かいめいはとつぜんに
長い廊下、凸凹な二人は他愛の無い話をしながら歩いていた。しかし話の種がいくつもあるわけではなく、早々とつきかけた頃、少しの沈黙の後にふいに編集長が問かける。
「ホバックス君」
「はい?」
そう聞き返すと
「今回の事件、君はどう思う?」
実に直球な質問に少し考える。話が話なのでまわりに聞かれても良いような当たり障りの無い言葉を考えようとしたが、なかなかいいものが浮かばない。さてどうしたものか……
「出来ればデータではない、君の口から本音を聞かせて貰いたいな」
そう言うと編集長はおもむろに体感屋を抱える手に触れる。すると目の前に即席回線の許可の是非を問うウインドウが開いた。
コイツはいわゆる直接回線の簡易版で、従来ならばお互いの個人コードを交換しなければならないのだが、これはお互いに触れ合うだけで簡単に登録が完了するのである。ただし登録後約五時間という時間制限と、有広範囲が直接回線と比べて極端に狭いという特徴がある。どうやら俺が考えていた事を見透かしていたようで、確かにこれなら気兼ねなく話すことができる。なるほどなと思いすぐに即席回線の許可を承認した。
『どうだい?聞こえるかな?』
『はい、大丈夫です』
『承認してくれたという事は色々と話して貰えると言う事でいいのかな?』
『条件として私の質問にも素直に応じること、お互いにこの会話は口外、録音しないこと、いいですね?』
『君の立場はよくわかっているさ。元からそのつもりだよ。今ここにいるのは特ダネを求めている編集長ではない、君の大切な友人の身内と考えてくれるといい。気兼ねなく何でも聞いてくれ』
何だか上手くこの状況に誘導されたような気もするが承認してしまったものは仕方がない。オフレコだし多少のバレは覚悟だ。
『承知しました。ではどちらから……』
『そうだなぁ、まぁ時間もあることだし、とりあえずは色々話していこうじゃないか』
『わかりました』
『そうだ、本題のまえに一つ聞いておきたいことがあるのだがその、変なことを聞くが君は“幸福な痛み”というものはあると思うかね? 』
『幸福な痛み……ですか?』
そもそも痛みなんてモノは部品が損傷するかもしれない場合のちょっとした警告や破損部分の認識であり、そして日常生活でのリアクションの一つのような“先人からの名残”である。そもそも自分の意思で有効、無効にすることができるのだが。
『そうだ。通常のものとは違う特別な痛みらしくてな、普通では考えられない程の辛い痛みにもかかわらず、なぜか最後には不思議と幸せと感じてしまうそうなんだ。だから僕はコレを幸福な痛みと呼んでいるのだがどう思う?』
正直このヒトは一体何を言っているのだろう、そう思いながらも一応返答する。
『ええと、ヒトによってはあるとは思いますよ。しかし痛みを幸福と感じるのは個人の自由ですから……私には解りませんがね』
『……どうやら君は少し勘違いをしているみたいだな。すまない、今の話は忘れてくれ』
『わかりました。体感屋には知られたくはないでしょうし、忘れますよ』
そう言うと少しばかり二人の距離は離れた。
『ちょ、ちょっと待ていいかい、そいつは勘違いだぞ。僕にそんな趣味は無いぞ!』
『そうですね、ないですね』
『信じてくれ~!』
この後、微妙に早足になったホバックスを説得するまでの時間で体感屋の病室までたどり着いてしまうのであった。こうして病室のドアの前まできた時、二人は一つの異変に気付く。最初に声にだしたのは編集長の方であった。
「これは……どう言うことなのだ?」
「病室の名前が変更されている……?」
決して病室を間違えたわけではない。二人が見ているドアは確かに体感屋の個室の番号である505号室であった。しかし体感屋を示す“AI8055 様”ではなく、表札には“アイカ 様”と記されていた。
「急に病室変更でもあったのでしょうか?」
「うむ、聞いてみたほうが早いな」
二人は足早に一路、ナースステーションへと向かうことにした。
「病室変更ですか?たしか今日は特にそういう変更は無かったと思いますが……どの病室でしょうか?」
受け付けの看護師は質問に実に手慣れた口調と笑顔で応える。
「505病室です、ほらあそこの個室です」
カウンターになんとか肘でぶら下がり、編集長が505病室の方向を指差す。
“ホバックス君は今までこの子を背負っていたのだからここの長椅子で休んでいてくれ、僕が聞いてくるから。なぁに安心して僕に任せてくれ”
そんな頼りがいのある台詞を残した編集長の現状である。当の本人は肉体的にもあまり余裕はなさそうであった。しかし、傍から見ていると足を交互にパタパタさせる所など実に微笑ましい光景であった。
「わかりました、少々お待ちください。その前に先程まで背負われていたヒトの方が心配なのですが、よかったら寝台と踏み台をお持ちしますけど……」
「あ、大丈夫です。我々だけで運べますので。あの子はよく寝ているだけですからご安心ください」
「そ、そうですか、では少々お待ちください」
そう言って奥へと入っていく。この時の表情はどことなく笑顔とは別の笑いをこらえているように見えた。そんな看護師を見送ると、颯爽とカウンターから飛び降り、見事着地する。そして先ほど近くの長椅子に体感屋を寝かせて待っているホバックスの所までやって来ると、看護師とのやりとりを一通り伝えた。しかし最後には
『別に踏み台はいらないだろうに』
そう即席回線で愚痴り、ホバックスを内心苦笑いさせる一幕もあった。そして待つこと約5分、受付けとは違う看護師が二人の前へとやってきた。
「どうもお待たせしました。505病室の件の方達ですね?」
先程と同じ笑顔で尋ねられる。
「はい、先程までいた病室の表札の名前がかわっていたものですから」
「その事なのですが、実は現時点で特に病室の変更はありませんでした。ただ――」
「ただ?」
聞き返すと看護師はもう一度リストを確認すると二人に告げる。
「実は505病室の患者さんは個人名称変更の申請をしていたようなのです。申請が完了したという連絡がこちらに着たものですから、表札も製造番号からアイカ様に変更させていただきました」
「なるほど、わかりました。では病室は前と同じ505号室で大丈夫なのですね?」
「はい、ご迷惑をおかけしました」
深々と頭を下げる看護師にいえいえ、こちらこそと定番な答えと会釈で返すと、看護師は業務のためまたナースステーションへと戻っていった。
「それでは謎も解けたことだし、我々も505室へ戻るとするか。それにしても静かにしていても迷惑をかける奴だ。名前を変えたのなら真っ先に言うのが筋だろうに」
実に同意見だな、と体感屋を背負いながらホバックスが思った……その時、一つの違和感を感じる。もし体感屋が改名を申請した事を覚えていなかったとしたら……?
『すみません、名前の申請にはどの位かかるか解りますか?』
505病室へと向かおうとする編集長の肩に触れ、即席回線で会話する。いきなり触れられビックリしたのか、編集長は思わず杖を落としてしまった。それを拾うと、平静を装いながら
『そ、そうだなぁ、たしか普通ならばだいたい三週間位か。最速ならばもっと短くはなるとは思うがあれにはコネが必要だ。あの子にはちょっと無理だろうなぁ』
『三週間か……それじゃあ違うか』
『何か引っ掛かる事でもあったのか?』
『不自然だと思いませんか?今まで名前をかえる気なんてさらさら無かった体感屋が突然改名するなんて。それに周りのヒト達にその事を全く言わないなんて流石にありえませんよ。これは四日目以降に何か関係があるのでは?』
その発言に少し考える素振りを見せるも、腕を組み、あたかも難しい顔をしているかのようにクビを軽くひねり返答される。
『確かに変だとは僕も思う。しかしな、仮にその事がわかったとしてだ、事件との接点は無いと僕は思うのだよ。それに申請日を逆算しても無関係なんじゃないかな?』
確かにあの四日間に申請を出したとしても最長で今日は14日目になる。早すぎるし、何よりあの四日間に申請する暇があったのかと言われると疑問である。
『……言われてみればそうですね』
『なぁに、勿体ぶって言わなかっただけかもしれないし、たまたま日が重なっただけだろうよ。さあ、そろそろ行こうか』
“はい”そう返して歩きだしたものの、納得しているにもかかわらずホバックスの刑事の勘が何か接点があると未だに訴え、その考えを簡単には捨てさせてはくれなかった。考えがまとまらないまま、二人は505病室へと再び辿り着く。
部屋は体感屋と二人で出ていった時とほぼ同じであったが、唯一ベットだけが綺麗に整えてあった。おそらく表札をかえに来た看護師が直してくれたのであろう。そんなベットに体感屋を静かに寝かせると、二人は椅子に座り改めて先程の本題の続きを話しはじめた。