第3章⑦
木曜日。
マッドスターズの練習場では、いつもどおり選手達が次の試合に向けたトレーニングを行っていた。
短距離ダッシュから細かいボール回し、ミニコーンを使ったドリブルにシュートと一通りの練習で身体を温めた後は、選手を入れ替えながら8対8によるハーフコートでのミニゲーム。
浅川はレギュラー組のビブスを身に着けて参加していた。
練習場は、柔らかい陽射しが降り注ぐ秋らしい日が続いていたが、選手達の顔に涼しさはない。気候的に動きやすくなったからこそ、それぞれが持つ基本技術がダイレクトにぶつかりやすいのだ。しかも今はハーフコートでのゲーム。ピッチの広さを通常の半分に絞って攻守の練習を行っているため、スペースが狭く、少しでも気を緩ませれば、すぐにボールをロストしてしまう。
「仁! 足止まってんぞ!」
中央を締める大村から叱咤が飛ぶ。
浅川の身体は、やや重かった。ここ最近、主力としてゲームに出続けていることによる疲労感が充分に抜けきっていなかったのだ。
公式戦に出られない選手は、その代わりの練習試合でゲーム感覚を定期的に補うし、浅川も出場機会が全くなかった時期はそれを続けてきたが、もたらされる緊張感は、やはり全くの別物。片や応援歌も響かず、ベンチからの指示がはっきりと聞こえてくるトレーニングマッチ。片や観客が大勢入り、その日の勝敗で成績に変動が出る公式のリーグ戦。選手達は360度の方向から無数の目で見つめられ、ぶつかり合うように響く雑多な歓声を、常に身体で受けることになる。そこから来るプレッシャー、疲労感は比べ物にならない。しかも浅川はFW。毎試合ゴールを決めなければならないという重圧も試合前から圧し掛かる。
仮にゴールを決めて勝利に貢献しても、その安堵感は長く続くものではない。次の試合に向けて、再び調整していかなければならないのだから、やりがいのある反面、コンディションを持続させることは思った以上に大変なのだと改めて肌身に感じていた。
そのようにして複雑に重なる疲労は、数日のリカバリーを経たとしても、完全に取り切れるものではない。身体が重い状態で試合に臨めばパフォーマンスは当然悪くなるから、練習での過剰な無理は禁物なのだが、絶対的な信頼を勝ち得たとも言えない立場上、アピールもまだまだ欠かせない。
コートでは、マッドスターズの攻撃パターンであるショートカウンターと両サイド際からの崩しが重点的に行われていた。
左サイドからグラウンダーのクロスがエリア内に蹴り込まれると、中央に走り込んだ浅川はディフェンスと競り合いながら滑り込むようにして、重さの残る足を目一杯に伸ばす。だが爪先の僅か20センチ前をボールはするりと横切っていってしまう。後一歩、いや半歩でも早く走り出していれば、結果はまた違っただろう。
僅かなタイミングの差。それがまさに天と地ほどの差になる。
慣れることの無い悔しさに思わず空を仰ぎ見ると、大きく息を零した。チャンスを逃した後ほど、身体を起こす作業が苦痛なことはない。瞬間的に力を振り絞った分、徒労感が一気に襲い掛かってくるのだから。
けれどそんなことなどお構いなしといったように、大村のしゃかりき然とした声が再び容赦なく響く。
「切り替え遅えぞ! いつまで寝てんだ! 練習だからって気ぃ抜いてんな!」
もうすぐ30歳を迎えようとしているにも関わらず、チームトップクラスの体力を維持し続けている大村は、ツラそうな雰囲気などおくびにも出さず、次々と周囲の選手に汗と指示を飛ばし続けていた。
これも全ては高いレベルを追求するための厳しさだ、といえばそれまでだが、浅川は内心、納得のいかない思いを抱いていた。それは、彼が今シーズンまだ公式戦で1ゴールしか決めていなかったからだ。いくらスタミナに自信があって、かつ経験豊富であっても、サッカーは単純にそれらを競うスポーツではないはずである。
だから動きの悪さやポジショニングを指摘されるたびに、『でも、全然ゴールに繋がってねえじゃん』という少し卑下するような思いが心の中で湧き出してくるのだ。
もちろんポジションに違いのあることは理解している。けれど現状、数字としての結果を出しているのは自分のほうだ。それなのに一々ダメ出しをされると、イライラしてフラストレーションが溜まってきてしまうというのもまた事実であった。
「ラスト3分!」
ヘッドコーチがコート内の選手たちに向けて声を張った。
他のFWたちが少なからずシュートを決めていたのに対して、浅川はいまだノーゴールの状態。今のところ苦言を呈されてばかりで良いアピールが出来ているとは言えない。
ピッチ外で腕組みをしながら立っている監督の視線が、自分の方に向いている気がした。
――見られている……。
リーグ戦でゴールを決め続けているとはいえ、先日の試合は一番手に交代を命じられている。それは、あからさまに動きが悪くなったと判断されたからに違いない。
シーズン終盤でやっと掴み始めたチャンス。それを放すわけにはいかない。次の契約を勝ち取るためにも、試合に出続けることは絶対条件だ。
浅川はさり気なくソックスに手をやると、その内側からガムを一粒取り出して、サッと口に放り込んだ。練習で使うつもりはなかったが、念のため仕込ませておいたのだ。
「残り1分!」
ピッチ外からの細かいカウントダウンは、試合終了間際の時間帯に各自がどこまで力を振り絞れるかを計るものでもあった。選手たちのギアが一段階高いものに変わったように見えた。
するとその直後、高い位置で味方がボールを奪い、ショートカウンターから縦に一本、浅川に向けてスルーパスが入った。タイミングを完璧に予測していた浅川は、傍に付いていたディフェンスのマークを一瞬で引き剥がすと、詰めてきたキーパーもキックフェイントをかけてかわし、そのままガラ空きのゴールへとボールを流し込んだ。
どこか、ホッとするような気持ちと共に……。




