最終話の、裏話
「本当にあれでいいのか、主さんよ」
隣からかけられた声に足を止める。私と同じく大量の書類を持った九尾が心配げな目を向けていた。私の目はそれを滑り、その奥、私から遠ざかる背中を見る。
あれから一年。あなたは成長期なのか、少し背が伸びたのね。
きっと、これからもずっと、あなたの身体は成長していくのね。私は化け物だから、年齢なんてあってないものだけれど。今や遠くなってしまったあなたの背中、遠ざけたのば自分のくせに今すぐにでも駆け出して抱きつきたい。
「いいのよ、これで」
それをしないでいられるのは単にあなたの幸せを願えるから。
「私は、子供作れないもの」
レオバートの後継である彼には子供が必要だ。それに、私もフローランスという貴族になってしまった。嫁入りすることは出来ないし、あの厳格そうなお爺さんに認められるとも思えない。私と一緒にいたらあなたはきっと、不幸になるものね。
リコとルシウスに嵌められて仕事を大量に押し付けられた。毎日来るお母さんたちの手伝いも三日に一度くらいはしているから、私自身自由な時間がない日々を送っている。1年ほど前、私が化物になったことにひどく怒ったあなたの顔ももう余り鮮明に思い出せなくなっていた。
あなたが原因じゃないのよ。
何度も言った、今でも言ってあげたい。どうか、責任を感じないで、幸せになってほしい。
「私に関わると不幸にしかなれないものね」
ぽつり、呟くと隣に立つ九尾がピクリと眉を動かした。
「儂は今、幸せじゃが」
「…ありがとう」
白愛はただにこにこと笑っている。天界に置いてきた麗麟たちも酷く心配してくれていたことくらいよく知っている。
彼のことは隆太を通じて聞いていた。
親友になったらしい2人はよく近況報告をするらしい。彼はもう直ぐ、結婚するそうだ。相手は女と男。どちらとも結婚することにしたらしい。それを聞いて、何かお祝いをあげられないかと考えた。欲しくなんかないかも知れないけれど、私にもお祝いをさせて欲しいから。
「受け取ってくれるかしらね」
男に抱かれたくはないだろうから、心ばかりのお祝いを。
アクア・フローランスに客人が。
最近よく聞く言葉にうんざりする。フローランスは私がルシウスから賜った家名だ。麗麟、白愛、九尾、藍雪も名乗ることを許されている。この名前をもらってよかったことは、全員で住める大きな家をもらえたことくらいであとはいいように使われているだけだと思う。
「わかりました」
着物の袖を翻して九尾と白愛を従えて城を歩く。使用人達などはもう慣れてしまって端によって頭を下げる始末。まるでこの城の主人が如き扱いだ。まあ、その主人が土下座する相手だから間違っていない気もするところが悲しい。
「これはこれは、お初にお目にかかります。いやぁ、お噂通り麗しい」
「世辞は結構。早く本題に入ってくださる?」
応接室に入ると何処ぞの貴族の男がにこやかに頭を下げていた。顔立ちはまあまあ整っていると思うが、フレイお兄ちゃん達のせいで目が肥えているのか、普通の域を超えているようには思えない。
「私は王立学園の校長をしておりまして」
そう名乗る男の話をまとめると学内での虐め及びカーストを調べて欲しいとのことだった。面倒、と断ろうと思ったが結局は引き受けた。理由は簡単。そこに彼がいるからだ。
「遠目にでも見れたら幸せよね」
女々しいかしら?話し合いが終わり帰ってきた自室にて九尾に問いかける。
「会話くらいしてみたらどうじゃ」
「それは、高望みがすぎるわ」
それに、そんなことをしたらきっと私は諦められない。
「諦めの悪い、あのお母さんの娘なのよ、私」
憂鬱。
当たり前にあった日常はもう戻って来ないのね。
毎朝あなたに会えた日々が懐かしい。
学校の下見に行った時、偶々通った庭園に彼の背中を見つけた。男用の制服を着こなしたルナの後ろ姿は凛としていて美しい。気付かれていないのをいいことに見惚れているとどうやら彼は上の空らしく、行き止まりに激突しそうになっている。心配で、思わず声をかけてしまった。
「ねぇ、ルイード。そのまま行くと危ないわよ?」
一年で慣れてしまった口調で声をかけてしまってからハッとする。彼は気にした様子もなく私を振り返って驚いた顔をした。
「なんで、ここに…」
「なんでって、そうねぇ。私が仕事以外に外出できると思っているの?」
違う、違うのよ。あなたに会いたくて仕事を後回しにして探していたの。もうすぐタイムリミットで諦めていたのだけれど。ねぇ、会えたのよ。この気持ち、あなたもまだ抱いてくれているのかな?
ああ、あなたに話していた口調がもう使えなくなってしまったの。自然に出ていた口調だったのに。それくらい、あなたは遠い存在になってしまったのね。
「仕事…この学校でか?」
「そうよ。カーストがあるでしょう。それの調査。一月くらい在学する予定だから、今日はその下見よ」
「なんでその身体で」
あなたに合ったとき、少しでも近い姿で居たいから。
そう言うのは恥ずかしくて適当な言葉が口を突いて出てきた。どうしてこう、素直になれなくなったのだろう。
この姿、どう見える?気持ち悪く、ないかしら?
尋ねたけれどあなたは少し悲しげな顔をするだけで何も答えてはくれなかった。化物が、と思われていたらきっと私は立ち直れない。
「魔法科か」
「戦闘科よ」
あなたのそばにいたくて。
ああ、本当に、もう。こんなのもう、ストーカーじゃない。やだ、やだ。恥ずかしい。
「そう言えば。ルイード、結婚するんだって?」
「ああ…決まったんだったな」
「何それ、適当ね」
昔は私がそうすると怒ったじゃない。
今ではあなたがそうなの?今ならもう怒らないのかしら。
ああ、違うわ。もう怒られることもないのよね。
「結婚式には、呼んでくれるの?」
「…冗談じゃない」
心底嫌そうに。そんな顔、しなくたっていいじゃない?
「あら、残念」
ごめんね、泣きそう。あなたに伝わらなければいいけれど。
「お相手は?」
「知らない」
知りもしない相手と結婚するの?いいなぁ、人間というだけで、あなたのそばに居られるその人は。
「あらあら、適当なのね」
軽口を叩いていないと、もう泣きそうだよ。人間でもないくせに。
「なんで俺のために生物やめたりしたんだよ」
またその話?もう、許してよ、あなたを。あなたが悪いんじゃないわ、全部、フレイお兄ちゃんとお母さんが原因のことだもの。あなたは被害者、私は娘だから、こうなるのも義務だったのよ。
伝えられないかしら。今の私は言葉が足りない。
視界の端に九尾が駆けてくるのが見える。ああ、もうタイムリミットなのね。
「主さんよ、仕事の時間じゃ」
そうね。ありがとう。ベストタイミングよ。ひらりと手を振って顔を見せないよう気をつけながら彼のそばを離れていく。きっと今の私は酷く醜い。
彼の結婚式は盛大で美しいものだった。三人並んで誓いの挨拶には笑ったけれど、多分きっと、心は悲鳴をあげていた。初めて、生物を辞めたことを後悔した。
ねぇ、あなたに贈り物があるの。
受け取ってくれると嬉しいな。
魔法陣が割れる音が教会の中に鳴り響く。招かれざる客の私は、お伽話ならさながら悪い魔法使いかしら?驚いた顔のあなたにニコリと笑いかけて魔法をかける。少し背が伸びて、脂肪が減って、胸がなくなる。ねぇ、ねぇ、できたのよ。あなたを元に戻す魔法。
ああ、ねぇ、愛していたわ。
今もなお、大好きです。
一粒の涙を落として心ばかりの祝いを告げて私は教会を立ち去った。呆気にとられている間の犯行は驚くほどに上手くいったようだった。
「主さん」
「きゅ、び」
家に帰ると九尾が無言で抱き締めてくれた。堪えていた栓が決壊して、涙がボロボロと溢れて。その日は子供のようにわんわんと声をあげて泣き続けた。
戦争が起こったのは、貴方が壮年の紳士になった頃。出兵すると聞いて心配でついていったのが運の尽き。終戦を急いだ私は敵陣の真ん中で魔力枯渇に陥った。槍での戦闘に切り替えたのも束の間、油断の隙をついて、自爆の魔法が使われた。慌てた私は九尾たちを結界の中に閉じ込めることしかできなかった。
気がつけば本になっていた。私を抱える身体は細身の割にたくましく、黒い。
「っ、ルイード?」
やだ、やだ。もしかして、私を庇ってくれたの?ばか、ばかね。
「あ…くあ…」
「ルイード!」
今麗麟を!慌てて人化して呼ぼうとした私をあなたが止める。
「あい、して…たよ…ずっと」
「…私もよ、ルイード」
にこり、笑ったあなたが冷たくなっていく。固くなった身体に口付けると堪え切れない眠気が襲ってきた。あなたの腕の中で、眠りにつく。どんなに幸せなことだろう。ああ、ねぇ、大好きよ、今もなお。
本になった私を九尾は泣いて抱えた。白愛は天界に帰り、九尾と藍雪は私が目覚めるまで世界を転々とする旅に出た。魔力の回復が良い場所を探してくれているらしい。
ああ、いつかは目覚めなければならないわね。
でも、今は、今だけは。
あなたの腕の中で眠らせてください
家名が解り辛いというご指摘を頂き、当初から予定していた通り、裏話を。これからもちょこちょこ番外を書いていこうと思います。
最後になりますが、長くお付き合い頂きありがとうございました。最後まで読んでくださった全ての方へ、心より感謝申し上げます。




