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第1章⑨、酔いの代償……そして。

「――まったく、何が決定力のあるFWだい。ストライカーなんてねえ、1ゴール決まれば2点3点と続いていくものなんだから、俺だって、もっと出場時間をもらえれば絶対……」

 酔いが回ったことで饒舌になっていった浅川は、ママとの会話でとつとつと愚痴を零していた。

「じゃあ、仁ちゃんはサッカー選手だったのねえ」

「ええ、まあ……」

 赤くなった顔と据わった目で対面に立つママを見る。

「凄いじゃないの」

「別に……たいしたことは」

「そんなことないわよ。誰でもなれるものじゃないんだから。せっかくだし、今度サインちょうだいな」

「いいっすけど……どうせクビになるだろうから価値なんてないっすよ」

「……やっぱり、厳しい世界なのねぇ」

 浅川は返事をする代わりに何杯目かのウイスキーを飲み干すと、ぞんざいにグラスを置き、おかわりを求める。しかし、ママは困ったように眉を寄せた。

「仁ちゃん、今日は、もうやめておいたほうがいいんじゃない?」

「ええ? だいりょうぶですよっ、これこらい……」

「舌が回ってないじゃない。近いうちに次の試合もあるんでしょ?」

「そらあ、まあ……」

「ねっ。体調管理も立派な仕事なんだから。ウチには、また来たらいいじゃない」

 浅川は顔をしかめて渋ったが、

「……ほれじゃあ、おかいけえを」

 仕方なく、ズボンのポケットから財布を取り出して支払いを済ませた。

 椅子から腰を上げて千鳥足で歩くと、胃の中に溜め込まれた酒が、だぽん、と混ざり合い、途端に気分が悪くなる。

「うっ……」

 その様子を心配したママが、わざわざ出入り口まで見送りに来てくれた。

「大丈夫? 今、通りにタクシーを呼んだから」

「ど、どもっふ」

 お礼を言いつつ、一歩外へ出た瞬間、外気に当てられたせいか強い吐き気に襲われた。

「……きもち……わる」

「やっぱり呑みすぎだったわね……」

「そんなことは! ……ううっ」

「ああ、大変! そうだ! すぐそこの路地を曲がってみてっ。排水溝があるから、そこで戻してくるといいわ。気分の悪くなったお客さんはだいたいそこ行くからっ」

 浅川は逆流しかけた胃液を必死に飲み込むと、口を押さえながら前かがみになって駆け出す。

 指示された場所は、行き止まりのゴミ置き場のような所だった。

 目の粗い鉄格子の被せられた排水溝に駆け寄ると、そのまま倒れ込むようにして、呑み散らかした酒を吐き出す。

「おえっ……うう……」

 じゃばじゃばと流れる下水の音。そしてその臭いに引っ張られて、自らの胃に残った酒を戻し続けた。

 ……曲がりなりにも、Jリーガーという子供達に夢を与える立場でありながら、現実では薄暗いゴミ置き場の片隅に跪き、酒を吐くという無様な姿をさらしている。情けない思いと、自分にはお似合いだという自虐的な感情がない交ぜになる。

 頭の中の回路がぐちゃぐちゃに掻き回されたかのような、そんな感覚。

 ――なんてざまだ、ドチクショウ。俺のサッカー人生は、こんなはずじゃあ……。

 一通り吐き終えてしまうと、自然と涙腺が潤み、悔しさが溢れ出す。

 それでも、少しだけ落ち着いたところで目頭を拭い、壁に手をついて立ち上がると、ふらつく足で路地を出ようと歩き出す……そのときだった。

「もし、そこのお方」

 しわがれたような声に漫然と振り向けば、ゴミ置き場の一角に……誰かがいた。

 闇に同化するかのごとく、頭からすっぽりとフードを被り、机を前にして座っている。

 いったい、いつからそこに居たのだろうか……。

 少なくとも、浅川は声を掛けられるまで全く気がつかなかった。

 怪訝に思っていると、その人物はうつむき加減のまま、細い手を伸ばし、こちらへ来るようにといわんばかりな手招きをする。

「へ? お、俺……?」

「ええ……あなたです」

 凄まじく不気味であるが……恐る恐る近付いてみる。

 声のトーンや、手の皺、フードの中から垂れ下がる、ざんばらの白髪は、まるで御伽噺に出てくる年老いた女のようだった。

「な、なんすか……?」

「酷く悩まれているご様子とお見受けいたしました……如何ですか? 一つ」

 その人物――老婆は、懐からルーペのようなものを取り出してみせる。

「占い? そういうのは別に……」

 躊躇う浅川だったが、老婆は静かに首を横へ振る。

「いいえ。私がやっているのは、占いではございません。しいて言うなら……夢売り、でしょうか」

「夢売り?」

 意味が分からない。

「せっかくのご縁です。よろしければ、お手を」

「…………」

 早く去るべきなのに、どうしてだろうか。妙に目を離すことが出来ない。

 浅川は雰囲気に気圧されて、言われるとおり手のひらを差し出した。

 老婆は上からルーペのようなものをかざし、じっと覗き込む。それが終わると、今度は自らの細い枝のような指で浅川の手のひらをなぞると、やがて納得したように頷いた。

「なるほど……。自分の力が認められずに困っていらっしゃる、といったところでしょうか」

「……!」

 当たっている!?

 けれど、それだけならば別に推測出来ないものでもないだろうと即座に考え直す。こんなところで泥酔して吐いていた奴が、地位のある億万長者なわけはないのだから。

「で……仮にそのとおりだとして……何かアドバイスでも?」

 浅川は探りを入れるように訊ねるが、

「残念ながら、そういったものは」

「へ?」

 思わず白けそうになったが、老婆は言葉を続ける。

「ただし……おすすめの品でしたら、ご紹介できます」

「おすすめの、品?」

 こっくりと頷き、「これでございます」と、あるものを机の上に置いた。

「ん~……」

 それは、指で摘めるくらい小さなもので、銀紙に包まれている四角い物体。

「これって……ガムじゃないの?」

「はい。しかし、ただのガムではございません。……これは……ドリーム・ガムです」

「どりーむ……? なんすか、それ」

 眉をひそめる浅川に、老婆は口角を吊り上げ、一段と怪しげな薄笑みを零す。

「あなたが本当に結果を出したいとき、このガムを噛めば、おのずとその効果は分かるはずです」

「って、言われても……具体的にどうなるの?」

「それは購入された方にしか」

 肝心なところは教えてくれないようだ。

 浅川は、そこへ置かれた一粒の『ガム』に、充血して焦点の合わない目を落とした。見た感じは包みに入った、いわゆる普通のキシリトール系ガムだ。

 何の変哲もなさそうだが、強いてあげるならば『一粒』しかないというところだろうか。コンビニなんかだと十粒前後が紙のケースに入った状態で売っているはずだ。今、目の前にあるのは、それを一粒だけ取り出したかのような……。

 ――まさか、この老婆、金欲しさに余り物を売りつけようとしているのか? それらしい言葉を並べて騙すつもりじゃあ?

 だとしたらとんでもない商法だといえよう。

 しかし……。

 それくらい困っているということならば、かわいそうだし、買ってやってもいい気はした。

 目の前の相手も、何か止むに止まれぬ事情があるのかもしれない。

「…………因みに、それ、いくら?」

 浅川がため息交じりに訊ねると、老婆は淀みない口調でこう言った。

「千円です」

「ん……なんだって?」

 思わず耳がおかしくなったのかと思い、聞き返す。

「ですから、千円です」

「ガム一粒で?」

「はい」

「千円?」

「はい」

 ――ふむ。

 どうやら聞き間違いではないようだ。とはいえ、この値段は常識的に考えて――、

「たっけぇ! 流石に欲張り過ぎだろぉ、婆ちゃんよお」

 たまらず声を張り上げた。それでも、老婆は引くどころか強気な姿勢を崩さない。

「必要ないのであれば、けっこうですよ。あなたが今のままでいいということであれば、ですがね」

「むっ……」

 まるで挑発するような言い方。思わずイラッとしてしまう。

 あくまでコチラのためだというスタンスなのか?

 普通に考えたら明らかに詐欺。酔っ払いをカモにしようとしているようにしかみえないが……しかし……買わなくてもいいと言われると、逆に気になってくる。

 浅川は腕組みをしてしばし悩んでいたが、

「おうし、分かった! そこまで言うなら、騙されてやらあ!」

 酒の勢いも重なって膝を叩くと、財布から取り出した千円札を、勢いよく机に置いた。

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