聖獣
大遅刻
反省します
パンッ
と乾いた音が鳴る。
表から帰ってきた直後、ルシウスの城の庭でのことだ。
帰ってきた集団を見つけた聖獣たちが速攻で駆け寄り、王たちを掻き分けるようにして集団の中心にやってきてーーウンディーネがフレイアの頬を引っ叩いた。
フレイアは反応できなかったのかしなかったのか、叩かれた頬を撫でながら微笑んでいる。
「ウンディーネ、やめなさい」
「……止めるな、麗麒」
続けて叩こうとするウンディーネの腕を掴み、麗麒が声をかけた。二三の問答の末にウンディーネが一歩後ろへ下がる。どうやら、聖獣たちと同様に大精霊であるウンディーネも麗麒に従うようになったようだ。
「……」
「………アクア様。無事のご帰還、大変喜ばしく思います」
しばしフレイアを睨んだ麗麒は一転して優しげな笑みをアクアに向ける。
「……無事とは言い難い様ですよ。生気がない」
珍しく裏の声なく偉澤が言う。やはり心配なのだろう。そんな偉澤の言葉に他の聖獣たちも皆首を縦に振って同意を示している。
もちろん、麗麒も理解した。一つ大きく頷いて、アクアの頭を撫でた後フレイアに厳しい目を向ける。
「あなたは娘に何をしたんですか?」
「…私は何も」
真っ直ぐに目を逸らさずに見詰める聖獣たちと、少し怯んだように目を逸らすフレイア。もし事情を知らないものがこの光景を見たら、フレイアの方が立場が下か同等だと思うだろう。よもや、フレイアが神で聖獣たちを使役する立場だとは思うまい。
「嘘はわかりますよ?」
「…嘘はついてないよ」
嘘はね、とフレイアは強調するように言った。彼女の中には少なからぬ後悔があるのだろう、顔色が悪かった。
また暫し、痛いくらい張り詰めた空気が流れたがやがて麗麒がふぅ、と息を着くとその空気も一緒に四散した。聖獣たちも身体に入れていた力を抜いて、それでもやはり警戒態勢になる。
「アクア様がこちらの世界にいるのは危険だとなぜお分かりいただけない?彼女は狙われているのですよ」
「わかってる。だから、私がきっと守る」
「守る?既に生気を失った彼女をあなたは守るというのですか?ならばなぜ、生気を失う前にお救いしないっ!?生気を感じぬモノなど、無生物か死者しか存在しないっ!植物はもちろん魔道人形でさえ、多少は生気を感じるものなのですよっ!?」
「偉澤、落ち着け」
偉澤が額に青筋を立てて半ば悲鳴のように叫ぶ。彼は様々なことを知る聖獣だ。だから、生気を持たぬモノのこともよく知っていた。それが意味することも。
そのまま掴みかかりそうな勢いの彼をまた麗麒が諌める。それでも止まらなくて富白が転変し、偉澤を羽交い締めた。
聖獣たちは一様に生気感知に長けている。どのような能力持ちでも皆そうだ。だから、生気を感じないものが、生き物と同様に動いている、という事実によって軽い恐慌状態に陥っていた。富白は物を軽く考えるたちだし、生物を辞める瞬間を見ているからそこまでの精神状態にならなかったようだ。
「我々に神の意向に口を出す権限はございません。増してや、フレイア神は我らの主の先輩に当たる方。主も同意している事柄にとやかく言うのは筋違いというものでしょう。我儘なのかもしれません。ですが、」
羽交い締めにされている偉澤の腕を握って偉澤の心を代弁するように、そして自らの本心を話すようにユニズが語る。それに落ち着きを取り戻したと判断したのか富白は偉澤から離れ、布を被っているだけだったから服を着るために下がった。
「俺…私たち聖獣は確かに神の意向に沿うように生まれる。神の願いが発現の元だからな。だが、神々(あんたら)の奴隷になるために生まれてきたわけでもなけりゃ、騎獣になるために生まれてきたわけでもねーよ!」
「そうだ。私は聖獣ではないが、それには同意する。この九世界に生まれてくるもの全てが、神々に従う義務もなければ義理もないっ!私も、こいつらも、そしてアクアもだ!」
「俺らは駒じゃねーぞ、主人の妹。自身の野望を叶えるために命令すんじゃねーよ」
「そもそも、あなたの聖獣はもういないでしょう?例えあの2人が生きていたとしても、彼女らはアクア様の聖獣です。あなたが使えるものなどとうにいない」
次々と出てくる聖獣たちからの苦情にフレイアが苦しげな顔をする。周りにいたはずの王たちはノアが気を利かせたのか既にいなくなっていた。今ここにいるのは聖獣たち四人と大精霊、神、そしてアクアとノアとノトだけだ。アイルとルシウスは未だに王の相手をしているのかいなかった。
収まりがつかない。ノアとノトはそう思い一歩下がったところからその聖獣たちとフレイアのもはや口喧嘩と言えるものを眺めていた。だが、その予想は裏切られることになる。
「…すぅ……」
深く息を吸う声が隣でした、と思った次の瞬間にはーー
「やめなさーいっ!!!」
ーーアクアの絶叫が鳴り響いた後で、城の硝子が何枚か割れる音がしていた。
どんな肺活量だよっ!と言うのがこの時の当事者たちの言葉である。
「偉澤、ユニズ、ウンディーネ、富白、麗麒。私のことを心配してくれてどうもありがとう。けれど、あなたたちが思っているようなことで私は生気を失ったわけじゃないよ」
それに、途中から私関係ないよね、と苦笑しつつ、アクアは五人に続ける。
「私はお母さんに協力するって言った。だから、帰ってきた。ルイードを守るって決めた。だから、生気を捨てた。たったそれだけのことだよ。全て、私が望んだことなんだよ」
それを聞いてみんなは訝しそうな顔をして、青くして、複雑そうな顔をした。
「けど……いえ。ルイードさんのこと、もう聞いたんですね」
「うん。隠そうと思ってくれてたの?それはどうもありがとう。私のためだよね。だけど、私は知れてよかったよ。だって、」
これで、踏ん切りがつくじゃない?
とてもいい笑顔でいうアクアに何に踏ん切りがつくのかと誰も問えなかったという。
城に入り、とりあえず落ち着いてからフレイアはこの城の一室に滞在している人物について話した。落ち着いたとはいえ、聖獣たちは未だに神の決定に同意も協力もできないようだが。
まあ、それでもルイードのことをあの祖父とやらに誤魔化して伝えたのが彼らなのだから、きっと働いてくれるのだろうけれど。
「…お母さん、あまり私の友人に迷惑ばかりかけないでね?」
言葉に凄みが出てきた娘にたじろぐ母を残してその一室を訪ねたのだった。
コンコンと軽くノックをしてから返事は待たずにドアを開ける。そこには久方ぶりの友人の姿があった。
「久しぶりだね、ボルー。ごめんね、挨拶もせずに央都に行っちゃって」
「いやいや、気にせんでええよ。けどま、いきなりここに拉致られたときはびっくりしたけどなっ!ガッハッハ!!」
そこにいたのはおかしそうに笑う鋼鉄の巨人、高レベル冒険者のボルーだった。
「お母さん、無理矢理な人だから…後で注意しとくから、許してね」
変わらぬ無表情に申し訳なさそうな色を滲ませて言うアクアの頭をわしゃわしゃとボルーが撫でる。
「だから、気にしーな。な?それより…聞いたで?グリーンアイズを討伐しに行くんやって?アレはレアで、今出てんのは国外やし、道中もかなり危険な奴らが出て来るさかい、やめときや」
あまり感情変化に富んでない巨人であるボルーの顔にありありと心配そうな色が見えてアクアは苦笑した。これなら、その討伐に1人で向かうことになったと言わない方がいいだろうと思った。
「大丈夫だよ。魔法も随分と使えるようになったしね」
とはいえ、今のままロキの城に殴り込みに行っても意味がない。それだと魔道書になった最大の利点が使えないからだ。陣保存のための手続きとして、一度その魔法を詠唱によって発動させなくてはならないという規制があるのだ。だから、グリーンアイズ討伐が必要になった。1人で行くことになったのはフレイアがそう言ってアクアが同意したからだ。フレイアの心中はわからなかったが、アクアが同意したのは仲間を殺さないためだったりする。危険な場に連れて行きたくないと無意識に考えていたようだ。
「…そうか…ワシも着いて行ってやりたいけど、今のアクアちゃんの役には立てんからな」
「うん。そうかもね。ボルーはあの街に帰って欲しい」
しりすぼみになるアクアの声にボルーが首を傾げるとアクアが困った顔で見上げてきた。
「お母さんには、どこまで話を聞いた?」
「………あん人の、野望なら聞いたで」
「……そっか…」
「…やるんやろ?巨人の国を」
「……」
フレイアが野望の全てを語ったわけではないのだろう。嘘は着いていないだけで。ボルーは巨人の国をやる理由を知らないようだった。しかし、それでも状況は何ら変わらない。
お母さんの野望、その一環として巨人の国を滅ぼすことが含まれているのだから。
巨人の国にいるものは女も子供も関係なく、全て等しく全滅させる。それが神のご意向ってやつだった。
そして、アクアはそれに…快くではないが協力することに同意した。自身にとってもかなりの利があるからだ。
それでも、巨人の友人がいれば心苦しい。ボルーのように人間界にいる巨人は見逃すことになっているのだが。
そんな理由から俯くアクアの頭をまたボルーはわしゃわしゃと力強く撫でる。
「やったってくれ。一回痛い目見た方がいいんや、あいつらはな」
頭上から降ってくるその明るい声にアクアがぽかんとしているとボルーはしゃがんで12歳くらいになったアクアと目線を合わせて語りかけてくる。
「俺ら人間界にいる巨人たちはな、巨人の裏切りもんなんや。昔にごっつ可愛い神さんを殺してもうたって、神々に見放されたあの土地を捨てて逃げてきた裏切りもん。けどな、あの世界出る時に何人同士が殺されたか知らんわ。ワシのオトンもそん時に死んだってな、オカンが言うとった。あいつらは反省してないやろ?あそこはまた神々に喧嘩売ったんや。アクアちゃんとあん人はそれを買うただけや。気にせんとき。で、その結果がどうなってもな、こっちにいてるワシらはアクアちゃんらを責めたりせーへんよ。自業自得なんやから」
あんまり気にしてたら別嬪な顔が悪くなるよ?と微笑みかけるボルーに嘘の色はなかった。
それを感じると同時に自分の頭に情報が流れ込んでくる。ここに入った時にボルーにかけた検査魔法の結果のようだ。どこも、魔法によるダメージは見られない。
……どうやら、お母さんが何かをして言わせたわけじゃないようね。
それを確認し終えたアクアは人知れずそっと息をつく。だとするならば、ボルーの言葉は本音。ずっと感じていた罪悪感のようなものは忘れられるだろう。
何せ、私とお母さんは本当に、本当に巨人を全滅させなければならないのだから。
手加減などしてやれる気が全然しなかった。
「ありがとう。そうするね」
それから他愛ない話をしてボルーを見送った。やっと帰れると少し嬉しげだったのに申し訳なさを感じた。
ルイードのことは、結局言わなかった。
気に入ってない回なので変更するかもですが、大体話は変えません




