喧々囂々と叫び散らした両名は、横目で互いを睨み付けて、再び顔を突き合わせた。
端から見れば、まるで子供の喧嘩だ。其の昔、自宅の近所で見た子供の喧嘩は微笑ましいと思えたが、いま見る大きな子供の喧嘩ほど醜い物は無い。
斯くして、俺は引き抜いた剣戟を、顔を突き合わせた二人の間に割り込ませた。
其の刹那、「あぶねえ!」と、叫んだアルスの叫声が喧騒を縫って響いた。
「良い加減にしろ。喧嘩する余力が在るのならば、本戦まで残しておけ」
「ミラ!お前は、この野郎を腹立たしく思わんのか⁉︎」
横の赤髪を指差して、憤怒を焔を猛しく燃え上がらせた男は、俺に同調を求める。然して、「知らん」と、俺は一蹴した。
「其の感情は、此の後の為に残しておけよ」
俺の言葉を噛み砕いて、不満そうな表情を滲ませたアルスだが、赤髪を一瞥、首を切り落とす仕草で喧嘩を吹っ掛けた此奴は、俺の横に並んだ。
「ばか」
「うっせ」
俺を挟んで繰り広げられる罵り合いの応酬を耳に、俺は眼前の赤髪を見据えた。
「赤髪」
「リズィだよ」
そうだ。リズィだ。何時の間にか、彼の名は”赤髪”の印象に掻き消されて仕舞った。
馬鹿野郎が、「みんなの赤髪野郎」と、ゲラゲラ笑っているが、俺は意に介さず言葉を繋いだ。
「悪いが、手は抜かんぞ」
「もちろん。僕たちも全力で戦わせて貰うよ」
然して、俺の隣を見据えて、リズィは口角を吊り上げた。
「人面筋肉も居るしね」
「望む所だ。腐れ赤髪野郎」
売られた喧嘩に買い言葉。アルスは、背丈を越えて聳える武具を地に突き立てて、拳同士を強く叩き合わせた。
「シャルも、手加減は無用だよ」
より一層の微笑を湛えたリズィの言葉に、「分かってる」と、小さく頷いたシャルも、手加減する気は更々なかろう。俺たち三人が、此の訓練に於いて手加減する理由など無かった。
然して、轟音が轟く構内に響き渡った学内放送開始前の鐘が、俺の耳を貫いた。
『模擬戦闘訓練運営本部です。修練を止めて下さい』
放送を合図に、場内の喧騒は徐々に鳴りを潜める。満員御礼の観客席の騒々しい語り音も止んだ頃、運営本部が設営されている施設に併設された監視塔に、暗幕を被った監視官の姿が見えた。
『では、これよりエクセリア魔力学校に於ける模擬戦闘訓練を開始します』
其の刹那、場内に湧き上がった歓声と、鳴り響いた魔力攻撃の衝撃音。開始を告げる合図が、方々から聞こえて来た。
「随分と盛大だな」
「そうだね」
感嘆する二人を交互に一瞥して、俺は虚空に開いた魔力攻撃の散光を眺めた。
漸く、だ。また、”漸く”が訪れた。
優雅に咲いては朧に散って、儚く散っては激しく咲く花は、まるで儚い夢の如く、俺の目には写った。
俺の悲願を達成する為には、あと何度の”漸く”を乗り越えれば良いのか。数え切れない程の”漸く”を乗り越えて、初めて悲願は成就するのだろう。
では、其の”漸く”は、あと幾つ待ち受けているのか。聳え立つ壁に阻まれて、儚い夢と朽ちて、今生の今際を悟って散る人生など許されない。儚い夢で終わって仕舞えば、辿って来た軌跡に残せる遺物など何も無い。途切れた道の終端に終焉が待っているのならば、無を統率する其奴は、俺の意識と生き様を纏めて奈落に叩き落として消えるのだろう。
『第一グループの第一組、第二組を除いて、場内に居る生徒は観衆席に移動して下さい』
まるで無意味だ。其れは、何も成していない事と同義だった。
なれば、魔族掃討を果たす悲願成就への道程は、俺の人生を賭けた賭け事なのだろう。俺は、神の御前に与えられた有限の人生を叩き付けた。
相対する神の賭け金は”平和”だ。魔族の有無に依らず、神は曖昧な概念でしか無い平和を賭した。
カノンが切望する魔族と人間の和平が叶うのか。俺が切望する魔族を掃討した人間が繁栄する平和が在るのか。神さえ知らぬ平和の有り様。不明瞭で靄の様な姿形は、カノンに信条を託された俺の一挙一動に依って確定されるのだ。
「ミラ!」
「おお。如何した」
雑念を掻き分けて入り込んだアルスの声音に触れた俺の意識は、水底に張り付いた気泡の様に急速に浮上した。
「如何した、じゃねえよ。赤髪野郎は、もう行っちまったぜ」
御立腹のアルスは、地に突き刺していた筈の武具を手に据えて、行き場の感情を打つける様に地団駄を踏んでいた。
「行く?奴等は何処に行ったんだ」
「お前は、放送を聞いていなかったのか?」
訝し気な視線を呉れる野郎は、足を止めて呆れた様に呟いた。
「悪いな。聞いていなかった」
正直な話だが、全く以て聞いていなかった。訓練開始の放送以外に垂れ流されていた事さえ知らなかった。
「退散だよ。退散」
アルスの差した指を追って見渡した周囲に散った人間が、一様に出入り口へ移動している様子を見て、「ああ」と、俺は納得した。
「一組目の試合です」
「すまん。考え事で忙しかったのでな」
何処か焦った様子のシャルに説明されて、漸く俺は、地に張り付いた足を上げた。
「次は叩いてた」
片腕を上げて、拳を掲げたシャルの一撃は、”殴打”と表現したい代物だが、黙して語らず、俺は腕を上げて”降参”の意を示した儘、黙って踵を返した。
何方にせよ、魔族を斃す為に奮闘する未来は変わらない。俺は、俺の信条に付き従って生きるのだ。
故に、俺は此処に居る。此の手は差し伸べても、此の手を掴んだ奴に引き寄せられる様な覚悟は無い。仮令、其の手を掴んだ相手が、俺の敬愛する彼女だったとしても……。
聳える壁は穿って仕舞えば良い。何度でも、自分自身に言い聞かせて来た言葉だった。
「行くか」
「おうよ!」
意気揚々と叫んだアルスと、寡黙に頷いたシャルを見返した俺は、何度も踏み締めた”一歩”を踏み出した。
真冬です。寒風に凍えながら、寒空の下で執筆しております。
見上げているのか、落ちているのか。見上げる一面の蒼と、荒ぶ寒風は、生きている実感を呉れるので好きです。
さて、登場人物が増えて来ました。
今回は、赤髪の人との邂逅です。シャルとは、昔からの親交があるらしい赤髪ですが、アルスは堪ったものでは無いでしょうね。
心中お察しします。