みんなが指示を理解しているのが怖い
昨日、進級に関わる重要な試験を受けてきました。この試験、コンピュータを用いるのですが、ログインしたりチュートリアルがあったりと、ややめんどくさい操作が必要です。そのため、試験開始の一時間近く前から集合させられました。しかし全員が時間を守り、指示をきちんと聞いていたため、なんのトラブルもなく、無事試験を受けることができました。
こういうとき、なぜかふとした怖さを感じてしまいます。一四〇名余りも受けたにもかかわらず、誰一人遅刻をせず、誰一人操作を間違えなかった。それって恐るべきことじゃないですか。
もっとも、全然難しい操作ではないのですが。それでもこれだけ人数がいたら、日本語を理解できない人や、マウスの右と左、どっちを押すかわからない人が一人くらいいてもよさそうなものなのに。
また、わたしは何度かツアーでヨーロッパに行きましたが、その際も同じことを思ったことがあります。細かい集合時間や集合場所を、誰も間違えません。いや、自分たち含めてたまに間違える人もいましたが、たいていの場面では間違えません。そしてそれを喜んだり威張ったりすることもなく、みんな当たり前のように受け止めています。
そうです、当たり前なんです。間違えるほうが変なんです。前者は試験を受けられるレベルの人間、後者は旅行が好きな人間が集まっているのであり、そんな基本的なこともわからない人はその場にいるわけがないでしょう。
誰も間違えないという完璧さ、自分以外の全ての人間が自分と同程度(あるいはそれ以上)の知能レベルを有していること、そういった人間を集めた空間であること、それが「怖い」です。