神のみぞ知る
大理石や金、銀で作られた壮麗な玉座に1人の男が座り、慈しむような目で下界に住まう1人の少女を見ていた。いや、慈しむ、とは少し違うかもしれない。彼は俗に言う、鼻の下を伸ばした顔をしているのだから。
「うん……やっぱり、可愛いな」
ポツリと独り言を言う。ここに誰かがいて彼の顔と目線の先を見れば、この男がこの少女に何やら良からぬ気持ちを抱いていると思うだろう。しかし、幸いなことにここには誰もいなかった。
彼の視線の先の少女は別段、可愛らしい行動をしているわけではない。もちろん、可笑しな行動をしているわけでもないのだが。
少女は美しい水色の髪を風になびかせ、宝石のような美しい瞳を醜いモンスターに向けていた。今日の標的はミノタウロスか。今まさに露出魔のような牛が少女に襲いかかろうとしている。
しかし、少女は焦らない。それどころか悪戯な笑みを浮かべ、魔法を行使する。今日、彼女は新しい力を手にいれたのだ。…いや、それもまた違う。本当は、持っていた力を目覚めさせたのだ。彼は説明しなかったが、少女にはすべての属性の才能があった。たまたま、彼が目覚めさせてあげた力が水属性だっただけのことだ。そして、すべての力を目覚めさせるのを、彼は今か今かと待っている。
別に、彼女の力が必要なわけではない。
それを目覚めさせていくことで、思い出して欲しいのだ。彼のことを。
最愛の、少女に。
程なくして、ミノタウロスは倒れた。彼女の仕事は今日もまたあっけなく終わったのだ。彼も安心して玉座の背もたれに深く座り込んだ。
そのとき、誰もいないこの神殿に足音が響く。
「…フレイか」
彼は相手を見ずにそう言った。足音は一瞬止まり、苦笑の気配を見せる。
「やはり、通いすぎたか。お前に覚えられるとはな」
「ふん、俺の記憶力を舐めないでもらおうか。まあ、覚える覚えないではなく、足音だけで誰かバレるほど来ていることは自覚しているようだな」
2人分の失笑が神殿を満たす。失笑とはいえ、ここに笑いが満ちるのは約二千年前以来だった。
2人はずっと少女を探し続け、先日、やっと見つけたのだ。
不意に現れた彼女の兆候に2人は大喜びをした。特定し、接近しようとするまでにそう何日もかからなかった。2人はかなりの地位にいて軽はずみな行動は取れないが同時に、2人は大抵のわがままを通すことができるのだ。しかし、やっと会える、そのときになって、彼女の周りにいた愚民たちが動き出した。
2人は何も、彼女が見つかったことに喜び過ぎて周りが見えていなかったのではない。彼女はまだまだ幼かった、今の親元にもう少しいた方が良いのか、きちんと調べて考えた。だから時間がかかったのだ。しかし、考えるに時間はかからなかった。寧ろ、怒りを抑えるのに多くの時間がかかった。
少女の扱いは酷かった。あまりに酷く、冷たいものだった。だからか少女は5歳にして大人のような感情を持ち、意見を持った。それはその美し過ぎる外見にはあっていたが、明らかに異常だった。
彼らはそれでも彼女が認めているのなら手出しはするまい。そう思って怒りを収めようとしていたのだ。
そんなとき、彼女は親を殺した。
彼女の認識では自己防衛。それは半分当たりで半分外れだった。彼女の両親は何も彼女を殺そうとしていたのではない。その土地を収める地主にその年の年貢の取り立てを免除、あるいは軽減してもらうため、貢ぐ予定だったのだ。
少女は街で1番綺麗だったし、自由を与えてこなかったからか我慢も聞いた。どんなことをされても寧ろ喜ばせるような反応しか出来ないだろうと言う判断だった。しかし、彼女が異常であることもまた事実。何より、死んでも構わないと扱い続けた五年間が彼女の生命力の強さを証明していた。故に、彼らは保険として包丁を持ち出した。それが自分たちの命を奪うとも知らずに。
彼らは我慢の必要はないとわかるとすぐに彼女の元へ行き、彼女を虐げた連中を皆殺しにした。予想違わず、彼女は一言も止めなかった。その途中でフレイは時間切れ、少女に直接会うことは叶わなかった。
「くそぅ。親父があんなタイミングで呼んで来なきゃ、俺も会えたのに」
フレイは玉座の肘掛の上に乗り、下界を見る。そして少女を見て、満足気なため息を漏らす。それが彼らの最近の日課だった。
「フレイはこの世界の自衛には必要なんだ。それも仕方がないだろう。ニヨルドを責めてやるな」
まあ、気持ちはわかるがな、と彼ーーオーディンはフレイの肩を叩いた。
フレイと呼ばれた男はやはり神のうちの1人。この世界、アスガルド一の剣豪で、魔法なしならこの世界で1番強いと胸を張って言える男だった。また、その顔立ちもとても整っている。少女よりも深い碧の目と目に鮮やかな金の髪。色こそ違うが少女の顔立ちによく似ている。見た目だけで言うのなら、歳は20歳が良いところだ。話せばさらに若い印象を相手に与える。少女がもう少し成長すれば色以外での見分けは困難になるだろう。それも当然のことで、フレイは少女の双子の兄だった。少女のことは、最愛の妹と言ったところだ。
また、ニヨルドと言うフレイの父とオーディンは同年代。もちろん、見た目の話だ。しかし、オーディンは決して少女のことを友人の娘として見ていない。彼は最愛の妻として見ていた。
「あ、パーティ解散するんじゃねえの?」
不意にフレイが声をあげる。見ると下界で彼女の世話をするものとして選んだ男が彼女を置いて去っていくところだった。
「使えない男だな。さしずめ、彼女の能力の高さに驚き、自分の仕事がなくなりでもして、一緒にいるのが嫌になったんだろう」
そんなことはすぐに予想できた。もともと男のところに少女を長く置いておくつもりはなかったのだ。良い機会だろう。彼に望んだことは、彼女がこの世界のことをきちんと把握し、生活して行くための知識と存在証明を得ることだ。それはギルドに通っていることから達成されたと伺えるし、もうあの男は必要ない。
「うーん、1人になったらレベルの高いクエストとかを取るんじゃないか?」
頻繁にこの世界を出て下界へ遊びに行っているフレイはギルドについてよく知っている。それ故の予想だった。
「あり得るな。確かに強いとは言え、危ないかもしれない。…それに、この地域には、あいつが住んでいる……」
オーディンの真剣な顔にフレイもとても真剣に答える。それは真剣と言うよりも、深刻、と言った顔だった。
「ああ、絶対に彼女はあいつを狙う。なんせ、火属性の強力な宝石を落とすからな」
あいつ、と呼ばれるのはあの地域に住むモンスター、ルビリアルフラワーだ。レベルはそこまで高くない。おそらく今の彼女でも油断せず戦えばなんとか勝てるだろう。しかし、この2人は彼女の敗北を心配しているのではない。彼女は絶対に死なないと自信を持っているからだ。
では、何が問題なのか、それはーー
「彼女の貞操は、守られるだろうか…」
ルビリアルフラワー、その生態は異常の一言に尽きる。そいつは触手と言うべき蔦を使って生物を捕らえる。特に意思なんてないはずなのに目麗しい女性冒険者が来たときなどはむさい男の冒険者のときよりもずっと高確率で襲われる。どうやってか服だけを溶かし全裸にして男冒険者を惑わすこともあると言う。その粘液の匂いの所為で男は抵抗出来ず、ルビリアルフラワーと同じように女性冒険者を犯す。夢中になってやっている間にその男に特別な粘液を入れ、ルビリアルフラワーへと変化させる。そうして仲間にしてその個体数を増やすのだ。もちろん、冒険者が相手取りたくないモンスターぶっちぎりの第一位。そんなやつと彼女を戦わせたくはなかった。
「仕方が無い。フレイ、俺はしばらく彼女の元へ行くから、ここは頼んーー」
「ああ、ここは頼んだぞ、オーディン。俺は彼女のサポートに行く」
「「……………」」
「譲れ、フレイ。お前が行ったらここの自衛はどうする」
「何を言ってる。魔法の父とまで呼ばれたお前がいれば問題なく出来るだろう」
「「……………」」
「わかっているのか、彼女が愛したのは俺だ。俺の妻なんだからな。シスコンな兄は黙っててもらおう」
「何を言ってるんだ。冗談もほどほどにしてもらおうか。あいつは俺の次に好きなお前と結婚したんだ。流石に兄妹での結婚は理解を得ないからな」
「シスコンが」
「うるさい。ストーカーとして叩き切ってやっても良いんだぞ」
「魔法ありは分が悪いんじゃないか?」
しばらく睨み合う2人。
オーディンが結婚した頃から犬猿の仲だ。
「いい、では、フリッグに相談に行こう。あいつが選んだ方が行く。それでどうだ」
「うん。神の母と呼ばれるフリッグなら正当な判断をしてくれそうだ。そうしようか。まあ、もちろん俺が選ばれるだろうが」
「寝言は寝て言うんだな」
そうして2人の神は神殿から出て行った。
「お嬢さん、こんな時間じゃ、宿取れないよ?おじさんのところに泊めてあげようか?」
「いいえ、結構です。お心遣い、ありがとう」
「野営するのかい?危ないよ〜?君みたいに幼い子を襲うような人が多いんだから。おじさんのところへおいで〜?」
「野営はしないわ。昨日で懲りたのよ。ご心配、ありがとう。親切なのね。だけど、お部屋は結構。それより、美味しいご飯を食べられる場所を教えていただけないかしら?」
「いいよ!奢ってあげよう‼おいで」
言って、腰に回してくる男の手を自然な動作で払う。この街に至るまでに何度もして来ていることが伺える、熟練された動きだった。とても12歳の少女が持ち得ている技では無い。
少女はその後、いかにも高級と言ったホテルのレストランに連れていかれ、睡眠薬や媚薬を幾つかの飲み物や料理に混ぜられるものの巧みにそれらを避け、食事を終えた。もちろん、一切お金は払わない。パフォーマンス代だ。
「…ん……どっちかの薬、取っちゃったかな……媚薬…って聞いたことあるけど…どんな症状だっけ…?」
フラフラしながら頼りない足取りで歩む。頬が赤く、息も荒い。身体が熱い気がした。
「ん…んんっ」
不意に足ががくんとしてその場に膝をついてしまう。汗が出る、熱い、暑い…。
「はぁ…はぁ…はぁ……」
徐々に人が集まり出した。このままではまずい、さっきの男が来るかもしれない。それ以外の男が来ても、今の状態であしらえる気がしない。どうしよう?少女は膜がかかり、霧が覆うような意識の中でそう考えていた。
そのとき、地面へと向けられた少女の視界に男物の靴が入ってきた。そしてすぐに自分の身体を包む浮遊感。霞む目で前を見ると自分によく似た顔の男が微笑んでいた。しかし、どこか怒りを抑えたような顔にも見える。
その鮮やかな金の髪と深い碧の目を持つ男の胸に抱かれ、少女は少しづつ意識を手放して行く。既に男に触れたところが堪らなく熱い。息もさらに荒くなっている。しかし、彼は、大丈夫だと感じた。今までどんな男にも触られることを拒んでいたのにこの体調で男の胸に抱かれ、意識を手放すことに迷いはなかった。自分の顔に似ているからだろうか?そう考えて、完全に手放す間際に、聞いた。
「くそっ!フレイアにこんなもん飲ませやがって」
美しくて低い、この男の声を。