第5章⑩
キャンプ初日からハードだった二部練習を終えてロッカールームへ戻ると、中央のテーブルに、カットされたフルーツの盛り合わせが山盛りになって並んでいた。イチゴ、リンゴ、ミカン、キウイ、グレープフルーツにマンゴー……全て午前中のセレモニーで貰ったものである。スタッフが用意してくれていたらしい。
「メシ前だから食いすぎるなよっ」
そう監督が言うより早いか、選手たちは歓喜の雄たけびを上げながら、我先にと飛びつくようにフルーツをむさぼった。その姿は、バーゲンセールに集う女性たち、もしくは、砂漠で水を見つけた放浪者のようでもある。
浅川もそんなチームメイトたちの隙間から手を伸ばし、大粒の真っ赤なイチゴを掴み取る。ろくに手も洗っていない連中ばかりだったが、気にする者はいない。そんな余裕も今は無いというべきだろうか。
――まあ、こういうときは、汚れたまま食べるほうが不思議と美味かったりもするんだよな。
そんなことを考えながら、イチゴをひょいと口へ放り込む。軽く一噛みすれば、柔らかい果肉が潰れるのと同時に強い甘味と仄かな酸味を含んだ果汁がジュワリとあふれ出す。ものの数秒も経たず、気づいたときにはその余韻だけを残し、あっという間に口の中から無くなってしまっていた。練習の合間に冷蔵庫で冷やしていたのだろう。適度な冷たさも、熱を帯びた身体にはもってこいだった。これなら百個でも余裕でいける……などど思ったが、色鮮やかだったテーブルの上は、既に大皿の底が見えていて、結局、二、三個程度しか食べることは出来なかった。
結果的には余計に空腹感が増幅してしまったような気もしたが、それでも我慢出来るのは、この後にまだ、ホテルの豪華な食事が待っているということが分かっているからだ。
軽めにシャワーを浴びて汗を流し、着替えを済ませると、荷物をまとめてバスへ乗り込む。皆ヘトヘトに疲れているのもあって、言葉少なに空いている席へ座っていく。まもなくして、
「いやー、覚悟してたけど、いきなりキツイなあ」
浅川の隣にもチームメイトが座った。今季からの新加入選手である、三島圭輔だ。どこか楽観的そうな表情と、やや広い額、刈り揃えた短髪が印象的である。
「そんなこと言って、圭輔さんはこれくらい余裕だったんでしょう?」
三島はJ1のシグナス新潟にいた選手で、J1通算百五十試合以上に出場。主にボランチや右サイドのミッドフィルダーとして九十分走り切る運動量を武器に、長く活躍していた人物であることを憶えていた。
「昔は余裕をかましていたときもあったかもしれないが、今は同じようにはいかんさ。なにより去年は半年以上リハビリで、本格的な練習復帰は昨シーズンの終盤だったからな……」
そこで浅川もそうかと思い出し、チラリと様子を窺うように言う。
「怪我、したんでしたね」
「ああ。昨年の開幕前にあったトレーニングマッチでね。相手と交錯して、ここをぶちっと」
そう言って三島は、ジャージズボンの上から自らの左膝をそっと擦った。
左膝前十字靭帯断裂……。それは全治六~八ヵ月は掛かる大怪我だ。これを負ってしまうと再腱手術が必要になり、高い割合で一シーズンを棒に振ることになる。サッカー選手には割りと聞き馴染みのある怪我で、どちらかといえば筋肉量の少ない女子選手に多いとされるが、当然のことながら男子でも、選手同士の激しい接触や思わぬ形で膝を捻ってしまうことで、予兆なく起きる場合がある。靭帯はそうそう強く出来ないから、断裂を防ぐにはその周りの筋肉を厚くすることが良いという話だが、それだって絶対じゃない。ゆえにこの悲劇は、有望な選手であろうがなかろうが関係ないのだ。
一般の人の中には、何かのきっかけで断裂したまま、普通に日常生活をしている人もいるそうだが、スポーツ選手としては激しい動きが出来なくなるため、半年以上の長期離脱を余儀なくされたとしても手術は必要なのだ。当然、大きなブランクが出来るからコンディションを戻すのも一苦労。
それでも、復帰後に活躍出来ないかといえばそうでもなく、中には複数回断裂の経験があっても、それをバネにして成長し、国の代表に選ばれるくらい大活躍する選手もいる。もちろん、現役を断念する選手も少なくはないが。
「この季節、嫌な記憶が蘇ってこないと言えば嘘になるが、そうも言ってられん。せっかく獲得してもらったからな。しかも同じ新潟のチームに」
年齢面でも三十歳とベテランの域に入っている彼にとっては、引退も考えるタイミングだったかもしれない。それでも三島は、契約満了を宣告された後も諦めず、トライアウトで新たに契約を勝ち取った。そのチームがJ2であっても、プロという土俵で戦い続けるだけで十分に凄いことだと言えるだろう。
「昇格のためにも、一つでも多く勝利に貢献しないとな」
三島にとっては、新たなチームで再起をかけた勝負の年というわけだ。その気概には尊敬の念を払わずにはいられない。
「浅川もよろしく頼むぞ」
「……え?」
ふいに話を向けられた浅川は若干戸惑った。
「中盤の選手の最たる役割は繋ぎだ。もちろん自分でもシュートを打つことはあるが、基本はディフェンスの守備をサポートしつつ、フォワードへいかにチャンスを供給できるかどうか。サッカーはゴールを決めなきゃ勝てないだろ」
そう言って三島は冗談めかして笑う。浅川もその意図するところが分かって、
「そうっすね。任せてください。あと、仁でいいっすよ。こっちこそ、よろしくです」
と、挨拶代わりの握手を交わした。




