第2章⑦、対水戸スパイダーウォーリアーズ、その三
シーズン3ゴール目は、実にあっさりとしたものだった。いつもは決定機を前にすると、どうしても急激な焦りや逸りが心の内に生まれる。心臓が早鐘を打ち、筋肉は強張るものだが、そんなものは微塵もなかった。
――ちょろいもんだ。
ゴールを決めることがこんなに簡単な仕事だったとは……。いままで自分は何を苦戦していたのだろうか。そんなふうに過去の自分を思い返すと、情けなくすら思えてくる。
だが、今の自分は百八十度違う。
――これからは、数え切れないほどのゴールを量産してやる。
ボールがピッチの中央に戻され、試合が再開されると、浅川は強気の姿勢を体現するように、敵ボールホルダーへプレスをかけていく。
開始早々の得点は、味方を勢いづけるだけでなく、相手のリズムを崩す一撃でもあった。
反撃の色を強くしようとする前線と、慌てず、守備を一度立て直そうとするディフェンス陣の間で意思疎通が乱れ、スパイダーウォーリアーズは落ち着きの無いパス回しが続く。
前半4分。
マッドスターズは自陣左サイドで、敵のパスを奪うと、カウンターを仕掛ける。間延びしている中盤のスペースをワイドに使うことでプレスをかわし、少ない人数でボールを一気に相手陣内まで運ぶと、再びラファエル・ロペスにパスが通った。
ラファエルは、相手の最終ライン手前までドリブルで距離を詰めると、一点目が生まれたときと同じような位置である、ペナルティエリアの左外側から中を窺う。
しかし、相手も二度やられるわけにはいくまいと、右サイドバックの古賀とセンターバックのチェ・ヨングンが二人掛かりで徹底マークに付く。前線が戻ってくる時間を稼ぐ算段だ。
一方で、カウンター攻撃の鉄則は、その時間と手数をかけないこと。だからこそ、守る側は最終ラインが整っていて、人数的に優勢でも、スピーディーな展開からボールウォッチャーになりやすい側面がある。
そんな相手ディフェンスのマークを剥がすことは容易かった。
ファーサイドに位置を取った浅川は、中に絞っていた敵左サイドバック墨田の視界から、さりげなく消えるようにして半身を引くと、足を忍ばせ、ペナルティエリア中央へ素早く移動する。
エンドラインへ向かって、縦への突破を見せたラファエルに対し、もう一人のセンターバック伊東がケアに走ると、中央はもうガラ空きだ。
「ラファ!」
激しい歓声の中、浅川は自身の足下を指差し、パスを要求する。
グラウンダーでマイナス方向にボールを折り返してくれれば、確実に追加点が取れるシチュエーションだった。
ラファエルも横目でちらりと中を確認して、浅川が居ることを認識していたし、浅川もボールが来ることを確信して身構えていた。
けれども、前を向き直したラファエルの選択は違った。
角度の無い位置から、左足での強引なシュート。ディフェンダーが身体をよじりながらブロックに入るが、ボールはどこにも当たらず、ニアのポストの外側に大きく外れていった。
分厚いため息の波が、スタジアムを包み込む。
これには浅川も思わず顔をしかめた。
ラファエルのシュートは、運よく枠内に飛んでいたとしても、コースが三人のディフェンダーとゴールキーパーによって完全に切られていて、入るはずもなかった。
傍目から見ても、無謀な選択と言えた。
当の本人は、浅川と目を合わせることもなく、踵を返す。自分でも決まる確率の極めて低いシュートだと分かっていたのだろう。
にも関わらず、なぜそんな選択をしたのか……。彼のどこか余裕の無い表情を見たとき、浅川はなんとなく想像がついた。
ラファエル・ロペスという選手は、調子の良いときであれば屹然たる姿で攻撃を引っ張る頼りがいのあるプレイヤーであるが、あまりにも自分の想像通りにいかないときは、プレーが乱雑になってしまうことが間々あるのだ。
ここ最近のマッドスターズは、結果の出ない試合が続いていた。彼はその中でスタメン出場を続けていた選手だ。自分が出ていたときには勝ちきれず、出場停止になった前節に限ってチームが勝ってしまうと、状況的に焦りも生まれやすい。ましてやそれが、劇的逆転勝利であったとなれば、なおのこと。
もちろん、サッカーは十一人のスポーツ。一人だけのせいということも基本的にはないのだが、それでも、出場停止明けのこの試合にかける意気込みは強いものがあったはずだ。
そこに加えて、先制点のシーンである。
ポストに当たって跳ね返ったラファエルのシュートを、浅川が押し込んだわけだが、これも彼にとってはあまり面白くはなかっただろう。
シュートの過程や軌道が美しいほど、それが外れたときは悔しさも増すし、なにより、一番おいしいところを持っていかれたわけだから。
無論、どんな形でも勝利に繋がるならば嬉しいだろうが、こと、フォワード、しかも、助っ人外国人となると、一概には言えないようなところがある。もしかしたら、内心ではゴールを奪われたという気持ちになっているかもしれないし、ポストに嫌われたことに、過剰なフラストレーションを溜めている可能性もある。
ゆえに、次こそはと、強引なプレーを選択してしまうというのも頷けるというわけだ。
しかしそうなると、前線でラファエルにボールが渡ってしまえば、決定的なパスは中々来ないと見るしかない。浅川としても、こぼれ球を押し込んだ1点だけで満足しているわけではないのだ。前半のうちにハットトリックでもかまして、力を見せつけたいと思っていた。
こうなれば、コンビネーションは二の次だ。ボールを持ったら、多少強引にでも自分で運んでシュートを放つほかないだろう。
ドリブルはさほど得意ではない浅川だったが、相手の動きがゆっくりしたものに見える今の状態ならば、充分通用するはずだと、強い決意を持ってガムを噛み締めた。




