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牧一刀斎、推して参る! ~アステリア王国剣客浪漫譚~  作者: ハクトウワシのモモちゃん
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3. 天下一剣

 ――――時は、少し遡る。




「しまった……」


 思えば、ずっと床に伏していた身であった。病を患って長く、起き上がることもままならなかった。食も水も喉に通らなかった。何度も嘔吐し、いつの間にか泥に沈むように眠りについていた。そんな日々がずっと続いていた。

 ――要するに。

 ウォルフォード邸を抜け出したマキは空腹と戦っていた。


「むむ……私としたことが……」


 呻きながらあたりを見渡す。

 ウォルフォード邸を出てしばらく歩けば、そこには見たこともない光景が広がっていた。


 そこは市場だろうか。たくさんの人がいた。露店で呼び掛けをする者、ふらふらと歩き露店を物色する者、ステラのような服を着る者もいて、それは腰に剣を佩いていた。

 地面に敷き詰められているのはごつごつした四角い石。建物の壁も石が積まれ、屋根は三角で赤銅色の瓦が並んでいる。家屋ひとつがまるで城塞であった。

 そして皆、奇妙奇天烈な容貌である。髪色は茶や赤、果ては金。目も緑や灰、青など鮮やかな色彩をしていて、何度、目を擦って確認しただろうか。背も高く、顔立ちも祖国に比べ、尖った印象を与えた。


「異国とは、さも不思議なところ……」


 感慨深く呟き、ふと空を仰ぐ。

 青く高い空と浮かぶ白い雲。空だけは祖国と変わらなかった。太陽が燦燦と輝き、良き昼時である。

 柔らかな風が巻く。

 マキは耳にかかる黒髪に掬い、ふっと笑みを零した。

 こうして、陽の光を浴び、二本の足で地に立つのはいつ振りだろう。


「やはりここは、極楽だな」


 しかし腹が減った。

 ぐるぐる鳴る腹を押さえ、きょろきょろと乞食のように目を巡らす。が、路銀すら手にしていないので露店で物も買えない。何やら香ばしい香りがますます腹を泣かせた。マキは悔しくて唇を噛む。


「クッ。剣で天下を制しても、無一文の私は百姓以下か……」


「何ぶつぶつ言ってるんですか?」


 はっと振り返る。背後にいたのは長い茶髪を一括りにして、白と黒のひらひらの衣装を着た少女だった。たちまち、マキの目は輝きを取り戻した。


「レベッカ殿っ、恵みを! 腹が、腹が狂おしいほど鳴っているっ!」


「ちょ、なんですか、いきなり……」


 涙目のマキにレベッカ・バーナードは不快そうに顔をしかめた。彼女は苛立ちげに冷めた目でマキを眺めた。


「慌てて追いかけて見れば、あなたは姫様を見失ってるし、路上で空腹で倒れかけてるし。馬鹿じゃないんですか?」


「返す言葉もない……」


 ウォルフォード邸の門扉をくぐったとき馬車の後ろ姿を捉えることができたが、追いかけることはできずにそのまま物見遊山を楽しんでいたのだ。

 言い訳するとレベッカはますます呆れ顔になり、


「もう、あなたに何かなったら姫様が困るって言ったでしょう。少しは言うこと聞いてください」


「し、承知した」


「本当ですか? わかってるんですか?」


 じとりとした目で見つめてくる。なんだか怖い。マキは気圧されてこくこくと首を縦に振った。


「誓う。そなたが望むなら金打もする」


「キンチョウ? 意味わかりませんが……約束してくれるならお恵みいたしましょう」


 レベッカはにっこりと笑い、藤編みの容れ物を取り出した。中を開けば、色鮮やかな野菜が白い何かに挟まれている。食い物ではあった。が、またもや奇奇怪怪な代物である。マキは眉をひそめて問う。


「レベッカ殿、これはなんという品でござるか?」


「えっ、サンドイッチですよ? 知らないんですか?」


「さんど、いっち……。青菜の香りは良い。美味であるか?」


「美味と言われれば美味ですけど、サンドイッチに優劣なんかあるのかな……」


 思案顔になったレベッカ。そんな彼女を無視して、マキはこくりと涎を飲み込んだ。

 異国の食は初めてである。不安でいっぱいいっぱいだが、今はこの高鳴る腹をどうにかしたい。マキは両手を合わせ、レベッカに感謝した。


「では、いただく」


「立ったまま食べるなんて行儀悪いです。……あっ、噴水の広場まで行きましょう」


「え」


 “さんどいっち”とやらに手を伸ばした瞬間、ぱたんと容れ物が閉じられた。

 ぱたぱたと駆けて行くレベッカ。

 その背を見つめながら、マキは肩を落とした。

「お腹空いた……」



 ***


 噴水のある広場までやってきた。噴水を眺められる長椅子にマキとレベッカは腰掛ける。ふたりの他にも腰を休める姿が幾人も見られる。暖かな日差し、涼やかな風が流れ、雫が頬を撥ねて心地良い。休息を取るにはとても良い時だ。


「おおっ」


 マキは“さんどいっち”を手に取り、まじまじと見つめる。ふわふわの生地には緑の野菜が挟まれており、携帯食のようだ。

 ともかく、一口頬張る。もごもごと口を動かし、ゆっくりと大きく嚥下した。


「うむ、美味しいものだな」


「よかったです、お口に合って」


 隣に一緒に座るレベッカはにこにこと可愛らしく喜ぶ。そんな笑顔を見せられると否応でも笑みが零れてしまう。“さんどいっち”を一つ平らげ、藤編みの籠に手を突っ込む。もう一つ手に入れながら、ほっと息をいた。


「この浮き世も、良きところでござるな」


「マキさんの生まれたところはどんなところなんですか?」


秋津(あきづ)()(くに)と言う。まぁ、こことさほど変わらぬ。自然豊かで、人も獣も穏やかに暮らしている。時折、戦が起こるが」


「アキヅ……わたくしは世界地図に疎くてわかりませんが、一度調べてみますか?」


「いや、良い」


 きっぱりと断るとレベッカは少し表情を曇らせる。マキは安心させるように頬を緩めて答えた。


「某は今が楽しい。二本の足で立て、美味い物を食べられる。こんなに幸福なことはないと思う」


「マキさん」


「だから、そなたは何も案ずることはない。某は今このときを楽しむまでだ」


 ぽんぽんと彼女の頭を撫でると、恥ずかしそうに振り払われた。頬を染めて愛らしい。にまにまと笑っていると、ぱしりと手をはたかれる。


「何するんですかっ、触らないでください。わたくしに触れていいのは姫様だけ……」


「つれないなぁ。可愛らしくていいと思うな、某は」


「かっ……。ふざけてないでください」


「ふざけてなどおらぬが」


 ふいっと顔を背けたレベッカは不機嫌になった。仕方なく“さんどいっち”を口に放り込むと、彼女は早口で問う。


「それよりも、その剣はどうにかならないんですか?」


「どう、とは?」


 レベッカの言葉に反射的に振り返る。マキの視線の先には、長椅子に立て掛けた大刀があった。


「ですから、持ち歩くのは感心しませんよ。普通の人は持ち歩きませんから」


「それは百姓や商人は刀を持たぬが、某は侍。腰に佩いて当然……」


「サムライ?」


 興味を引き立てたか、レベッカの顔が戻ってくる。茶色がかった瞳がきょとんと丸くなっていた。マキは微笑ましく思いながらも続けた。


「うむ。剣で身を立て、剣に生きる者。……我が身を剣に託し、信ずる。剣は己そのもの、故にこそ心身を鍛え、日々精進せよ、とお師匠様はよく仰っておられた」


「うーん、古い騎士たちの道徳みたいなものですかね」


「騎士、とはステラ殿が言っていたものか?」


「あー、今の騎士と昔の騎士は違うって姫様が仰っていましたよ? でも、剣を持ち歩きたいならそれなりの職に就かないと……」


「ならば、騎士になろう」


「はっ?」


 レベッカが目を点にする。マキはふむ、と力強く首肯して拳を握り込む。


「某は刀が無くては生きていけない。刀を手放せと申すなら、腹を切る覚悟」


「切る!? なんでっ!?」


 仰天する彼女を無視してマキは立ち上がった。きらきらと輝きを増す漆黒の両目。マキは大刀を腰に戻し立ち上がった。善は急げ。早速、ステラに話を聞いてもらわねばならない。


「遊山は今度だな。すまぬなレベッカ殿、屋敷へ戻ろう」


「わたくしとしても、そうしてくれると助かります。王都の案内はまた今度、姫様も一緒に歩きましょ」


 レベッカはほっと安心したように息をいて、長椅子から立ち上がる。


「そうだな。では参ろう」


 そう歩き始めたとき、視界の端に何かが映った。ふと、目だけを動かせば、狭い路地の入口に全身黒ずくめの鼠がいた。普通の鼠ではない。瞳が血のように赤いのだ。奇妙な獣が、気味の悪い目でじっと噴水広場を観察している。マキは直感的にそう思い、


「レベッカ殿、少し待たれよ」


 一言言い捨て、マキは路地へと踏み出す。


 このあたりは建造物が乱立している。ウォルフォード邸から歩いてきた大通りは整備され、華々しかったが、ここは正反対の場所だった。噴水広場の周囲にはたくさんの路地や裏道があり、一度ひとたび道を間違えれば必ず迷子になりそうだった。マキは一つの路地へと向かう。賑やかな喧騒を背に、マキは早足でその鼠に近づいた。


 鼠が髭と耳を動かす。目が合った。どろりと濁った紅い眼がこちらをめつける。


「ど、どうしたんですか? いきなり……」


 と、追いかけてきたレベッカがマキの背に言う。マキは振り返ることなく、自然と刀の鯉口を切った。


「怪しい……、もののけの類か」


「え?」


「無礼だな、キミ」


 呟きと同時に路地の奥から声が聞こえた。中性的な声だ。レベッカが小さく悲鳴を上げ、マキは彼女を背にかばって刀の柄に手を掛ける。


「何者」


「あら? 言葉がわからないや。何かの魔術にでも掛かってるのかな。しかも見慣れない武器モノを持ってる……」


 嘲笑うような声音。マキはいよいよしわを眉間に刻み、右半身を押し出す。


「この鼠、其の方のモノか。おぬし、何者でござる?」


「マ、マキさんっ、通訳しないと駄目ですよ」


「構わぬ」


「どうして」


 間髪容れず答え、マキは早口に伝えた。


「気づかぬか? 禍々しい殺気を放ってる。これは話す暇などない」


 日中にも関わらず、路地は真っ暗だった。底が知れない深淵が続いているように思え、踏み出せばもう二度と戻って来られないという錯覚に陥る。

 マキは暗闇を睨み続けていると、暗闇が答えた。


「ふーん、その女、魔術士か……。邪魔だね。魔術士は貴重だ。殺すのはもったいない」


「殺、す……?」


 レベッカが掠れた声で呟く。あまり物騒な言葉にマキは苛立ちを覚え、即座に刀を抜き放った。

 レベッカの悲鳴は鞘走りの音で掻き消される。美しく煌めく刀身が露になり、研ぎ澄まされた刃が鋭く輝いた。

 途端に、足元の鼠が動き出す。路地の奥へ逃げようとするソイツに、マキは刀を逆手に持ち替え、躊躇いもなく振り下ろした。


「なっ、キサマッ!!」


「ふむ、普通の鼠のようだな。肉も血も通っている」


 白刃に串刺しにされた黒い鼠は悶え始める。鮮血を流す鼠に対し、マキは冷静に分析してから路地へと目を戻した。


「だが、異様な様子には変わらなかった。ただの獣ではなかろう。姿を見せ――レベッカ殿!伏せろ!」


「きゃあああっ!!」


 それが飛んで来ると察したマキは瞬時にレベッカをかばい、腰をかがめた。

 暗闇が一気に橙色に輝く。真っ赤に燃えたそれは恐ろしい速度でこちらへ迫り、マキの毛先を燃やして過ぎ去った。

 そして背後で爆発。


「――!」


 砂塵が吹き飛ぶ。

 誰かの悲鳴が聞こえる。レベッカを抱え、マキは爆風に耐えた。


「……今のけるなんて、アンタただものじゃないね。騎士か?」


 じゃり、と土を踏む音。マキは片膝をついたまま刀を構え、背後の噴水広場を見やって、絶句した。

 広場が消失していた。

 それは誇張ではない。地面には大穴が穿たれ、噴水は壊れ、水溜まりができている。焦げ臭い異臭が鼻につき、人らしきものが横たわっているのも見えた。

 あり得ない光景にもはや考えることすら放棄してしまいそうだった。


「な、なにが……」


 やっと出た言葉も掠れている。しかしマキはぎゅっとレベッカの肩を抱き、近寄る影へと切っ先を向けた。影は全身をすっぽり包むような黒の外套を着、頭巾も被って、見えるのは三日月に歪んだ口元だけ。そいつは怨嗟を吐く。


「余計な手間が増えたけど、ボクの大切なシモベを殺したんだ。償えよ……アンタの命でッ!!」


 ヤツの手元に橙色の粒子が浮かび始める。あっという間に、粒子はヤツの右手を覆い、収束し、燃え盛る炎へと変化した。

 掌大の火の玉を振りかぶる。


「死ねよッ!」


「くっ!」


 再びマキは瞠目し、慌てて後退をした。

 間一髪、崩壊した広場へ出たマキは地面を転がる。放たれた火の玉は瓦礫を吹き飛ばし、風塵を巻き起こした。


「レベッカ殿、しっかりせよ!」


「あ……っ」


 土煙のおかげか、相手は静観を決めている。その隙に、マキはぐったりとする彼女を揺さぶり、無理に起こす。うっすらと目を開く彼女。呼吸も落ち着ていて外傷もさほどない。

 マキは気を引き締め、周囲を警戒する。すると袖を引っぱられ、レベッカが悲鳴を上げる。


「マキさんッ、これはいったい……!?」


「こちらが聞きたい。この惨状を作ったのは、なんだ? 焙烙か?」


 焙烙ではないことはわかっていた。ついさっき、目撃したではないか。掌に当たり前のように火の玉が出現したところを。


「もしや、そなたが言っていた魔術と言う絡繰か?」


「魔術? こんな街中で……!」


 悲惨な噴水広場を見渡し、レベッカは恐怖で息を飲む。


「見るな。そなたには酷だ。それよりも早く安全なところへ参れ」


「マキさんは!?」


 涙目で見上げる彼女に、マキはふっと微笑んだ。


「かような修羅場、いくらでも越えてきた。そなたが案ずることは無い」


「相手は魔術士ですよ!? それも街の中で使うような人です。絶対に何か……」


「相手が何であろうと、某は退かぬよ」


 笑顔のマキは立ち上がり、刀を正眼に構えた。


「そなたとステラ殿には恩義がある。そなたを守るには十分な理由でござろう? 案ずることはない。某は、天下一剣と称された身だ」


「てんか、いっけん……?」


「天下で唯一、並ぶ者無し、という意味でござるよ」


 レベッカにそう言い残し、マキは砂塵の向こうを睨みつける。


「我は、牧一刀斎義龍春愛! 天下を征した剣……推して参る!!」


 牧一刀斎は力強く大地を蹴り叩いた。




 * * *



「やったのか?」


 もうもうと舞い上がる黒煙と砂塵。視界が不遼なのが最悪だが、こちらには優秀な探知機がいる。

 振り返る先には丸眼鏡を掛けた黒ローブがいる。自分と同じような真っ黒なローブを着、フードも目深に被っている。眼鏡の男は小さく呟く――詠唱し、体からダークグリーンの粒子を溢れさせた。眼鏡は目を閉じ、やがて息をく。


「いや、元気なのがふたりいる。男と女ひとりずつだ」


「チッ、しぶといな。クソッ!」


「落ち着け。だいたいあなたが悪い、どうしてそうも短気なのか」


「うるさい。先に仕掛けてきたのはアッチだ」


 鼻を鳴らすと、眼鏡は肩をすくめる。


「はぁ……。ともかく、後片付けは任せる。もうすぐ憲兵も来るだろうし」


「上等だ。下等な剣士風情、ボクの魔術で消し炭にしてやる」


 黒の手袋をした右手を握り締めたとき、黒のローブを着た人型がたくさん出現した。数は十。それらの登場に大きく舌打ちし、背後をふり仰いだ。


「おい、手ぇ出すんじゃねーよ。アレはボクの獲物だッ」


「何を言う。失態を侵したお前を助ける道理は無い。私は『主様』の言葉に従うだけだ」


 紙切れを手にした同じ黒ローブが、こちらを見下ろして言う。崩れていない建物の上から高みの見物とは偉そうな身分である。ますます腹が立ち、足元に転がる小石を蹴り飛ばした。

 眼鏡が鋭く発言したのはそのときだった。


「来るぞ、気をつけろッ」


 粉塵が巻き上がった――。



 * * *



 銀光が閃く。


 牧一刀斎は粉塵の中から豪快に躍り出て、愛刀を振りかぶった。鋭く輝く切っ先の向こうにいるのは、件の黒ずくめ。的確な一撃に思えたが、黒ずくめは紙一重で凶刃を躱してみせた。


「むっ」


 牧はこれに驚く。目測を誤ったか、いや確実に斬殺できた。となれば衣類の問題か、やはり洋靴は好かない。牧は脚を止め、とんとんと爪先を叩きながら周囲を確認した。黒ずくめはぜんぶで十五ほど。軽いものだ。牧は微かに笑みを浮かべ、愛刀を構えた。


「――消し炭にしてやる!」


 黒ずくめのひとりが怒鳴る。もちろん牧には何を言っているかわからない。だが、殺意剥き出しの様子で右手を突き出した。橙色の粒子が集まり始める。あれはさきほど見た、“魔術”の片鱗。速力と火力は凄まじい。直撃すれば粉みじんだ。しかし牧一刀斎にとって、理解し、見えているならば避けるのは容易だった。


 バチッ、と火花が顔右側面を通過した。回避されたことに瞠目する黒ずくめ。同時に背後で爆発。爆風を利用しながら怒涛の肉迫を果たし、銀色の刃が容赦なく黒ずくめの二の腕を飛ばした。

 力を籠めるのを止めない。ごり、と骨を断つ音を聞きながら二の腕を斬り裂いた愛刀はそのまま胴体を真っ二つに折った。


 雨のように降りかかる真っ赤な液体。鈍い音を立てて地に落ちる上体部と腕部。


「ハッ」


 血溜まりの上、牧一刀斎は顔を上げる。

 赤く濡れそぼった五体。白いシャツも黒のズボンも変色している。牧は頬に掛かった返り血を拭い、嗤った。


「魔術とやらはこの程度か。つまらないな」


「……お、応戦しろッ」


 誰かが叫んだ。声を合図に黒ずくめが襲いかかる。手をかざす者、剣を取る者……さまざまだ。

 牧は笑みを零す。――さぁ来ませい。もっと私を愉しませろ、と。


 魔術の光が輝く。魔術を発動させまいと迅速に動いた。牧は一瞬で間合いを詰め、輝く手首を落とす。次に、右から降り注ぐ剣をひらりと躱し袈裟懸けに斬り捨てる。三撃目――は黄色の閃光に阻まれた。

 バチリ、と左腕に痺れが走る。


「っあ……!?」


 シャツが焦げ、蚯蚓腫れのように裂傷がある。牧は鋭い痛みに顔をしかめた。

 足を止めてしまった牧の頭上に、大きな岩石が宙に浮いていた。建造物の残骸だ。浮遊するそれに唖然としたが、すぐにその場から退避。同時に瓦礫が重力に引かれ、けたたましい音を立てて地面を穿つ。

 突風に煽られる髪を押さえながら、牧は失笑する。


「これは……」


 しかし気を緩めることはしない。愛刀を血振りし、再び弾丸のように駆け出した。

 牧は敵を攻勢に転じさせることなどしなかった。鮮やかな色の閃光を掻い潜り、嵐のような斬撃を浴びせ、確実に致命傷を与えていった。

 血の雨、血の風はまない。景色はどんどんと赤く濁り、地面にどんどんと赤い池を作り上げていく。


 ――あぁ、私は……。


 血を浴び、剣を振るう中、牧は実感する。


 生きている、と。


 地の上に立ち、剣を振るっている。それこそ、己があるべき場所。生きていける場所だ。

 これ以上望む物は、何も無い。


「ふっ……。ふふ、はははっ」


 笑みを零すこちらに、敵は怯み始める。当然だ、血を浴びて笑っているなど正気を疑うだろう。

 だが、牧には関係の無いことだ。牧は地を走り、容赦なく刀を振り上げた。


「このようなことで竦むとは……この世の男どもも、底が知れるなっ!」


 最後の黒ずくめを地に伏せ、牧一刀斎は空をふり仰いだ。見上げる先にあるのは崩壊していない建物。その屋上には二つの黒ずくめが佇んでいた。それを目に捉えた牧は眉をひそめ、愛刀を構え直す。


「大将は高みの見物。あまり良いものではないが、首級だけは頂こう」


 そのとき、ずしんと地響きが起こる。何事かと首を動かし、牧一刀斎は唖然とした。


「…………」


 言葉が出ない。構えた愛刀も下げてしまうくらい牧は衝撃を受け、呆れ返った。

 見上げれば、群青色をした巨大なオオカミがいる。爛々とした黄色の両眼でこちらを見下ろし、大きなあぎとからは鋭利な牙と真っ赤な舌が覗いた。


「――――――――!」


 轟く咆哮。

 鼓膜を破かんばかりである。牧は頭痛を覚えながら、捨て鉢に呟く。


「これはもはや、狐や狸の化かし合いではないか……?」


 言ってしまうが、牧の闘志は尽きない。

 祖国でも幾度となく獣退治をしてきた。猪や狼、熊など多くの獣を狩ってきた。故に……。

 この戦、牧一刀斎の剣が試される。

 実に、愉しい。

 微笑をたたえる牧は愛刀を構え、勇ましく巨狼に立ちはだかった。




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