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牧一刀斎、推して参る! ~アステリア王国剣客浪漫譚~  作者: ハクトウワシのモモちゃん
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4. 奮戦



 実戦は経験済みだった。


 近年、アステリア王国は来たる他国侵攻作戦に備え、大きな戦争をしていない。せいぜいが国境の周辺で小競り合いをするくらいだった。そんな小規模の戦闘は新兵を養うために使われた。数年前にステラやアル、若い将校たちは初陣を飾り、ステラも少なからず功を上げている。

 戦場とは壮大で悲痛を伴う場所だった。燻った大地には血塗れの剣、折れた槍、壊れた大砲――たくさんの死があった。

 だが、その景色から目を背けてはならない。アステリア王国軍の一将校として、ウォルフォード家の人間として恥じず、堂々たる態度であらねばならないのである。そう自分に言い聞かせて、戦争を見てきた。


 けれども、これはあんまりも悲惨な光景だった。

 ステラ・ウォルウォードは澄んだ碧眼を大きく見開き、硬直していた。


 目に映るすべてが、赤かった。


 ここは王都の東にある市場……噴水のあった広場だ。半壊した噴水からわずかに湧き出る透き通った水は赤色に浸食され、黒く濁っている。地面は陥没し、瓦礫に溢れ、見るも無残な有り様で、何よりたくさんの人らしきものが横たわっていた。それは人と呼んでいいのかわからなかった。胴から首や腕が離れていて五体満足のモノが無いに等しい。もはやそれは肉塊と呼んでしまったほうがしっくり来るだろう……。


「っ、ぉえ」


 限界だった。ステラはせり上がる胃酸に耐えきれず膝をついた。生理的に瞳が潤み、頭痛がして耳鳴りもひどい。けほけほとだらしなく涎を垂らしていると、自分を呼ぶ声が聞こえた。霞む視界を巡らし、馴染みある顔に驚く。


「レ、レベッカ……?」


「姫様!? どこかお辛いのですかっ!?」


「だ、大丈夫」


「で、でもっ、お顔が真っ青ですよ!」


「私より、あなたは? 怪我してない?」


 不意に顔をうつむかせて訊ねると、レベッカはぎゅっとスカートの裾を掴んで辛そうに唇を震わせた。


「マ、マキさんが助けてくれました。わたくしは、その……ずっと、怖くて……」


「助けて……そう。うん、大丈夫だよレベッカ。私もいるから」


 ぽろぽろと涙を零す彼女をなだめ、頭を撫でる。胸が焼けそうなほど痛いが、ステラは立ち上がり視線を上げた。

 やっと、ステラはこの悲惨な景色を作り上げた人物を振り返った。


「――さて。次なる相手はおぬしか? 妖しき獣よ」


 その人は血の池の中心にいる。マキは軽薄な笑みを浮かべ、前方を見つめている。その視線の先にいるのは大きなオオカミだ。群青色の体毛を逆立て、黄金色の双眸を爛々と輝かせている。


「……」


 ステラはぐっと息を飲み、覚悟を決めた。レベッカを奥の路地へやり、長剣を手に、一歩踏み出す。どれだけ道を選んでも、液体はブーツに跳ねる。むせ返るような鉄の臭いに何度も吐きそうになりながら、ステラは前だけを向いて突き進んだ。

 こちらに気がついたマキは目を丸くした。


「え……ステラ殿? 何故かような所に」


「ば、爆発が見えたから……」


 はっと荒い息を吐いて答える。そんなこちらが信じられないと言った風にマキは空く左手で制す。


「早くこの場から離れろ。レベッカ殿はご無事か?」


「レベッカは大丈夫だから、マキも早く――」


 そのときオオカミが咆哮を上げた。巨大な前足が動いて細く長い爪が飛び出す。オオカミは脚を横殴りにマキの顔面に叩きつけてきた。

 ステラは咄嗟にマキを押し倒すように突き飛ばし一緒に地面を転がった。大地を穿つような一撃に吹き飛ばされたふたりだが、マキはすぐに起き上がりステラを叱責する。


「ステラ殿ッ、何故ここにいる!?」


「あなたこそッ、どうして屋敷にいないで、こんなところで……」


 仰向けのマキに覆いかぶさったまま、ステラは漆黒の瞳を見つめ返した。マキはうっとうしそうに眉をひそめ、ステラの肩を柔く掴む。


「問答をしてる暇は無い。まずはあの獣を」


 振り返る。巨大なオオカミはぶるぶると突き出た顎を震わせ、黄金色の三白眼を大きく見開く。その瞳に理性の色は無くただただ狂気に彩られ、ぜっぜっと荒い息を吐き続けている。

 ステラはマキから身を引き、長剣を強く握る。


「たぶん、あれは人形だと思う」


「人形?」


「魔術の一種で、特殊な形代に『霊素』を流し込んで具現化させるんだ。どこかに使役する魔術士がいるはずだけど」


「申し訳ない。見逃してしまった」


 言うと、マキは彼方を見上げて口惜しそうに呟く。つられて顔を上げるがそこには倒壊していない建造物があった。おそらくマキは魔術士を目撃していたのだろう。ステラは仕方ないと思いながらも焦る。


「アレも『霊素』で出来てるから『霊素』切れを待つか、術士を捕えるのが普通だけど、そんな悠長なこと言ってられない」


 これ以上王都を危険にさらすことは絶対にあってはならない。ここで食い止めなければならない。


「動きを止めればよいのか。ならば脚でも斬り落とすか……」


 こちらの考えを読んだか、マキは剣を持ち立ち上がる。すると苦笑交じりにこちらを振り返った。


「人形ならば遠慮は無用だな。害獣、悪人と言えど命を奪うのは憂いを覚える。獣も人も生きているのだから……」


 黒い柳眉が下がって、肩をすくませた。


「――殺生は、出来る限りしたくないから」


 その一言に、ステラは茫然とした。

 こくりと唾を飲む。

 この人は、私以上に、もしかしたら父と同じくらい戦闘を経験しているのではないだろうか。自分と同じくらいの年頃なのに、この人はたくさんの死を見てきて、そして、未だに……。


「さぁ、仕上げと参ろう。ご助勢頂けないだろうか、ステラ殿」


 そんな表情はすぐに消え失せる。マキは毅然と前方を見据え、緩やかな曲線を描く片刃の剣を構える。陽光を弾く剣身には波打つような紋様が走っている。それは美しいと感嘆するぐらいで、とても他人を傷つける道具には見えなかった。

 一息遅れて、ステラは答える。


「……もちろん、私はウォルウォード家の人間でアステリア王国の騎士だ。民を守るのが私の務めなんだ」


「その心意気や良し。しかし無理はせぬように」


「あなたこそ。ああいう魔術と戦うのは初めてなんだけど私にできることがあればなんでも言って」


「いつも通りされよ。そう身構えることはない。なに、相手は獣。人を相手するよりよほど楽でござるよ」


「そうなの? でもアレすごく大きいし……」


「でももへちまもない」


「へっ、ヘチマっ?」


 マキはこちらを一瞥し、口角を上げた。挑発的に。


「できないのか? ステラ・ウォルウォード」


「できる」


 自分でも気づかないぐらい、その言葉は自然と出た。自信も根拠も皆無なのに、なぜか出てきた。それからすぐ、言わされたことに気づいてステラは目を眇めた。しかしマキはくすくすと微笑みながら、


「良き返事。ならばやり通すのだ。己を信じられぬ者に勝利は無い」


 凛として、ただ前だけを見据える漆黒の瞳。曇りなき眼差しは美しく、見惚れてしまう。柔らかな風がマキの黒髪を揺らした。


「行くぞ。牧一刀斎、推して参る!!」


「っ……アステリア王国騎士団、ステラ・ウォルウォードっ。いざッ!!」


 マキに連れて行かれるように、ステラも長剣を手に地を蹴った。



 ***



 低い姿勢でマキは疾駆し、その背中をステラは追いかける。ふたりは一直線でそこを目指して突進していった。


 巨狼が吼える。馬車が二台分はあるだろう体長。その図体を前にし咆哮を聞けば、誰もが居竦むだろう。しかし、目の前の背中に動揺は無い。体の右側に流した刀を下段に構え、巨狼を見据えている。楽しそうに見えるのは気のせいではない。玩具おもちゃを目の前にした幼児のように表情は輝いている。


 本当に、あなたは……。

 疑問が脳裏を巡るが、考えている暇は無い。ステラは無心に遅れまいとその背中を追う。


 巨狼は尖った顎を地面すれすれまで持ち下げ、ステラたちを食い殺そうと大きな顎を開いた。

 マキは素早く距離を取り、右方へ回避。突風の如き巨狼の息が前髪を揺らした。ステラもブーツを蹴り立て、オオカミの左手に回る。黄色の三白眼と目が合う。狂気的な視線にステラは生唾を飲むと同時に、唇を噛みしめた。集中しろと言い聞かせる。傷つける覚悟はできている。迷うことは何も無い。ぐっと剣の柄を握り、両足を地面に固定する。力強く右足を踏み出し、持ち上げた長剣を叩きつけるように振り下ろした。見事。ステラの剣は巨狼の左頬を抉り、群青色の体毛が散らせた。

 痛みを訴えるように巨狼は吼える。

 当たれば御の字。すぐさま距離を取り、オオカミの攻撃を避ける。前足を持ち上げ地面を砕くが、そこにステラはいなかった。


 安全圏で足を止めれば、どっと溢れる脂汗。やはり肉を断つ感触は慣れない。ハァッと荒く深呼吸をしてから、ステラは腹を括って顔を上げた。

 敵は待ってくれない。

 再びオオカミが吼え立てる。

 足を広げ、爪という凶器が降り注ぐ。ステラはかっと目を見開き、その軌跡を追う。刹那の動きも逃すこと無かった。身を前方へ傾けると左肩を削ぎ落とさんばかりの勢いで、脚は通り過ぎ去っていった。

 そして、銀色の髪が踊る。


 ステラはその真下で旋回。右足を踏み込むと同時に腰を捻り、それに引っ張られるように下方から剣尖が持ち上がる。空間を縦一文字に斬り上げ、巨狼の前足を斬りつけた。結果にステラは眉を寄せる。切断させるつもりだったのだが、上手くいかなかった。


「さすがの身のこなし。『白銀の飛燕』……その名は伊達ではないな」


 呑気な声はマキのもの。反対側にいたマキが腹の下を潜り抜けてくる。もちろん巨狼へ斬撃を浴びせながら。


「茶化さないで。私、今……駄目なの」


 振り返ることなどできなかった。しかめっ面のまま絶叫するオオカミを見つめていると、マキはふふっと笑みを浮かべる。


「……集中するのは結構。なれど、力を抜くように」


「だからっ」


「そなたの剣は美しいよ。無論世辞ではない」


「……」


 面食らって振り返るが、マキは既に巨狼へ接近を開始している。飛ぶような疾駆。怖れを知らない勇猛果敢な背中。それを碧眼に映しながら、思う。

 ――負けたくない。

『白銀の飛燕』――その渾名に恥じぬよう、ステラ・ウォルウォードは勇ましく長剣を構えた。


 マキは尋常ならざる速さで巨狼の足元を掻い潜り、バッサバッサと剣を振り続ける。四足を踏み締めるオオカミだがその鋭い爪がマキに当たることはなく、無慈悲に斬撃が返された。

 マキは息ひとつ切らさず、縦横無尽に巨狼を翻弄する。その動き、その太刀筋は美しいと思われるほどに洗練されており、それを侵してならないと強く感じた。


「私、いらないんじゃ……」


 何度目かの一撃離脱戦法に、息を切らしながらぼやく。綺麗な銀髪が額に張りつき、汗は軍服の中を滝のように伝う。息巻いたものの、今の自分はマキについていけないと自覚する。やはり自分に渾名など不要と思うぐらい、マキは凄かった。

 巨狼は目を回し、獲物を追う。だがその反応も鈍くなってきた。群青色の身体から靄のような鮮やかな光が浮かび始めた。あれは『霊素』の輝きだ。ステラははっと目を見開き、嵐のようなマキへ叫ぶ。


「マキッ、もういい! もう、限界だ!」


 マキは剣を止め、頭上の巨狼を仰ぐ。苦しそうに息を吐き続け、四肢は今にも崩れそうである。菫色の『霊素』の光は段々と濃くなっていき、身体から滲むように溢れていく。

 マキは不思議そうに粒子を眺めてから、息をいた。


「最期か……妖しきものよ」


 オオカミはもはや自分の体重を支えられない状態であった。前足が崩れ、溶けるように体毛が抜け落ちる。ずん、と地響きを鳴らしてオオカミは地に臥した。光の消えゆく獣の両眼を眺めるマキの横顔はどこか物憂げである。ステラはゆっくりとマキの隣に寄り、同じように菫色の粒子に覆われる巨狼を見上げた。


「私は魔術のことはわからないけど、たぶんもう動けないと思う」


「そうか……」


 マキは剣を素振りし、流れるように納刀を始める。


「存外、手が掛かった。そなたの助太刀は僥倖だった」


「私は何もしてないよ。ぜんぶマキのおかげ」


 それは人によっては嫌味に聞こえるのでないのだろうか。苦笑いで返すと、マキは疲れたように肩を落として小さく微笑む。


「いや、こんなに斬り合ったのは久方ぶりだったんだ。……それに、私はそなたの言う通りに動いただけ。手柄はそなたのものだ」


「……」


「私は、剣を振っただけだから」


 頑な言葉とぎこちない微笑み。それが腑に落ちなくて顔をしかめたが、マキは素知らぬふりで身を翻す。


「今日は疲れた。身も清めたいから早く帰ろう」


「あっ、私は……」


 官吏として報告が――と言おうとしたとき、ふと視線を感じた。

 それは目の前で弱った巨狼ではない。もっと強く、舐めるような視線。ぞくりと背筋に寒気が走り、ステラは眉をひそめる。と、マキも気づいたのか首を回して再び腰の剣に触れた。


「劣等種にしてはよく奮戦したな」


 呟きはステラでもマキでもない。

 ふたりして周囲を見渡すが、人影のひとつも無い。ならばこれは魔術の一種か。慌ててステラは長剣を突き出せば、その切っ先にひらひらと何かが映った。ふわふわと宙を踊るのは菫色の蝶。あでやかに空中を行き、菫色の粒子を羽から飛ばしている。

 思わぬものが視界に入り、ステラは目を剥く。

 奇妙な蝶は優雅にふたりの周囲を巡りながら、粒子を散らばせていく。肌が粟立つ。ステラは空く手でマキの腕を引っぱった。


「去ね」


「マキ! ダメ――!!」


 ステラは反射的にマキを庇うように身を乗り出した。

 途端に閃光が視界を遮る。眩い光も一瞬だった。光は破裂し、爆発が起きる。回避する術などない。爆風と瓦礫と一緒に、ステラはマキを抱えて吹き飛び、記憶が飛んだ。

「――――」


 幾度か地面を打ったが覚えていない。

 ステラは仰向けのまま、粉塵の舞う空を見上げていた。

 数瞬置いて生きていることに気づく。うっすらと目を開いて、小さく胸が上下する。生きている、まだ死んでいない。他人事にようにそう思った。


「……ステラ殿!? しっかり!」


 耳鳴りがする中、自分を呼ぶ声が聞こえた。目を動かせば守りたかった人がいた。……守れたんだ、よかった。


「ま、マキ……大丈夫……?」


「私のことなどッ。今すぐ医者を!」


 ほつれた黒髪を振り乱し、泥に汚れた顔を曇らせている。剣を持たせれば悪魔のような人だけど、こうしていれば普通の人だった。なぜだか笑ってしまう。


「私は……大丈夫、だから……」


 どろりとした液体が額を流れるのを感じながら、ステラは意識を手放した。




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