2話 「破壊と目覚め」
古来武術には体の要所に水の入った器を乗せこぼれないように動くことにより自らの身体の動きを理想と一致させるという稽古があったという。
ではこれを自分以外で行うとどうなるだろう。
神の視点である自分から命令のまま動く人形があったとしよう。
水はこぼれることなく人形は完璧な動きをするだろう。
しかしこれは伝達者たる自らの命令が完璧だった場合だ。
前置きが長くなってしまったがつまり何が言いたいかというと、
UFOキャッチャーが思った通りに動いてくれません。
耳をつんざく大音量のゲーム機の音の中、僕は目の前のたぬきのぬいぐるみに夢中だった。
僕の熱烈なラブコールとは裏腹にアームはたぬきの頭、腹、誇張された大きな尻尾に突き刺さる。
アームは怖いほど正確にたぬきの正中線を捉えていた。
中の綿が凹みたぬきは暴行を受けたように歪んでいた。
しかし位置は1ミリも動いていない。
普段ならこんなにムキになって何度もリトライしたりはしないのだが今回は退けない理由が2つあった。
一つは惨たらしく変形しながらも愛くるしい視線を送ってくるたぬきに愛着が湧いてしまったこと。
そして何よりももう一つ、隣から息苦しい視線を送ってくる幼馴染に恐怖を抱いてしまっていることだった。
ヨウは一切口を開かず、陰りかけた瞳でこちらを見つめる。
今はかすかに揺らめく闇でしかないが、その威圧力は計り知れない。
テル成分を持つと言われる制服は今はもう効果をなくしたのか返却されていたためヨウの症状の進行を抑えられない状況にあった。
ヨウの恐怖から脱出するためにも、たぬきを救い出すためにも、そして何よりもカッコいいところを見せてプレゼントするためにも負けられない。
そう意気込み機械に500円玉を入れる。赤く光る6の文字。
この6回が終わるまでに絶対に取る。
しかし想いはアームには乗らなかった。
無慈悲にたぬきの首、眉間、鳩尾、股間を刺突し深くえぐるプラスチックの爪。
薄く縦に堀跡のような線を残すぬいぐるみ。
それでも輝きを止めない愛くるしい瞳。
もう見るに耐えなかった。
最初からこの光景を見ていた人がいるならば無言でただただぬいぐるみにアームを突き刺すのを真顔で見る精神異常者として僕たちは避けられていただろう。
平日の午前中で人が少なかったのは幸いだった。
それでも僕の才能の無さには驚きを超えてもう諦めが見えていた。
苦し紛れにヨウへ話しかける。
「ア、アームが弱いのかな?全然取れないな、は、ははっ」
「アーム最強設定、放出台、激甘って書いてるよ」
「あ、ほんとうだ、おっかしいなー」
ああ知っていたよ、最初はその文字に惹かれてこの台近寄ったんだから。
機械のせいにして逃げることはもうできない。
次なる一手は。
「ヨウやってみる?まだ2回残ってるし」
「いや、いい。テルが取ってるのを見たい」
「そ、そっかー」
デスヨネー。
さてどうする、このまま突き刺し続けて綿のバランスが崩れ雪崩のように滑り落ちるのを待つか。いやそれではプレゼントとしてふさわしくない。
グロテスクな死体となったたぬきのぬいぐるみを抱きしめる黒色のオーラを纏うヨウを思う浮かべると恐怖を感じた。
今のたぬきの状態はプレゼントとして認められるギリギリのラインだろう。
これ以上の失敗は許されない、そう意気込みボタンへと力を込めようとした。
その時だった。
アームは初期位置から一切動くことなくその場で腕を開いた。
きっと時間が経ちすぎていたのが原因だ。
そしてそのままの状態で降下し始めた。
しかし、間も無くその動きは一瞬止まることとなった。
左のアームが側面にディスプレイとして設けられた別のたぬきに引っかかっていたのだ。
それでも最強設定のアームは止まらない。
想定されていた以上の角度に無理やり曲がるアーム。
最悪の事態が頭をよぎる。
ぼきんっ。
よぎると同時に響く軽い音。
あたりはゲーム機の騒音に包まれていたが、僕の耳にその音は深く響いた。
途端にアームは降下を止める。
ウー!ウー!ウー!
それと同時にあたり一帯に響く警戒音と機体から放たれる警告の赤い光。
隣に佇む少女の方を向く。
これにはヨウも驚いたのか目を大きく開き、小さな瞳がこちらを見つめていた。
話し合いを介さずして二人の意見は一致した。
「逃げるぞー!」
僕はヨウの手を握りその場から走り出した。
ゲームセンターの規模が大きかったことが幸いしてか僕たちは逃げ切ることができた。
二階フロアから先ほどのUFOキャッチャーを見下ろす。
そこあった筈の機会には『使用中止』と手書きで書かれた張り紙がしてあった。
「ごめん、ヨウ。取ってあげられなくて」
申し訳なく謝る。
「いや……いいよ……」
ヨウはうつむき呟く。
普段からそこまで口数の多くないヨウだったがこの反応はあまりにも薄すぎる気がした。
「別の取ろうか、あっち、に、も」
機嫌を損ねさせてしまったのかと思い、膝を少し曲げヨウの顔を見上げるように動きながら話しかけたていたがその言葉は最後まで紡がれることはなかった。
見上げた先にあったのは最大限までつり上がった口角、輪郭がぼやけるほどに薄く伸ばされた目、そして何よりも真っ赤になったヨウの肌であった。
僕の感覚が間違っていないのならばこの表情は確実にテレていた。もうこれ以上にないくらいに。マキシマムに。
目が合ったヨウはゆっくりと口を開いた。
「手、繋いだの、初めて」
カタコトだったが意味はしっかりと伝わった。
案外ヨウは普通なのかもしれない。
学校でも一面はただの気の迷いで本当は幼馴染と手を繋いだだけでゆでダコのようになってしまう超純粋な普通の女の子。
ならもう治療はいらな 「私もう手洗わないよ」 い、……。
聞き間違いだろうか。
不穏な声が思考の合間に挟まったような。
視界に広がるヨウの顔によく注目する。
細く広がった目の中にある瞳は沈んだような黒色に染まっていた。
それは完全な黒ではなかった。
漆黒の瞳を包み込むショッキングピンクの薄い瘴気。
きっと幻覚だとは思うが僕の目は確かにそれを捉えていた。
さらにその幻覚を肯定するみたいにヨウは口を開く。
「嬉しい、嬉しいなぁ。テルが手を握ってくれて。もう一生この手洗わないよ。ありがとうテル。もう死んでもいいくらいに嬉しいよ」
超純粋な愛情がメーターを振り切っていた。
ショッキングピンクの瘴気が濃度を増した気がする。
にへらっと笑うヨウがこちらを見ている。
その笑顔はとても可愛らしく美しいものだった。
しかしそれ以上に僕は一つの感情を思い浮かべずにはいられなかった。
それは『狂気』と言うものだ。
あたりは賑やかなゲーム機の音であふれていた。
「だっからその飛び道具卑怯だってば!」
「ははっガードもしないで無駄に飛び込んで来るのはオーガだろう」
「オーガ言うな!」
『2P WIN PERFECT !』
「っんもー!」
「あはははは」
テルのことなど露知らずケンタ達は一台の筐体ゲーム機の前でくっついてイチャイチャしていた。