第3章①
九月の後半戦は、残り三試合を控えていた。中三日でリーグ戦が組まれ、最後の日曜日には天皇杯の二回戦というスケジュール。ガムの残りは三粒。天皇杯のことはひとまず置いておくとして、今はリーグ戦二試合を、これでどうにか乗り切らなければならなかった。
その一戦目、J2第34節、対、愛媛パイレーツFC戦は土曜日の午後四時にアウェーで行われた。
ツートップのFWは、近藤とラファエルが選ばれ、浅川は再びベンチからのスタート。前節スタメンだったことを考えるなら一歩後退とも思えるが、ガムの数を考慮すると、途中からのほうがある種、都合は良いとも言えた。
この試合の出番は0対1のビハインド、後半22分からだった。
ソックスに隠していたガムを口に含み、近藤と入れ替わりでピッチに入る。
このゲームでは、勝敗とは別に確認しておきたいことがあった。それは、ガムの効果がどのくらいの間、持つのかということだ。
サッカーは90分のうち、実に2分しかボールに触れないとも言われるスポーツ。残りの88分は走るのみ……。
展開次第では一度もシュートを打つことなく、ガムの効果が切れるという可能性も、ないとは言えない。そのため、いかに短時間でボールを要求できるか、そしてそれを結果に結びつけられるかということが重要になってくる。
スタジアムの電光掲示板で時間を確認すると、それを記憶に留めながら、ガムを噛んだ。
後半25分。
浅川は前線に張り、チャンスを待っていた。しかし、攻め込まれる時間が続き、ボールが自陣のエンドラインを割って相手のコーナーキックになると、苑田監督から守備に戻れと怒号が飛んだ。
ドリーム・ガムは動体視力を劇的に向上させてはくれるが、肉体的な部分、つまり、単純な走力やフィジカル面などは一切変化しない。
長距離的なスピードを武器としていない浅川では、たとえ自陣に下がってボールを持っても、そこから何人も抜き去ってゴールを目指すことは中々難しい。手っ取り早く結果を出すには、なるべく前線に残り、相手の最終ラインの傍に位置取りをしておきたかったのだが……監督の指示を無視するわけにもいかず、仕方なくポジションを下げる。
バックスタンド側のコーナーからペナルティエリア上空に飛んできたボールを、センターバックがヘディングでクリアすると、そのこぼれ球を浅川が拾う。前を向かせまいとする相手のプレスを背中で押し返し、一瞬のためを作ると、押し込まれていた味方攻撃陣が猪のごとく駆け出したタイミングで、上体を捻りながら左足アウトサイドで、バックスタンド側のフリースペースにボールを出した。
それを受けた左サイドハーフの早坂が大股なドリブルで一気に持ち上がると、すぐさま浅川も反転攻勢に出る。
自陣から相手陣内のペナルティエリア手前まで……その距離、約50メートルほどだろうか。ピッチの中央を全速力で走り、パスを要求する。
しかし早坂は、ニアサイドに走り込んでいたラファエルに、その決定機を託す選択をしてしまう。
ディフェンスの裏を突くスルーパス。飛び出したラファエルが、エリア内でキーパーとの一対一を作り出すが、左足インサイドのシュートは相手の右足でセーブされ、ポスト横のピッチ外へと弾かれた。
「……くそっ。なんでコッチに出さねえんだ、バカが。早くしねえと効果が無くなるだろうがよ」
プレーが途切れると、浅川はボソリと呟き、もどかしさに大きく首を振った。
決定的なシーンが生まれやすい位置……俗に言う『バイタルエリア』でボールがもらえれば、ほぼ100パーセント、シュートを決めきる自信が自分にはあった。
けれど、いくらボールを要求しても、パスの出し手がそれに応じてくれなければ、なすすべがないのがサッカーだ。
俺にパスをくれれば、絶対に決めてみせる。そう豪語したとしても、FWならば誰しもが似たようなことを言うものだ。強気の言葉だけで信頼を築くのは難しい。
――証明するには、結果しかない、か……。上等だ。
浅川はガムを噛み締め、その味をこれでもかと舌に纏わせる。
左コーナーにボールをセットした早坂が手を挙げる。敵味方の選手たちがペナルティエリア内での駆け引きを激しくする中、ボールがゴール前に蹴り入れられた。
ラファエルと相手センターバックが空中で激しく競り合う。弧を描いたボールは、その頭上を僅かに掠めるような形で、エリア内にいた浅川の目の前に落ちてくる。
その瞬間は、まさに時間が停止したんじゃないかと思うくらいの体感速度になっていた。
刈り揃えられた芝がボールを跳ね返し、ピッチに撒かれていた水が飛沫となって弾ける。球体に描かれた流線型のデザインが空中でゆっくりと回転し、その模様を移り替えていく様は、まるで大きなシャボン玉のようにも見えた。
浅川はその先にゴールへのラインを一本見据えると、
――俺が、絶対的なストライカーだってところを見せ付けてやる……!
混戦状態の中、下半身に力を入れ、充分にボールを引き付ける。そして、
「うらあああっ!」
叫び声一閃、利き足ではない左足ダイレクトでその球体を叩くと、ボールは選手間を猛スピードですり抜け、ホップスライスしながらゴールの左上に突き刺さった。
それは、味方も、ディフェンスも、キーパーも、誰一人動けなかった強烈な一撃。ゴールネットに受け止められたボールが下に落ちて転がる。スタジアム全体がコンマ一秒静まり返り、何が起きたのかを観客達が理解すると、大波のような歓声が、一足早く踵を返した浅川の背中越しに、ゴールの余韻となって巻き起こった。
スローモーションの効果が完全に切れたのは、それからまもなく……ピッチに入ってから約5分後のことだった。
その後、浅川は試合終盤にも、予備として隠していた二粒目のガムを口にし、攻撃の手を再度強めた。そして、1対1の後半44分には、前掛かりになっていた相手キーパーの隙を突く、決勝点のミドルシュートを決めてみせたのだった。




