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第5章⑦

 ……一月二十五日、朝、七時。

 体育館を使った数日間のトレーニングを経て、この日クラブハウス前に集まった一同は、大量の荷物と共に大型バスへ乗り込む準備を進めていた。

 ここから雪の無い、温暖な四国の高知県へ陸路で移動し、いよいよ一次キャンプに入るのだ。

 通常であれば飛行機で行くような距離だが、なにせJ2のクラブのほとんどは財政に余裕などない。マッドスターズも例外ではなく、コストカットは通年の至上命題。それでも、スポンサーである地元のバス会社が移動の手配を滞りなくしてくれる分、恵まれているほうだと言えるだろう。

 眠い目を擦りながら、浅川は遠征用の着替えやスパイクなどでパンパンになったボストンバックを車体下部のトランクルームに入れると、貴重品だけを持ってバスの車内へと乗り込み、細い通路の向かって右側真ん中あたりの窓際の席に座る。

 ――座り心地は良いけど、やっぱりちょっと狭いな……。

 比較的細身に見えるサッカー選手でも、太ももやふくらはぎは、皆、想像以上にガッシリしているため、どうしてもシートが窮屈に感じるのは、いたし方ないと言えた。

 ゾロゾロと選手たちが乗り込んでくると、まばらだった車内の席が徐々に埋まっていく。すると、

「ここいいか?」

 そう言って横に立ったのは、同い年のチームメイト、笹木トクマだ。すらりとした体躯に、黒髪のショートヘアー。前髪の左側だけを目の下まで伸ばしたスタイルは彼のトレードマークである。

 浅川は「おう」と返事をしつつ、座りなおすようにして身体を窓際に寄せてやる。

 笹木は、車内に持ってきたリュックの中からペットボトルのスポーツドリンクと音楽プレイヤーを取り出すと、それ以外の荷物を座席上の荷台に入れた。そして浅川の隣のシートに、すとんと腰を下ろすと、スポーツドリンクを一口飲んで言う。

「今年もキャンプが始まるな」

「……だなあ」

 互いの口調が心なしか緊張感を帯びているのは、ここからがレギュラー争いの本格的なスタートになると分かっているからだ。

「そういや知ってるか? ウチの降雪のジンクス」

「ん?」

 聞き馴染みのない文言に、浅川は笹木へ怪訝な視線を送る。

「一月、二月の雪が少なかったら、そのシーズンはチームが好成績になることが多くて、雪が多ければ、逆に振るわないことが多いらしい」

「そうなのか」

 笹木は音楽プレーヤーのイヤホンを耳につけながら頷く。

「単純に雪が少なければ、屋外のピッチを使える日も増えて、練習効率がアップするからな。そういったことが関係しているのかもしれんけど」

「ふうん。じゃあ、今年はどうなんだ?」

「去年と同様の例年並みか、若干少ないくらいらしい。まあ、降雪地だからといって、それを理由にしちゃあいけないんだろうけどな」

「確かに、昨シーズンJ2で優勝したのは……札幌だったか」

「ああ。それに、同じ新潟を拠点にしているシグナスは一度も降格しないまま、今年でJ1十年目。結局はプレーする俺らが奮起するかどうかってことだな」

 そう言って、笹木はポケットの中から飴玉を取り出すと、浅川に差し出した。

「食うか?」

「――ああ。サンキュ」

 そんなやりとりをしている間にも、スタッフや監督を含めた全員がきちんと乗車を済ませたことが確認され、運転手の合図でバスの自動ドアが閉められた。そして、アイドリングを解除した車体が象の一歩目のように、のそりと動き出す。ここから約十二時間、長いバスの旅だ。

 窓の外では地元の記者らが撮影用のカメラを回しシャッターを切れば、傍では見送りに来ていたファンたちが、「いってらっしゃーい!」「がんばれー」と笑顔で手を振ってくれている。

 その様子を、車高の高い座席から見おろしながら、浅川は横目越しに軽く手を振って応えた。


 バスは、一~二時間程度の間隔でこまめに休憩を挟みながら、高速道をひた走った。狭い空間に同じ体勢で長時間座り続けると、血流が悪くなり血栓が出来る、通称『エコノミー症候群』を発症する可能性があるため、選手たちはパーキングエリアに入るたび、トレーナーからの指示を受けて定期的にストレッチをしたり、車外に出てトイレ休憩がてら、外の風に当たったりした。

 パーキングを経由するたび、浅川は空気の変化が分かるような気がした。

 新潟から長野の県境辺りでは今にも落ちてきそうなほど、どんよりとした雲が空を覆い、ボタ雪雑じりの冷たい風が吹きすさんでいたのに、峠を越えると、まるで別世界のような眩しい陽射しが車内に差し込んでくるようになった。

 列島を縦に伸びる急峻な越後山脈の尾根は、日本海側と太平洋側を分かつ、トゲトゲとした竜の背のようにも見える。その片面はしっかりと分厚い雪化粧をしていたのに対し、反対側は肌色の地面が斑模様になって見え隠れする程度。長いトンネルを抜けると、景色が一変する、とはよく言ったものだと思った。

 バスの中は和気藹々とした時間が流れていたが、パーキングで少し遅い昼食を済ませた辺りからコクリコクリと舟を漕ぐ者が増えて、車内はいつしか走行音だけが響く、静かな空間になっていた。

 時計を確認すると、午後の三時に差し掛かろうかという頃合。隣席の笹木もすでに寝入っていて、腕組みをしながら首をカクンと斜めに傾けた状態で、バスに揺られている。アシンメトリーな長さをした前髪の半分が垂れ下がって、まるで名前の通り、『笹』の枝葉のようになっていた。

 そんな見るからに苦しそうな体勢に、寝違えてしまうんじゃないかと心配になった浅川は、起こさないように注意しつつ、さりげなく彼の左肩をぐいと押して姿勢を直してやると、一つ息を吐き、雪の無い、見慣れぬ街の風景が茫洋と広がる窓の外へと目を向けた。

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