第2章②
前回と同じ立体駐車場へ車を停めると、曖昧な記憶を頼りに、そこから徒歩で路地裏へ入る。
目印は、あのレトロなスナックだ。あの店を見つけることが出来れば、老婆と遭遇したゴミ置き場への入り口も、自ずと分かる。
まだ明るい時間帯にも関わらず、密集した建築物によって青い空のほとんどが遮られた通路は、驚くほどに薄暗い。雨が降ったわけでもないのに、コンクリの地面はところどころが、じっとりと湿っていて、壁沿いは酷く苔むしている。
狭い通路脇に置かれた大きな室外機が、轟々と耳障りな音を鳴らす。吐き出される生暖かい風が生活臭と共に気持ち悪く肌を撫でつけるたび、浅川は顔をしかめながら、奥へと進んでいった。
迷路のような道の繋がりを右へ左へと、どれくらい歩いただろうか……。汗が額から流れ落ち出したころ、ようやく、目当てのスナックの看板を見つけることが出来た浅川は、ひとまず安堵の息を吐いた。
それでも、すぐさま表情を硬く引き締めなおすと、店の傍の細い道を曲がり、逸る気持ちを現すかのように、足早にゴミ置き場へ向かった。
鼻を押さえずにはいられないほどの臭気が滞留するその場所は、シラフの状態で見ると予想以上に退廃的で暗澹とした空間だった。ゴミを一時的に纏めて保管するための大きな鉄の箱が正面の壁際にドンと置かれ、片隅には、パンクした車のタイヤや、昭和の時代に使われていたと思われる朽ち果てた洗濯機など……いつ、どういう経緯でこんなところに棄てられたのか分からないものまで転がっている。そして、右の一角には、以前、浅川が胃の内容物をこれでもかと吐き出した排水溝……。
浅川は当時を思い返すように、そのときの状況を再現してみる。
――確か、あの後に背後から声を掛けられたわけだから……。婆さんがいた場所は……反対側の、一番暗がりになっている……あの辺りだったか。
けれども、老婆の姿はどこにもなく、代わりに、目つきの鋭いカラスが数羽たむろして、腐敗した何かをつついているだけだった。
――クソッ、やっぱり、いつも居るわけじゃないのか?
あるいは、本当にたまたま会えただけで、今後、あの人物がここに来ることは無いのだろうか? そんな不安が浅川の脳裏によぎる。
もしそうだとしたら、謎のガムを買うことは、もう出来ない……。それはつまり、以前の自分に逆戻りするということでもある。
サポーターからは存在すら忘れられ、出場出来るゲームは記録にも残らない形式だけの練習試合ばかり……。たとえそこでゴールを決めても、所詮はトレーニング。我を忘れるほどの興奮など、起きようもない。それは、酷く暗澹たる日々に思えてならなかった。
そもそも練習というのは、成果を見せる場所があってこそだ。真剣勝負の機会がもらえない前提では、いったい、なんの意味がある? そんなのは御免だ。
まるで、指の隙間からにゅるりと逃げ出すウナギのごとく、一度掴みかけたチャンスが零れかけていることに、浅川は焦りを覚えた。
――いや待て、落ち着け。そういえば確かあの日は、もう少し遅い時間だったはず……。
ということは、老婆がまだ来ていないだけ、という可能性も否定は出来ない。もちろん、何も保証は無いことだが……。
――しばらく待ってみるか……それとも…………?
そのとき、ふいに、落ちてきた水滴が浅川の頬を濡らした。
首を捻って真上を見れば、晴れた空から小降りの雨がポツポツと降っているようだった。
「通り雨か……」
このゴミ置き場に、雨宿りが出来るような軒は無い。
すぐに止むだろうから、体調を崩すほど身体が冷えることはないだろうが、この、すえたような臭いが漂っている空間に長く居続けるのも、気分的にはあまりよろしくない。
そして、これは直感とでも言うのだろうか。ただ単に待っていても、あの老婆が普通に歩いてやって来るとも思えなかった。
「……よし」
そこで浅川は、時間つぶしを兼ねてスナックへ行ってみることにした。いったい何時からオープンしているのか分からないが、前を通るときに看板の灯りが点いていたように思う。
ゴミ置き場から踵を返し、来た道を戻れば、果たして浅川のその記憶どおり、店前に置かれた古い立て看板の電飾は、誘引する蛾のごとくカラフルに明滅していた。




