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牧一刀斎、推して参る! ~アステリア王国剣客浪漫譚~  作者: ハクトウワシのモモちゃん
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1. アステリア王国




 どうやら、ここは地獄ではないらしい。


 大陸の最も南方に位置するアステリア王国。豊かな土壌、広大な領土を有する王国は経済力、軍事力ともに大陸の中でも一、二を争う列強国である。現在もなお、その発展は止まることなく、着々と国力を蓄えている。


 ウォルフォード家はアステリア王国建国当時から、王室に仕える由緒正しき家系だ。代々王国の中枢を担い、名門貴族としてその名を国中に知らしめている。

 ステラ・ウォルフォードもその家柄に恥じぬ人格者であった。美しい銀色の髪と、凛と澄んだ碧い瞳、均整の取れた美しい容貌と肢体を持ち、誠実で正義感に溢れている。王国騎士団に所属し、若輩ながらにその剣の才能は素晴らしいもので、『白銀の飛燕』などともてはやされている。

 美貌、知名、力量を兼ね備える彼女だが、常に謙虚で気立ても良く、誰もが羨み、憧れる存在であった。一つ欠点を上げると言うなら、少しばかりお転婆なところだが。


「ふむ、ステラ殿はたいへんな良家の娘御でござったか」


 ウォルフォード邸宅の客室。真ん中にある大きな机と長椅子がある。その椅子にもたれかかるのは黒髪を無造作に高い位置で結わえた小柄な人。細身ですらりとした体型、怜悧な両のまなこは黒く染まっている。腕を組み、深く首肯する姿はなんだか様になっていた。


「そうなのですよ。だから粗相のないようにしてくださいね」


 答えるのは縦長の箪笥――“くろぜっと”というらしい――を開け閉めする小さな少女。茶色の髪を襟足あたりで一括りにして、裾がひらひらした白と黒の衣服を着ている。それは“すかぁと”というらしい。

 名はレベッカ・バーナード。ステラ・ウォルフォードの世話役の女性である。


「マキさんも、もうわかっていると思いますが姫様はすごいんです!」


 目をきらきらと輝かせてそう言う彼女を微笑ましく思う。(まき)一刀斎(いっとうさい)義龍(よしたつの)春愛(はるちか)――通称マキは穏やかな表情を浮かべた。


「レベッカ殿はステラ殿を慕っておられるのだな」


「もちろんです。姫様は素敵ですから」


 元気よく頷く彼女にマキは笑い返し、己の襟元をいじった。


「しかし、この“ぼたん”という駒、身が締めつけられる気分で、良くない」


 ステラの計らいにより、ウォルフォード邸に招かれたマキは血に汚れた着物を脱がされ、着替えさせられたのだった。

 袖が腕にぴっちりとくっついた“しゃつ”なる上着と、脚が二又に分かれた“ずぼん”なる衣装を着せられていた。かような服を着たことがないマキは本当に窮屈だった。異人は皆、こうなのかと思うと憂鬱な気分になった。

 するとレベッカはわずかに眉をひそめて、“くろぜっと”を音を立てて閉めた。


「何を仰るんですか? それが普通なんですから、文句言わないでください」


「普通……。ならば某も祖国のものを……」


「あなたの衣服は洗濯しますのでありませんよ」


「む、聞いてない」


「聞くも何も、洗うに決まってるでしょう。あんな汚らしい格好で屋敷を歩かれては姫様の信用を欠きます」


「ステラ殿が困る、と?」


「そうです。だからここにおられるのなら、身だしなみを整え、礼儀正しく……って聞いてるんですか」


「ん、聞いてるぞ」


 じとりとした目で睨まれるも、マキは手を止めなかった。何をしているかというと、“ずぼん”の腰に帯を締めていたのだ。


「“ずぼん”とやらだけでは刀が佩けぬゆえ、この革帯の上から帯を締めるのだ」


「カタナって……マキさんの持ってる剣ですか」


「然り」


 レベッカの言葉ににこりと笑う。それから、椅子に立て掛けてられた大きさの違う二振りの刀剣に手を伸ばした。ともに長年過ごしてきた本差と脇差である。やはりこれらが腰に無くては落ち着かない。

 レベッカはほぅと口を開けて鞘に入った刀を見つめる。無骨な黒塗りの鞘で、重厚な柄巻がされてある。実戦に使われる刀としては至って普通の代物であった。


「不思議な形をしてますけど、とても綺麗です。芸術品みたいですね」


「芸術? 思いもよらぬたとえでござるな」


「そうですか?」


「無論、これも人を斬る道具でござるよ」


 肩をすくめ、マキは白色の帯に大小を差し込んだ。

 そのとき、部屋の扉が外から叩かれた。


「私だ、入ってもよいかな」


「はい。どうぞ姫様」


 銀髪の美少女――ステラ・ウォルフォードだ。赤い外套と藍色の詰襟の服を着て、左腰に両刃の長剣を佩いていた。


「おっ」


 彼女はマキの様相を目に止め、笑顔を浮かべる。


「うん、似合ってる。様になってるよ」


「そうだろうか?」


 マキは襟をいじながら首を捻るがステラは満足そうに首肯する。そんな顔をされては文句も言えなくなり、マキは話を切り出した。


「ステラ殿。この度は誠にかたじけなく存じる」


 深々と頭を下げた。彼女は「人助けも仕事の内です」と当然と言った風に答えた。


「して。レベッカ殿の話によりここが地獄でも極楽でもないことがわかったが、あすてりあ王国とは何処いずこに? ……何よりレベッカ殿の、あの光はなんでござったのだ? おかげでそなたと言葉が交わせるが……妖術の類か」


「えっ、“魔術”を知らないんですか?」


「ま、まじつ?」


 レベッカが驚嘆の声を上げた。

 また、奇天烈な言葉が返ってきた。眉間に眉を寄せると、ステラとレベッカは顔を見合わせてから、先にステラが口を開いた。


「私が説明しよう。それと、申し訳ないけど歩きながらで構わないか? 私用があって」


「構わぬよ」


 ウォルフォード邸はとても広かった。高い天井、豪奢な絨毯が敷かれる廊下、並ぶ大きな窓からは大きな緑の庭園が見え、その向こうに鉄製の大きな門扉があった。初めて見る物ばかりだ、異国とはさも煌びやかな所なのか。マキは首を巡らしながらステラの後を追った。


 ステラの話を要約するとこうだ。


 この世には空気中に含有される不可視の粒子が存在する。人々はそれを『霊素(レイソ)』と呼ぶ。霊素は人間の体内にも存在し、空気中のそれと自らが持つ霊素を掛け合わせて、様々な超常現象を起こす。火を熾し、風を生み、地面を掘削する――様々な現象が生み、それらを総じて、魔術と称するのだ。


「やはり妖術の類か。……となればこの国の者は皆、その“まじつ”とやらを使えるのか」


 祖国は異国に百年以上遅れていると言われていたが、万民が妖術を使えるとは思っても見なかった。

 驚嘆の声を上げ続きを促すと、後ろを歩くレベッカはゆるゆると首を振る。


「得手不得手と言うのがあります。きちんと魔術を使うのにも訓練が必要ですし、わたくしはまだまだです」


「私は使えないよ」


 ステラがあっさりと答え、腰の剣に触れた。


「私にはこれがあるから」


 自信に満ち足りた微笑みを浮かべるステラに、マキは胸が躍る。


「そなたも剣に命を預けるか。異国も剣を大事にするのは同様か」


「マキも剣術を得意とするならどうだろうか。騎士として功績を上げてみては」


「功?」


 思わぬ言葉であった。咄嗟に足を止めて、まじまじとステラの顔を見つめてしまう。ステラとレベッカも足を止め、不思議そうにこちらを振り返る。ふたりの視線に気づき、マキは苦笑を浮かべて柔らかく刀の柄頭を触れた。


「功を立てるなど興味が無い。某の剣は、某の剣だ」


 目を閉じ、思う。

 死に行く運命であった。生きることを願った。この奇跡に深く感謝するが、それでも牧一刀斎という人間は変わらない。


「この余生も、これまでと同じ。剣に生き、剣に死ぬ。この国の猛者と死合うのも一興でござるな。そう言えば、ステラ殿もかなりの腕前と……む、如何致した?」


 目を開ければ、ふたりの少女は困ったような顔をしていた。特に、ステラはその端麗な顔を曇らせている。ステラは手を組み、もてあそびながら口を開いた。


「それは、悲しくないか」


「かな、しい?」


 意味がわからなかった。ステラはふいっと顔を逸らして、再び廊下を歩き始める。その小さな背を追いかけると、彼女はたどたどしく続ける。


「剣を持つことは、力を持つことだ。力があれば国を守ることができる、弱き人を救うことができる。だから私は鍛錬に励んでいる。己が、何か特筆すべき力があるなら、他人のために使うべきではないだろうか?」


「…………」


 言葉が出てこなかった。彼女が何を言っているかまったく理解できなかった。

 だけど、なぜだか胸を深く抉られた思いがした。

 呆けていると、ステラは振り返って慌てて取り繕った。


「あっ、いや、これは私の個人的な意見だし。マキはマキで自由にやればいい。出会ったのも何かの縁だと思うし、仲良くしていこう」


「う、うむ……」


 少し反応が遅れ、歯切れ悪く答えてしまった。それがきまりが悪くてマキは少しだけ彼女から目を逸らした。

 と、廊下の向こう側から靴音と声が聞こえた。


「あっいた。……ステラ・ウォルフォード! 遅刻だぞ」


「ひゃっ?」


 突然の怒鳴り声にステラが首を縮めた。何事かとマキも首を巡らすと、険しい顔をした男性がこちらへ近づいてきた。

 中肉中背で、くせ毛の赤髪。ステラと同じような詰襟の服を着て腰に長剣を佩いていた。


「ステラ、何をのんびりとしてるんだ。今日は大事な日だって言ったろ……って、誰だこいつ?」


 赤髪の青年はステラから目を離してマキを指差した。

 ふと気づく。言葉が理解できないのだ。まさか先刻さっきの魔術はステラとレベッカとしか通じていないのか。ちらりとレベッカに目をやると彼女は「あっ」と今更のように空いた口を手で覆った。


「あ、ああ。気にしないで、アル。急がないと」


「急がないとって……おまえが言うか?」


 男はちらりとこちらを睨み、身を翻す。刺すような視線にマキはわずかに眉をひそめた。


「マキ、騎士の話はまた後でっ、ごめんね」


 ステラは慌ててこちらに言い捨て、赤髪の男を追いかけて行った。

 その後ろ姿を眺めながら、マキはレベッカに問う。


「あの者は」


「え、ああ……アルバート・ハリソンさんです。姫様と同じく王国騎士団の方で、古くからのお付き合いがある方ですよ。御家同士も親しいですからね」


「あるばぁと……。して、ステラ殿は何用かわかるか?」


「たぶん軍のお仕事ですよ。近頃は国も大きくなって、国内もいろいろと物騒ですから。……あれ? 今日は非番のはず……」


 途端に思案顔になるレベッカ。マキは彼女から目を離し、ステラが消えた廊下を見つめあっけらんと口を開いた。


「では、参ろう」


「はいっ?」


 意味がわからないとレベッカが目を丸くする。


「某はこの国を見て回りたい。ついでにステラ殿の言う騎士という存在も」


「何言ってるんですか。勝手に出歩いて迷子にでもなったら」


「何を言う、そなたも供にだ」


「はあっ?」


 素っ頓狂な声を上げるが、マキは既に歩を進めていた。慌てるレベッカを肩越しに振り返り、悪戯げに頬を緩めた。


「休みの日に男女がふたり……そなたは、主人ステラが気にならぬか?」


「な……っ」


 途端に顔を真っ赤にして閉口するレベッカ。なかなか初心なところもある。マキは忍び笑いを浮かべて、結わえた黒髪を揺らして廊下を行く。


「別にそなたがついて来なくとも、道は覚えた。日が暮れる頃には帰るゆえ安心致せ。無論出歯亀も致さぬよ」


 レベッカにそう言い捨て、牧一刀斎は新天地――アステリア王国を視察し始めたのだった。





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