第5章⑨
翌日。
快晴の中、ホテルからバスで五~六分ほどの場所にある『高知運動総合陸上競技場』に移動した選手たちは、観光協会の方々や市の副市長、職員らによる歓迎セレモニーで出迎えられた。
競技場内は、綺麗に手入れのされた緑の芝鮮やかなメインピッチが広がり、バックスタンドの客席には、チーム名が書かれたのぼり旗と共に、『ようこそ、マッドスターズの皆さん』という横断幕。マッドスターズが開幕前のキャンプを高知県でやり始めてから早四年。毎年のことながらだが、今年も変わらぬ手厚いおもてなしの準備をしてくれていたことが窺えた。
セレモニーでは激励の言葉と共に、恒例となっている高知県で育てられたフルーツや野菜の詰め合わせセットがチームに贈呈され、その後、諸々一通りの式典が終わると、選手たちは本格的な練習をスタートさせた。
まずは全員で軽くランニングをし、身体を温める。ストレッチを挟んでから、四人一組でのリフティングパス。
突き抜けるような青空に、絨毯然と広がる緑の芝という美しいコントラスト。十二時間のバス移動で来たという過程もあってか、のびのび身体を動かすと、心持ちも自然と軽やかになり、選手たちの間でも、頻繁に笑顔が見えていた。
しかしウォーミングアップ後は、余裕がないほどに全員の表情が一変することになる。
その最たる理由が、マッドスターズの伝統とも言える地獄のランだ。ピッチの外周を五十~六十パーセント程度の力で走り続け、心拍数を一定の高さでキープする。その後、コーチの合図で百パーセントの全力ダッシュに切り替え、一気に心拍数を引き上げると、十数秒後、再びペースを戻して心拍数を下げるということを繰返す。これは試合でのフリーランニングやスプリントを想定したもので、九十分間、高い質を保ちながらの上下動に耐えられる心肺機能を作ることが目的なのだ。チームは時折の休憩を挟みつつ、選手たちが汗だくで倒れこむまで、午前丸々、この練習に時間を割いた。
もちろんキャンプというからには、練習はこれだけで終わらない。昼食を挟んだ後は、トレーニングウェアを新しいものに着替え、午後のサーキットに臨む。これはポジション別のグループごとに分かれ、いくつかのメニューを三分ごとで区切りながらローテーションでこなしていく、というものだ。
浅川のグループは二十キロのバーベルを立った状態で上げ下げするメニューから。ウェイトトレーニングの負荷としてはわりと軽めかもしれないが、何周りかするうちにこれが効いてくる。
お次は、足首ほどの高さのハードルが狭い間隔で並ぶ十メートル程度の直線を、小刻みなステップで走り抜けるメニューだ。横一列に並び、スタートの合図で全員が飛び出していく。フロントステップで駆け抜けた後は、間髪入れず、バックステップに切り替え、後ろ向きでユーターンしていく。当然、見事な足捌きでクリアする者もいれば、やや苦戦する者もいる。それでも共通しているのは、誰もが必死な表情であることだ。
同じグループのメンバーはポジション的にもライバルで組んでいるため、選手たちの間には負けたくないという思いが自然とよぎってくる。あの選手よりも軽快に素早くこなしてやる。あるいは、離されてたまるかという粘りの気持ち。これがサーキットメニューの狙いでもあって、闘争心をかきたてつつ、お互いの能力差や、得手不得手が如実に見えることで、克服するべき課題や、自分のウィークポイントをよりしっかりと把握することも出来る。同時に、全員で励ましあってキツイ練習を乗り越えていくことで、団結力を深めることにも繋がるのだ。
フロントステップ・バックステップの練習を終えると、次はジグザグに立てられたポールを軽やかにすり抜けていくサイドステップのエリア。更にジャンプスクワットのメニューを経て、最後は、負荷をかけてのダッシュトレーニング。
その内容はというと、練習場を囲む鉄柵の一角に縛り付けられた輪っか状のゴムチューブの片端を腰に回し、勢い良く走るというものだ。瞬発力と、相手を引き剥がす力を鍛えることを期待してのメニューらしいが、ものの数メートル前進しただけで強力なゴムの抵抗によって足が止まり、油断すると反動で背中から柵にたたきつけられてしまうこともあるから、注意が必要だ。因みにゴムチューブは、自転車のタイヤに使われるものを改良し、クラブが独自に作った器具である。
「あと十センチ!」
コーチが砂地の地面に即席の横線を引いていて、そこまで足を持って来いということなのだが、腹部を締め付けるタイヤチューブの抵抗は、まるで背後から何人もの人間に引っ張られているかのような錯覚を覚えるほどのものであり、体勢を保つのがやっとである。
「行けるぞ行けるぞ!」
それでも、同僚たちの鼓舞する声に感化された浅川は、唇を噛み締め、軸となる左足に一層の力を込めると、振り絞るように勢いをつけて右足を踏み出す。
目一杯伸ばしたそのつま先が、地面の線に掛かったと喜んだ直後――、
バランスを崩した身体がグンと後ろへ引っ張られると、次の瞬間、まるで柔道の裏投げをかまされたかのごとく派手に地面を転がった。
――あぶねっ…………!
柵にぶつかるかと身を固くした浅川だったが、砂地の摩擦のおかげでギリギリ止まってくれたようだった。ホッと息を吐けば、「オーケーオーケー!」「ナイスファイト!」という声が降り注ぐ。
微かな砂煙が舞い、それがフッと晴れれば、仰向けの目線の先に、爽快な青空が姿を現した。こんな中で昼寝でも出来たら、きっと最高なのだが、現実はそうはいかない。サーキットメニューはこれでようやく一セットが終わり、次は再びバーベル上げに戻ることになる。まだまだ、ここからだ。




