空席のジェットコースター
夏のホラー2017用作品です。
アトラクション:ジェットコースター
そのジェットコースターは、遊園地の中でも一二を争うほどの人気アトラクションだった。
旋回する時に見える園内の様子だとか、下る時のスピードの速さや角度、また下った時の反動で上っていくという演出など人気の理由はいろいろとあったが、誰もがまず理由として挙げるのは、そのコースの長さだった。
アトラクション乗車時間が6分。数字として表記してみれば短い時間のように感じるが、実際に乗っている間は、その何倍もの長さに感じたものだ。
おかげで60分待ちが当然のアトラクションで、たったの6分のお楽しみだろうが、その6分に不満を抱く客はあまりいなかった。
夏休みなどの繁忙期には、合計3台が動かされ、乗車前に整列された客が次々に乗り込んでいく。
しかし、どんなに忙しかろうが、運行中の3台の内の1台の一番後ろの二席だけは、ほとんど必ずと言っていいほど毎回空席にされていた。
おそらく点検の為だろう。単純にそう思って、それ以上を誰も考えない。
だがある時、夏の暑さの中一時間以上を列に並ばされ待ち続け、イライラしていた若い男女二人組の客が、その席に乗せろと訴えたのだった。
現場係員がいくら丁寧に点検の為で、安全の為であることを説明しても一向に聞き入れず、結局はその係員の上司が対応をする事になり、仕方なしに彼らをその空席に座らせることとなった。
その男女が声高に訴えるように、安全の為、点検の為と言うが、常に3台中の1台の最後尾席を空席にしておかなければならないなどとは、確かにおかしな話ではあったのだ。
その、おかしいというところにもっと注意を払っても良さそうなところだったのだが、夏の暑さで冷静な判断力を欠いていた事やその男女が普段から人の忠告に耳を貸さないタイプだった事が災いしたのだろう。
自分達の身勝手な主張が聞き入れられて、勝ち誇ったような顔をしながら二人は意気揚々と最後尾席に乗り込んだのだった。
ところが、6分経ってコースから戻って来ると、乗り込む時にはあれほどやかましかったその男女が青い顔をして表情を強張らせ黙り込んでいる。
他の乗客には何の異常もなく、晴れやかな顔をして降りてくるのを見ると、コースを走っている間に何らかの事故があったというわけでもなさそうだ。
見た目は派手で怖いもの知らずに見えたが、そうではなかったのだろうか。
他の客が笑いさざめきながら去って行く中で、彼らの怯えたように身を縮こまらせている様はひときわ係員の目を引いた。
しかし、現場係員として次々と入れ替わる客の相手をてきぱきとこなしていかなければならず、その事自体は休憩時間まではすっかり忘れていた。
昼も過ぎて夕方近くなり、その現場係員は交代の係員に仕事を引き継ぎ、従業員用の休憩室へとやって来た。広い室内には冷暖房設備があり、今は涼しく快適な温度に保たれている。
日陰とはいえど外気に晒されている場所での仕事だった為、絶え間なく汗をかいていた。だから、ここのひんやりとした空気にほっと気持ちが安らぐ。
休憩室の奥の壁には5台の自動販売機が入口を向いて並んでおり、その内の3台が有名な飲料メーカーのもので、あとの2台はメーカー名がどこにもない。その2台では、それぞれパンやお菓子を販売している。
ここでは飲み物だけでなく、パンやお菓子までも安価で買い求める事が出来た。しかも、他で買うのより20円は安い。
また、室内には長テーブルが三つ川の字に置かれており、その下に小柄な椅子が収納されている。
30人は座れる程椅子が用意されているのだが、今は空席が目立った。
この時間帯は、早番の人達はとっくに休憩を終えているので、あまり人がいないのだ。
財布から小銭を取り出し、自動販売機で冷たい缶のミルクティーを買う。
それから、どこに座ろうかと空いている席を吟味していると、先ほど問題のある客の対応を代わってくれた上司が冷たい缶コーヒーを飲みながら長テーブルの前に腰掛けているのを見つけた。
礼を言いたいのもあって、上司の元へと早足で近づいて行く。
「田辺さん、先ほどはありがとうございました」
「いいって、いいって。ああいうの、たまにいるよね」
ひらひらと手を振って、笑顔で明るく言ってくれる20代後半の若い上司に好感を持って目の前の椅子をテーブル下から引き出す。
背もたれのないその丸椅子の上に、田辺と向かい合うようにして座った。そして、ふいに先ほどの男女の様子を思い出して、そういえばと口火を切る。
話を聞いている内に、田辺がにやりと悪戯っぽい顔をして笑った。
「丸山さんは、真面目だなぁ。でも、二人とも怪我はしてなかったでしょ?」
「ええ。でも、なんか変だったんですよね。元気がないというか……。まあ、元気があっても、クレームつけられるだけなんで、ない方がいいとは思いますけどね」
「はっきり言うね。丸山さんにとってはあの二人は災難だったかも知れないけれど、許してやったら? たぶん、あの二人にはばちが当たったんだと思うからさ」
「ばち、ですか?」
「そう」
田辺が、休憩室の壁の天井近くにある神棚へと視線をやった。
「ここのオーナーは、信心深い人でね。ここに遊園地を建設する際の安全祈願の時に、いくつか決め事をしたそうだよ。だから、特に理由もないのにこうしろああしろっていうお達しがある。きみ達みたいなアルバイトの子にも、徹底しているでしょ? でも、その理由は聞かされていないよね。ただ、そうするようにって言われて、そうしている。ジェットコースターの事にしてもその一つさ。別に危険があるわけじゃないよ。ただ、3台動かす時は運行中の1台の最後尾はなるべく空席にしろって言われてそうしている。まあ、それも、毎回じゃなくてもいいんだけどね。でも、縁起担ぎってやつかなぁ。何となく毎回空席にしてはいる。そのおかげかどうかは知らないけれど、事故や故障が起こった事は一度もない」
田辺が、のんびり缶を持ち上げてコーヒーをすする。
それにつられるようにミルクティーを飲んだ。
「これは本当の話だよ。今まで一度だって変な事は起こっていない。大体、何かがあったんなら、従業員の間で噂になるに決まっている。空席にするのは、結局は縁起担ぎに過ぎないんだろうと思うよ。だけど、ああいう人ってのは何て言うか……きっと、相性が良くないんだろうなぁ。心の広い神さまだって、馬鹿にする相手には手厳しいものだし。でも、あの二人、何があったのかは知らないけれど、これで少しは懲りたんじゃない?」
「あのぉ、やっぱり、あの場所に何かがあるって事ですか? まさか、あそこに霊とかいるんですか?」
田辺が、またも笑って首を横に振った。
「いいや、そういうのは聞いた事がない。事故を起こした事もないし、園内で亡くなった人もいないしね。熱中症で倒れて救急車で搬送された人なら過去にいるけれど、それだけかな」
「そうですか」
「大丈夫だよ、丸山さんは真面目だから。真面目な人は、そういう悪さをされないものさ」
真面目な人は悪さをされないという言葉を聞いて、どこかほっとしたので、田辺にその後礼だけ言って休憩室を後にする。
それから3年半、大学を卒業するまでの間アルバイトとして、それこそ真面目にその遊園地で働き続けた。しかし、その後は社会人となり一般企業に就職し、会社員として勤め始めたので、働く側として園内にいる事はなくなった。
週末の休日に何度か友人を伴って客として訪れている時に、田辺とは何度か偶然園内で出会うことはあった。そして、その内の何度かは数分足を止めて会話を交わしたりもした。
その頃も遊園地は相変わらず変な決まり事を守っており、やはりどんなに忙しく込み合った日でもコースを走るジェットコースターの内の1台の最後尾は空席のままだった。
それを不思議に思う友人に理由を話して聞かせるのが面白くはあったのだが、大抵は冗談だと判断されて本気にしてくれることはなかった。
嘘をついているわけではないけれど、自分でも半信半疑でいるのだから信じてもらえなくたって構わない。
変わった決まり事を律儀に守っている姿勢こそがユーモアであり、楽しいのだ。
しかし、その後しばらくして遊園地のオーナーが亡くなると運営会社が代わり、それと同時に田辺も退職したらしい。今は別の遊園地で働いていると風の便りで知った。
運営会社が代わった遊園地へは、何となく足を運ぶ気になれなくなり、しばらく行かないでいる内に呆気なく潰れてしまった。
運営会社が代わってちょうど二年後、園内のアトラクションで悲惨な事故がいくつも起こって廃園に追い込まれたのだそうだ。
何でも、利益を重視する方針に切り替わり、いろいろと無茶な事をしていたらしい。
客の回転率を上げる為に、アトラクションの運行台数を無理矢理に増やしていたとも聞いた。
そういった方針の元なら、おそらくあの決め事も守らなかったことだろう。
毎回でなくてもいいけれど、なるべく空席にしなければならないなどといった、理由のよくわからない決め事には何の意味もないと判断したに違いない。
勿論、それが原因で事故が起こったとは、あまり考えられない。
アトラクションの運行台数を増やしたが為に起こった事故だったのだと、きっと誰も彼もが思っていることだろう。専門家の人々が出した答えだ。それが正しいと思う。
けれど、そう思おうとする度に、青ざめた顔をした男女の強張った表情を思い出してしまい、やっぱりそうではないのかも知れないと思いなおすのだった。
地元近くの大学に合格し、その春からそこに通うこととなった笹山は、春休みの内からアルバイト先を探していた。
実家からの通学の為、家賃や生活費などの出費はないけれども、小遣いだけは自力で用意しなければならなかった為だ。
実家のある場所は都会ではなく田舎なのだが、そこそこ栄えており、近くには飲食店や本屋、スーパーマーケットなどいろいろな店があり、どこもアルバイト求人の広告が張り出されていた。
そこで笹山は、一つ一つその場所で働く自分をイメージし仕事先を吟味した結果、最終的に家からは少し離れた場所にはなるが遊園地でアルバイトすることに決めた。
どうせ学生の間だけのことだから、思いっきり非現実的な職場で非現実的な自分になってみようと思ったのだ。
元々、笹山は騒がしい場所は好きではないし、明るい性格でもなければ、はきはきとしてもいない。
だけど、遊園地という場所で働く以上は、いかにもそういう場所が好きで、明るく楽しい人間でいなければならないだろう。元々がそういう人間でなければ、そういった人間を演じるしかない。
普段の自分とは全く違う人間になって、非現実的な場所に身を置く。
これが一生続くのであれば苦痛だが、一時のことならばいずれはいい思い出になるだろう。
そういうわけで、学生の間だけ出来る無理を自分に強いてみることにしたのだった。
似合わないとは思いながらも、非現実的な自分を演じてみれば、どうにも笹山には女優の才能があったようで、明るくにこにこしたアルバイト笹山は、同じアルバイト仲間からもお客からもなかなか好評だった。
その上、それが演技であることを見破られた事は一度もない。
人の本質を見抜く目が衰えているのか、それとも笹山の演技が達者過ぎるのか。
笹山自身には判断がつかない。
もしも両親がやって来て、働いている笹山を見れば、無理をしながら頑張っているのだとわかってもらえただろうが、中年の男女がそろって遊園地などにやって来る理由はなかった。
やがて、季節は春から夏に移り変わり、遊園地にとっては稼ぎ時の夏休みに入った。
園内には親子連れの客が溢れ、ソフトクリームやら氷の入ったジュースやらが路上にひっくり返ることが増え、掃除係のアルバイトはいつにも増して忙しそうだ。
ただ、笹山は遊園地内でも人気アトラクションの一つであるジェットコースターの係員だったので、そこに並ぶ客の対応だけをしていたから、園内にどれほど人が充満しているのかを見ずには済んでいた。
もしもそれを見ていたら、そこから逃げ出して、どこかの人のいない山にでも籠って、滝に打たれる修業をしたいと思ったことだろう。
ジェットコースターに並ぶ客の長い列は途切れることなく、笹山は客を整列させ乗車させる係だったので、一グループが何人なのかを把握し、適切な場所へと案内をしていた。
今日は忙しいのを見越して、すでに朝から運行台数を最大の3台にしている。
しかし、この3台の内の1台の最後尾の席だけは常に空席。これはこのアトラクションの決まり事だった。
他のアトラクションで働く仲の良いアルバイトの子達と話をしていて気づいたのだが、そういう妙な決まりはジェットコースターに限らず様々あるようで、アクアツアーズという湖をぐるりと船で一周するアトラクションなんかは、夏休みで営業時間が伸びていても、午後6時で必ず運行を止めるらしい。
暗くなると危険が増すからという理由なのだそうだが、決まりきったレールの上を行くだけのアトラクションなので、どこがどう危険なのかはわからない。
仮に、案内人として客と一緒に乗船している係員が舵から手を離して、鼻くそをほっていたとしても船は真っ直ぐ安全に進むという話なのだが。
笹山は、次の台の空席になっている最後尾席を見る。
「それでは出発しまーす。いってらっしゃーい」
機械を動かしている先輩アルバイトの丸山が、操作ボックス席の中からにこやかに出発する客に手を振っている。ボックス席の隣を通り過ぎて、次第にスピードを増しながら乗り物が動いて行く。
客も楽しそうに同乗している仲間とはしゃぎ合っているようだった。
笹山が案内の係員の仕事を割り当てられて、3台運行中の1台は最後尾を空席にするよう教えられた時、そういう決まりだからと言われて不思議だと思ったが、そういうものならそうしようと思っていた。
どうしてだとか詳しく聞こうなどとは思いもしなかった。
けれど、実際に客を案内するようになって、どうしても無視できない事があり、初めて笹山は先輩の大学生アルバイトに聞いた。
「丸山さん、あれ、何なんですか?」
聞いたのは、シフトを終えての帰り際、着替え室で一緒になった時だ。
丸山はここで3年もアルバイトをしているベテランで、同じジェットコースターの係員だった。
親切で聞けば何でも丁寧に教えてくれるような人だから、彼女に聞くのが一番だと思ったのだ。
「2台の時はそうじゃないのに、3台動かすと汚れている時がありますよね?」
3台目を動かし始めると、乗り物の機体に薄い影のような汚れがつく。
しかし、それも空席のある機体がコースを一周してくると、綺麗さっぱりなくなるのだ。
何の汚れなのかわからない。コース途中で水をかぶるような場所はないし、油汚れだとも考えにくい。
それに汚れなら、どうして空席の一台が走ると綺麗になるのかもわからない。
丸山はちょっと驚いたような顔をして、「汚れてた? 全然、気づかなかった」と言う。
他にもジェットコースター係員はいるのに、あの汚れに気づいているのは笹山だけのようだった。
時々、真っ黒になっていて、流石におかしいと眉をひそめるような事があっても、他の係員は何の反応も示さないからだ。
それに、どんなに黒くなっていても、空席の3台目が走ると元の通りになる。
それどころか、新品同様に綺麗になっている時もあるくらいだ。
目がどうかしているのだろうか。
視力が急に落ちたかも知れないと、眼科へ一度だけ行ってみた。
しかし、目は何ともないようだった。
自分自身には何の問題もない。
それならば、ジェットコースターの方に問題があるのだ。
「ここのジェットコースターって、何かあるんですか?」
きっといわくつきの場所なのではないかと思って、笹山の心には日々不安が増していった。
やがて、その不安に耐えられなくなった頃だった。思い切って丸山に、その不安をぶつけたのは。
すると、丸山は笑って言った。
「私も同じことを社員の人に聞いたことがあるんだけど、この園内で事故が起こったこともなければ、亡くなった人だっていないんだって。あるのは、熱中症で倒れた人が救急車で運ばれたことぐらい。大丈夫だよ、悪いことは何も起こらないから」
3年働いている丸山の言葉に少しだけ心が軽くなって、笹山はそれ以上深く追求するのを止めた。
丸山の3年間には、悪い事は一度も起こらなかったのだ。それなら、笹山のこれからの3年にも同じように悪い事など起きないだろう。
それに汚れても、3台目が走れば綺麗になる。
それは笹山にとって救いでもあった。綺麗になるのなら、何の問題もない気がしている。
ただ、もしもこの先綺麗にならないような事が起これば、さっさと逃げ出した方がいいのではないかとだけその時に思ったのだった。
やがて、満席の2台が戻って来た後、空席の1台も一回りしてようやく帰って来る。
晴れやかな客の顔を見る限り、今回も何もなかったようだ。
乗り物からの下車を促し、新しい客を案内する。
そして、その最後尾は、またも空席にしておくのだった。