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第1章⑥

 消毒液の独特な匂いが漂うロビーを抜けて、エレベーターで三階へ昇る。

 ナースステーションの看護師に会釈を済ませて向かったのは大部屋の病室だ。

 浅川はそこに書かれてある名前を確認すると、静かに引き戸を開けて中へ入った。

 室内では、六つのベッドが左右に並び、病院服を着た患者たちが各々身体を休めている。その邪魔にならないよう、足音を忍ばせて進めば、左側一番奥のベッドで横になりながらサッカー雑誌を読んでいる青年がいた。それが、

「よう、圭人けいと

 浅川の親友、『須崎圭人すざきけいと』であった。

 顔を上げた須崎は、浅川の存在に気づくと嬉しそうに柔和な笑みを零した。栗色ストレートのショートヘアーに整った童顔。治療の影響もあって身体の線は細くなり、全体的にやや色白になっているが、その爽やかな笑顔は昔から変わらない。

「やあ仁。来てくれたのか」

 浅川は壁に立てかけてあったパイプ椅子を広げてベッドの傍に腰を下ろす。

「調子はどうだ?」

「まあまあかな」

「そうか。あ、これゼリー。食ってくれ」

「いつも悪いね……――んっ」

 上体を起こそうと身じろぎする須崎に手を貸してやる。

「大丈夫か? 無理すんなよ」

「うん。平気」


 浅川と須崎……二人は元々同じ小中学校に通っていた同級生だった。二人ともサッカークラブに所属していて2トップを組んでいた仲だ。中学に上がってから、浅川は控えに回ることも多かったが、須崎は常に10番をつけるような、いわゆるエース級の選手。こいつは格が違うと思ったものだ。

 その後、浅川は地元の普通高校に進み、無名のサッカー部でありながらも、高校3年のときに記録した県ベスト4の成績と、大会得点王の箔も重なって、今のクラブ、土竜谷マッドスターズに拾ってもらった。

 一方、須崎は中学卒業後、J1の強豪、ビッグヴォイス東京ユースのセレクションに合格して上京。高3でU‐17日本代表候補にも選ばれ、将来を嘱望されていた。トップチームへの昇格も年末には決まっていたのだが……、その矢先に、原因不明の神経系疾患を発症してしまったのだ。

 そのため、須崎はトップチームへの昇格を断念し、地元に戻ってきて今に至る長い治療を続けているのであった。

「昨日の岡山との試合、残念だったね」

「ん……ま、相手のやりたいサッカーをやられちまったかもな」

「今日は練習試合? どうだった?」

「先発したけど、大学生相手に1アシストのみ。決定機も外しちまったし次の試合はベンチ外かもな」

 自嘲気味の笑いを零すと、須崎は否定するように小さく首を振った。

「スタメン発表がある前から諦めちゃいけないよ。練習でアピールを続けていけば、きっとチャンスはあるって」

「……つってもな……、正直、やっぱ細かい技術が違うんだよな。J2だってのに、俺にとってはレベル高けえんだ。心折れそうにもなるさ」

 プロになってから、浅川の決めた公式ゴールは2つだけ。それも『天皇杯』という、リーグ戦とは異なる、カテゴリーを区切らないトーナメントの初戦で記録したものだ。

 J2でのゴールは、実質まだゼロ……。最近では出場時間もめっきり減ってしまって、活躍のチャンスすらない。

 だから、細い身体で目の前のベッドに座る親友を見ていると、つい思ってしまう。

 ――もし健康なのが俺じゃなくて圭人だったら……。

 今ごろ、どのくらいのプレイヤーになっていたのだろう、と。

 きっと、J2で苦戦どころか、J1のレギュラーになって、もしかしたら日本代表にも入っていたのではないだろうか?

 それぐらい、須崎圭人という選手は、幼少期から別格なものを持っていたのだ。

 技術もさることながら、須崎が優れていたのは、他の選手への気配りがナチュラルに出来るその性格だ。一つの何気ないプレーや仕草で、その選手の体調やコンディションを把握し、試合中だけでなく日常生活の中でも、さりげないフォローが出来る。まさに、オールラウンダーだ。

 療養を余儀なくされた身になっても、ベッド脇に飾られた大量の千羽鶴や色紙が、その刻んだ信頼度を象徴していると言えた。

「でも僕は、決して仁が選手として劣っているとは思わないね。――ほら、アレ憶えているかい?」

「ん?」

「高校サッカー選手権。仁のいた燕東高校が決勝進出を掛けて戦った高江大付属との試合」

「ああ、俺の高校最後の試合だろ? もちろん、憶えてるさ。圭人も東京からわざわざ応援に来てくれた」

「うん。相手は2年連続県代表になってる全国屈指の強豪。前半から圧倒的に仁たちの燕東高が攻め込まれていて、後半10分までに3点を奪われてしまった」

 須崎は懐かしそうに目を細めて続ける。

「その段階では、あの会場にいた誰もが、勝負は決まったと思っていたはず。実際僕も……ね。でも、仁が強引な突破で得たPKで1点を返すと、その後もセットプレーで仲間が追加点。そして相手が完全に守りに入っていた終了間際、ディフェンスの徹底マークを受けながらも、アーリークロスを押し込むような仁のダイビングヘッドが決まったんだ」

「……そう、だったな」

「あのときは涙が出たよ。サッカーは最後まで分からないっていうことを、改めて教えられた気がした」

 須崎は珍しく興奮気味に言う。

「まあ、結局その後のPK戦で負けちまったけど」

「それでも、強豪相手を追い詰めた事実は変わらないさ。大量リードされても喰らいつく姿は、本当に凄かった」

「凄い、か……」浅川はポツリと呟く。「それで言うなら俺なんかより、圭人のほうが凄いさ……」

「僕?」

「ああ。いつも周りを見ることが出来てよ、冷静沈着なプレーをしてた」

 すると須崎は少し考えるように視線を病院の真っ白な天井へ向けた。

「いやあ、それはどうかな」

「え?」

「僕が周りを気にかけるプレーに終始していたのはさ、結局のところ、仁みたいに背中で引っ張ることが出来なかったからだよ。苦しい状況のときに奮い立たせることが出来ないから、どうしても疲労している選手をフォローするスタイルになっちゃったんだと思う。僕からしてみれば、仁の持っているものこそ、唯一無二の才能ってやつさ」 浅川は照れを隠すように頭をかく。

「よ、よせよ。ったく、相変わらずお前は乗せるのが上手いな……」

「本当に思っていることだよ。仁の独特な闘志は、誰もが持っているものじゃないんだって」

「……まあ、高校時代は、もしかしたらそういうのもあったかもな。なんつーか、勢いっていうか……」

 そう、当時の結果は所詮勢いの産物だ。

 大会後に今のクラブからオファーが来たときも、浅川は自分ならやれる、活躍出来ると内心は息巻いていた。

 けど、実際はそれだけでなんとかなる世界ではなかったのだ。体格の小ささもプロに入れば影響が強くなる。

 波に乗ったまま立ちはだかる壁をぶっ壊せれば更に加速出来るが、ひとたびその壁が硬すぎれば、ぴたりと弾き飛ばされてしまう。

 一過性の勢いが消えてしまえば、レベルの達していない選手はそれ以上先へ進めなくなる。

 ――俺も、もう進めないんじゃ……?

 そんな浅川の葛藤を読んだかのように、須崎は明るい声を出す。

「とにかく、諦めちゃ駄目だよ。いつかJ1のピッチで一緒にプレーする約束だって、してるんだからね」

「あ、ああ……分かってるよ。忘れてねえって」

 見舞いに来たというのに、自分が元気付けられてしまった気がした。

「それじゃあ、俺そろそろ行くわ。また来るから」

「うん、ありがとう。次のホーム戦、地上波中継もあるみたいだから、テレビで応援するよ」

「……おう。楽しみにしててくれ。華麗なゴールを決めてやる」

 浅川は精一杯、力強く言ってから親指を立ててみせた。

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