第4章③
後日、浅川には退場のペナルティとして、直近の公式戦一試合の出場停止処分が下された。
Jリーグでは退場となった場合、よほど悪質でない限り基本的に一試合の出場停止処分が追加される。ドイツのブンデスリーガなどでは、一発レッドカード=三試合前後の出場停止となることが多いので、そこから見ればJリーグは比較的軽い処分と言えるだろう。
とはいえ、これで次の試合はベンチ外が確定し、練習でもリザーブ組にまわされることになってしまった。
学生時代を含めても、浅川がレッドカードの処分を受けたのは、これが初めてのことだ。自分がピッチを追い出されたことでチームが不利になり、一方的な展開となってしまう。当事者としてそれを外から見るしかないという状況は、まさに屈辱の時間だった。
それもこれも、ドーピング検査を受けた日から全てが悪い方向に進んでいるように思えてならなかった。メンタルはかなり疲弊していて、練習なんてとても身が入る状態ではなかった。歯車が噛み合わないとは、こういうことを言うのだろう。
須崎から連絡が入ったのはそんな折である。内容は、時間があったら一度病院に来てもらえないかというものであった……。
ここ最近、浅川は病院に顔を出していなかった。メールでの簡単なやり取りはしていたが、以前であれば少なくとも、ひと月に一、二回は、須崎の元に差し入れを兼ねた見舞いに行っていたと記憶している。その頻度が減少したのは、試合のことで手一杯だったというのもあるが、須崎自身の勘の良さを敬遠していた部分も正直あった。もしかしたらガムの件に関する痛いところを突かれるかもしれないと思って、自然と足が向かなかったのだ……。
我ながら勝手な話であると思う。
病室に入ると、浅川に気づいた須崎がベッドに背を預けながら、軽く手を上げた。表情は『元気一杯』とまでは言わないが、少なくとも悪い方向には変わってなさそうでいて、浅川も一つ胸を撫で下ろした。
「悪かったな……最近来れなくて」
「ううん。こっちこそごめんよ。シーズンも終盤で忙しいときに」
「いや全然。前の試合で退場しちまって、次はベンチ外って決まってるしな」
「そうみたいだね……新聞で見たよ。でも、最後のホーム戦には出られるんでしょ。ポジティブに考えれば、出場出来ないのが次の試合だけで良かったじゃないか」
「どうかね。出場停止処分が解けても、出られるかどうかは分からんよ。ここ最近、結果を残せていないしな」
「大丈夫さ。また練習から全力でアピールすれば、監督は必ずチャンスをくれるよ」
須崎の優しさ溢れる励ましに、浅川は曖昧然と頷く。
「……そうだな……頑張るわ。――で、俺に用ってのは?」
「あ、そうそう。この間、親戚がお見舞いにフルーツを持ってきてくれたんだ。でもそれが食べきれないくらいあってね……。ルレクチェなんだけど、良かったら何個か仁が貰ってくれないかなと思ってさ」
『ルレクチェ』とは、県内ではよく知られている特産品のひとつで、フランス原産の西洋梨のことである。旬は、十一月中旬~十二月下旬くらいで、桃のように柔らかく、甘味が強いのが特徴だ。
須崎に言われてベッド横の収納棚を開けると、贈答用の箱が入っていて、中には、透明なビニールで一個一個梱包された、ひょうたん型の黄色い果物が綺麗に並んでいた。甘美な香りが仄かに鼻をくすぐる。
「いいのか? こんな高級品」
「うん。棄てることになってもアレだし、食べてくれると助かるよ」
熟したルレクチェは足が早い。切った瞬間から色が変わり始め、数時間そのまま置いておくと、あっという間に黒ずんでしまう。もちろんそれでも食べられるのだが、どうしても味は落ちる。
「じゃあ、ありがたく貰ってくわ」
そこで二人の間に少しの沈黙があった。それを埋めるように、浅川が訊ねる。
「体調は、どうだ?」
須崎はうーんと、少し考えてから、
「最近新しい薬を試し始めたからね……慣れるまでちょっとキツイかな。でも先生によると、いろんな数値は徐々に良くなってるみたい」
と、ほころんだ顔を見せた。
須崎の病気は浅川も詳しくは知らない。身体の力が上手く入らなかったり、苦しさを伴うくらいの強烈な倦怠感が予兆なく訪れるらしい。須崎はそういったことを感じさせないように振る舞っていたが、やはり難病であることは、筋肉の落ちた身体から感じ取ることが出来た。
長期間の入院が続いているのは、体調管理が最大の理由だろうが、難病の解明、治療法の確立にも協力しているかららしい。
「何か必要なものとかないのか? 言ってくれれば持って来るぞ」
「そうだなあ……」
須崎は視線を天井に向けてしばらく黙った後、ポツリと言った。
「しいて言うなら仁のゴールシーン、かな」
「ゴール、シーン?」
予想だにしていなかった言葉に一瞬戸惑う。
「病院だと、Jリーグの試合を毎試合リアルタイムで見ることは出来ないからさ。スポーツニュースだと、ハイライト映像だけでしょ。失点シーンとゴールシーンがほとんどなんだ」
なるほどと思う。新聞なんかでも、写真は勝敗に直結した一場面が使われている。
とはいえ、まさかそんなものを要求されるとは……。須崎圭人という人物は、つくづく変わっている。
「俺がゴールを決めると……嬉しいのか?」
そう問えば、須崎は、何を当たり前のことをと言わんばかりに、
「もちろんさ。仁が活躍している姿を見ると、僕も絶対に復帰するぞっていう元気が出てくるんだ」
にこりと笑って、言い切った。
「そう、か……」
ここ最近の浅川は、常にビクビクしていて、いったいなんのためにプレーをしているのか分からなくなっているところがあった。それが須崎の言葉ではっとさせられた。
自分のゴールが誰かに元気を与えられる。そんな理由付けなど、自分を正当化するものにすぎないのかもしれない。けれど、それでもいいのではないか? 須崎が少しでも元気になるというのであれば、それはゴールを貪欲に求め続けるに充分な理由になる。そう考えたら、もやもやしていた何かが吹っ切れたような気がした。
「――あっ、プレッシャーを掛けてしまったかな……」
黙ってしまった浅川を心配したのだろう。須崎は少し慌てたように言う。
だが浅川は静かに首を振って、口を開いた。
「そんなことはない。逆に感謝だ」
「え……感謝?」
よく分からないといった顔の須崎に、浅川は、ある種、達観したような目を向ける。
「覚悟が決まった、ということさ」




