莉八の言い訳と出来過ぎた話
闇属性魔力を含んだおかしな雨が降りしきるこの日も、莉八は主の命令の通り、フレイアの監視を行っていた。
監視と言っても、見守る程度のことなのだが。何か危険が及んだ際に、出来得る限り直接的でない手助けをするという命令だ。彼女は何かあったら、まずはフレイアの聖獣が動くとわかっていたので今までもずっと仕事はなかったし、これからもないだろうと思っていたが。
しかし、今日はなぜか別行動をしていた。
フレイアがソロで動いているのだ。何かあったら、まずは聖獣を呼ぶ。そう決めて、聖獣の位置も確認しつつの監視を行っていた。
「まあ、フレイア様も神。そうそうそんな事態にはならないと思いますが」
莉八はぼそりと愚痴をいう。本来ならこの時間はアスガルドで主であるフリッグの側でお昼寝をしている時間だ。それが、この命令が出てからはほとんど寝ていない。さすがに主とフレイ神の過保護に付き合うのが嫌になって来る。
眼前ではそんな莉八の気も知らず、フレイアが槍でモンスターを次々と斬り伏せている。さすがは剣豪フレイ神の妹だと思いつつ、退屈だとため息をついた。
そんな事態が一変するのはそのあとすぐだった。
フレイア神はなぜか、パーティーで挑む予定だったシャーベルト討伐をソロで行おうとし始めたのだ。
「シャーベルトをソロ…ですかぁ……大丈夫…ですよね?」
きっと自信があるからそんな行動に出ているはず。ならば、聖獣如きが手を出すべきではないのかもしれない。
しかし、ソロは…そう思った莉八はたまたま謎の遊びに興じている、かなり高レベルの闇属性使いを見かけ、フレイア神とシャーベルトが対峙する間に落とした。莉八の属性は主同様、一定ではないのだがフリッグが教えに教えたおかげで闇属性を最も得意としている。だから、そんな高レベル魔導師が作った板でも多少の苦労はあったが破損させることが出来た。
「うん、2人なら安心ですね。フレイ神の妹さんなんだから、シャーベルトの特徴も、よくご存知でしょうし」
そう言って、幼い顔を綻ばせる。無事に仕事をすることが出来て安心した。やはり、過保護な命令でもやっている意味はあるのだ。
2人は狙い通り共闘し、戦局は優勢だった。しかし、しばらく経ったころ、フレイアが毒に侵されてしまう。
「ど、どうしてですか?シャーベルトの毒がどのように出て来るかくらい…」
知っているべきなのだろうか。
いや、おそらくフリッグは知らない。ならば、同じ女神であるフレイアも知らないのではないだろうか。少なくとも、知らなかったことを責めるわけにはいかないだろう。そんな一瞬の思考と焦り、混乱。しかし、身体はするべき行動を取っていた。
「早く、麗麟お姉ちゃんを…!」
莉八には治療魔術は使えない。実は、アスガルドでも麗麟ほどの使い手はあまりいないのだ。主要神で言えば、イズン神が唯一の治療魔術と支援魔術の使い手だった。
そんな理由から、莉八は確認していたフレイアの聖獣たちの位置へ走り出す。あと少し、あと少しでたどり着く、しかし、大声を出しても聞こえないであろう距離になったとき、目の前にモンスターの集団が現れた。
「っ!こんなときに、ですか!」
すぐさま闇属性の攻撃魔法の魔法陣を描く。しかし、そこで初めて気づいた。
自分が今、四方全てをモンスターに囲まれているということに。
さらに悪いことにはどのモンスターも莉八には一撃で倒すことが出来ないほどの強さを持っている。中には、この辺りにはいないはずのモンスターすらいた。それらに、この数で囲まれる。莉八は自身の命すら、守り切れるか微妙な状況に陥ったのだ。
「けど、そんなの、関係ありません!」
魔法が使いにくくなることもよくよく理解した上で、莉八は転変した。そうした方が速く走ることが出来るからだ。全ては、自分を信頼してこの命令を下してくれた、主の期待を、信頼を裏切らないため。そして、世界にとって掛け替えのない存在であるフレイアの命を守るため、自分の命を犠牲にしても麗麟たちにフレイアの位置を知らせに行こうとそう思っての行動だった。
莉八は走り出す。前方を塞ぐモンスターを毛散らす勢いで。そして、モンスターたちからの攻撃が繰り出される、その痛みに耐えようと覚悟した瞬間だった。
「ダメだよ?命を無駄にしようとしたら」
高く、美しい。鈴がなるような声で優しくそう囁かれた、そんな気がした。
そのまま、莉八は気づかぬうちに、意識を奪われ、その場にバタリ、と倒れる。そこに、モンスターの集団を割るようにして一人の少女が現れた。
「ごめんね、この子たちの相手をしてくれたら、こんな風に無理やり寝かしてあげる必要もなかったのだけれど」
その少女の狙いは、フレイアに生命に関わるほどの怪我をさせること。そして、それをあくまでも偶然、麗麟たちに見つけさせることだった。
「麗麟たちの誘導は、私とこの子たちだけで行うからね。安心してね」
言って、少女は自身の召喚獣であるモンスターたちに指示を出す。モンスター狩りを楽しんでいる麗麟たちを頃合いを見て誘導して行くためだ。
彼女には、どうしても確かめたいことがあった。そして、フレイアに気づいて欲しいことも。全て思い通りに行くなら、自分はするべきことをしなくてはいけない。しかし、行かないなら、それは、フレイアの責任ということになり、自分がしてやれることはない。そんな思いを秘めて、彼女はわざわざ莉八の仕事の邪魔をしたのだ。
「ごめんね、ちょっと、頭だけ弄るよ?」
自分に関する情報だけを消して、モンスターに囲まれ、敗北し、気を失ったという記憶を書き加えて、少女はその場を去って行った。
「だから、来れなかったって言うんだね?」
白愛は莉八の言い分を聞いて、溜飲が下がる思いがした。なぜここにいるはずのないモンスターたちまでいたのか知らないが、そんなモンスターたちに囲まれたのなら、来れなかったのも仕方が無いだろう。そう、素直に思った。事実、情報伝達魔法を今も発動しているであろうフレイアが何も言わないのだから、嘘をついているわけではあるまい。そもそも、八房という聖獣は命令は必ず成す生き物だ。それを背いて行動することなど、出来るはずもない。白愛はそう考えて、隣に立つ麗麟をみた。どうやら、麗麟も同じ考えに至ったらしく、特に何とも思っていないようだ。
「麗麟」
「…?はい」
そのとき、ずっと黙っていたフレイアが急に声をかけて来た。麗麟はなんだろうと思い、首を傾げながら愛する主を見る。
「その子…莉八ちゃん?とにかく、その子が怪我をしていないか、見てあげてくれないかしら?」
「はい、わかりました」
そんなことかと安心し、麗麟は莉八に歩み寄る。その時になってようやく、自分が緊張していたことに気がついた。
(…どうやら、慣れない怒りを抱いていた所為で、主上に怒られると思っていたようですね…)
自分の心の弱さに呆れた。そんなことで怒るような人ではないのに。
麗麟はそんな思考を吹っ切るように急いで詠唱を開始した。簡単な探索魔法だ。ただし、探すのは指定した人物の怪我や体調を崩している部分。
そして、結果を見て麗麟は息を詰め、考え込む。結果はかすり傷一つなかったからだ。
(おかしい…モンスターにやられて無事だったことも十分におかしいですが、かすり傷の一つもないというのは…)
では、一体どこに何をされて気を失ったのか。さらに精度の高い魔法をかけ、じっくりと探して行く。
そして、最高難易度、最高精度の魔法をかけたとき、莉八の頭に当たり判定があった。
(頭…しかし、外傷は内容ですね…魔法を使うモンスターの名は莉八からは聞きませんでしたが…)
そうは思っても莉八も自分もモンスターに詳しいわけではない。確たる証拠はないのだが、何と無く、釈然としない。
「麗麟。その子、怪我、ないでしょう?」
思考の海に潜る自分の耳に、フレイアの声が入って抜けて行こうとする。しかし、その一句一句確認するような言い方に引っかかりを感じた。その言い方ではまるでないことを最初から知っていたようではないか。
「どうしてそう思われるのですか?」
質問に質問を返すという、普段の麗麟なら失礼だと思い絶対にしない行動を取ってしまっているが、フレイアにも麗麟にも気にしている様子はなかった。代わりに、フレイアも質問に答えない。
「頭か、脳に直接か。そんなところに魔法をかけられた跡はないかしら?」
「……」
ウンディーネに抱っこされた、動かない身体をくったりと預けている幼い姿の少女に、麗麟は薄ら寒いものを覚えた。なぜ、麗麟のような探索魔法も使わず、そんなことがわかるのだろう。
「沈黙は肯定と取っていいわね?」
確認するようなフレイアの声に麗麟は思わず頷いた。すぐに顔を上げ、フレイアの目を見て問いかける。
「どうしてお分かりになられたのですか?」
ルイード、リコ、ノア、白愛そしてウンディーネ。全員がこの事態の大体を把握している。しかし、そんな予想を立てられたのはフレイアだけだった。何か、心当たりがあるのだろうか、自分のように。麗麟は焦る頭でそんな事を考える。その全てが、精度の高いフレイアの情報伝達魔法によって筒抜けなのにも気づかずに。
「簡単な話よ」
フレイアは疲れたように全身の力を抜いて、瞼も閉じて、口だけを動かしながら話し始めた。
「今回の一件は、出来過ぎだった。そもそも、私がソロで出かけたところから始まったのだけれど、そこだけだったんじゃないかな。偶然の産物だったのは。確かに、シャーベルトの生息地へ向かったのは私。それが目的だったからね。けど、少し様子を見に行っただけだった。とても、そんな高レベルモンスターが出てくるようなところまで進んではいなかったのよ。けれど、私はシャーベルトとエンカウントした。それは、誰かがおびき出したんじゃないかってその時にも微かにそんな気もしたんだけどね。それがその子の頭に魔法がかかってるんじゃないかって言う、予想が立った理由よ。その子の話じゃ、私が怪我するのを見て、麗麟たちを呼びに行ってくれたそうじゃない?それが、シャーベルトと私をエンカウントさせた人物には迷惑だった。だから眠らせた。モンスターの集団はおそらくその人物の召喚獣。この間のエレンの件と、同じ人物だと思うのよね。そこからはもう、どこまでがその人の予定通りに進んだのかわからないけれど、あのタイミングで麗麟たちが私の側を通るものかしら?この広い森で?行き先も決めずにモンスター狩りをしていたのでしょう?あなたちは。それが、私が出来過ぎだって思った理由」
それを聞いて、そんなことができる人物がもしもいるのなら、筋の通った話だとその場の誰もが思った。しかし、そんな人物が本当にいるかどうかはわからない。なぜならその人物は少なくとも、催眠魔法に召喚魔法を使えなくてはならないからだ。普通、召喚魔法を使える人はそれが専門だし、催眠魔法にしたってそうだ。この二つは覚えなくてはならない術式があまりにも膨大なのでフレイアたちのように永遠の命を持っていないとどちらも使うということは不可能に近い。
「あ、複数って可能性もあるということですか?」
白愛の質問にフレイアは少しだけ目を開いて首を傾げた。
「私は、何と無くだけれどソロだと思うわ。けど、そうね。複数の可能性も、なくはないわ」
フレイアの肯定の台詞に一同は少し納得顏になる。どうしてフレイアはソロだと思うのかはわからないが、そもそも、麗麟と莉八、白愛以外は先の話すら完璧には理解できていないのだ。さほどの問題ではない。
「あ、もしかして主上にはその人物の目星が…」
「すぅ…すぅ…」
白愛が台詞の途中で首を傾げる。先ほどと全く同じ姿で目を閉じて、口も閉じているフレイアから軽やかな寝息が聞こえる気がするのだ。
「…あれ?主上〜?」
「んんっ……ぅん……」
その声に、一瞬不快げに眉を寄せ、すぐにまた眠りに落ちる。
「…寝てるよ?」
フレイアは言うだけ言って眠ってしまったようだ。それを、ウンディーネが確認して、教えてくれる。
「まあ、今日は色々あったからにゃぁ」
にこにことノアが笑い、取り敢えず、野営の準備をしないか、と言い出した。皆はそれに従い、フレイアを寝かしつけた後それぞれ準備を始めた。
そんな様子を、少し離れた木の上から眺めている少女が1人、静かに微笑んでいた。
「さすが。よく出来ました、フレイア。今回は上々だったよ」
得たかった情報を得ることが出来てかなりご機嫌なようだ。そして、もう一度、静かに微笑んだ次の瞬間にはもうそこに人の姿はなかった。
これでこの章はおしまいです。
莉八ちゃんは気に入って頂けたでしょうか?
彼女にはまだまだ仕事がありますよ!




