目覚め
少し飛びます、ルイード視点
眼が覚めると見慣れない天井だった。
身を包むのはふかふかした布団で、鼻腔をくすぐるのはどこか甘い花の香り。眼を指す光は唐紅の柔らかなもの。
「…ここ……っ!」
ぼやけた視界が鮮明になって、頭が冴えてくる。バネ仕掛けの人形のように飛び起き様として、身体がみっともなくビクンッと跳ねただけだった。胸を刺す痛みに思わず顔をしかめる。
「ルイードさんっ!」
バフッと音を立ててベッドに誰かが手を着く気配。それに次いで、翠の髪が鮮やかに舞い、同色の目がすぐ近くまでやってくる。
それを見て、ホッと息をついた。あの生活が身体に染みて、起き抜けに襲われるのが当たり前になってしまっていたらしい。
「…リコ、近い」
「ルイードさん、ルイードさん…よかった、目覚めてくれて、よかったですぅ…」
そのまま崩れ落ちるように泣き出すリコの頬に手を伸ばす。拭ってやった指は細く、少し肉が落ちたように見える。何より、男特有のゴツゴツとした骨が見当たらずキメの細かい白い肌だけがそこにあった。
「…ああ、あいつの解呪でも、身体は戻らなかったんだな」
「ルイードさん…お似合いですよ、女の格好」
「…どうも」
相変わらず空気の読めないリコに笑って、長くなった髪を払う。長すぎて首に絡まる。切ってやろうか、とちらりと考えた。
「どのくらい寝てたんだ」
「3日ほどだと聞いてきます。城に帰ってきてからは、一日です」
俺の肩口に顔を埋めたまま声がかえる。聞いている、というのは、帰って来るまでにかかっていたという意味だろうか。そう言えば、随分な距離があるはずなのに、痛みで気絶しただけでよくもまあ一度も目覚めなかったものだ。
「チェリーさんという人が、寝かせてあげてって言って…睡眠の魔法をかけられていたようです」
前言撤回。あのメンバーの誰がかけたのか知らないが目覚められるはずがなかったようだ。
「それなら目覚めないって不安になることないだろ。何泣いてんだよ?」
純粋な疑問と、泣かれ続けるのが気まずかったのとで問いかける。リコはしばらく逡巡した後、ボソボソと小声で答えた。
「…かけたのが、イズンさんで…始めて歌う歌だから、眠るは眠るけどいつ起きるかわからないって、言って…」
人の身体で何やってんだ、おい。
「それで、今神たちは?」
「殆どは帰っています。イズンさんは昨日までアクアさんに絞られて半泣きで帰って行きました」
「…そうか」
アクアに怒られたのなら相当な目にあったのだろう。ご愁傷様。
「そんで、アクアは?」
「……」
リコは答えなかった。
数日間、リコとここに残ったというチェリーに介護されて漸く歩けるようになる。ロキの屋敷で酷使しすぎた身体がとうとう悲鳴を上げた結果歩けなくなっていただけで胸の傷自体は治療魔法で直してくれていたらしい。
「けど、あれだけ大きな傷を治せるやつ、いたのか」
「麗麟さんがしてましたよ」
口を突いて出た疑問にリコがさらりと答える。なんと、アクアとフレイアの母子がとうとう死者蘇生までやってのけたのだとか。
「凄すぎて意味わからん…で、復活した白愛と麗麟は?」
「……」
一言話したいと思っていたのだが、これもリコは何も答えなかった。
ロキは、神の国に監禁されることになったらしい。
とは言っても、別に拷問を受けるとかずっと縛られるとかそういうことではなく、主要神からはずされ、普通の神として神の国の運営を手伝うようだ。あそこで働いていた人形達も皆、それに使われるそうな。
「ご主人様から伝言で、記憶が戻ってよかったって」
にこにこと笑って告げるチェリーにつられて少し笑う。
「そうか。それで、チェリーはロキのところに行かなくていいのか」
「ブロッサムがあなたは邪魔だから好きに生きなさいって」
妹思いの姉の言い方を真似て悪戯な顔をするチェリーにとうとう声を上げて笑ってしまった。あの屋敷では何度この二人に救われたことだろう。改めて礼を言うのもなんだから、もう一度そうか、と返事をした。
全世界を巻き込んだ今回の戦争は巨人の国の住民が大量に死ぬ以外の大きな被害はなかったらしい。麗麟たちが何かをしたらしく、ヘルヘイムも住みやすくなったそうだから、オールハッピーとは言えずともまずまずのエンドを迎えられたのではないだろうか。
戦争の責任は神にあり、と妖精やら何やらの種族は攻め立ていろいろと利便を得たようだがそれはそれ。その対応に追われる主要神たちは珍しく真面目に働いているらしい。それに少しスッとしたのはここだけの話だ。
コンコン
それからまた数日。俺が目覚めてから一週間と四日ほど経ったある日、ノックの音が部屋に響く。部屋にこもりきりも良くないので明日からはまた素振りを始めようと思っていたところへの来客だった。特に深く考えずどうぞ、と声をかける。
「調子はどうだ」
部屋に入ってきたのは赤い髪の王様。目的は今日もここに入り浸るリコというところだろうか。
「そこそこです。明日には中庭に出て素振りをさせてもらいたいですね」
正直な旨を話す。本当なら、実家に戻るべきところを何故だか俺は城の一室で生活をしている。防音処理が施され、窓の少ないこの部屋は不思議なほど外からの情報からは縁遠くなっていた。
「すまないが、それは止めてくれるとありがたい」
「は?」
「暫くは、部屋から一歩も出ないでほしい」
意味を理解出来ずリコをみる。リコは理由を知っているのか、私からもお願いします、と頭を下げた。
部屋は広く、素振り程度の鍛錬なら何も問題はなさそうだ。けれど、厚く外が見えない窓と防音の部屋のせいで気が滅入るのはどうしようもない。
「理由を聞いても?俺は早く身体を動かしたいんですけど」
「理由は、話せない。だが、なるべく早く終わらせる様努めよう」
そう話すルシウスは酷く疲れているようだった。目の下のクマも、少し荒れた肌も彼が肉体、精神両面で疲弊していることをありありと示している。
「リコ、お前もなるべくここにいてくれないか」
俺についでリコに目を向けたルシウスは先よりも真剣な表情だった。が、リコは嫌そうに顔を歪めて呆れた声で叱りつける。
「何言ってるんですか。ちゃんと王妃の務めは果たします。飾りだなんて言わせません」
「しかし、外は…」
「あなたが私を守ってください。仮にも旦那様なんでしょう?」
言って、ベッドのそばの椅子から優雅に立ち上がり、リコはルシウスの隣に並ぶ。その様は酷くお似合いに見えた。
「リコ、ルシウスと結婚したのか」
「今はまだ婚約です。先週返事をしたので」
「それはまたタイムリーだな」
幼馴染として幸せを願い笑かけるとリコは複雑そうな顔になってわずか口角を上げるだけだった。
「…もしも、アクアさんにあったならお伝えください」
「なにを?」
「…私は、あなたには勝てません、と」
最後にもう一度笑って、ルイードさんのことが好きですよ、と淑女の礼をして、リコは渋い顔のルシウスと共に部屋を出て行った。
パタン、しまった扉をただ見つめる。鍵がかかっているわけではなさそうだが、リコが知っているならアルフレッド家が出て来ている可能性が高い。俺にはどう頑張っても出られない仕様かもしれない。
「チェリー、外ではなにが起きている?」
リコにもここにいて欲しいと言ったルシウス。あの顔は、危険を恐れている顔だった。リコの安全を保つ場所がここならば、ここから出れば、安全じゃないということ。
問いかけられたチェリーはソファに投げ出していた足をパタパタさせて少し悩んだ顔をした。
「教えられないよ」
でもね、チェリーが珍しく真剣な顔をする。
「きっと、そうかからずに終わるはずだよ」
「…アクアが何かしているのか」
「……」
「アクアは無事なのか?」
「…あの人が危険になる場面なんて、あるなら是非見たいねー」
ケラケラと賑やかな笑い声をあげてチェリーまでもが部屋を出て行く。
その瞬間、僅かに見えた廊下の大きな窓にはごうごうと燃え上がる火の手が大きく映っていて、その光景はいつまでも俺の目に残っていた。




