彼の内
暖房の効いた車内、暖かい風に乗った紫煙が鼻をつく。窓越しに曇天の空模様を仰ぐ。いつ降り出してもおかしくない空模様に彼の心もまた曇る。
携帯電話に落ちる視線。嘘か真か、果たして見当のつかない文字列を追う彼の瞳は曇天の空そのものに見える。
文字列は途切れることなく、彼の視線の行く先を空から奪い、時間をも奪っていく。
彼に残された時間は幾ばくもない。外で待ち受けているものは否応なく訪れる現実という名の彼を貫いて抜こうにも抜くことの叶わぬ楔。携帯電話の中に広がる有象無象の文字列の波だけが彼と現実を隔ててくれる防壁なのだ。
現実など苦しみ以外の何物でもないと彼は呪詛を唱える。抗ったところで押し潰され、すり潰され、自己を喪失し忘れ去られるだけなのだと。
幾百幾千もの文字で形成された波の響きはまるで福音かのように彼の心の澱を洗い流し一時の休息を与える。
液晶に表示された時刻に視線を移す。深い溜息が漏れると同時に彼の視線は現実へと向けられる。
そこには自らの血で薄汚れた楔はなく、
千言万語を用いても言い表せない程に純真な白銀の世界があった。
白銀が舞い踊る世界を彼は歩く。
楔は抜け落ちても穿たれた痕は残り、一度できた呪詛の澱は容易に消えることはなく彼の内に残り続ける。
しかし彼は尚歩き続ける。その足取りは軽いように見受けられる。
そして彼は白銀の世界へ消えていった。
久方振りの投稿ですが、相も変わらずと言った感じであります。ありがとうございました。




