●第1章 瑠璃色の乙女 ~5話 瑠璃色の乙女
死と隣り合わせである冒険者にとって注意しなければならないことは数多くある。
その一つが『焦り』である。
焦ることで、行動は雑になり、思考は単純化して柔軟さを無くす。
視野は狭くなり判断力は鈍くなっていく。
更には焦りは焦りを呼び、最悪という坂道を転がり、行きつく先には死が待ち構えている。
『瑠璃色の乙女』のリーダーであるシルファは、途轍もなく焦っていた。
(まずい。これは途方もなくまずい)
歯を食いしばる。
奇麗な顔は苦痛に歪み、全身の汗が止まらない。
飛びそうになる意識をどうにか保ち、震える手を意思の力で押さえつけるが上手くいかない。
普段の彼女の動きを知っているものが見たら一体何があったのかと目を丸くするしたであろう。
(だが、私はこんな所で立ち止まるわけにはいかない!)
それでもA級冒険者であるシルファの強さは揺るがない。
残酷なまでに強者は強者であった。
シルファを囲む魔獣達が最後に見たのは、流れる黒い軌跡のみ。
全てを染めるような黒く長い髪がふわりと揺れた次の瞬間には細切れになっていた。
魔獣を全て駆逐すると、シルファは他の仲間へ向けてよく通る声で叫んだ。
震える悲痛な声で。
「す、すまん~モモ、エリメラ!! は、は、花摘みにいってくるっ」
言うが早いか駆け出して岩場の陰にしゃがみこんだ。
死と隣り合わせである冒険者にとって注意しなければならないことは多いのである。
岩陰から出てきたシルファではあったが、ただ尿意だけに焦っていたわけではない。
(一体どうしたら……)
まずい状況には変わりなかった。
地下遺跡に突入して既に3日、依頼は達成したが、本来目的としているものは見つからず、ただ時間だけが無為に過ぎていくことに焦っていたのである。
(一度、戻るべきか……。しかし戻ったとしても……)
「シル。怖い顔してる」
「そんな顔をしてますと、皺ができてしまいますわよ」
シルファに安心させようと声を掛ける『瑠璃色の乙女』の二人であるが、シルファに劣らず、その表情はさえない。
時間がない。
手段がない。
進むべき道が見えない。
今も苦しんでいるだろう仲間を思うと胸が張り裂けそうになる。
いや……もしかしたら既に手遅れなのでは…………。
シルファは不意に零れそうになる涙を堪えて、頭を振った。自分はA級冒険者パーティー『瑠璃色の乙女』のリーダーなのだ。
けれど思わずにはいられない。
誰か、誰か助けて……と。
小さな手は虚空を掴んだ。
― 10日前 ―
「なんだか熱いわね。あれ?気持ちわる……い」
それは何の予兆もなく本当に突然の出来事であった。
依頼を達成した帰りのキャンプ中、食事を済ませた後、その言葉を最後『瑠璃色の乙女』メンバーの一人が倒れた。
「ク、ククルフィール!!」
「!!!」
「何ですの!?」
驚いて集まるメンバーたちの声にククルフィールは既に答えることは無く、荒い呼吸を繰り返すばかり。
彼女たちにとって不幸だったのは、エルフであるククルフィールが『瑠璃色の乙女』の中で回復の要であったことだろう。
3人は取りあえず手持ちの回復アイテムや、病気用のクスリ、毒消しを使用するがククルフィールには効果が見えなかった。
そこでリーダーであるシルファは決断する。
「街にこれから戻ります。みんな準備を急いで」
直ぐにキャンプを畳み、街へと戻ることに決めた。
本来ならば夜の移動など自殺行為なのだが自分たちならば出来るはずだと言い聞かせる。
闇夜に乗じた魔獣と戦いながら、青き月は雲に隠れ、一寸先は闇の中、道なき道を駆け抜ける。
「どうして? ククルフィールが?おかしいですわ」
「わかんないよ。こんなこと初めてだし」
「……急ぎましょう」
『瑠璃色の乙女』にとって、本当にこれまでにない程の異常事態なのだ。
エルフであるククルフィール。エルフは唯でさえ病気や毒に強い種族である。
特にA級冒険者でもあるククルフィールは病気や毒へ耐性・回復力は強大なはずなのだ。
けれどもメンバーに背負われているククルフィール目を覚ます様子すらない。
「街が見えてきましたわ」
「このまま治療院に向かいます」
「衛兵さん!! ゴメンね!! このまま突っ切るね!!!」
流石に闇夜の中を夜通し駆け抜けてボロボロになりながらも、何とか街に戻り着いた3人は直ぐに治療院へと向かうのであった。
しかしククルフェールは回復することなかった。その後も薬師や教会院にも見てもらうが原因も判らずに悪化する一方。
焦るメンバーであったが、更にはどうしても断ることのできない依頼が追い打ちをかける。
「ほ、本当ですか!」
だが依頼先で希望の光ともいえる情報を得たのである。それは依頼先の地下遺跡、その奥にあるという、万病に効くという『マグザ魔草』についての情報であった。
しかしいくら地下遺跡を探しても見つかることのない『マグザ魔草』。
諦めと絶望がシルファの、そして『瑠璃色の乙女』の心をジワジワと染めようとしていたその時。
「? あっち光ったよ。これ……まずいかも」
「本当ですわ。どなたか……戦っていらしゃるようですわ!」
シルファは顔をあげる
時間がない。
手段がない。
進むべき道が見えない。
けれど自分たちはA級冒険者『瑠璃色の乙女』なのだ。
「救助にむかいます」
黒い髪を靡かせシルファは駆ける。
それが、彼女たちの希望へ繋がる道だとは今はまだ知ることは無い。
ただただ、冒険者としての矜持を胸に秘め、刀をはしらせた。
読んで下さったあなたに感謝を!!!