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第4章⑨

『ゴーーーーーーーーーーーーーーーーーールッッッ』

 ホームグラウンドならではのバリトンDJボイスが会場に響き渡ると、ゴール裏のフラッグが大きく揺れる。貴重な勝ち越しゴールに、マッドスターズのサポーターたちが両手を挙げ、互いにハイタッチをして喜べば、ピッチ上のチームメイトたちも我を忘れたように浅川をもみくちゃにした。

 これで二対一。マッドスターズは勝利に大きく近づいた。このまま終われば、浅川の勝利インタビューは間違いないだろう。

 けれど、サッカーは最後まで分からないスポーツである。一分の間に二点決められてしまうこともある。決して油断は出来ないと、ゴールを決めた喜びもそこそこに、浅川は気持ちを切り替えた。

 ボールがセンターサークルに戻され、選手たちが定位置に着き直すと、すぐさま鳥取ボールで試合が再開される。

 一点を勝ち越された鳥取は、リスクを取って最終ラインを上げ、ロングボールを次々とマッドスターズのペナルティエリア内へ入れてくる。

 前線の浅川は、相手に正確なボールを配給させないようにと、出し手の選手にプレスをかけていき、後方の味方がボールを奪ったら、オープンスペースに走って、カウンターを狙う動きを続ける。

 それと共に、会場に設置されている大型時計を横目で確認しつつ、試合終了の時を今か今かと待った。だが、一点差でリードしているときというのは、不思議とこの時間がとてつもなく長く感じられるものであり、浅川の心の中で、まだかまだかという焦りが出始める。

 すると、時計の動きに気を取られた浅川のチェックが僅かに甘くなってしまう。

 その隙を突く形で、相手センターバックがスルリとドリブルでボールを持ち上がると、縦にロングパスを蹴りこんでくる。

 ――まずいっ!

 これを、斜めの動きでマッドスターズのセンターバックラインの裏を突いた鳥取のストライカーが、胸で納めると、ボックス内を左に流れつつ、角度の無いところから強引にシュートまでつなげてくる。

 だがここは、ニアサイドのコースを切っていたキーパーの犬飼が、身体を投げ出すような捨て身のセーブで、どうにか相手のシュートを胸に当てて、エンドラインの外にはじき出してくれた。

 ――あっぶねえ……。

 思わず背筋の寒くなった場面だったが、このピンチは、浅川の気をいっそう引き締めるきっかけにもなった。

 ――ここで勝つと引き分けるとでは大違いだ。

 もし失点して、そのまま終わってしまえば、翌日のニュースでの取り上げられ方に雲泥の差が出る。当然、地元紙だってそうだ。失点シーンの写真が使われ、負けに等しい引き分けといったような、ネガティブな記事になるだろう。

 ――ここは、なんとしてでも防いでやる……!

 浅川は、残り一個となっていたガムを食べると、自陣のペナルティエリア内まで戻り、コーナーキックに備えた。

 何もガムは攻撃のときだけじゃなくてもいいのだ。もちろん、貴重なガムをディフェンスの時間に使うのは不本意だが、この場面はそうも言っていられない。もし相手のシュートが飛んできたら、それを意地でも防ぐ。ゲームの残り時間は気にしない。とにかく、主審がホイッスルを吹くまで、相手にゴールを割らせない。それだけだ。


 バックスタンド側からのコーナーキックの場面。相手キッカーが手を挙げ、右足でインに巻いてくるボールを蹴り込む。

 浅川は無駄にボールを追わず、バックスタンド側のゴールのポストの内側、つまり、ゴールラインのギリギリ内側にポジションを取った。位置的には、キーパーである犬飼の、右斜め後ろに立つような格好だ。

 いくらガムを使っていても、身体が伸びるわけではないし、結局相手が狙ってくるのは、このゴールなわけだから、そこを守るのが一番効果的だと踏んだわけだ。

 エリア内ファーサイドに飛んだ高いボールを、相手と競り合いながら、大村がヘディングでクリアする。そのボールを、メインスタンド側のペナルティエリアの外側で相手のアタッカーが拾うと、左足に持ち直して、ミドルシュートを打ち込んできた。

 低い弾道。ニアサイドを鋭く襲うコースに対し、キーパーがタイミングを予測し、ポストの傍で膝を畳むようにして、身体を投げ出す。

 しかし、手前にいたディフェンスが足を出して先にブロックし、再びボールを跳ね返せば、今度はそれが、ペナルティエリア中央の外枠に描かれている半円、ペナルティアーク上に零れる。それを再び、鳥取の選手がワントラップで納めると、間髪入れずの右足シュートでゴールを狙ってくる。

 複数のディフェンスがを足を伸ばしたり、シュートコースに身体を入れるが、ボールはその間をすり抜け、ぽっかりと空いたバックスタンド側、ポスト横のゴールコースに飛んでくる。

 ゴールキーパーの犬飼は、反対側のポスト脇から、まだ体勢とポジションを整えることが出来ていない。浅川はその空いた広いスペースを埋めるため、ゴールライン中央に位置取りを変えていた。

 ――俺が止める!

 浅川は目をカッと見開くと、迫り来るシュートを防ごうとゴールライン沿いをダッシュし、自分の身体を半分ゴールの枠内に入れながら、跳び蹴りをかますようにして、右足を空中に投げ出した。

 間を抜けてきたボールが、まさにそのラインを越えようかというところで、浅川の出した右足の甲が、ギリギリのところでそのコースを遮り、ボールをバックスタンド側のタッチラインの外へ弾き飛ばした。

 きわどい場面に、鳥取の選手たちが一斉にゴールをアピールするが、主審は手を広げ、ノーゴールを示す。ゴールラインを完全に割っていなければ、ゴールとは認められない。浅川の足は、ボールがその白線に六割ほど掛かったところでの、スーパークリアを見せていた。

 会場の大型モニターに、その瞬間の場面が映し出されると、観客も喫驚したように沸き立つ。

 しかしまだゲームは終わっていない。鳥取の選手は、マッドスターズ陣内の深い場所から、助走を取ったロングスローでプレーを再開し、ボールを直接エリア内中央に投げ入れてくる。

 すると、混戦の中で何人かの選手に当たったボールが、ペナルティエリアラインの更に内側の枠――ゴールに極めて近い、ゴールエリアラインの傍にポトリと落ち、それを偶然にも納めたのが、またも鳥取の選手という最悪の状況が生まれてしまった。

 これは貰ったといわんばかりに、鳥取の選手が、ゴールのど正面から、無考えな右足のインステップで、キーパーの犬飼と、ゴールライン上をカバーしている浅川の間にシュートを放ってくる。

 犬飼が手を伸ばして反応を見せるが、出した手よりも先にボールが抜けてきてしまう。それが、浅川の左腕の横を通過してゴールに吸い込まれるかという絶体絶命の場面。味方選手たちの表情が絶望的なものに変化するのが分かった。それでも、浅川本人は諦めていなかった。

 一瞬、シュートを避けるかのように上半身を少しだけ右斜め後ろへ反らせると、飛んできたボールを横目で確認しつつ、えび反りのようにして自分の背中の後方に左足を蹴り上げる。すると、アウトサイドのヒール部分に、ボールがピンポイントでヒットし、再びゴールライン上でのウルトラクリアを見せた。おそらくボールは、八割ほどがゴールラインを割っていただろうか。まさに、奇跡のプレーである。

 これには、ゴールを確信していた鳥取の選手も絶句し、身体を硬直させる。

 弾かれたボールが、スペースの空いたバックスタンド側のペナルティエリア端へ落ちると、浅川はいち早く走り出し、零れ球を躊躇無く前線へと蹴り出した。

 一テンポ遅れる格好で、かき鳴らしたように会場が再び盛り上がる。

 空中に高く舞い上がったボールが風に流され、誰もいない相手陣内、バックスタンド側に落下し、タッチラインの外に出たところで、主審が時計を確認した。

 そして。

 待望の、長い長いホイッスルを響き渡らせた。


 その瞬間、祈っていたマッドスターズサポーターが怒涛のように沸いた。

 両チームの選手たちの多くは、勝った喜びと負けた落胆に伴う対照的な疲労感、そして今シーズンの全試合終了に緊張の糸を解き、雪の舞い散るピッチに座り込んでいた。

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