最高神
フレイが行った。
正直、ズルい、と腹が立つ。俺だってあの程度の前衛は出来る。槍術はフレイよりも出来るのだから。しかし、行ったのはフレイである。
「むぅ…仲良くなりおって……」
ここ数日でフレイとフレイアはとても仲が良くなった。それはもう、記憶を取り戻したんじゃないかと思えるほどに。あの頃と同じようにモンスター狩りをする姿は嫉妬させるに十分なものだった。それはもう、フレイが帰ってきたら、巨人と戯れたことをこっ酷く叱ってやろうと思うくらいに。
それならば、見なければ良いのに、とフリッグに突っ込まれるのだが、そう言う問題ではない。確かに見ていると腹は立つ。立つが、フレイアを見ていたいのだ。見ていないと落ち着かないし、その間に2人が何をしているのか把握していないとイライラする。重症だ。
そうして今日も玉座から2人の様子を見ていると不意に小さな足音がした。
ここへは転移魔法で来れる。むしろ、どことも繋がっていないここは転移魔法以外では来れない。しかし、当然のことながらその人数は限られているのだ。最高神である俺はもちろん、主要神と呼ばれる、フレイ、フリッグ、トール、ロキ、イズン、バルドル、そして、フレイア。
トールは神々一の剛腕の持ち主で、フレイと共にアスガルドの警護を務める。ロキは元巨人の男で悪知恵の天才だ。バルドルは俺の息子。正し、フレイアの子ではないが。そして、年若いイズンも主要神に数えられる。
皆が皆、それぞれの個性を生かし、代わりのいない存在となっている。しかし、現在は一人足りないが。
そのメンバーたちがとっている姿の年齢はまちまち。俺やトールは三十代の歳をとっているし、フレイやイズン、バルドル、ロキはまだ十代の歳をとっている。フレイはフレイアの助けがあれば自分の年齢をコロコロと変えられるが現在は不可だ。フレイアは気に入って使っていたのは18くらいだったか。
このメンバーの中でこんなに小さな足音を鳴らすのは一人しかいない。本来は二十代後半の歳をとっていた、フリッグだ。現在の歳は7くらい。
「……何のようだ?」
正直、面倒なのが来た、と思わずにはいられない。フリッグは最高神である俺に無駄に厳しい気がする。ちなみにバルドルの母だ。
「…そんな面倒そうな声を出さないでくれる?私の幸せまで減るわ。辛気臭いのよ、あなた」
ため息混じりにそう言い放つ。驚くなかれ、挨拶代わりだ。
「要件を言え、フリッグ。お前が好んでここへ来るわけがないだろう。それも、客もいない、俺一人のときに」
それもそうね、と言って鼻で笑うフリッグ。今、鼻で笑う意味はあったのか?
「仕事の話に決まっているでしょう?二千年前の再来よ」
「…………」
思わず、ため息が漏れる。しばらくはフレイアを見守るのはお預けだ。
フリッグが玉座の側まで上がってきて、自身の空間魔法から椅子を呼び出す。そこに足を組んで座った。大人の身体でやっていたときは非常に魅力的に映ったその仕草は多くの神々を虜にした。それは現在の子供の姿では決して魅力的には見えないが、様にはなっている。
「で、状況は?」
「最悪。今回も私たちに出来るのは時間稼ぎだけね。フレイアちゃんの力が必要よ」
「ふん。モノは言いようだな。犠牲、の間違いだろう。二千年前もお前はそう言ってーー」
「オーディン、私たちは世界を守らないといけないわ。一柱の女神の死でそれが叶うのなら、そうしない手はない……二千年前には、そうも言ったハズよ」
フリッグは顎を上げ、偉そうに言う。しかし、内心では他の方法を誰よりも望んでいるのは明らかだ。フリッグは、口では尊大なことを言って神々の鑑と言えるような態度をとるが、本心は誰かが傷つくことを誰よりも嫌う、心優しいやつだ。
「ただ、今回はーー」
フリッグが真面目な顔に少し明るい色を浮かべてそう言おうとしたとき、この玉座の間に新たな人物が現れた。
「父さん、ちょっと話が…あ、母さん。話の邪魔をしてしまったかい?」
新たに現れたのはフリッグとの子、バルドルだ。俺譲りの金の髪とフリッグ譲りの金の目を持つ、フレイに勝るとも劣らない美形だ。しかし、当然のことながらバルドルが主要神たる所以は決してこの顔などではない。両親譲りの髪色と目の色を未だ所持していることからわかるように、魔力は色に変化を与えるほど強くなく、フレイと比べるべくもなく細い身体は剣の才能を隠しているわけではない。彼がこのメンバーに入っているのは穏やかな性格と精神防御が生まれつき高いことにある。精神防御とは、精神的にダメージを負わせたり、言いなりにしたりする魔法への耐性のことだ。主要神はそれぞれが個性的であるが故に話がまとまらない。それはもう、もめて自分の持てる力の限り戦ったことがあるほど。一度、アスガルドを半壊させてしまってからは会議などを開いた際の議長を務めるのは最高神たるオーディンではなく、バルドルになった。以来、バルドルは主要神たちの受付、世話係のようになっている。
ちなみに、神が子を作るときはお互いの身体の一部を魔法によって合成し、赤子へと変化させる。俺とフリッグの場合は身体で二番目に魔力が溜まっている髪だ。ちなみに、一番は血。
「そうね、少し。けれど、何か急ぎの用なのでしょう?先、いいわよ。私の話は長くなるわ」
フリッグは正しく女神の微笑みをバルドルに向ける。それは幼いながらも知的な雰囲気を持つ美貌にはとてもよくお似合いの表情。ついでに、俺には見せてくれない表情だ。
そんな顔をいつも向けられ、慣れているバルドルは玉座に近づいて来つつ、話を始めた。
「実は、急ぎなのかどうかはわからないんだ。フレイくんの聖獣、白虎の富白が急に僕のところに来て、オーディンに会わせてくれって言って来て…連れて来てもいいかい?主人命令だそうだけど」
「…あの無礼な白虎か……」
聖獣は基本的には神に服従する。『御身を離れず、勅命に背かず、永遠の忠誠を誓う』これがあいつらとの契約の言葉だからだ。それは確かに仕える神にのみ言う言葉で、他の神には適応されないが普通は他の神にも最低限の敬意を払うものだ。それなのに、あの白虎はめちゃくちゃな敬語を適当に話し、主人以外の命令は決して聞かない。さらに主人にもあまり敬意を払わない。無礼にも程がある。
「あら、名前を貰ったのね。富白か…いい名前だわ」
呑気に言うフリッグ。偉そばる癖に尊ばれるのを嫌うから、あいつとは気が合うのだ。
「まあ、このタイミングでの主人命令なら、聞くだけ聞くしかないな…おそらくフレイアのことだろうしな……」
フレイアに聖獣のことが暴露ていたのは見ていた。普通に麒麟と白虎がフレイアの前に現れていたからな。そのあと麒麟は帰ってきていたのは知っていたが、まさか白虎も帰すとは。
「それは良かった。では、白虎、富白よ、入れ」
バルドルが笑い、床に手を翳す。その手を中心に魔方陣が描かれ、白虎が現れた。
「お通し頂き、ありがとーございます。えっと、フレイア…神に、聖獣をってことで、麗麟連れて行っていい?」
見る見る崩れて行く敬語。最後にはタメ口じゃないか?本当に、飼い主に似るな。
「…フリッグ、取り敢えず、フレイには戻ってきて貰うしかないな。時間稼ぎにはあいつの力が必要だし」
「そうね。それをわかってかはわからないけれど、今、聖獣をフレイアちゃんに渡せるのは都合がいいわ。記憶の戻りもいいかもしれないし」
状況は最悪だが、今からどうこうなるわけでもないようだ。フレイが戻ってきたら、随分な戦力になる。
「護衛用だろう?白虎、白愛も連れていけ。麒麟じゃ戦えん」
「それは、ありがとーございますっと。じゃあ、俺はこれでーー」
「待て、俺も下に降りる。お前は麗麟と白愛を連れて門で待っていろ」
えー?とすごく不満そうな顔をする無礼な白虎にわかったな、と念を押す。白虎は渋々と了解した。
「では、父さん、母さん、僕はこれで失礼しますね……あの、フレイアさんは…お元気ですか?」
帰ろうとしたバルドルが少し熱っぽい顔で問う。わかっているよ、俺だって気づいていたさ。お前がフレイアに好意を抱いていることくらい。
「ああ、元気だ。今度こっちに来たらお前も呼ぼうか」
「本当ですか⁈ありがとうございます!それでは!」
嬉しそうな顔をしてバルドルは去って行った。父親の妻に恋するとは…何とも言えん。
「オーディン、下に降りることは認めません。やめなさい。富白に任せておけばいいでしょう?」
フリッグが少し声を尖らせて言う。しかし、門への転移魔法を発動させながら、俺は言い返す。
「うるさい。最高神は俺だ。お前の許可なぞいらん」
門に着くと未だ白虎は来ていなかった。連れてくる予定の麗麟は聖獣の取りまとめをよくやっているから忙しいのだろう。しかし、主人と離れることを嫌う麒麟の性格上、二千年振りに主人の側にいけると聞けば、すべてを投げ出して駆けつけるだろう。あの2人は仲も良かったしな。
脳裏に浮かぶ、フレイアにずっとくっついて世話を焼いていた麗麟とそれを面倒そうに言いつつも決して麗麟をおいては行かなかったフレイアの姿。思わず口角が上がってしまう。微笑ましい光景だった。そこに白愛が混ざると麗麟と白愛でフレイアを取り合うのだ。それもまた、何とも微笑ましい光景で、フレイアが諌めるまで誰も止めはしなかった。
二千年前、犠牲になりに行くフレイアを必死に止め、最後には共に死ぬと言った2人に対して、フレイアは最後の命令を下した。その命令を直接は聞いていないが、おそらくフレイアが戻ってくるまでアスガルドから出ることを禁じる、とかだろう。そして、2人は未だにその命令に従っている。あの頃のフレイアがもう二度と戻って来ないとわかっていても。
「……ちゃんと来るだろうな…」
今日も主人命令と言ってでないかもしれない。そうなると、今度は最高神命令を下さないといけなくなる。なんだか、あれは職権乱用みたいで快くないんだよな…
そんなことを考えていると、門の外でキラリと何かが光った気がした。門の外には地面はなく、人間界と繋がっている。つまり、人間界から何かが来たのだ。
そう理解したのとそれを鷲掴みにするのは同時だった。
それは俺の顔面目掛けて飛んで来たのだ。鷲掴みにしたいでどうすると言うのだろう。しかし、もうちょっと掴む場所を考えれば良かった。刃を掴んでしまった。
「…ん?これ、レプリカじゃないか」
「そう言えば、フレイが下で投げていたわね。ほぼ一日でここまで来たのね。流石だわ」
いきなり隣に現れたフリッグは特に気にせず、飛んで来た槍、聖槍レプリカをよく見る。どこにも損傷箇所はない。ただ刃か俺の血で汚れているだけだ。取り敢えず、手に回復魔法をかけておく。
聖槍はもちろん、レプリカにも千里先のものでも必ず的中させる機能がついている。取り敢えず、投げればいいのだ。フレイが狙ったのは俺なのだろう。だから、俺の顔面目掛けて飛んで来た。そう言えば先日そんな話もしたな。ああ、富白のことをよろしくとも言っていた。気持ちはわからんでもないが、一応注意をしておこう。いくら俺に渡すんでも、ちゃんと身体のどこを狙うかは考えろと。それと、俺はまだお前の白虎の名前を知らなかったぞと。
しかし、これが戻ってきてよかった。まあ、お礼くらいは言おうか。
「お待たせしました〜。えっと、連れてきたよ。本当にオーディンも行くの?フリッグも?」
富白がやって来た。本当に敬語を使えないやつだな。
「ご無沙汰しておりました、オーディン神、フリッグ神。この度、ようやく主上に会えるとか。許可して下さって、ありがとうございます」
深々と腰をおる麗麟。その主人譲りの真っ青な目には涙が溜まっていた。
「同じく、ご無沙汰しておりました、オーディン神、フリッグ神。なんでも私を連れて行くよう提案して下さったのだとか。そのことにまず、お礼申し上げます。ありがとうございました」
隣に並ぶ白愛の紫の目にも涙が溜まっている。2人揃って頭を下げているのを見るのはかなり久しぶりだ。基本自由な性格の白虎が頭を下げることが珍しい。しかも主人以外に。
「頭を上げろ。2人には記憶のないフレイアのサポートをしてもらいたい。絶対に、記憶が戻るまで守りきって欲しい」
2人はそれぞれの言葉で了解する。富白は早くも退屈そうにしていた。
「では、フレイアの元へ行くか…フリッグも来るのか?」
当然のようにここにいる幼い姿に声をかけるとその姿には似合わない諦めたような笑みを見せた。
「最高神の命令だもの、逆らえないわ。ただし、私がついていくのは私の勝手。下で何かあったらどうするのよ?」
要約すると、心配だからついて来てくれるということか。優しいやつだ。
「では、行くか」
ここから人間界へは一日ちょっとかかるが、このメンバーなら不眠不休でいけるだろう。
俺たちは門を飛び出した。




